アネンサードの人々

buchi

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フリースラント

第5話 学業は優秀

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 ちょっと面白いので、フリースラントは笑ったままだった。

 バジエ辺境伯のグループは、こそこそ何か相談していたが、逃げるように部屋から出て行ってしまった。


「トマシン、適当に何か持ってきてくれ。一緒に食べよう」

「フリースラント様、いったい何をなさったのですか?」

 あっけに取られていたトマシンが尋ねた。

「握手しただけだよ。うれしかったんじゃないかな」

「あのギュレーター様がですか?」

「そういう名前なの?」

「そうです。ここでは、いわばいじめっ子ですね。」

 トマシンは何がどうなったのやら、さっぱり訳が分からず、彼のご主人様の、ほそっこい、まだ子供らしい姿をながめていた。何の魔法だろう。

 もっとも、何が起こったのかわからなかったのは、その時、食堂にいた全員がわからなかった。
 彼らはバジエ辺境伯の息子が、力と仲間を頼んで、まだ幼い少年をからかおうとしているのを、遠巻きに見ていたのだ。

「あのう、ヴォルダ公爵家のご子息が入学されると聞いていたのですが、あなたがその噂の方ですか?」

 気が付くと、フリースラントの周りには、大勢の生徒たちが集まっていた。

「すごい。あのギュレーターに悲鳴をあげさせるだなんて」

 フリースラントは、ちょっと照れた。

「何をしたんですか?」

 彼らは興味津々だった。

「軽く手を握っただけだよ」

 フリースラントは答えた。

「ぼくは、握力だけは人並外れてあるんだ。やってみる?」

 何人かの少年が争って手を出した。

 フリースラントは、その中でも最も力のありそうな、大きな少年の手を握った。

 フリースラントがちょっと力を入れると、相手は大声で叫び出して逃げ出した。

「すごいバカ力だ!」

 相手は、握られた手を振りほどき、涙目になって叫んだ。

「ごめんごめん」

 フリースラントはあやまった。

「本気にならないでくれ」

 相手は言った。

 本気なんかではなかった。フリースラントが本気になれば、相手は手の骨を折ることになる。手を握られた少年は結構痛そうにしていたが、興味は持ったようだった。

「でも、それだけだもの。なにか、とっても強そうな人たちだったよね……あの人たち?」

「そうなんだ。おまけに金持ちで有力者だ。ここでは威張ってる。君が来ると聞いて、待ってたんだと思うよ? 同じくらい名家で金持ちで有力者だからね。君が来ると、これまでみたいに、大きな顔をできなくなるかもしれないだろ?」

「ぼく、そんなことに興味ないよ」

 フリースラントは言った。

 徒党を組んで、勢力を保つなどと言うことが面白いとは思えなかった。
 それでも、食堂にいた連中はがやがやと、フリースラントに質問したり、手を握ってもらったりした。
 フリースラントは今まで、こんなに大勢の同じくらいの年頃の少年たちと一緒になったことがなかったので、気押されて、聞かれるままに、いろんな話をした。

「でも、お友達がこれで大勢できますよ」

 ひと騒ぎが終わって、食事が済み、みんなが顔を覚え(フリースラントの方は全員を覚えられたわけではなかったが)満足して自室に戻りだすと、トマシンが言った。

「だって、みんな、結構迷惑していましたからね。ギュレーター様は、力も強いし、武芸も秀でています。学業も優秀です。そのうえ、名家のご子息です。お父上の力が強いので、何をされても逆らえません。困っている生徒もいました。フリースラント様の存在は、ありがたいだろうと思いますね」

 フリースラントは、トマシンの顔を見つめた。
 トマシンは冷静で、客観的だった。
 ギュレーターを、優秀な生徒だと言い切っている。きっと、その通りなんだろう。


「トマシン、きみはえらいな」

 トマシンはびっくりした様子だった。

「私がですか?どこがですか?」

「いや、どう言ったらいいか、わからないけど。でも、きみも迷惑してたんじゃないの?」

 トマシンは笑った。

「だって、私は取るに足りない貧乏貴族の子供です。全く目立たないし、相手にする価値もありません。全く無視されていました」

「でもね、トマシン」

 考え考えフリースラントは言った。

「君がぼくの雑用だってことを彼らは知っている。いじめられたりしないかな?」

 トマシンは人のよさそうな正直そうな顔でにこにこした。

「大丈夫ですよ。だって、わたくしはヴォルダ家の雑用なのですから。ギュレーター様もそこら辺のことは心得ておられます」

 フリースラントは、ちょっとびっくりした。
 そうか。
 ゾフが言っていた。『ヴォルダ家にお仕えできるとは名誉なことだ』
 トマシンはフリースラントの雑用に選ばれたことで、ヴォルダ家の勢力に組み入れられたのだ。人は一人で生きているわけではない。

