アネンサードの人々

buchi

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レイビック伯

第75話 レイビック城の中で

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 侍女たちは呆然としていた。

「どういうことなの? これは?」

「レイビック伯爵? あの人がそうなの?」

「でも、ルシア様はお兄様と呼んでいたわ! 誰なの? あの方は?」

 ロジアンが愛想よく、彼女たちを、屋敷の中へいざなった。

「皆様方の部屋の準備は整っております。まずはお疲れでしょう、身の回りの世話をする女たちを紹介いたしましょう」

 何人ものお仕えする女たちが、そろいの制服を着て彼女たちを出迎えた。
 彼女たちは、戸惑いながらも、ぞろぞろと、レイビック城の奥へ進んでいった。

 この女性たちは、相当な貴族の家の娘たちで、レイビックに居続けなくてもいいことになっていた。なにしろ、レイビックは田舎なので、こんな若い娘たちにとって楽しいはずがない。だが、金のインゴット四十本の手前、それなりの体裁を付けて嫁入りさせなくてはいけないので、何人もの令嬢たちが付いてきた。

 彼女たちはカプトルにすぐに舞い戻るつもりだった。だが、実際にレイビック城についてみると、王宮に戻りたいのかどうか、なんだかわからなくなってきたのだ。

「だって、ねえ」

 彼女たちはひそひそとささやき交わした。
 レイビック城は新築だったので、時代がついていかにも貴族的と言うわけにはいかなかったが、城の中はとても豪華だった。

 彼女たちは、あまりじろじろ見まわすのは、はしたないと思ったが、城のあちこちを見回さずにはいられなかった。

 金が採れる関係であちこちに金があしらってあるばっかりに、キラキラして見えたが、デザインと色は統一されて上品にまとまっており、設備は最新式で快適だった。
 割り当てられた部屋に入って、彼女たちは驚きの声を漏らした。それほど部屋は贅沢で、夢にも思わなかったほど美しいベッドや家具が準備されていた。

「サイズが合うかどうか、良く分かりませんので、大目に準備いたしました。後で仕立て屋の女が、サイズ直しにうかがいます」

 そして、何よりもドレスだった。クロークを開けると、ベルブルグの商店で仕上げられた最新流行のドレスや、上等の絹の下着などが準備されていた。
   彼女たちは、うっとりした。タフタやサテンの凝ったドレスは、それまでどんなに欲しいと思っても手に入らなかったものばかりだった。
 贅沢な下着には、憧れの繊細なレース飾りがふんだんについていた。

 彼女たちは、名門貴族の娘たちだった。
 だが、貧乏だった。彼女たちが体面を失わずに稼ごうと思ったら、王妃や王女たちや、本当に高位の貴族の家の娘たちに仕えるくらいしか、方法がなかった。
 どの家も体面や体裁のために彼女たちを置いているので、お給金なんか雀の涙だった。使用人ではなく結婚前の行儀見習いという形で仕えるからだ。

 それが、レイビック城では大違いだった。
 彼女たちのための新品のドレス、新品の下着、美しく整えられた部屋、彼女たち専属の女中たち!

 大勢の召使たちが、彼女たちのことを都会育ちの貴族の娘として、憧れの目で見つめながら、一生懸命仕えてくれる。まったく、いい気分だった。

 さらに、予想外だったものに、ロジアンを筆頭とした大勢の若い騎士たちの存在があった。

 彼らとは、旅の途中で何回も話す機会があった。

 まだ見ぬ、下品な成金の男と結婚が決定しているルシア以外は、ロジアンやそのほか二十人ほどもいる若くてイケメンな騎士たちに見つめられて、まんざらでもなかったのである。

 ロジアン達は貧乏な家の出身だったかもしれないが、少なくともレイビック伯爵に仕えている限り、そんなことは全く気にならなかった。
 何しろ、彼らは、上等で華やかな服を着こみ、立派な馬にまたがって、彼女たちに非の打ちどころのない礼儀を尽くしていたのだ。

