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第35話 フレデリックのお礼

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フレデリックがジャックの家まで彼に礼を言いにやってきていた。ピアでシャーロット嬢と過ごした時間への礼だ。

「マッキントッシュ夫人もモンゴメリ卿もほめていた。ありがとう。うまい具合に公爵をあしらってくれたね」

フレデリックはすっかり満足しているようだった。ジャックへの礼も丁重で、含むところなど何もなさそうだった。
ピアのパーティーでは、ジャックとシャーロットの結婚祝いまでしてくれたが、フレデリックは今となっては全部演技だったと信じているらしい。

ジャックは、街に戻って来て以来、一度もマッキントッシュ家を訪ねていない。

そして、フレデリックはロストフ公爵をうまくあしらってくれた礼を言いに来たわけでもないようだった。

フレデリックは、嬉しそうに言葉をつづけた。

「父だけが少し渋い顔をしていたが、母は大乗り気でね。マッキントッシュ家もこんなことなら、とにかく早く結婚した方がいいだろうと言う考えに傾いてきたみたいなんだ」

「そうか」

「さすがにシャーロット嬢本人は、デビューしたてで、直ぐに結婚することなど考えていなかったらしい。なかなか同意してくれなくてね。まあ、時間の問題だけど。やっぱり社交界には憧れがあったらしく、どこぞのパーティですてきな男性がいたとか、そんな話をしていた」

「へえ?」

そう言えば、そんなことを言っていたかもしれない。

「聞いていないか?」

「いや。あまり話もしなかったからな」

ジャックは嘘を言った。このままフレデリックの妻になるなら、余計な火種は撒かない方がいい。

「そうらしいね」

フレデリックは満足そうだった。

「婚約者を決めるのはもう少し先延ばししたいらしいんだ。でも、そんなことを言っている場合じゃないと、今日も説得してきたところだ」

「そうなのか。やはりロストフ公爵は相当強引なのかな?」

「僕はよく知らない。でも、僕と結婚しなければ、本当に愛人にされてしまうかも知れないだろう? デビューして間がないから、ほかに婚約者候補は誰もいないからね。今のうちだよ」

得意そうにフレデリックは声を立てて笑った。

「君のところの父上は渋い顔をしてたと言っていたね?」

ジャックはさっきのフレデリックの話の中で気になった部分があったので聞いてみた。シャーロット嬢は、花嫁として歓迎されていないのだろうか?

フレデリックは正直者だった。包み隠さず打ち明けてくれた。

「それなんだよ。父は小心者でね。バーミンの工場の出荷のうちの十%ほどが帝国に輸出されていくらしい。シャーロット嬢をもらい受けたら、帝国の受けが悪くなるんじゃないかと心配しているんだ」

「ははあ、なるほど」

「だが、母は断然僕を押してくれているんだ。ぜひ、結婚しなさいと」

「それはまた、どうして? 夫君の考えと違うじゃないか」

「シャーロット嬢と結婚すれば、僕がマッキントッシュ家の商売を継ぐことになる。実のところ、実家の商売全体よりマッキントッシュ家の家業の方が大きいのだ。全体で見れば、損失よりその方がずっと大きいと母は言うんだ」

「へえ」

ジャックはなんだか心が冷たくなっていった。誰も、シャーロット嬢の気持ちの話をしていない。

「それにシャーロット嬢はとても美人だ。すぐに僕は惚れ込んだよ」

「シャーロット嬢は君のことを好きなのかね?」

フレデリックは照れたように答えた。

「それは聞いたことがないが、別に不満はないと思っている」

「そうだな。フレデリックは顔立ちも整っているし、誠実ないいやつだ」

面と向かって褒められて、フレデリックは少し照れた。

「まだ十六歳だ。恋に恋するお年頃だ。正直なところ、僕はジャックみたいに話上手じゃないからね。でも、今回の縁談は事情があるだけにうまくいくと思っているんだ」

「その例の誰だかわからない、パーティで出会ったすてきな人と言うのは?」

フレデリックは顔をしかめた。

「誰だか知らない。本人もわかっていないんだろう。気にしなくていいと思う」

ジャックへの礼なんて口実だけだ。

シャーロットとの婚約がうまく決まりそうなので、誰かにしゃべりたかっただけだろう。
フレデリックは結婚式にはぜひ来てほしいと言って帰って行った。

ジャックは帰って行くフレデリックを自室の窓際に立ち尽くして見ていた。



フレデリックは、ピアで二人がどんな時間を過ごしたのか知らない。

モンゴメリ卿もマッキントッシュ夫人も、何も言わないだろう。多分、誰も何も知らない。ボードヒル子爵だけは何か勘づいているかもしれなかった。

シャーロット自身もジャックも何も言わなかった。言葉はどこにも存在しないが、何かがあった。


今更、自分に嘘は付けない。

ピアで過ごした十日ほどの時間は彼を変えてしまった。

だが、言葉がなかったと言うことは、こうまで不安定なものなのか。確証が何もない。



フレデリックと違って、ジャックはシャーロットを知っていた。十六歳なら言うことをすべて聞く子どもだと思ったら間違いだ。

シャーロットは、ジャックと一緒に街に帰ることを拒否した。

あんな苦境に立っても、ジャックに甘える気はさらさらなかった。

そんなシャーロットが、もしどこかで誰かを見染めたのだと言うなら、それは本気の可能性があった。

何か不穏なことを言っていた。どこかの舞踏会ですてきな男性を見染めたとか、そんなことを言っていた。

自分にもフレデリックにも言っているのなら、本当にそんな存在がいるかも知れない。

見た目が素敵なだけの男性より、十日間一緒に過ごして嫌な思いもせず、それどころかとても楽しかった自分の方が、結婚するなら絶対よいだろう!

違いますか? シャーロット嬢?

あなたは言いたいことを言い、自分も素のまま接した。
それで楽しかった。
結婚相手として自分に不足はないだろう?
フレデリックでいいのなら、ジャックだって資格があるだろう。結婚を申し込みさえすればいいのだ。

姉のクリスチンは、もうシャーロット嬢に近づく理由がないのだとジャックが言ったた時、『そんなの、自分で考えなさいよ』と、見下げ果てたように言ったが、それは本当だった。

ジャックは手紙を書いた。会って、申し込めばいいのだ。
ジャックが会いたいと言えば、彼女は絶対来てくれる。それくらいには、想われている。ジャックは感じていた。


でも、ジャックは大事なことを忘れていた。
彼はまだシャーロット嬢に好きだともなんとも言っていなかった。
空気でわかるとか、妄想である。

二人の間にはあれほどの信頼があったと思えるのに、一言も言葉にしていない関係がこんなにもあやふやで、頼りにならないものだとは。

ジャックは今から、何回も断られ、満身創痍になり、すっかり自分に自信を無くしてしまった告白を、もう一度しに行かねばならないのだ。
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