アネンサードの人々

buchi

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フリースラント

第30話 実在した悪魔

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 アネンサードは実在する? 

 フリースラントには意味が分からなかった。

 アネンサードって、なんだ? 悪魔の別名?

「それは……単なる伝説上の存在なのではありませんか?」

「アネンサードは、実在した動物の名前だ。人に似てる。もう絶滅した。人が滅ぼしたのだ」

 実在した、そして絶滅した違う人類? 人間は人間だけじゃないのか?

「教会の古文書に書かれていた『最後の戦い』と言う話がある。もはや、昔過ぎて、いつの時代の話なのかすら分からない」

 フリースラントは頷いた。彼も教会学でそう習った。

「その中でアネンサードは滅ぼされた。あの話は、その記録だ」

「滅ぼされたのは、アネンサードじゃありません。悪魔を滅ぼしたと書いてあります」

「悪魔じゃない。事実は、別の人類を滅ぼしたんだ」

「それ、本当ですか? あれはお話でしょう?」

「じゃあ、なぜお前はここへ来た。ただの物語だと思えなかったんだろう」

 フリースラントは、はっとした。その通りだ。証拠は自分自身だった。

「アネンサードは、人よりずっと体が大きく、はるかに優れた聴力と、人には想像もつかない嗅覚、夜でも見える目を持っていた。だが、最も大きな違いは、驚くべき力だ」

 フリースラントは黙った。

「真っ暗な夜を想像したことがあるか?」

「真っ暗な夜?」

「何も見えない闇だ。森と畑の区別も、林もわからない。月のない晩は夜道は一歩先も見えない」

 フリースラントは呆然とした。
 彼が平気で街道を、夜、進んで行ったのは、道が見えないほど暗いわけではなかったからだ。

「人間は、夜、まったく目が見えない」

「見えない?」

「どんな闇夜でも、お前にはうっすらと見えるんじゃないか? 新月の晩も?」

 それは事実だった。
 自分は人間じゃなかったのか。

「だが、何千年も前に絶滅したんなら、なんでアネンサードの特長が全部そろっているんだ。能力もひとつだけとか、少しだけとかなら、あり得るだろうけど。おかしいだろ」

 ロドリックは言った。

「だから、ここで、この肖像画を見つけた時、その理由がわかったんだ」

「どういうことです?」

「アネンサードは絶滅したと信じられていた。だが、そうじゃなかったんだと思う」

 ロドリックが絵を指した。

「この絵は、アネンサードの女性だ。この絵は百年くらい前に描かれたものだ。つまり少なくとも、百年前まで、アネンサードは生き残っていたのだ」

「どうしてアネンサードだと断言できるのですか?」

「顔だよ。顎が極端に細くて、目鼻が完全に左右対称。あり得ないほどに顔と体つきが細い」

 所詮、絵である。本物どおりではないかもしれない。ロドリックのいうことが本当なのか、フリースラントは判断できなかった。この絵の女性は変わっているが、人間に見える。なぜ、ロドリックは、この女性をアネンサードだと断定するのだろう。だが、フリースラントは質問を変えた。

「なぜ、アネンサードは悪魔呼ばわりされるんです。どうして絶滅させられたのですか?」

「どうして、人間は出産の時に死ぬことがあるんだ。イヌやネコは死なないのに?」

「出産?」

「出産の度に死の淵を通るなんて、生物としておかしいだろう。そんな種族はそのうち死に絶えてしまう。大昔に違う種類が混ざったからだ。合わないのだ。体が」

 体が合わない?

「交雑を止めないと、アネンサードは生き残るが、人間が絶滅する。その意味で昔からアネンサードは悪魔だったんだ」

 ロドリックは付け加えた。

「アネンサードはみな美しかった。人が自分の命を忘れて欲しがるほどに」



 ロドリックと言う男は、フリースラントの抱いた最初の印象ほど、お人よしで単純な男ではないらしかった。
 彼は素晴らしい精悍な体つきだった。そして、一見お人よしそうな感じを受けたが、話している時の表情、言葉の選び方、フリースラントの反応を見る目の動きは、なかなか油断のならない人物に思えた。

 それでも、フリースラントはロドリックのそばにいると安らぎを覚えた。

 彼に隠すことはなかった。

 どんな匂い、夜に見える動物、遠くの音、すべて同じに感じ取る。奇妙な音に驚いて、何の音だろうと言うと、彼は答えた。

「狐の警戒声さ。こんな時間におかしいな」

 その声ははるか彼方の小さい音で、もしほかの人間なら怪訝な顔をされるはずだった。ロドリックにその心配はいらなかった。

 あの時、総主教様が『会ったらすぐわかる』と言っていたその人物に間違いなかった。

 そして『アネンサード』

 聞いたこともない名前だった。本当に高位の教会関係者なら知っているのだろうか。
 ロドリックは、アネンサードの話はしたがらなかった。その話をしたのは最初に会った時だけだった。



 もう、夕方だった。
 ロドリックは、彼を安全な教会の地下室へ案内した。

「ここへ泊まれ。ここなら安全だから。クマはあの窓を乗り越えられないし、ユキヒョウはこの部屋のドアを開けられない。ユキヒョウもクマもこのあたりには少ないが、確かにたまに出るからな」



