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第38話 身代わりの男爵令嬢
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「そう大変ことにはならないんじゃないかな?」
髪を振り乱して、かなり痩せたように見受けられるマッキントッシュ氏を、モンゴメリ卿は慰めた。
この二人がしょっちゅう密会しているところをロストフ公爵に見つかると余計な疑惑を買いそうなので、マッキントッシュ氏は不審者よろしく真夜中にモンゴメリ邸に出入りしていた。
「ボードヒル子爵が、あなたのところに届いた手紙を陛下にお見せした」
「陛下はなんと?」
「ええ、まあ、その、陛下が最も怒ったのは、気に入った娘たちを自国に連れて行こうとした件ではない。十歳の王女殿下に猥談を聞かせた方だ」
そう言えば、そんな武勇伝もあったなとマッキントッシュ氏は思い出した。
「その件に関しては、王妃様が激怒した」
「王女殿下に何を聞かせたんだい?」
モンゴメリ卿が好奇心を起こしてボードヒル子爵に尋ねた。
子爵がモンゴメリ卿の耳元でささやくと、モンゴメリ卿がいやな顔をした。
マッキントッシュ氏が聞きたそうにしたので、モンゴメリ卿は面白くなさそうな顔をして氏の耳元で繰り返した。
マッキントッシュ氏はあからさまに聞かなければよかったと言う顔をした。
あまり気の利いた猥談ではなかったらしい。
「十歳の王女様にか」
「十歳の殿下にそれですか」
「相手が成人男性なら品がないで終わるだけだが、王妃様は今すぐ自国に帰ってもらえと」
マッキントッシュ氏がうなずいた。もういっそ清々しい程のバカである。
「会話が大体そのレベルなので、受けが悪い」
ピアから戻ってから大分風向きが変わって来たと、ボードヒル子爵はマッキントッシュ氏に説明した。
「かなり事情が変わって来たと思うよ。さすがにロストフ公爵も抵抗が大きいことに気が付いて来たらしい」
ボードヒル子爵は、次から次へと公爵好みの遊び場へ彼を案内していた。
モンゴメリ卿は彼にとって欠かせない観光ガイドだった。
「もっとくだらない、下品で刺激の強いところに案内しろ」
陛下がこっそり指令を出していた。
「社交界の令嬢を連れ帰るだなんて、とんでもない。私が王妃に叱られる。そんなものに興味を持たないように、ダンサーだの女優だのを紹介しろ。金だけはあるはずだ。どうとでもなるだろう」
マッキントッシュ氏が、髪をバラバラにさせたまま行ってしまった後で、モンゴメリ卿はため息をついた。
「なんだか哀れを誘うな」
目測なので確実ではないが、頭頂部がいささか寂しくなった気がする。
「確かにな。だから伝えたが、本来は機密事項だ。まあ、マッキントッシュ氏は、娘の去就が掛かっているしバカではない。口を割ることはない」
子爵はげっそりした顔で付け加えた。
「王家の風向きは大分変わってきた。原因は王妃様だ。どこから聞いてきたのか知らないが、ロストフ公爵の行状を詳細に把握されている」
王妃は、慈善事業に熱心な模範的女性で、某王家出身の美女だ。
国王が王妃に骨抜きになっていることも知られている。
しっかりした王妃様に骨抜きになっていただく分には(たとえこっそり何処かで多少の浮気をしていようとも)家臣の方は大助かりだ。
愛妾と王妃のパーティーが重なって旗幟を鮮明にせよなどと言われたら家臣稼業に支障をきたす。
「元々王女殿下への無礼で腹に据えかねているところを、いろいろ聞くとさらに公爵への風当たりが強くなった。それで王家のパーティは、主催者がロストフ公爵の祖母君の弟のミッドランド公爵となった。最も近親だからな。国王陛下は評判の悪いロストフ公爵を主賓にするパーティの開催を避けたのだ」
大貴族のミッドランド公爵はもう八十歳に近いはずだ。もう、パーティを主催するような年齢ではない。
「ミッドランド公爵もロストフ公爵の行状を聞かされて了解している。王室は令嬢など誰も連れ帰らせない方向でまとまっている。だが、公爵本人が納得しないのだ」
「あほか、もう」
モンゴメリ卿は語彙がなくなって来たらしい。
