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レイビック伯
第89話 ファン島占拠
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ロドリックはあたりを見まわした。見回すまでもなかった。ルシアの気配はフロースラントの声がした時から消えていた。
「一枚目は隠しておこう」
ロドリックの言葉に、フリースラントは浮かない顔で黙って頷いた。
「それより、ファン島だ」
ロドリックは、そっちの方がよほど気になった。
「ファン島ってなんだ?」
フリースラントが無邪気に尋ねた。
フリースラントは、ロンゴバルトとの戦いを知らなかった。学校の歴史の授業で習っただけだった。あの戦争の時、彼はまだ五歳くらいだったろう。知らなくて当たり前だった。
「ファン島は、我が国とロンゴバルトを隔てる海の中間地点にある島だ。天然の良港を備え、ロンゴバルトが我が国に攻め入るときの足掛かりとして極めて役に立つ。その為、前回の講和の際も、ファン島の帰属が大問題になった」
「どっちになったのだ?」
「サジシームの父上の遺体を帰す条件で、我が国の帰属になった。ロンゴバルト軍が上陸するなんて、守備隊はどうなったんだ」
「さっきの使者をたたき起こして連れて来い」
フリースラントが手短に命令した。
使者は旗や使者の服装をすっかり脱いで、寝間着を着た珍妙なかっこうだったが、あわててやって来た。
「なぜ、ロンゴバルトがファン島に来たのだ?」
「それは、守備兵がほとんどいなかったせいで……」
「そんなことはあるまい。常時百人体制で、半年ごとの交代のはずだ」
ロドリックが妙に詳しいので、使者はどぎまぎした。
「はい。まことに。当初はそういう決まりでございました。それが……」
前王が亡くなって以来、新王夫妻が建築熱に取りつかれたことは誰もが知る事実だった。建築には金がかかる。この頃ではだんだん金回りが悪くなり、いささか勢いも衰えたが、愚にもつかない妙な建築物を企画するのが彼らの趣味だった。
「守備兵の人数が減らされまして、十人ほどが島で暮らしておりました」
「暮らしておりました?」
「まあ、軍と言う体制ではなくなったのでございます。ここ2,3年ほどは至って平和なもので、交代もなくなり、島の中で結婚して暮らし始める者たちが出てきたのでございます」
「まるで、灯台守の家族のようだ……」
フリースラントがつぶやいた。彼はファン島がどんなに悲惨な戦闘地だったか知らないので、使者の話を聞いてそんな感想を言ったのだった。ロドリックはそうではなかった。
「それでは、ひとたまりもなかったろう。家族で暮らしていたなら女子供もいたはずだ。虐殺だな」
「いえ、それがですね、全員無事で本土の方へ戻ってまいりました」
「? なぜ、無事だったのだ?」
意味がわからないと言った様子で、ロドリックが聞いた。
「島の所有者が変更になったとロンゴバルト軍が言うのでございます。それで、島の住人は追い出されたのですが、別にけがをした者もおりません」
「それなら、ほっておけばいいじゃないか」
フリースラントが言った。
「何言っているんだ。あそこは喫水の深い大きい入り江があるので、いくらでも船が入れる。ロンゴバルトからどんどん船が来れば、立派な補給地として機能する。水も出るし、食料の備蓄もあるはずだ」
「それはロンゴバルトが戦争の準備をしていると言う意味か?」
「もちろんそうだろう。機会さえあれば狙ってくる」
「国王はなぜ放置しているのだ」
二人は使者の顔を見た。使者は答えにくそうだった。
「ゲルグ殿などは、王宮へ来られまして、連日、王に出兵を促しておられましたが、王はあまり興味をお持ちにならないのでございます。もともと、狩猟もお嫌いなくらいですから……」