 翌朝、フリースラントは、ロドリックにたたき起こされた。

「どうしたんですか?」

「おかしい。人の血の匂いがする」

 フリースラントは鼻をひくつかせた。
 町にいると、人だらけなので、個々の人の匂いには気が付いても、人のにおいに敏感になることはない。だが、この深い森の中では人の匂いは滅多にしないので、目立つ。ただ、人の匂いだけだけではなかった。明らかに強い血の匂いが混ざっている。

「人の血だ……新しい」

 どうしたらいいかわからなかった。

「ユキヒョウ?」

 フリースラントはささやいた。
 生きているユキヒョウの匂いは嗅いだことがないのでわからない。でも、血の匂いと一緒に漂ってくる何かの動物の匂いがあった。クマでもイノシシでもなかった。

「ユキヒョウだ……」

「どうします? 助けますか?」

「もう手遅れだろう。大量の血の匂いがする。昨日、森へ入っていった連中がいたな?」

 彼らは思い出していた。あの時、ロドリックは危険だと言っていた。

「そのユキヒョウを殺そう」

「な、なぜ?」

「人は不器用で弱い生き物だ。人の味を覚えられると厄介だ。人ばかりを狙うようになる。町へ来るようになったらどうする? クマなら、甘いもので気を逸らすことができる。食糧庫をやられるだけで済むが、ユキヒョウは人の肉が目的なんだ」

 フリースラントは荷物の中から彼の弓矢を出してきた。

「柔らかな鉄製の弓と、硬い矢です」

「ほう。これはいい」

 弓矢を受け取ったロドリックは、感心した。

「俺の力でも折れない弓だ。素晴らしい。」

「重すぎて、ほかの生徒は使えませんでした」

「オレとお前なら、ぴったりだ」

 外へ出てみると、もうすっかり夜は明けていた。血の匂いが強く鼻を打った。

「近いな」

 二人は同時に同じ方向を向いた。そちらから匂いが流れてくるのだ。

 ユキヒョウの匂いも流れてきた。

「1匹じゃないな」

「そうですね」

 二人は気配と匂いに専念した。ようやく、遠くに2匹の白っぽい動物が見えた。

「もう少し近づくか……」

 だが、その時1匹が彼らに気が付いたようだった。風向きもあるが、こちらの匂いだって、向こうにわかるのだ。

 しなやかな猫族独特の動きで起き上がると、こちらにゆっくりと向かってきた。

「腹がいっぱいなんだ。走ってこないのは、めんどくさいんだろう」

 ロドリックが弓に矢をつがえた。

 ヒュッと軽い音がして、ユキヒョウは倒れた。

 もう一匹がすぐに立ち上がって、全速力で駆けて来た。

「仲間が殺されたと言うのに、無謀な奴だ」

 ロドリックが言い、今度はフリースラントが矢を放った。

 ぱたりと白い動物が倒れ、フリースラントとロドリックはゆっくり近づいた。


 近付くとユキヒョウの方は完全にこと切れていた。

「さて、どうする? 持って帰るか?」

「面倒くさいですね。でも……」

 フリースラントは気が付いた。

「お金になります。1匹あたり八百フローリン。ぼくはA級ライセンスを持っていますから売ることができます」

「俺だってA級ライセンスくらい持ってるぜ。でも、町じゃあ多分死んでるくらいに思われてるだろうな。お前が行って、売ってきてくれた方が助かるな。金はどうしたっているからなあ。ついでに買い物をしてきてくれると助かる」

「でもね、すぐには帰れないかもしれないですよ」

 ユキヒョウを袋に詰め込んでから、フリースラントは不愉快そうに言った。

「うん。わかっている。ユキヒョウを獲って帰ると大騒ぎになる」

「確かにそっちもあります。でも、それよりも、ハンターの死体ですよ」

 二人は沈んだ様子で、さっきまで2匹のユキヒョウがいたところまで近づいていった。

 3人のパーティで……残念ながら知り合いだった。

「知り合いじゃない方が良かった」

 それは、昨日、喧嘩を売ってきたキリフとひげの男、そしてその仲間だった。喰い散らかされた有様は、無残とでもしか言いようがなかった。

「なんだって、ユキヒョウなんか狙いに来たんだろう」

 二人は陰気そうな目つきで事の顛末をながめていたが、ロドリックが言った。

「仕方ないな。途中まで一緒に行こう」

「すみません」

「いいんだ。買い物をしてもらうつもりだから。それに死体がそばにあるなんて気が進まない」

 死体を獲物用の袋に詰め込むと、少し気が楽になった。少なくとも見えない。

 二人で行くのは楽しかった。

 ロドリックは本当に、フリースラントが驚くほど力があって、彼より体力があった。

「だって、俺はもう完全に大人だ。お前はまだこれから大きくなる。俺の成長が完全に止まったのは三十歳を過ぎてからだから」

 フリースラントはびっくりした。

「仕方ないだろ。種族の特性なんだ」

 種族の属性……

 ロドリックと適当な地点で別れた後、一人でユキヒョウ2頭と大の大人3人の遺体を運ぶのは、本当に大変だった。
 そりに乗せて引きずっていくにしても、重い。本当に重い。

 ようやく町はずれに着いた。もう、すっかり夜だった。だが、緊急の用事なのだ。

 フリースラントは、ドアをたたいて、競り市の管理人を無理矢理呼び出した。

「僕はフリーだ。競り市のドイチェさんか誰かに連絡を取ってくれないか」

 町はたちまち大騒ぎになった。

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