 城に着いた晩の歓迎の夕食には、若い騎士たちも、新しいドレスに身を包んだ侍女たちと同席した。

 城の正食堂は、王宮の大きなホールに匹敵するほどの広さがあり、王宮とは決定的に異なって真新しく、豊かに飾り付けられていた。
 しつけの行き届いた召使に丁重にかしずかれ、鴨だの仔牛のソテーだの、ポタージュも数種類、次から次へと贅沢な食事が出てきて、デザートだってケーキや果物のタルト、カスタードクリームと苺だのと選びたい放題だった。
 侍女たちも、騎士たちも、この新しい成り行きに、まったく文句はなかった。


 ロドリックも食事に同席してた。
 だが、彼が見つめていたのは、新しい美しいドレスに身を包み、ドキドキしている若い侍女たちや、むやみやたらに張り切った様子の騎士たちではなかった。

 彼は、一見、兄と妹の再会のように見えるフリースラントとルシアの様子を見ていた。


 フリースラントは、妹のことをしょっちゅう話題にしていたが、ロドリックがルシアを見たのは初めてだった。

 確かにきれいな娘だった。そして人形のように細くすらりとしていた。
 フリースラントと並んでいると、黒と金と言う言葉が浮かんだ。

 二人は親し気に、ずっと話していた。きっとこれまでの積もる話をしているのだろう。時々二人が声をあげて笑ったり、興味深げに質問をしたり応えたりしている様子は本当に仲のよい兄妹なのだとはた目にもわかった。どちらかと言うと表情の少ないフリースラントが、ずっと笑顔だった。
 それと同時に、ルシアの洗練されて上品なふるまいは、いかにも高貴の人と言う感じでレイビックの城の上下の召使や騎士たちに畏敬の念を起こさせていた。

 この高貴な姫君は、レイビック城の若く美しい主にふさわしかった。誰も結婚に反対する者などいないだろう。身分も、年頃も、なにもかもがお似合いだ。




 ロドリックだけは、最初からこの話、つまり、ルシア奪還作戦を歓迎していなかった。

「なぜ、ルシア妃を呼び寄せる必要がある……」

 言いかけて、彼は口をつぐんだ。

 フリースラントは、珍しく、ロドリックの言葉に全く無反応だった。



 それは、フリースラントが、ルシア奪還作戦の指令を始めた晩の出来事だった。

 彼は、ロジアンに細かく指示を与えているところだった。

「いいか。ここにインゴット百本がある」

「はい。フリースラント様」

 ロジアンは、用意された金のインゴットの量に圧倒されていたが、おとなしく返事をした。ロドリックもいつの間に運び込んだのだろうと驚いていた。

「王と王妃を釣るのだ。喉から手が出るほど、金を欲している」

「はい。そのように聞いています」

「小出しにして、断れないようにするのだ。代償はルシア妃」

 うなずくロジアンに、明確な指示を出していくフリースラント。

「ルシア妃を妻に迎えられれば、王家の縁戚になれる」

 ロドリックは、思わず、突っ込みを入れたくなった。お前の目的がそれじゃないことを、俺は知っている。
 こんなひどい嘘は聞いたことがなかった。しかし、フリースラントは大まじめに続けた。

「それに、ヴォルダ家の財産も取り戻せる」

「フリースラント様、しかし……」

 フリースラントがヴォルダ家の次男だと知っているロジアンは、言いにくそうにフリースラントに尋ねた。

「わたくしが、こんなことを申し上げるのは、僭越と承知しておりますが、ルシア様は、フリースラント様の妹では?」

「違うのだ。ロジアン」

 フリースラントは静かに答えた。

「王家の秘密だが、ルシアの父はヴォルダ公爵ではない。前の王その人だ」

 驚くロジアンに向かって、フリースラントは説明を続けた。

 ロドリックは、フリースラントの穏やかで、静かな態度に、もはやあきれ返った。
 なんのてらいも、焦った様子も、言いよどむこともない。
 もう、絶対にやる気なんだ。こいつ、確信犯だ。

 そして、百本の黄金のインゴット!

 そんなにしてまで、ルシアを手元に呼び寄せたいのか。

 ロジアンへの指示は、隅々まで考え抜かれた計画だった。
 これを考え付くとは、ものすごく時間をかけたに違いない。執念を感じる。

 そして、最も驚いたのは、フリースラントのこの言葉だ。

「私の正体を、ルシア妃に知られてはならない。金があること以外、年齢も容姿もすべてだ」

 なんで?!……と、その場で大声で突っ込みたかった。どこにそんな必要がある?

