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レイビック伯
第102話 婚約破棄と舞踏会
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しかし、まことに残念ながら、ルシアはちょうど今、婚約破棄の噂を別の侍女から聞いている真っ最中だった。
ルシアは、険しい表情だった。
「フリースラントが婚約破棄を……?」
「トーナメントの時にデラを誘ったそうで、近々……と、言う噂でございます」
侍女は緊張していた。この話で城はこの数日もちきりであった。
確かに、フリースラントとの接触は、トーナメント以来、とみに減っていた。むしろ、避けられているような気さえしていた。
だが、正直、なぜデラなのか、ルシアにはさっぱりわからなかった。別の娘なら、もう少し納得できたかもしれない。デラは美人かもしれなかったが、目立ちたがりで、どうも好きになれなかった。
「フリースラントは婚約を破棄するなら、私にちゃんと言いに来る人ですわ」
ルシアは自分に言い聞かせるように言った。
「確かに最近はめったにここまで来られることもなくなって、よほどの用事がなければ……」
フリースラントは、大急ぎでルシアの部屋に向かっていた。ついに結論が出たのだ。
「ルシア!」
彼は陽気にドアをガチャリと開けた。
侍女たちとルシアが、はっと、振り返った。そして全員がフリースラントを見据えた。
空気がおかしい。
さすがにフリースラントも気が付いた。
「なんの御用件でございましょう」
ルシアが低い声で丁重に尋ね、侍女たちは黙りこくった。謎の緊張感が広がった。
「ええと、結婚について少し話を……」
聞いた途端、全員の顔色がさああっと変わった。
僅か数名の侍女たちが、こんなに怖いものだとは、フリースラントはこれまで知らなかった。彼女らの目線には、浮気をするすべての男への憎しみがあった。
フリースラントはその象徴とでも言うべき存在で、その張本人が、今まさに浮気を自白しにきたわけである。
「デラをお茶会に誘ったそうですね」
ルシアが氷のような沈黙の中、それはそれは冷たい声で問責した。
「は?」
「違うのですか?」
「お茶会……は、誘った…?と言うか……企画して欲しいと言ったが……?」
それは、デラが手配してくれるのであって、デラの出席はあまり問題になっていなかった。デラを誘ったわけではなく、デラの提案に乗っただけだ。フリースラントは説明したかったが、一言では説明しにくい案件で、長時間の説明を聞いてもらえる雰囲気は皆無だった。
それにフリースラントがそう言った途端、ルシアの表情が変わり、その険悪っぷりに彼は死ぬほどドッキリした。寿命が縮む。
「フリースラント、あなたが誰を妻に求めようと、わたくしは構いません」
ルシアは低い声で言った。
「でも、婚約を破棄される以上、私の部屋に用事はございませんでしょう。今後は、お入りにならないでくださいまし」
婚約破棄?
なにそれ? 婚約破棄? フリースラントは絶句したが、言葉を失っているその間に、恐怖の侍女軍団に扉の外に押し出された。
「伯爵様、ご用件は承りました。この部屋から、ご退出願います!」
婚約破棄の噂は、瞬く間に城中に広まった。
すぐに騎士たちの耳にも届いた。
「まさか。ばかばかしい」
ロジアンは、一笑に付し、トマシンは一顧だにしなかった。
ところが、このうわさに並々ならぬ興味を示した男がいた。
侍女に人気ナンバーワンのイケメン騎士マルドアンだった。(下女にも)
彼は薄い色の髪と薄い色の目をしていて、そのせいか物憂げな顔立ちと雰囲気だった。くっきりした高い鼻と顎の輪郭は男だったが、騎士にしては細身で、ごつい感じを嫌う女性たちから好まれた。
「ルシア様との婚約破棄の話って、ほんとなの?」
マルドアンに突然話しかけられてトマシンは驚いた。彼はロジアンと金の産出量について議論していたのだ。マルドアンはトマシンと同い年で学校では同窓だったが、そう親しい間柄ではなかった。
一緒にいたロジアンは眉をしかめた。マルドアンは金鉱の運営になんかまったくかかわっていなかったのだ。突然割り込んでくるなんて、失礼だろう。
「知りません」
「結婚式の日取りや計画は具体的になっていないのかい? 元雑用なら知っているだろ?」
「いいえ」
「そうか。やっぱり事実なんだな」
聞いた途端、マルドアンは深くうなずき、どこかへ行ってしまった。
「なんだ? あいつ」
ロジアンは言った。トマシンは肩をすくめた。彼には何のために話しかけられたのかさっぱりわからないと言う意味だった。マルドアンが、レイビック伯爵の結婚を気にする理由なんか全くない筈だった。
