アネンサードの人々

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フリースラント

第36話 妹の結婚の理由

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 前置きして、あたりをはばかるように小さな声で、母は続けた。

「ルシアは国王陛下のお子なのです」

「えッ?」

 フリースラントは聞き返した。

「おかしいと思ったでしょう。結婚式以来、一度もアデリア様はこの城に来たことがない。ヴォルダ公の娘なのに、ルシアもこの城に来たことがない。二人とも王宮暮らし以外したことがない」

 フリースラントは、父とアデリア王女の不自然な結婚を思った。

 年齢も不釣り合いだし、お互いに愛し合った末の結婚だとはとても思えない。

「王陛下は年の離れた異母妹のアデリア様のことを、愛していました。手元から離さず、結婚も許しませんでした。アデリア様がどう思っていらっしゃるのかはわかりませんが、あの方は、王の威光で、わがまま勝手が通る暮らしを好まれたのかもわかりません。少なくとも、ほかの誰か、若い貴族との結婚を望まれたと聞いたことはありません。誰の目にも、アデリア様は異常な状態……王様の愛人なのではないかと疑われてきました。でも……」

 意外過ぎて、フリースラントは、ついていけない気がした。

「アデリア様がルシアを妊娠しました。すぐに父親をあてがわなければなりません。宮廷の遊び人の若い貴族が父親ならよかったのですが。それなら、多少、外聞が悪くても、結婚すればいい話です。しかし、本当の父親は国王陛下なのです」

 母は続けた。

「こんなにまずい話はありません。国王が愛人にこっそり子供を産ませる話はよくあることです。でも、これは違います。本当の兄なのです」

 母はため息をついた。母は被害者だった。

「国王ともあろう人が、そんな人の道に外れたことをしてしまったと、世の中に知られては絶対に困ります。すぐに婿探しが始まりました。条件としては、忠実な家臣で、口が堅くて、絶対に外に漏れないこと、それに、もう家を継ぐ者がいることが条件でした。王はアデリア様を、本当に結婚させるつもりはなかったのです」

 王は妹を愛した。
 フリースラントは、その言葉に、一瞬、戸惑った。
 なにか甘美な響きがある……

 だが、今話しているのは母である。自分のことには蓋をして、彼は家族の不幸を考えた。王の身勝手は非難されるべき種類のものだった。

「王はアデリア様が結婚しても、そのまま、宮廷に、自分の手元に置いておくつもりでした。そして、出来るだけ裕福で身分の高い家の貴族……結局、選ばれたのはお父様でした」

 なんと気の毒な結末だろう。王の身勝手は、家臣の家庭の平和を打ち砕いたのだ。

「アデリア様は嫌がりました。もっと、若い貴族が良かったのです。でも、おそらく、どこの家の息子もお家断絶は断られるに決まっています。ヴォルダ家には、3人の子どもが立派に成長していて、問題はありません。名前を貸すだけの話です。秘密も絶対に守られるでしょう。父上は、子供のころからの、王のお付きです。気心も知れていましたし、王女が嫁いでも問題がないくらいの名門です」

 フリースラントは、聞き入るばかりだった。異常過ぎて、感想もわかない。

「ルシアをいったんこの家に戻したのは、結婚のために、ヴォルダ公の子供と言う印象を強めるためでした。我が子と結婚するだなんて、おかしすぎます」

 この期に及んで、やっとフリースラントは、気がついた。

 この結婚は、普通ではない。

「母上……」

 彼は言葉をつまらせ、母の顔を見た。

 今の話が本当なら、ルシアの父は、国王。
 そして、ルシアの夫も国王なのだ。王は自分の娘と結婚する気なのか?

「母上、それだと、国王陛下は……」

 母はフリースラントの顔を見た。

「そう。この結婚は異常なのです」

「母上、父上はどうしてこんな結婚を許可されたのですか?」

 母は、息子の顔を見つめた。
 この子は、まだ、子どもだ。
 もっとひどいスキャンダルが、宮廷にはたくさんあった。
 
 だが、フリースラントの言うことは、その通りだった。道に外れた行いは、他にもあるからと言って許されるべきものではない。

「お父上に、どうにか出来る話ではなかったのです」

 フリースラントは、眉をしかめた。
 彼の心には怒りが噴き上がってきた。
 権力を振りかざし、自分の薄汚い望みを押し付ける穢らわしい年寄りに対してだ。

「ルシアが自分の娘でないことを、お父上は最初からご存知でした。私もです。だから、ルシアを虐めようだなんて、これっぽっちも思わなかった。でも、父上は、ルシアの身の振り方について、何も言う権利は無かったのです。自分の娘ではないからです」

「しかし、それは……」

 フリースラントは、ルシアを思うと叫び出したい気持ちに駆られた。

 あんなに愛らしい小さな妹に、そんな運命を背負わせるだなんて! 異常者の妻だなんて!

