アネンサードの人々

buchi

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フリースラント

第54話 手紙だらけ

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 恐ろしい世の中である。

 玄関口までドイチェ氏に送られながら、フリースラントは考えた。
 学校にいた時は、ダンスパーティに出席する羽目になった。
 母は、婚約の可能性のある女性のリストを送ってきた。
 誰もかれもが、彼に結婚を勧めてくる。

 フリースラントは飛ぶように走って宿に戻った。

「おお、おかえりなさい!」

 宿の亭主が愛想よく迎えてくれた。

「ずいぶん遅くなりましたねー。ユキヒョウが獲れたもんで、ドイチェ氏がご機嫌だったわけですな?」

 フリースラントはほっとした。当たり前の、普通の歓待だった。娘を嫁にしろなんてスペシャルな歓待は怖すぎる。人の娘にケチをつけるわけにもいかないし。

「ユキヒョウ1頭で、町の景気もだいぶ違ってきますからなあ。今日は、競り市がだいぶん盛り上がったと聞きました。それと……」

 亭主は、おかしな紙の山を二束、取り出してきた。

「なに? 手紙か?」

「ええ、まあ、手紙と言うか、申込書と言うか……」

「申込書?」

「こちらはお手紙でございます。町中の娘たちが、ユキヒョウハンターにと言って持ってきました」

「なんの手紙?」

 亭主は何を馬鹿なことを聞くといった表情で、フリースラントの顔をながめた。

「ジュリアさんとの婚約話が流れて、そのあと、婚約などしていないとご自分で否定したではありませんか」

「そりゃ、ほんとではないから、否定したが……」

 それと手紙に何の関係があるというのだ?

「それを聞いた若い娘たちが、チャンスありと考えたんでしょう」

「チャンスあり?」

「そうそう。結婚する気はあるけど、今は相手がいないと確信が持てたんでしょう」

 その解釈は圧倒的に間違っている!と、全世界に向けてアナウンスしたい衝動にかられたが、どうやってアナウンスしたらいいのかわからない。

「ですんで、これがそれ」

 二十通くらいはあった。

「で、こっちが、お申込書となります」

「な、なんの?」

「こちらはですね、下心のある奥方様方が、お食事に来られませんかと」

「あの、まさかと思うけど、その下心って……」

 フリースラントは熟女に囲まれた自分の姿を想像してみようとしたが、うまくいかなかった。

「その通りですよ! 勘がおよろしいですねぇ、さすが、ユキヒョウハンターだけあります、フリー様。これは、娘たちを引き合わせようと言う、奥方様方からの晩餐会のご招待状でございます」

 ベルブルグに長く居過ぎたらしいと、フリースラントは反省した。考えが毒されている。娘の方か……それなら……いや、ダメだ。今さっき、うっとおしいドイチェ氏を、ようやく振り払ってきたところだ。

「まだ、早すぎるだろ。考えたこともない」

「わたくしに手紙のお預かりを断る権限は、ありませんので」

 それはその通りだが、紙の量は倍に増えた。亭主は分別しておいてくれたのだ。

「これ、返事がいるのだろうか」

 不安そうにフリースラントは亭主に聞いてみた。

「読まないとわかりません。愛のポエムだけだといいですね」

 宿の亭主の指摘が、きわめて正確だった。

 自室に引き上げながら、フリースラントは愛のポエムだけでありますようにと心から願った。
 そんなもの、読みたくもなかったが、今回ばかりは返事不要の方が助かる。

「字が読めない人間も結構いるんだが、僕が読めなかったらどうするつもりだったんだろう」

 素人の書きたい放題の文書をやむなく読んで、悟ったことがひとつあった。
 奥方様方からのお誘いは、社交的文書なので文面が決まっており、無味乾燥だが、わかりやすかった。しかし返事が必要である。

「多忙につき、誠に恐縮ながら……と。こんなもんだろ。社交文とか招待文は文面が決まっていて、おもしろくないと思ってたけど、こういう便利な側面があったんだなあ……」

 本人からの文章は、解読に時間がかかることが問題だった。

「要旨がわからん。それと誤字脱字多すぎ。これはそもそもレベルが低すぎる。紙の質が悪い」

 添削したい誘惑にかられた。

「なかなかいい文章じゃないか」

 署名を見たらジュリアとなっていた。イラっとした。

 翌日、彼は亭主に1フローリン払って、返事を持っていかせた。

「それから、今後、その手の手紙は受け取らないでくれ」

「なぜですか?」

「全く興味がない」

 亭主の顔に、男が好きなんですか?と書いてあるような気がしたが、ベルブルグが長かったせいかもしれない。

「山に猟に行ってくる」

 そう言い置いて、フリースラントは出て行った。

「男が好きなんだろうか?」

 亭主はつぶやいた。しかし、1フローリン貨は大事そうにしまい込んだ。


「レイビックの町はどうでしたか?」

 トマシンが陽気に呼びかけた。

「別に変ったところはなかったよ」

 フリースラントは嘘を言った。「変わったこと」がないわけではなかったが、面白かったわけではない。

「手紙、出してきたよ」

「ああ、ありがとうございます」

 トマシンはニコニコしていた。

 彼の自宅と、ベルブルグの教会と学校に手紙を出したのである。

「早く返事が返ってくるといいね」

「ええ。きっと、弟たちは大喜びします。もし、僕がヴォルダ家に勤務できていれば、ここまでお金に困ることはなかったと思うのですが。修道院はお金とは無縁なところですから」

 あながちそうでもない……と、ロドリックは考えた。
 あの後、副院長相手に手数料の件で相当もめたのである。
 神の国とて、現世と没交渉ではない。生きていくには、お金がかかるのだ。

 交渉は妥結し、フリースラントは副院長のことを、業突く張りの、どケチ野郎とののしったかもしれないが、神をも恐れぬそんな発言はとにかく、とりあえず堅い商売を始めることとなった。

「もうそろそろ、薬剤とか精錬用の資材が底をつきます」

「どこへ発注すればいいのかわからないんだが?」

「母に頼みましょう。父が似たような仕事をしていますので、顔が利きます」

「それは便利だ。支払いはどうしたものかな? 業者はどこにあるんだろう」

「そうですねえ、いっそ、わたくしの兄に頼むといいかもしれません」

「兄?」

 フリースラントとロドリックはトマシンの顔を見た。

 トマシンは少し赤くなった。

「兄のロジアンは、私と同じで錬金術の方をやっていましたが、私と違って武芸も達者でした。ただ、うまく仕事が見つからなくて……」

 トマシンの家庭がかなり貧しいことは、知っていた。平民より苦しい生活だった。

「それで、結局、修行僧になっています」

「私と同じだな」

 ロドリックが口をはさんだ。

「ロドリック、修行僧はお金になるのかな?」

「いや、ならないね」

「そうです。修行をしているわけですから、衣食住に困るわけではありませんが、家族への仕送りができません」

 フリースラントはトマシンに聞いた。

「トマシンに似ているの?」

 トマシンは首を振った。

「体つきも大きいですし、私よりずっとはっきりした性格です。成績は悪くなかったのですが、そのせいで雑用にはなりませんでした」

「僕に仕える気はあるだろうか。今、ヴォルダ家の名を出すことはできないので、どこの馬の骨ともわからない田舎の山師に仕えることになるが……」

 トマシンは激しく首を振った。

「とんでもございません! フリースラント様はどこからどう見ても立派な大貴族です」



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