想像できるだけに、ゲルグ殿が誰だか知らなかったが、気の毒になってきた。
「それで?」
ロドリックが不機嫌に促した。
「ええと、それで、まあ、レイビック伯爵様は武勇で高名なお方、ご活躍頂けないだろうかと……」
「いくら出すんだ?」
フリースラントが突然割り込んできて聞いた。
「え……お金でございますか?」
「もちろんだ。ウマ一頭だってただでは調達できないぞ?」
「それについてはうかがっておりません」
「ほお?」
ロドリックは青筋を立て始めたが、フリースラントは考えていた。
「で、それはいつの話だったのだ?」
「二週間ほど前の話でございます」
「敵方の将の名は?」
「サジシーム殿とうかがっております」
ロドリックとフリースラントは思わず顔を見合わせた。
ルシアの披露パーティから3ヶ月たっていない。
「それで、いったい何をどうして欲しいのか?」
「この通り警備にあたるようにと」
「ファン島にいるロンゴバルト兵を警備してどうするんだ?」
「違います。ロンゴバルト兵が、ファン島から出てこないように、本土の方を警備していただきたいのでございます」
「では聞くが、なぜ、こんな北の果てにあるレイビック辺境伯に頼むのだ。もっと、海岸線に近い領主が大勢いて、彼らは脅威を感じているだろう?」
「むろん、彼らも自衛のために準備はしております。しかし、まとまった軍事力があるわけではございません。それぞれ、ある程度の兵は持っているのでしょうが……」
フリースラントは昔のヴォルダ家の城を思い出した。警備のための者たちは確かにいたが、彼らは兵士ではない。
「それに……わたくしは、中身について聞いておりませんので、わからないのですが、一通目の手紙にレイビック伯爵様にお願いする理由を書いてあるから、了承していただけるはずだと王妃様がおっしゃるのです」
「どういう意味だ?」
「ルシアを王女だと認めたことと、出兵に何の関連性があるって言うんだ?」
「結婚すれば、王女の夫だが、別にだからと言って出兵の義務が生じるわけではないと思うが?」
「相変わらず、訳が分からんな、あの王妃は」
ロドリックが吐き捨てるように言うと、フリースラントが返した。
「私はそもそも結婚できなくて困っている」
ロドリックは、フリースラントの顔から目を逸らした。そして、ギジオラに向き直った。結婚問題を論じている場合ではない。国家の重大事である。
「王の軍隊はどこへ行ったのだ?」
使者は辛そうだった。
「前の国王陛下の時代には、ヌーヴィーを中心に駐屯地があり、海岸線を中心に配備されていました。もちろんファン島は最前線でしたから、交代で精鋭が配属されていました。ですが……」
「ですが? 何なんだ?」
「ペッシ殿が、平和は大事である、世界は愛で包まれているべきだ、敵意が戦争を生み出すのだとおっしゃられて、兵を解散されました」
「いつの話?」
「5年ほど前でしたでしょうか?」
「なぜ、そんなことをしたの? おかしいんじゃないの?」
「多分、お金がなかったのでしょう」
「前の王の時代にはお金はあったよね? 軍を維持するくらいのお金は?」
「ございました。しかし、今の陛下は建築に力を入れておられて、特に向きの良い、神のみ心に適う建造物をということをおっしゃっておられます」
残念な感じの沈黙があたりを支配した。
ロドリックは青筋を立てていた。彼はどれだけの犠牲を払って、島を奪還したのかわかっていた。
「なぜ、島に攻め込まないのだ。もともと我が国のものなのだぞ? 警備とは意味が分からん」
「ええと、それは、王妃様が、サジシーム様にファン島をプレゼントなさったとかで……」
「「は?」」
二人は声をそろえて聞いてしまった。プレゼントした?