ルシアは、その日いつも通りに過ごしたが、侍女たちがいなくなると一人涙にくれた。
城の中で噂が飛び交っていることは、よくわかっていた。
結局、自分はなんのためにここまできたのだろう。
婚約破棄を聞かされた時の、王と王妃の愉快そうな顔が目に浮かぶようだった。
ルシアは、宮廷では決して笑わなかった。
笑うわけにはいかなかったのだ。
ルシアは美しい子どもで、笑うとキラキラ輝やくようだった。
誰もが惹きつけられたが、笑いは同時に声をかけてもよい信号になる。
母親に守ってもらえなかったルシアは、妙な男や財産地位目当ての親切ごかしの女たちから逃れるためには仏頂面でいるしかなかったのだ。
ツンケンしているように見えるかもしれなかったが、素直にわらったり、誰かと気楽におしゃべりすることは、彼女には許されなかったのだ。
こんな辺境まで流れてきて、挙句に婚約破棄とは、宮廷ではどんなに彼女を笑い物にするだろう。
ルシアは、あれ以来、フリースラントに会わないように気をつけていた。
笑い者になるのが嫌だったからだ。
それに、きっと、侍女たちも潮の流れが変わるように、ルシアから遠ざかる者が出てくるはずだった。宮廷暮らしの長いルシアは、小宮廷とも言うべきレイビック城の中で、何が次に起きるか想像がついた。
一方で、フリースラントは、もう、打つ手がなかった。ルシアの機嫌は最悪で、しかも彼女は常に鬼のような形相の侍女たちを引き連れて歩いている。話しかける隙が無い。ドアを蹴破るとか窓枠ごと窓を外すとか言う夜中の襲撃系や、手紙を書くとか伝言を頼むとかまどろっこしいことも考えたが、全部ルシアに嫌われそうな気がした。嫌われたくはない。ルシアは怖い。少し、時間を置いた方が冷静になってくれるかもしれない。
その様子を観察して、ちっとも関心なさそうに見える……とルシアは思った。
それは、寂しかった。昔はあんなに仲が良かったのに。
********************
「そんなものをなぜ?」
ゾフはあっけに取られてマルドアンに尋ねた。
「侍女たちからの要望でございます」
マルドアンはしかつめらしく答えた。
「許可しません」
ゾフは冷たく言った。
「フリースラント様やロドリック様、ルシア様がおっしゃるならともかく……」
「ロドリック様からのご要請でもあります」
「え?」
嘘をつくなと内心怒ったゾフは、ロドリックのところにわざわざ真偽のほどを聞きに行った。
「いや、要請なんかしてないけど……」
ロドリックは相当戸惑った様子で答えた。
「じゃあ、なんで、あんなことを言って参ったのでございましょう!」
ゾフは不満そうだった。
「だけど、実はその話をしたことはある」
ゾフはびっくりした。
「ロドリック様が? 城内の舞踏会のご発案などを?」
ロドリックはゾフに理由を言ったものかどうか、悩んだ。
あれっきり、ルシアの機嫌は最悪だ。
フリースラントは、手をこまねいている。ルシアが変な誤解をしているらしい。
デラの大活躍もあったかもしれないが、もとはと言えば、結婚禁止令なんか出して話をこじらせたのはロドリックである。ロドリック自身も責任を感じていたので、なんとか円満解決を図りたかった。
だから、デラが舞踏会があればいいのにと冗談のように言った時、「いいね」と言ってしまったのだ。
その時、三人の侍女の目がキラリと光ったのを見て、(理由はわからないが不吉な予感がして)しまったと思ったが、手遅れだったらしい。
「侍女のお願いなんて、いちいち聞いていられません。何様だと言うのでしょう」
ゾフは僭越だと怒り心頭だった(未来の伯爵夫人を想定するデラが、最近、なんとなくゾフに対しても上から目線なことも原因だった)が、意外なことに奥方様も反対されなかった。
女伯は、噂をちゃんと知っていた。
誰が流したのか知らないが、まことしやかに婚約破棄の噂が流れ、レイビック城内のみならず、一部ベルブルグでまで噂になっている。
正式な舞踏会を開き、フリースラントとルシアが並んで姿を見せれば、噂など消し飛んでしまうだろう。
「仕方がないわ。近隣の貴族を招いた小規模な舞踏会をいたしましょう。レイビック城をここらの中心にしたいとフリースラントも言っていたことですし」
女伯が決断したとなると、話は早い。
なぜだか、彼女はベルブルグを中心にした貴族や富豪の家の家庭状況、財産状況を手にとるように把握していた。その結果、ふつう主催者がもっとも頭を悩ませる招待客リストは、嘘のように簡単迅速に出来上がり、ゾフは信じられない思いだった。
「あまり、間を空けてはいけないわ。さっさと招待状を配りましょう」
