アネンサードの人々

buchi

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レイビック伯

第72話 遠い田舎の下品でデブの成金へ嫁にやらされる

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 王太子の病気は一進一退を繰り返したのち、ようやく快方に向かいだした。

 その頃には、もうルシアの結婚式の時期だった。

 ルシア妃はアデリア王女と一緒に王宮に移り住み、結婚の準備を整えていた。
 息子の大病にすっかりかまけていた王妃だったが、ルシア妃に与えた金が少なすぎて、花婿のレイビック伯にあれだけ多くの金を与えたのに、どうしたことだと言われないよう、急になにがしかの金を与えた。
 ただし、その多くをアデリア王女が使ってしまう結果となり、後で聞いた王妃は激怒した。

 そして、宮廷中でひそひそと噂がささやかれる中、レイビック伯のお迎えの一行がやって来る日が来た。

 それは、晴れ渡り、暖かな、文句のつけようもない好天の朝だった。

 王宮の中庭には、大勢の宮廷人たちがかしこまって王と王妃の後ろに並んでいた。
 その後ろには、侍女たちや侍従たちが好奇心いっぱいになって、今や、噂に名高い黄金のインゴットと、醜男で中年の脂ぎった成金の妻になるために、辺境の北の果てに連れて行かれる無力で哀れな娘を見物に来ていた。

 ロジアンを先頭に、隊列を組んでやって来た迎えの一行は、騎士二十名、馬車が5台だった。

 騎士たちはそろいの真紅の華やかな服を身に着け、馬車は金と濃紺で彩られていた。
 一行は数名を除き、若者ばかりで、みなにこやかに微笑み、なんの屈託もなさそうな陽気な様子だった。


 ルシアは旅装を整えて待っていた。

 真っ青な顔いろだった。明らかに痩せていた。

 意地の悪い宮廷人たちも、ルシア妃が王室の犠牲になって売られた花嫁だということを知っており、さすがに気の毒に思っていた。

「勝手なものじゃ」

「その莫大な金額は、全部、何の関係もない王様と王妃様の手に渡ったそうじゃないか」

ていのいい人身売買ではないか」

 誰かがひっそりとささやいた。

「見ろ、あの顔を」

 ルシア妃は、もはや黒服を着ることは許されなかった。
 花婿を嫌がっているように見えてはならないという配慮から、派手な紅色の衣装を身に着けていた。
 しかし、顔色は真っ白で、目ばかり大きく見えた。

「きれいな方じゃ」

 誰もかれもが、ため息をついた。

「金で爵位も花嫁も買うような男だ。どうせ、あさましい成金だろう。気の毒に」

 陽気なロジアンが、下馬し、大げさに礼をした。


 無紋だったが、素晴らしく豪華な馬車が待っていた。
 侍女たちが先に馬車に乗り、幾つものトランクが下男たちにより馬車にくくりつけられていった。

 晴天だったので、外で引き渡しが行われた。

 無言の花嫁の傍らにテーブルが置かれ、レイビック伯の騎士たちが馬車から重そうな革袋を運び出してきた。

 その場にいた大勢の貴族たち、従僕たち、おつきの者どもまで、全員が目の色を変えた。

 三回目の金のインゴットの搬入である。

 ロジアンが、鹿革の上等の手袋をはめた手で、一本ずつ取り出していく。

 黄金は、戸外で日の光を受けて、輝いた。

「すごい」

「どれほどの価値があるのだろう」

「なるほど、人一人、売られてしまうだけのことがあるかもしれない」

 もう人々はルシア妃のことなど見ていなかった。

 四十本が積まれると、人々はそれを見つめた。壮観だった。

「それでは……」

 ロジアンは、そう言うとルシア妃を馬車の方向へいざなった。


 ルシアは、行きたくなかったに違いない。なぜなら、彼女はすぐには、歩み出そうとしなかったからだ。

 しかし、行かないわけにはいかなかった。

 大勢の人たち、たくさんの黄金、どれもみんな、彼女が歩み出すのを待っていた。

 この道は未知の道。破滅への道なのかもしれなかった。

 どんな運命が待っているのかわからない。

「大丈夫ですよ」

 小さな声で、ロジアンがささやいた。


 彼女は、異様な目つきでロジアンを見た。

 ロジアンが、どんなに感じの良い親切そうな男だったとしても、大丈夫なわけがなかった。

 だが、仕方がなかった。なにが待っているのかわからないが、なんとかしなくてはいけない。なんとか生きて行かなくてはならない。

 どうにかするのが自分だ。自分しかいない。


 ルシア妃が馬車に乗り込むのを、人々は一言も発せずに、見ていた。

 彼女が死刑執行台に自分で歩いて乗るような気持ちだったことは、その重い足取りから、見ている人々に伝わった。

 ルシア妃は二度と王宮に戻れないのだ。彼女の家族はみんな死ぬか、行方不明になっていた。アデリア王女は『自分のものであるはずのインゴットが王家に渡されるのを見ると腹が立つから』と言う理由で見送りにさえ来なかった。