「今、所有権はサジシーム殿が持つそうです」
「意味が分からない」
「王妃様がサジシーム殿に借金のカタに差し上げたそうで、証書はサジシーム殿が持っていらっしゃるそうでございます。それで、島に住む者どもはしぶしぶ出て行かざるを得なかったそうで」
ロドリックは、手におえないと言った様子で使者を眺めた。
使者の方は、赤面して、説明に窮している様子だった。
フリースラントは、ファン島の話や、その価値をロドリックのようには、よく知らなかったが、ロドリックと使者のギジオラの話を聞いているうち、状況が呑み込めてきた。
「サジシーム殿は、素晴らしい島で釣りをして楽しんでいると言うのです」
「あそこは釣りを楽しむための場所じゃない」
噛みつくようにロドリックが言った。
「何かを企んでいるのだ」
「一枚目は隠しておこう」
ロドリックの言葉に、フリースラントは浮かない顔で黙って頷いた。
「それより、ファン島だ」
ロドリックは、そっちの方がよほど気になった。
「ファン島ってなんだ?」
フリースラントが無邪気に尋ねた。
フリースラントは、ロンゴバルトとの戦いを知らなかった。学校の歴史の授業で習っただけだった。あの戦争の時、彼はまだ五歳くらいだったろう。知らなくて当たり前だった。
「ファン島は、我が国とロンゴバルトを隔てる海の中間地点にある島だ。天然の良港を備え、ロンゴバルトが我が国に攻め入るときの足掛かりとして極めて役に立つ。その為、前回の講和の際も、ファン島の帰属が大問題になった」
「どっちになったのだ?」
「サジシームの父上の遺体を帰す条件で、我が国の帰属になった。ロンゴバルト軍が上陸するなんて、守備隊はどうなったんだ」
「さっきの使者をたたき起こして連れて来い」
フリースラントが手短に命令した。
使者は旗や使者の服装をすっかり脱いで、寝間着を着た珍妙なかっこうだったが、あわててやって来た。
「なぜ、ロンゴバルトがファン島に来たのだ?」
「それは、守備兵がほとんどいなかったせいで……」
「そんなことはあるまい。常時百人体制で、半年ごとの交代のはずだ」
ロドリックが妙に詳しいので、使者はどぎまぎした。
「はい。まことに。当初はそういう決まりでございました。それが……」
前王が亡くなって以来、新王夫妻が建築熱に取りつかれたことは誰もが知る事実だった。建築には金がかかる。この頃ではだんだん金回りが悪くなり、いささか勢いも衰えたが、愚にもつかない妙な建築物を企画するのが彼らの趣味だった。
「守備兵の人数が減らされまして、十人ほどが島で暮らしておりました」
「暮らしておりました?」
「まあ、軍と言う体制ではなくなったのでございます。ここ2,3年ほどは至って平和なもので、交代もなくなり、島の中で結婚して暮らし始める者たちが出てきたのでございます」
「まるで、灯台守の家族のようだ……」
フリースラントがつぶやいた。彼はファン島がどんなに悲惨な戦闘地だったか知らないので、使者の話を聞いてそんな感想を言ったのだった。ロドリックはそうではなかった。
「それでは、ひとたまりもなかったろう。家族で暮らしていたなら女子供もいたはずだ。虐殺だな」
「いえ、それがですね、全員無事で本土の方へ戻ってまいりました」
「? なぜ、無事だったのだ?」
意味がわからないと言った様子で、ロドリックが聞いた。
「島の所有者が変更になったとロンゴバルト軍が言うのでございます。それで、島の住人は追い出されたのですが、別にけがをした者もおりません」
「それなら、ほっておけばいいじゃないか」
フリースラントが言った。
「何言っているんだ。あそこは喫水の深い大きい入り江があるので、いくらでも船が入れる。ロンゴバルトからどんどん船が来れば、立派な補給地として機能する。水も出るし、食料の備蓄もあるはずだ」
「それはロンゴバルトが戦争の準備をしていると言う意味か?」
「もちろんそうだろう。機会さえあれば狙ってくる」
「国王はなぜ放置しているのだ」
二人は使者の顔を見た。使者は答えにくそうだった。
「ゲルグ殿などは、王宮へ来られまして、連日、王に出兵を促しておられましたが、王はあまり興味をお持ちにならないのでございます。もともと、狩猟もお嫌いなくらいですから……」
想像できるだけに、ゲルグ殿が誰だか知らなかったが、気の毒になってきた。
「それで?」
ロドリックが不機嫌に促した。