フリースラントは、母の舞踏会を開く提案に少し驚いたが、素直に従った。
ルシアは抵抗を示したが、大喜びの侍女たちや、新たな受注の見込みに目をらんらんと輝かせたドレスの仕立て人たちに押し切られた。騎士どもも、色めきだった。
ロドリックのところには、(デラの侍女仲間の)サフィがやってきて、あからさまにダンスの申し込みをして帰った。サフィはロドリック狙いだった。
「女から誘いに来やがった」
ロドリックはかなり驚いたし、自分はダンスパーティに出ないと頑張った。
「責任を取りなさい」
女伯の鶴の一声だった。
「フリースラントが出にくいわ」
こう言われると、出ないわけにはいかない。
「それに、今回は主に若い貴族ばかりを呼びました。昔を知っている人はいないわ。あなたは壁の花です」
「花ではありません。なんだろう、壁の付着物かな?」
ルシアは、出来上がった新しい深いローズ色のドレスを試着した。
「真珠の首飾りがあったわね」
鏡の中のルシアは美しかった。
自分でも、美しいと思った。
それなのに、どうして、婚約を破棄されることになるんだろう。
彼女はため息をついた。
別の階では、トマシン相手に、フリースラントがキリッとした黒の正装を試していた。
トマシンは内心妙に思っていた。ご主人様が、身なりに御執心なのだ。
この舞踏会は、たちまち評判を呼んだ。
ほんの小規模なお手軽な舞踏会のつもりだった。外部の者を呼ぶことで、婚約を公的に再認識してもらうためのものだったはずだ。
だが、婚約破棄の噂を聞いた近隣の令嬢たちは、何が何でも招待状を勝ち取ろうと躍起になった。金持ちで超イケメンのレイビック伯が、婚約を破棄したのだ。
レイビック城の侍女たちはそれを聞いてあからさまに嫌な顔をしたが、今更止めるわけにはいかない。
近所の田舎貴族の貴公子たちも参加を熱望した。ルシアが余っているはずだ。
あっという間に、舞踏会の噂は広まり、参加者それぞれが思惑を抱えて、熱のこもった情念の燃え盛る機会となった。ただの社交ではおさまらない。
ルシアは、険しい表情だった。
「フリースラントが婚約破棄を……?」
「トーナメントの時にデラを誘ったそうで、近々……と、言う噂でございます」
侍女は緊張していた。この話で城はこの数日もちきりであった。
確かに、フリースラントとの接触は、トーナメント以来、とみに減っていた。むしろ、避けられているような気さえしていた。
だが、正直、なぜデラなのか、ルシアにはさっぱりわからなかった。別の娘なら、もう少し納得できたかもしれない。デラは美人かもしれなかったが、目立ちたがりで、どうも好きになれなかった。
「フリースラントは婚約を破棄するなら、私にちゃんと言いに来る人ですわ」
ルシアは自分に言い聞かせるように言った。
「確かに最近はめったにここまで来られることもなくなって、よほどの用事がなければ……」
フリースラントは、大急ぎでルシアの部屋に向かっていた。ついに結論が出たのだ。
「ルシア!」
彼は陽気にドアをガチャリと開けた。
侍女たちとルシアが、はっと、振り返った。そして全員がフリースラントを見据えた。
空気がおかしい。
さすがにフリースラントも気が付いた。
「なんの御用件でございましょう」
ルシアが低い声で丁重に尋ね、侍女たちは黙りこくった。謎の緊張感が広がった。
「ええと、結婚について少し話を……」
聞いた途端、全員の顔色がさああっと変わった。
僅か数名の侍女たちが、こんなに怖いものだとは、フリースラントはこれまで知らなかった。彼女らの目線には、浮気をするすべての男への憎しみがあった。
フリースラントはその象徴とでも言うべき存在で、その張本人が、今まさに浮気を自白しにきたわけである。
「デラをお茶会に誘ったそうですね」
ルシアが氷のような沈黙の中、それはそれは冷たい声で問責した。
「は?」
「違うのですか?」
「お茶会……は、誘った…?と言うか……企画して欲しいと言ったが……?」
それは、デラが手配してくれるのであって、デラの出席はあまり問題になっていなかった。デラを誘ったわけではなく、デラの提案に乗っただけだ。フリースラントは説明したかったが、一言では説明しにくい案件で、長時間の説明を聞いてもらえる雰囲気は皆無だった。
それにフリースラントがそう言った途端、ルシアの表情が変わり、その険悪っぷりに彼は死ぬほどドッキリした。寿命が縮む。
「フリースラント、あなたが誰を妻に求めようと、わたくしは構いません」
ルシアは低い声で言った。
「でも、婚約を破棄される以上、私の部屋に用事はございませんでしょう。今後は、お入りにならないでくださいまし」
婚約破棄?