「猥談はダメだと理解できた。しかし誰を愛人に据えるかは、彼らの間ではステイタスに関係する大問題で、ロストフ公爵によると、この国の良家の子女で美人なら余計いいそうだ。どうしても、公爵家の名誉にかけて、相当な家の娘を連れて行きたいと執着している。マッキントッシュ嬢は現在進行形で最も好ましい令嬢とみなされている」
「なぜなんだ」
モンゴメリ卿は叫んだ。どうして、うちの庭で愛人のハンティングなんか始めるんだ。よそでやれ、よそで。
「商家の娘で貴族ではない。だから高い身分にあこがれているだろうと踏んでいるのだ」
モンゴメリ卿は、シャーロット嬢の母の貴族好きを思い出した。あながち間違いとも言い切れない。ただし、自国限定だが。
「ロストフ公爵を騙したと言うのだ。婚約者がいないのに、いると主張したと。で、責任を取れと。ねじ込めると思ったらしい」
モンゴメリ卿は頭を抱えた。婚約者を登場させてあきらめさせようと考えたのに。
「裏目に出たな。これで本当にシャーロット嬢が連れてかれたら、俺はマッキントッシュ家に死ぬまで恨まれる。一人娘だぞ?」
執事が入ってきた。正確には、この一件で子爵に気に入られる羽目になった執事見習いの若いオスカーである。子爵は目を輝かせた。
「おお、オスカーだ」
「名前で呼ぶな」
モンゴメリ卿はこれ以上悩みたくなかった。子爵にゲイ疑惑が浮かんだら、それはそれでめんどくさいことになりそうだった。
「本人の前では呼ばないよ」
子爵はオスカーを優しい目で見つめ尋ねた。
「どうした?」
「シルビア・ハミルトン嬢がお越しです」
だが、シルビア嬢は一人ではなかった。
彼女の後ろに、隠れるようにもう一人、女性が入ってきた。
モンゴメリ卿も、ボードヒル子爵もびっくりして、その女性を見つめた。
今まで、一度も見たこともない女性だった。
シルビア嬢は、驚いた様子の二人の顔を見るとにっこり微笑んだ。
「お約束の方を連れて参りましたのよ?」
「あ、お約束?」
二人はどもった。なにか約束をしていただろうか。
「こちらは、バーバラ・モイラ・アグネス・ソーントン嬢」
名前を聞いても誰のことか、さっぱりわからなかった。二人は紹介された娘を見つめた。
娘は二十歳くらいだろうか、痩せて疲れた様子をしていた。
「ソーントン男爵の娘ですわ。ロストフ公爵について行ってもよいとおっしゃっておられますの」
ハッとしてようやく合点がいった。
「あなたが言っておられた方ですか」
シルビア嬢はうなずいた。
ロストフ公爵の愛人候補を連れてきてくれたのだ。
ソーントン男爵は、ずっと昔だが、彼らが若い頃、借金と醜聞で自殺した男だった。
そう言われれば子供がいると聞いたことがあった。
「このたびのお話も、お母様が、ロストフ公爵のお国の出身ですのでご縁があるかと」
「公爵は、この国の令嬢をとおっしゃっておられるのだが?」
「母上のことは黙っていればわかりませんわ。父上は男爵です。それでよろしいではありませんか」
シルビア嬢はしれっと言った。
なるほど、赤褐色の髪と青い目は典型的なこの国の出身だろう。
「男爵令嬢ですわ。十分ではありませんか? 何より本人が構わないと言っているのですから」
男二人はあらためて娘をまじまじと見つめた。
身なりは貧しく、目にはすさんだ色があった。男二人を警戒して目つきは鋭かったが、少し媚びるような色もある。
これはいけるかも知れないとモンゴメリ卿は直感した。
「美しい娘でしょう? これから、私の家で磨いてもらいます。そして、来週の王家主催の夜会に出席していただこうと思っております」
娘の目が光った。少し顎が上がったように見えた。行きたいのだ。
「あれは……招待状はもう送ったあとで……」
シルビア嬢が声を立てて笑った。
「ですから、ボードヒル子爵にお願いにあがりましたの。欠席のお返事がウッドハウス家からきているはずです。代わりにこちらの令嬢を入れていただきたいの」
なぜそんなことを知っているのだろう。
シルビア嬢は婉然と微笑むと、バーバラ嬢を連れてきた侍女と孤児院の手伝いの女という目つきの鋭い二人の女に託して帰らせた。
女たちが出て行ったことを確認すると、シルビア嬢は口を切った。