「ええと、それで、まあ、レイビック伯爵様は武勇で高名なお方、ご活躍頂けないだろうかと……」
「いくら出すんだ?」
フリースラントが突然割り込んできて聞いた。
「え……お金でございますか?」
「もちろんだ。ウマ一頭だってただでは調達できないぞ?」
「それについてはうかがっておりません」
「ほお?」
ロドリックは青筋を立て始めたが、フリースラントは考えていた。
「で、それはいつの話だったのだ?」
「二週間ほど前の話でございます」
「敵方の将の名は?」
「サジシーム殿とうかがっております」
ロドリックとフリースラントは思わず顔を見合わせた。
ルシアの披露パーティから3ヶ月たっていない。
「それで、いったい何をどうして欲しいのか?」
「この通り警備にあたるようにと」
「ファン島にいるロンゴバルト兵を警備してどうするんだ?」
「違います。ロンゴバルト兵が、ファン島から出てこないように、本土の方を警備していただきたいのでございます」
「では聞くが、なぜ、こんな北の果てにあるレイビック辺境伯に頼むのだ。もっと、海岸線に近い領主が大勢いて、彼らは脅威を感じているだろう?」
「むろん、彼らも自衛のために準備はしております。しかし、まとまった軍事力があるわけではございません。それぞれ、ある程度の兵は持っているのでしょうが……」
フリースラントは昔のヴォルダ家の城を思い出した。警備のための者たちは確かにいたが、彼らは兵士ではない。
「それに……わたくしは、中身について聞いておりませんので、わからないのですが、一通目の手紙にレイビック伯爵様にお願いする理由を書いてあるから、了承していただけるはずだと王妃様がおっしゃるのです」
「どういう意味だ?」
「ルシアを王女だと認めたことと、出兵に何の関連性があるって言うんだ?」
「結婚すれば、王女の夫だが、別にだからと言って出兵の義務が生じるわけではないと思うが?」
「相変わらず、訳が分からんな、あの王妃は」
ロドリックが吐き捨てるように言うと、フリースラントが返した。
「私はそもそも結婚できなくて困っている」
ロドリックは、フリースラントの顔から目を逸らした。そして、ギジオラに向き直った。結婚問題を論じている場合ではない。国家の重大事である。
「王の軍隊はどこへ行ったのだ?」
使者は辛そうだった。
「前の国王陛下の時代には、ヌーヴィーを中心に駐屯地があり、海岸線を中心に配備されていました。もちろんファン島は最前線でしたから、交代で精鋭が配属されていました。ですが……」
「ですが? 何なんだ?」
「ペッシ殿が、平和は大事である、世界は愛で包まれているべきだ、敵意が戦争を生み出すのだとおっしゃられて、兵を解散されました」
「いつの話?」
「5年ほど前でしたでしょうか?」
「なぜ、そんなことをしたの? おかしいんじゃないの?」
「多分、お金がなかったのでしょう」
「前の王の時代にはお金はあったよね? 軍を維持するくらいのお金は?」
「ございました。しかし、今の陛下は建築に力を入れておられて、特に向きの良い、神のみ心に適う建造物をということをおっしゃっておられます」
残念な感じの沈黙があたりを支配した。
ロドリックは青筋を立てていた。彼はどれだけの犠牲を払って、島を奪還したのかわかっていた。
「なぜ、島に攻め込まないのだ。もともと我が国のものなのだぞ? 警備とは意味が分からん」
「ええと、それは、王妃様が、サジシーム様にファン島をプレゼントなさったとかで……」
「「は?」」
二人は声をそろえて聞いてしまった。プレゼントした?
「今、所有権はサジシーム殿が持つそうです」
「意味が分からない」
「王妃様がサジシーム殿に借金のカタに差し上げたそうで、証書はサジシーム殿が持っていらっしゃるそうでございます。それで、島に住む者どもはしぶしぶ出て行かざるを得なかったそうで」
ロドリックは、手におえないと言った様子で使者を眺めた。
使者の方は、赤面して、説明に窮している様子だった。
フリースラントは、ファン島の話や、その価値をロドリックのようには、よく知らなかったが、ロドリックと使者のギジオラの話を聞いているうち、状況が呑み込めてきた。
「サジシーム殿は、素晴らしい島で釣りをして楽しんでいると言うのです」
「あそこは釣りを楽しむための場所じゃない」
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