なにそれ? 婚約破棄? フリースラントは絶句したが、言葉を失っているその間に、恐怖の侍女軍団に扉の外に押し出された。
「伯爵様、ご用件は承りました。この部屋から、ご退出願います!」
婚約破棄の噂は、瞬く間に城中に広まった。
すぐに騎士たちの耳にも届いた。
「まさか。ばかばかしい」
ロジアンは、一笑に付し、トマシンは一顧だにしなかった。
ところが、このうわさに並々ならぬ興味を示した男がいた。
侍女に人気ナンバーワンのイケメン騎士マルドアンだった。(下女にも)
彼は薄い色の髪と薄い色の目をしていて、そのせいか物憂げな顔立ちと雰囲気だった。くっきりした高い鼻と顎の輪郭は男だったが、騎士にしては細身で、ごつい感じを嫌う女性たちから好まれた。
「ルシア様との婚約破棄の話って、ほんとなの?」
マルドアンに突然話しかけられてトマシンは驚いた。彼はロジアンと金の産出量について議論していたのだ。マルドアンはトマシンと同い年で学校では同窓だったが、そう親しい間柄ではなかった。
一緒にいたロジアンは眉をしかめた。マルドアンは金鉱の運営になんかまったくかかわっていなかったのだ。突然割り込んでくるなんて、失礼だろう。
「知りません」
「結婚式の日取りや計画は具体的になっていないのかい? 元雑用なら知っているだろ?」
「いいえ」
「そうか。やっぱり事実なんだな」
聞いた途端、マルドアンは深くうなずき、どこかへ行ってしまった。
「なんだ? あいつ」
ロジアンは言った。トマシンは肩をすくめた。彼には何のために話しかけられたのかさっぱりわからないと言う意味だった。マルドアンが、レイビック伯爵の結婚を気にする理由なんか全くない筈だった。
ルシアは、その日いつも通りに過ごしたが、侍女たちがいなくなると一人涙にくれた。
城の中で噂が飛び交っていることは、よくわかっていた。
結局、自分はなんのためにここまできたのだろう。
婚約破棄を聞かされた時の、王と王妃の愉快そうな顔が目に浮かぶようだった。
ルシアは、宮廷では決して笑わなかった。
笑うわけにはいかなかったのだ。
ルシアは美しい子どもで、笑うとキラキラ輝やくようだった。
誰もが惹きつけられたが、笑いは同時に声をかけてもよい信号になる。
母親に守ってもらえなかったルシアは、妙な男や財産地位目当ての親切ごかしの女たちから逃れるためには仏頂面でいるしかなかったのだ。
ツンケンしているように見えるかもしれなかったが、素直にわらったり、誰かと気楽におしゃべりすることは、彼女には許されなかったのだ。
こんな辺境まで流れてきて、挙句に婚約破棄とは、宮廷ではどんなに彼女を笑い物にするだろう。
ルシアは、あれ以来、フリースラントに会わないように気をつけていた。
笑い者になるのが嫌だったからだ。
それに、きっと、侍女たちも潮の流れが変わるように、ルシアから遠ざかる者が出てくるはずだった。宮廷暮らしの長いルシアは、小宮廷とも言うべきレイビック城の中で、何が次に起きるか想像がついた。
一方で、フリースラントは、もう、打つ手がなかった。ルシアの機嫌は最悪で、しかも彼女は常に鬼のような形相の侍女たちを引き連れて歩いている。話しかける隙が無い。ドアを蹴破るとか窓枠ごと窓を外すとか言う夜中の襲撃系や、手紙を書くとか伝言を頼むとかまどろっこしいことも考えたが、全部ルシアに嫌われそうな気がした。嫌われたくはない。ルシアは怖い。少し、時間を置いた方が冷静になってくれるかもしれない。
その様子を観察して、ちっとも関心なさそうに見える……とルシアは思った。
それは、寂しかった。昔はあんなに仲が良かったのに。
********************
「そんなものをなぜ?」
ゾフはあっけに取られてマルドアンに尋ねた。
「侍女たちからの要望でございます」
マルドアンはしかつめらしく答えた。
「許可しません」
ゾフは冷たく言った。
「フリースラント様やロドリック様、ルシア様がおっしゃるならともかく……」
「ロドリック様からのご要請でもあります」
「え?」
嘘をつくなと内心怒ったゾフは、ロドリックのところにわざわざ真偽のほどを聞きに行った。
「いや、要請なんかしてないけど……」
ロドリックは相当戸惑った様子で答えた。