「そして、もうひとつ。手紙の送り主が分かりましたの」
二人の男は、さっとシルビア嬢を見つめた。
髪を振り乱して、かなり痩せたように見受けられるマッキントッシュ氏を、モンゴメリ卿は慰めた。
この二人がしょっちゅう密会しているところをロストフ公爵に見つかると余計な疑惑を買いそうなので、マッキントッシュ氏は不審者よろしく真夜中にモンゴメリ邸に出入りしていた。
「ボードヒル子爵が、あなたのところに届いた手紙を陛下にお見せした」
「陛下はなんと?」
「ええ、まあ、その、陛下が最も怒ったのは、気に入った娘たちを自国に連れて行こうとした件ではない。十歳の王女殿下に猥談を聞かせた方だ」
そう言えば、そんな武勇伝もあったなとマッキントッシュ氏は思い出した。
「その件に関しては、王妃様が激怒した」
「王女殿下に何を聞かせたんだい?」
モンゴメリ卿が好奇心を起こしてボードヒル子爵に尋ねた。
子爵がモンゴメリ卿の耳元でささやくと、モンゴメリ卿がいやな顔をした。
マッキントッシュ氏が聞きたそうにしたので、モンゴメリ卿は面白くなさそうな顔をして氏の耳元で繰り返した。
マッキントッシュ氏はあからさまに聞かなければよかったと言う顔をした。
あまり気の利いた猥談ではなかったらしい。
「十歳の王女様にか」
「十歳の殿下にそれですか」
「相手が成人男性なら品がないで終わるだけだが、王妃様は今すぐ自国に帰ってもらえと」
マッキントッシュ氏がうなずいた。もういっそ清々しい程のバカである。
「会話が大体そのレベルなので、受けが悪い」
ピアから戻ってから大分風向きが変わって来たと、ボードヒル子爵はマッキントッシュ氏に説明した。
「かなり事情が変わって来たと思うよ。さすがにロストフ公爵も抵抗が大きいことに気が付いて来たらしい」
ボードヒル子爵は、次から次へと公爵好みの遊び場へ彼を案内していた。
モンゴメリ卿は彼にとって欠かせない観光ガイドだった。
「もっとくだらない、下品で刺激の強いところに案内しろ」
陛下がこっそり指令を出していた。
「社交界の令嬢を連れ帰るだなんて、とんでもない。私が王妃に叱られる。そんなものに興味を持たないように、ダンサーだの女優だのを紹介しろ。金だけはあるはずだ。どうとでもなるだろう」
マッキントッシュ氏が、髪をバラバラにさせたまま行ってしまった後で、モンゴメリ卿はため息をついた。
「なんだか哀れを誘うな」
目測なので確実ではないが、頭頂部がいささか寂しくなった気がする。
「確かにな。だから伝えたが、本来は機密事項だ。まあ、マッキントッシュ氏は、娘の去就が掛かっているしバカではない。口を割ることはない」
子爵はげっそりした顔で付け加えた。
「王家の風向きは大分変わってきた。原因は王妃様だ。どこから聞いてきたのか知らないが、ロストフ公爵の行状を詳細に把握されている」
王妃は、慈善事業に熱心な模範的女性で、某王家出身の美女だ。
国王が王妃に骨抜きになっていることも知られている。
しっかりした王妃様に骨抜きになっていただく分には(たとえこっそり何処かで多少の浮気をしていようとも)家臣の方は大助かりだ。
愛妾と王妃のパーティーが重なって旗幟を鮮明にせよなどと言われたら家臣稼業に支障をきたす。
「元々王女殿下への無礼で腹に据えかねているところを、いろいろ聞くとさらに公爵への風当たりが強くなった。それで王家のパーティは、主催者がロストフ公爵の祖母君の弟のミッドランド公爵となった。最も近親だからな。国王陛下は評判の悪いロストフ公爵を主賓にするパーティの開催を避けたのだ」
大貴族のミッドランド公爵はもう八十歳に近いはずだ。もう、パーティを主催するような年齢ではない。
「ミッドランド公爵もロストフ公爵の行状を聞かされて了解している。王室は令嬢など誰も連れ帰らせない方向でまとまっている。だが、公爵本人が納得しないのだ」
「あほか、もう」
モンゴメリ卿は語彙がなくなって来たらしい。
「猥談はダメだと理解できた。しかし誰を愛人に据えるかは、彼らの間ではステイタスに関係する大問題で、ロストフ公爵によると、この国の良家の子女で美人なら余計いいそうだ。どうしても、公爵家の名誉にかけて、相当な家の娘を連れて行きたいと執着している。マッキントッシュ嬢は現在進行形で最も好ましい令嬢とみなされている」