 ルシアが馬車に乗り込むと、ロジアンが丁重に彼女の馬車のドアを閉めた。しっかりと閉めた。
 それから彼は、王と王妃の方を振り返った。

「さあ、それでは、レイビックでの結婚式が無事すみましたら」

 彼は陽気に王と王妃に宣言した。

「残りのインゴット四十本を持ってまいります。いかがでございますか、国王陛下」

「そうじゃ」

 王妃に合図されて王は答えた。

「待っている」

「国王陛下並びに王妃様」

 ロジアンは大きな声で続きを言った。

「その節には、新婚の夫婦のために、王宮で披露の会を催してくださいませ」

 聞いている者たちはびっくりした。

「え?」

「レイビック伯爵夫妻が、国王、王妃両陛下に御挨拶に伺いたく存じます」

 人々はざわざわし始めた。

「お目通りをお許しくださり、どうか披露の会を催してくださいますよう」

 王は急な提案には即時に反応できない質だった。驚きから覚めた王妃が、じりじりして横から答えた。

「なぜなの?」

 そんな成り上がり者の結婚など、王家に何の関係もない。あつかましいお願い以外の何物でもない。

「そんなしきたりはありません」

 しかし、いかにも意外と言ったように、ロジアンは答えた。

「国王陛下にご血縁のある方を花嫁として迎え入れたのでございます。結婚式が無事すみました暁には、新婚の夫婦は、ごあいさつに伺わなくてはなりません」


 地方出身の下品な平民で、高貴な身分にあこがれるレイビック伯爵は、貴族間のしきたりなど、まったく知らないはずだった。

「王家のしきたりをご存知ないのですね」

 王妃はとぼけて見せた。レイビック伯爵などに、親戚扱いされるのはごめんだった。

「先月、ザリエリ侯爵のご息女が陛下の又従兄弟のマッキーシ殿に嫁がれました時も、陛下にお目通りを許され、陛下が祝賀の会を開かれたと聞いております。又従兄弟のマッキーシ殿よりもルシア様の方が王家に近こうございます」

 王妃は唇をかんだ。なぜ、そんなことを知っているのだろう。

「それは……ええと、ザリエリ侯も、爵位をお持ちだから……いわば格の差ですわ」

「レイビック伯爵も、陛下から同様に爵位を頂戴しております。どちらか一方が王室の血縁なら、必ず祝賀の会は開かれます」
 
 今、ロジアンが出した要求は、ダリアの貴族社会に属する者なら誰しもが知っている、当たり前の要求だった。王家は拒否できない。王妃はイヤそうな顔をして、ロジアンを睨んだ。

一方的にルシアを辺境の町レイビックに追いやり、もう一生、ルシアに会うことがないくらいのつもりだったのだが、そうではなかった。
 この結婚によって、成金のレイビック伯爵は、王家の親戚と言う地位を手に入れたのだ。

 そして、レイビック伯爵は、どうやらその意味を熟知しているらしい。

 レイビック伯爵は、田舎者のもの知らずで、王家のものと言えばなんでも有難がる成金で、簡単に騙せる御しやすい人物のはずだった。

 だが、今、そのイメージは崩れつつあった。
 代わりに、腹黒くて気味の悪い未知の存在に、取って代わりつつあった。
 
 王妃が不満そうになにか言いかけた、その瞬間、ロジアンが口をはさんだ。

「そして、その時、残りのインゴットをお持ちいたしましょう」

 間髪を入れず、ロジアンはさらに畳みかけた。

「四十本のインゴットを」

 そうだった。

 レイビック伯爵は、残りの四十本と共にやって来るのだ。

 レイビック伯爵を受け入れない限り、インゴットも届かない。


 花嫁は、もう馬車に乗ってしまった。

 あんなに嫌がっていたのに。馬車の中に閉じ込められている。

 のろのろとした足取りにそれは現れていた。

 彼女を無理に馬車に乗り込ませたのは、王と王妃だった。

 彼女を取り戻さない限り、王家は否応なく、レイビック伯爵と言う名の、未知の男と結びつくことになる。

「なんてこと……」

 王妃じは、思わずつぶやいた。

 今、この瞬間、インゴットにがんじがらめになって、レイビック伯爵の思うままに、王家が操られている気がした。


 明るく陽気な日差しの中、愛想がよく男前のロジアン、二十人ものロジアン同様華やかな服を着飾った、にこやかな若者たちは、王家の人々や王宮の人々に、大げさに挨拶すると、馬車を守るように隊列を組んで出発していった。

 もう、取り返しがつかない。

 ルシアも。王家も。

 王家の人々だけでなく、王宮に出入りする人々全員が、呆然と馬車を見送った。

 もっと軽い気持ちだった。ルシアを厄介払いするだけの。
 これでよかったのだろうか。どういうわけか不吉な予感がした。


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