「じゃあ、なんで、あんなことを言って参ったのでございましょう!」
ゾフは不満そうだった。
「だけど、実はその話をしたことはある」
ゾフはびっくりした。
「ロドリック様が? 城内の舞踏会のご発案などを?」
ロドリックはゾフに理由を言ったものかどうか、悩んだ。
あれっきり、ルシアの機嫌は最悪だ。
フリースラントは、手をこまねいている。ルシアが変な誤解をしているらしい。
デラの大活躍もあったかもしれないが、もとはと言えば、結婚禁止令なんか出して話をこじらせたのはロドリックである。ロドリック自身も責任を感じていたので、なんとか円満解決を図りたかった。
だから、デラが舞踏会があればいいのにと冗談のように言った時、「いいね」と言ってしまったのだ。
その時、三人の侍女の目がキラリと光ったのを見て、(理由はわからないが不吉な予感がして)しまったと思ったが、手遅れだったらしい。
「侍女のお願いなんて、いちいち聞いていられません。何様だと言うのでしょう」
ゾフは僭越だと怒り心頭だった(未来の伯爵夫人を想定するデラが、最近、なんとなくゾフに対しても上から目線なことも原因だった)が、意外なことに奥方様も反対されなかった。
女伯は、噂をちゃんと知っていた。
誰が流したのか知らないが、まことしやかに婚約破棄の噂が流れ、レイビック城内のみならず、一部ベルブルグでまで噂になっている。
正式な舞踏会を開き、フリースラントとルシアが並んで姿を見せれば、噂など消し飛んでしまうだろう。
「仕方がないわ。近隣の貴族を招いた小規模な舞踏会をいたしましょう。レイビック城をここらの中心にしたいとフリースラントも言っていたことですし」
女伯が決断したとなると、話は早い。
なぜだか、彼女はベルブルグを中心にした貴族や富豪の家の家庭状況、財産状況を手にとるように把握していた。その結果、ふつう主催者がもっとも頭を悩ませる招待客リストは、嘘のように簡単迅速に出来上がり、ゾフは信じられない思いだった。
「あまり、間を空けてはいけないわ。さっさと招待状を配りましょう」
フリースラントは、母の舞踏会を開く提案に少し驚いたが、素直に従った。
ルシアは抵抗を示したが、大喜びの侍女たちや、新たな受注の見込みに目をらんらんと輝かせたドレスの仕立て人たちに押し切られた。騎士どもも、色めきだった。
ロドリックのところには、(デラの侍女仲間の)サフィがやってきて、あからさまにダンスの申し込みをして帰った。サフィはロドリック狙いだった。
「女から誘いに来やがった」
ロドリックはかなり驚いたし、自分はダンスパーティに出ないと頑張った。
「責任を取りなさい」
女伯の鶴の一声だった。
「フリースラントが出にくいわ」
こう言われると、出ないわけにはいかない。
「それに、今回は主に若い貴族ばかりを呼びました。昔を知っている人はいないわ。あなたは壁の花です」
「花ではありません。なんだろう、壁の付着物かな?」
ルシアは、出来上がった新しい深いローズ色のドレスを試着した。
「真珠の首飾りがあったわね」
鏡の中のルシアは美しかった。
自分でも、美しいと思った。
それなのに、どうして、婚約を破棄されることになるんだろう。
彼女はため息をついた。
別の階では、トマシン相手に、フリースラントがキリッとした黒の正装を試していた。
トマシンは内心妙に思っていた。ご主人様が、身なりに御執心なのだ。
この舞踏会は、たちまち評判を呼んだ。
ほんの小規模なお手軽な舞踏会のつもりだった。外部の者を呼ぶことで、婚約を公的に再認識してもらうためのものだったはずだ。
だが、婚約破棄の噂を聞いた近隣の令嬢たちは、何が何でも招待状を勝ち取ろうと躍起になった。金持ちで超イケメンのレイビック伯が、婚約を破棄したのだ。
レイビック城の侍女たちはそれを聞いてあからさまに嫌な顔をしたが、今更止めるわけにはいかない。
近所の田舎貴族の貴公子たちも参加を熱望した。ルシアが余っているはずだ。
あっという間に、舞踏会の噂は広まり、参加者それぞれが思惑を抱えて、熱のこもった情念の燃え盛る機会となった。ただの社交ではおさまらない。
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