「なぜなんだ」
モンゴメリ卿は叫んだ。どうして、うちの庭で愛人のハンティングなんか始めるんだ。よそでやれ、よそで。
「商家の娘で貴族ではない。だから高い身分にあこがれているだろうと踏んでいるのだ」
モンゴメリ卿は、シャーロット嬢の母の貴族好きを思い出した。あながち間違いとも言い切れない。ただし、自国限定だが。
「ロストフ公爵を騙したと言うのだ。婚約者がいないのに、いると主張したと。で、責任を取れと。ねじ込めると思ったらしい」
モンゴメリ卿は頭を抱えた。婚約者を登場させてあきらめさせようと考えたのに。
「裏目に出たな。これで本当にシャーロット嬢が連れてかれたら、俺はマッキントッシュ家に死ぬまで恨まれる。一人娘だぞ?」
執事が入ってきた。正確には、この一件で子爵に気に入られる羽目になった執事見習いの若いオスカーである。子爵は目を輝かせた。
「おお、オスカーだ」
「名前で呼ぶな」
モンゴメリ卿はこれ以上悩みたくなかった。子爵にゲイ疑惑が浮かんだら、それはそれでめんどくさいことになりそうだった。
「本人の前では呼ばないよ」
子爵はオスカーを優しい目で見つめ尋ねた。
「どうした?」
「シルビア・ハミルトン嬢がお越しです」
だが、シルビア嬢は一人ではなかった。
彼女の後ろに、隠れるようにもう一人、女性が入ってきた。
モンゴメリ卿も、ボードヒル子爵もびっくりして、その女性を見つめた。
今まで、一度も見たこともない女性だった。
シルビア嬢は、驚いた様子の二人の顔を見るとにっこり微笑んだ。
「お約束の方を連れて参りましたのよ?」
「あ、お約束?」
二人はどもった。なにか約束をしていただろうか。
「こちらは、バーバラ・モイラ・アグネス・ソーントン嬢」
名前を聞いても誰のことか、さっぱりわからなかった。二人は紹介された娘を見つめた。
娘は二十歳くらいだろうか、痩せて疲れた様子をしていた。
「ソーントン男爵の娘ですわ。ロストフ公爵について行ってもよいとおっしゃっておられますの」
ハッとしてようやく合点がいった。
「あなたが言っておられた方ですか」
シルビア嬢はうなずいた。
ロストフ公爵の愛人候補を連れてきてくれたのだ。
ソーントン男爵は、ずっと昔だが、彼らが若い頃、借金と醜聞で自殺した男だった。
そう言われれば子供がいると聞いたことがあった。
「このたびのお話も、お母様が、ロストフ公爵のお国の出身ですのでご縁があるかと」
「公爵は、この国の令嬢をとおっしゃっておられるのだが?」
「母上のことは黙っていればわかりませんわ。父上は男爵です。それでよろしいではありませんか」
シルビア嬢はしれっと言った。
なるほど、赤褐色の髪と青い目は典型的なこの国の出身だろう。
「男爵令嬢ですわ。十分ではありませんか? 何より本人が構わないと言っているのですから」
男二人はあらためて娘をまじまじと見つめた。
身なりは貧しく、目にはすさんだ色があった。男二人を警戒して目つきは鋭かったが、少し媚びるような色もある。
これはいけるかも知れないとモンゴメリ卿は直感した。
「美しい娘でしょう? これから、私の家で磨いてもらいます。そして、来週の王家主催の夜会に出席していただこうと思っております」
娘の目が光った。少し顎が上がったように見えた。行きたいのだ。
「あれは……招待状はもう送ったあとで……」
シルビア嬢が声を立てて笑った。
「ですから、ボードヒル子爵にお願いにあがりましたの。欠席のお返事がウッドハウス家からきているはずです。代わりにこちらの令嬢を入れていただきたいの」
なぜそんなことを知っているのだろう。
シルビア嬢は婉然と微笑むと、バーバラ嬢を連れてきた侍女と孤児院の手伝いの女という目つきの鋭い二人の女に託して帰らせた。
女たちが出て行ったことを確認すると、シルビア嬢は口を切った。
「そして、もうひとつ。手紙の送り主が分かりましたの」
二人の男は、さっとシルビア嬢を見つめた。
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