 だが、母は、フリースラントを手で押し留めた。

「フリースラント、落ち着いて。王は、そこまで異常者ではないのです」

「異常です!」

 フリースラントは、言った。妹の次は、我が子を手にしたいだなんて、異常者以外の何者でもない。

「おそらく、結婚は形だけなのでしょう」

 フリースラントには、意味がわからなかった。

「我が子に身分を与えたいだけだと思います。結婚すれば、ルシアは王妃になります。それで、アデリア様が反対しないのでしょう」

「どういうことですか?」

「外聞をはばかって、我が子を庶腹とすら言えない身の上にしてしまったのです。本来は王女なのです。でも、妹を孕ませてしまったので、ルシアの身分は、一公爵家の令嬢に過ぎません。それでは、王は不満なのです」

 ようやく腑に落ちた。
 それはあり得る話なのかもしれなかった。

「はた迷惑な」

 ヴォルダ家でも不満とは、なかなか失礼な言い分だ。

「そうですとも。ヴォルダ公家は、降嫁されたり、王妃を出したりと、他の貴族の家から見れば、異常な有様です。さぞ、いろいろ言われていることでしょう」

「王の親心なのでしょうか」

「そういうことだと思います。変な形ではありますが。ただ、ルシアは一生独身で過ごすことになるかもしれません」

「あんなに美人なのに?」

 母は弱々しく微笑んだ。

「万一、王が亡くなっても、元王妃ですから、再婚は難しいかもしれません。それと言うのも、王妃は身分上、王太子の母です。アデリア様は言わば王太后になるわけです。宮廷での地位を考えると、あの方がその地位を手放すとは思えません。娘の再婚は、元王妃の地位を手放すことを意味しますから」

 なんて、勝手なんだ。ルシアにとって、母のアデリア王女は呪いのような存在だとフリースラントは考えた。

「あなたは、学校から自分の城に戻ってくることを、一時、禁止されていたでしょう? あれも、真実を知る王にしてみれば、同じような年ごろの赤の他人の男の子なんか、そばに寄せ付けてはならぬと考えたからでしょう。あなたもルシアも、自分たちが兄妹ではないことを全く知らないので、心配はいらない、それどころか逆に、ルシアを心から心配する心強い味方になると伝えたのです。それに私とお父様、家庭教師が常にいる家ですからね。王宮の方がよほど危ないでしょう。アデリア様には恋人がいると言う噂です」

 この件に関しては、王はなかなか鋭い人物と言えるかもしれない。お心当たりのあるフリースラントは、誰も知らないことを感謝した。

 十二歳の少女との強引な王の結婚は、理解しがたい話だったが、最初思ったほどの異常事態ではなさそうだった。

「王様はいま五十三歳。王様と結婚しても、いずれ、ルシアは未亡人になるでしょう。財産も身分も蹴飛ばして、好きな人と結婚するかもしれませんよ、あんな性格ですし。でも、今は、結婚しないわけにはいかないでしょう。王の望み、そしておそらくは最後の望みになるでしょう」

「そんなに悪いのですか?」

 母は言った。

「他言してはなりません。今の話も、この話も。王の命は、もう数か月もないでしょう」



 フリースラントは、ルシアの結婚の準備が仕上げに入っているあわただしい何日かを過ごした。彼自身も、服をあつらえたり、ゾフから式当日の手順を教えてもらったり、忙しい日々だった。何か考える時間もないほどだった。

 夕食時には、母やルシアと一緒に過ごすことができたが、話が結婚式の衣装の打ち合わせ、式典の段取りと言ったことになることが多く、王宮から結婚式の準備のために遣わされたご婦人方も多く同席するので、打ち解けた話にはならなかった。

 フリースラントは、母のテンセスト女伯が仕切る晩餐で、ルシアの隣に席を占めた。

 この城に遣わされるということは、それぞれ儀典に詳しかったり、王の信任が厚かったりする上、身分も高い奥方ばかりのはずだが、その中にあっても、テンセスト女伯が重きを置かれていることが見て取れて、フリースラントは意外に思った。
 なにしろ、母は、その奥方連中の中では、最も年若く、細く、たおやかな美女だったのだ。よくあるでっぷり太って二重顎の年配の貫禄ある貴婦人の風貌ではなかった。

「お母さまは、とても優秀な方よ」

 ルシアはポツリと言った。

「最初はとにかく、今では、みんなお母さまの言うことを真っ先に聞くわ」

 確かに母は、口数は少なかったが、母が喋り始めると、全員が黙って真剣に聞いていた。

 儀式の手順などについて、食事の時間も利用して、意見が交わされている間、子ども二人は無視されていた。

「宮廷に戻りたくない。ここにいたい。フリースラントのお嫁さんになりたかった」

 ルシアは子どもらしい様子で、そう言い、フリースラントの方はドキリとした。

「え?」

「フリースラントと結婚すれば、ずっとここにいられるわ」

 それだけかい。まあ、どうせ、十二歳の考えることなんて、そんな程度だ。

「でも、兄はダメだって」

 フリースラントは、妹をまじまじと見つめた。

「伯父のところへ嫁ぐのは構わないのにね」

 知らないのか、知っているのか?

「お兄さまは、誰と結婚するのかしら?」

「結局、あのダンスパーティーでも、全然話はまとまらなかった」

 事実である。

「モテないんだろ」

 フリースラントが引きつったように笑顔を見せると、ルシアは、否定した。

「そんなことないわ。フリースラントが、一番、ステキだった」


 翌朝、花嫁と母、宮廷から遣わされた奥方たちは、馬車を連ねて王宮へ向かった。
 お付きの侍女たち、次いでゾフも王宮に向かい、フリースラントがヴォルダ家の城を出たのは最後だった。彼は単なる参列者で、式において役割があるわけではなかったから、最後まで城に残っていたのだ。
 ヴォルダ家の城は、閑散としていた。
 誰もいない城で、フリースラントはこれまでの話を整理した。
 ルシアは妹じゃなかったのだ。

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