「なぜでございますか?」

 先に、ロジアンに聞かれていた。

 ロドリックを追い払うわけにはいかなかったし、ロドリックの方も追い払われるつもりはなかったので、ロジアンと一緒に、興味津々で、身を乗り出した。

「それは、その……」

 一瞬だけ、フリースラントは言いよどんだが、次の瞬間、明瞭に答えた。

「王と王妃が、ルシア妃の出生の秘密を知っているかどうか、わからない。もし、私がヴォルダ家の次男と知られれば、兄と妹だ、結婚は許可されないだろう」

 二人とも、一瞬、納得しそうになった。フリースラントはさらに説明を付け加えた。

「それに、ヴォルダ家は、おそらく心証が良くない。王自身、何の罪もないヴォルダ公爵を投獄して死なせてしまったことはわかっている。ヴォルダ家との縁は敬遠するだろう」

「なるほど。ごもっともでございます。しかし、さし出たことを申し上げますが、ルシア様にだけには、お伝えした方が良いのではございませんか? 婚約者がどんな方なのか、お分かりにならなくては、大変不安な思いをされると思います」

 でかした。ロジアン。うっかり、フリースラントの口車にのせられるところだった。必殺、論点ずらしだ。王家に知らせない理由なんか誰も聞いていない。ルシアに知らせない理由って、なんだ?

 今度こそ、フリースラントは黙り込んだ。しばらくして彼は言った。

「実は、王と王妃は、おそらくルシア妃を憎んでいる」

 ロジアンもロドリックも驚いた。王宮の中の人間関係は、彼らは知らない。

「ルシア妃の不幸を喜ぶだろう。彼女が不安そうにしていれば、かえって、結婚を勧めてくれると思う」

 思うって、なに? そんな推測のために、ルシアに不安な思いをさせようとするのか? 王と王妃にさえ、バレなきゃいいだろう?

 ほかのすべての項目や指示は、この上なく筋が通り、王と王妃が、金に釣られて、ころころとフリースラントの思い通りに転がされていく様子が目に浮かぶようだった。だが、このルシア妃には内緒と言う項目だけは意味が分からない!

 ロジアンは、納得しなかったかもしれないが、それ以上聞くことはなかった。
 彼は忠実な部下なのだ。フリースラントに心酔している。
 ロジアンは、お辞儀をすると、万事承って出て行った。



 王と王妃が、ルシアの意向に無頓着だと言うのは、おそらく本当だろう。
 だから、たとえルシアがレイビック行きを喜んだところで、それこそ変には思うかもしれないが、レイビック送りに変更はないのではないか。

 従って、ルシアに内緒と言うのは、すべて、はっきりした必要性と必然性に基づいて練られた今回の計画の中で、たった一つ、何の必要もない項目だった。

 ロドリックはロジアンよりもはるかにフリースラントのことをよく知っていた。

 一瞬言いよどんだのは、多分、自信がなかったせいだと、ロドリックは見当をつけた。
 ルシアは自分がフリースラントの妹でないことを知っている。結婚できることもわかっているはずだ。ルシアにレイビック伯爵の正体を知られたくないのは、フリースラントの名前を出して、ルシアに結婚を承諾してもらえる自信がないからなのだ。
 

 ルシアには何も知らせず、ここへ、レイビックへ連れてきたいのだろう。有無を言わさず。

 連れてきさえすれば、後は、とにかく何とでもする気なのだろう。

 ロドリックは、全く平静で、落ち着いているフリースラントの顔を鑑賞した。
 言葉はすべて準備されていて、すらすらと出てきた……ということは、もはや、何があってもやる気なんだ。このバカげた、聞いたこともない、壮大な計画を。


 フリースラントはロドリックに背中を向けて立っていた。
 彼だって、これがバカげた金の使い方だと十分承知してるのだろう。
 連れてきても、ルシアが彼を選んでくれるかどうかは未知数なのだ。

 だが、止めておけと言う助言をする気はだんだんなえてきた。

 ダメである。何を言っても聞く気なんかないんだろう。それでも、フリースラントは、ルシアを呼び寄せたかった。

 そして、今、彼は手に入れたのだ。



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