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第五章

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「さぁ、今夜も鑑賞会といきましょう」
 退社後、一緒に夕食を済ませて、自転車で通勤している妹尾が来るのを自分の部屋で待つ。それから一緒に過ごす。
「まだ再生始めるなよ。ビール用意するから」
 ビールは「泊まっていけ」という合図になった。
 そんな妹尾が泊まった翌朝だった。
「何これ」
 朝、目覚めると、「ちょっと台所借りました」と言った妹尾に促されてテーブルにつけば、前に出されたのは、黄色の色も眩しいフレンチトーストだった。
「見てのとおりのフレンチトーストです」
「それは分かるけど」
 白い皿に載ったほんのり焦げ目のついたそれは、見るからに美味そうで、鮎原の胃を刺激した。
「クレーマークレーマーに出てきたんですよ、これ」
 オレの一番の得意料理なんです、と妹尾が得意そうに胸を張る。
「映画のタイトル? それも」
「ええ。一九七九年、ダスティン・ホフマン主演の映画です。仕事一辺倒だった主人公が奥さんに出ていかれてしまって、残された子供のために作った料理なんですよ。はじめは焦げつかせて食べれたものじゃなかったけど、だんだん上手くなって」
 本当に映画好きな男だ。一九七九年といえば、生まれていないだろうに。まったく、同じ年代の奴らがリアルタイムで見ていた映画よりも古いものに詳しい。これも好きが高じて映画専門のカフェをやっている叔父という人の影響なのだろう。
「ダスティン・ホフマンといえば、『卒業』も有名ですよね。結婚式の最中に花嫁を奪って逃げるという。ラスト長距離バスに乗り込んでどこかに旅立っていくシーンが今後の二人を象徴させるように終わって……」
 このまま放っておいたらずっと薀蓄うんちくを披露しそうな様子に苦笑して、せっかくの料理が冷めてしまうと鮎原は話を戻す。
「――美味そうだね、ちょっとしたお店の朝食みたいだ」
「ああ、そうですね。済みません、オレすぐ脱線しちゃって。冷めないうちに食べましょう」
 鮎原に言われ、妹尾も今は語るより食べるほうが先だと思い至ってくれたようだ。コーヒーとレンジで温めたミルクを並べ、鮎原の向かい側に腰を落ち着けた。
 そんな妹尾を微笑ましく見ながら、鮎原はやっと空腹を覚えてならない胃袋を満たせるとフォークとナイフを手にした。
「なあ、妹尾。聞いてみてもいいか?」
 しっとりとしたパンにナイフを入れ一口大に切り分ける手を止めることなく鮎原は、ふと思いついたように訊ねる。
「何で、俺なんだ? その、お前が俺のことをその……」
「好きになった理由、きっかけ、ですか?」
「――うん」
 言葉を濁した鮎原の続きを違えることなく妹尾は口にした。
 本当は妹尾が自分に対する思いを告げたときから気になって仕方がなかった。いったい自分のどこに妹尾は惹かれたのだろう。
「一目惚れ、って言ったら信じてくれます?」
「そうなのか?」
 それは信じ難いことだ。自分でいうのもなんだが、目立つ存在だった試しがなく、ほとんどその他大勢、モブキャラだ。
「そんな、意外そうな顔しないでくださいって」
「だって、そりゃそうだろ? 俺なんて特別何っていうものないし」
 取柄も何もない。だから武村から求められたときも、にわかに信じられず、何度か夜を二人で過ごし、ようやく心を開いていった。
「今、何考えてました?」
「あ、いや別に……」
 ふと顔を曇らせてしまった鮎原を妹尾が少し心配げに覗き込む。武村を思い出していたことを気づかれたか。
 だが妹尾は、深く訊ねることはしないで、じゃあ続きです、と話し出した。
「入社してまだ研修中のときです。物流部に行ったとき、ちょうど出荷作業やっていた鮎原さんを手伝ったんですけど、覚えてます? オレそのとき伝票取り違えちゃったんですけど」
 物流部に行ったとは、新入社員は研修中いろいろ業務を経験させるためにローテーションを組んで部署を回らされる。妹尾が入ったころといえば三年前だ。
「伝票と段ボール箱に入っている商品の数が違ってることに気づいたけど、こういうものなのかなってそのままにしてしまって。あとで数量が合わなくて、『新人でも任された仕事に責任持て』って物流の課長に怒られたんです。でもそのとき鮎原さん、『次を間違えないように気をつければいいから』って笑って言ってくれたんです」
「そんなことあったかな」
 鮎原は妹尾の話に瞬きを数回した。言われてみれば、そんなこともあった気がする、そんな程度にしか思い出せない。
「ええ。そのせいで初めからやり直すことになって却って仕事増やしてしまったっていうのに、何でもないように。こういう人もいるんだなって思ったら、以来とっても気になる人になったんです」
「そんなことで?」
「ええ、そんなことです。でもオレにとっては『そんなこと』じゃなかった。だから一緒に仕事がしたいと配属先は鮎原さんがいる本社営業部を希望したんですけど、東京支社で」
「そりゃ贅沢だぞ」
 本社はこっちでも、情報・経済の中心である東京は当然ファッションにおいても最先端発信の地だ。そんな東京で仕事がしたいと支社を志望する新入社員は多かった。
「そういいますけど、でもオレにとっては……。だからすぐに転属希望出したんです。もう本社ならどこでもいいって。それが叶ったのが去年です」
「お前、バカだ。俺なんかのために」
 屈託なく笑む妹尾に鮎原は泣きたくなった。そんなころから自分を見つけて、以来ずっと思っていてくれたのか。「次を間違えないように気をつければいいから」なんて、言った本人はまったく覚えがないというのに。
 何をしているのだろう、ここで。妹尾の気持ちを知りながら応えることもなく。曖昧にしたまま凝らせた思いの決着をつけなければいけないのに。本当はもう、分かっているのだから。



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