「それに、接触がありません。授業も別々です。私のような貧乏貴族は、食堂ではなくて台所で食べますし」

「へええ……」

 なんだか良く分からなかったが、学校もなかなか複雑なようだ。
 トマシンは、ニコニコしながら続けた。

「まさか公爵家の御曹司が、こんなにケンカに強いとは思っていませんでした」

「ケンカ? ケンカなんかじゃないよ」

「ケンカですよ。ちっとも負けてなかったじゃありませんか。あの連中を怖いとも思っていなかったのでしょう?」

「強そうには見えなかった」

 トマシンはちょっと驚いたようだったが、愉快そうに声を立てて笑った。しかし、彼は、話を変えた。

「明日の授業の科目をご確認ください」



 翌朝、フリースラントはまじめくさって、数学の教室に入った。

「大丈夫だよ。トマシン。最初の教室さえわかれば、次の授業の場所は誰かに聞く。君も授業があるだろう」

 そう言って、トマシンを帰し、彼はワクワクしながら部屋に入り、教室内の好奇心たっぷりの目に10分間さらされた。


「聞いた? 入学早々、あのギュレーターとケンカになったそうだ」

「平気そうな顔をしてる。ケガはしなかったのか?」

「そこはヴォルダ公家の御曹司だ。さすがのギュレーターも手加減したんだろう」

 違う!と言いたかった。

「違うぞ。ギュレーターをぎゃふんと言わせたんだ」

「ぎゃふん?……てなんだ?」

「ケンカになってギュレーターが負けたんだ。すごいぞ、その御曹司は!」

 ひそひそとした称賛の声は、聴いていてなかなか楽しかったが、10分後、彼は教室を出る羽目になった。

 その教室では、今まさに数字の書き方を教えているところだったからだ。


「この上のクラスは、この上の階の、階段から3つ目の教室です」

 できるだけ目立たないように、上のランクの教室に入り込んだ彼だったが、噂の方は彼より先に広まっていて、この教室でも彼の噂でもちきりだった。

 噂の本人が現れたのを見た生徒たちは、授業そっちのけで、熱心にひそひそ話を始めた。先生は僧侶だったが、彼も、この有名なヴォルダ公爵家の御曹司を見ないふりをしながら観察しないではいられなかったらしい。だが、さっきと同じような興奮したひそひそ話を一渡り聞いた後、彼は、この部屋も出て行くことにした。

 引き算の繰り下がりの計算は、説明する段になると意外と難しいことを彼は発見した。だが、彼は教師になりに来たわけではなかったので、次のクラスを見学しに行ってみるしかなかった。

 クラスは三つしかなかったので、次のクラスが一番上になる。が、あまり期待は持てない気がした。
 なぜ、三つもクラスを見学し、その全部で顔を売らなくてはならないのか、フリースラントはどうも気が乗らなかった。(ちょっとは面白かったが)

 三つ目のクラスの授業を10分ほど傾聴した後、彼は途方に暮れた。

 現在、そのクラスでは、長い衣を片方にしゃくりあげた若い僧侶が声を張り上げていた。

「いいですか? みなさん。では、三二が六! 三三が九! 三四が十二! ドリス、違います! そのページじゃありません! もう一回最初から!」

 九九をいまさら教わっても、テストの時以外は寝てしまう危険性があった。あるいは、教師の教え方について論評を書きだすかもしれなかった。

「最高学府って、嘘っぱちもいいとこじゃないか」


 そのあと、その時間にやっているすべての教室を覗いてみて、彼はうんざりした。

 最もうんざりしたクラスは、昨日握手したギュレーターとその仲間が、つかえながら音読させられている場面に出くわした時だった。

 ギュレーターは最初、フリースラントに気が付かなかった。読むほうに必死だったからだ。

 ビン底メガネをかけた僧侶が先生だった。

 メガネのわりに目のいいその教師は、フリースラントを目ざとく見つけると、間の悪いことに、ギュレーターの後にフリースラントを指名した。

「読んでみてください。次の一節」

 フリースラントは気が気ではなかった。ギュレーターはあまり語学が得意ではないのではないかと言う気がした。さっきの読みっぷりからすると、少なくとも、音読は得意でないだろう。

 読み終えると、先生は新たに質問を繰り出してきた。ギュレーターには何も聞かなかったくせに。

「よろしい。上手に読めました。問題ないですね。では、今の文章の趣旨はなんでしたか?」

「ええと、この部分は旅行記の一部だと思います。で、ある地方の地理的な特徴を簡潔に述べています」

 教師はいたく満足した様子だった。

 しかし、フリースラントには、レベルの問題ではなく、この教室に居たくない理由があった。
 ギュレーターの熱い視線を背中に感じ取ったのである。

 そそくさと出て行って、転々とほかの教室も覗いて見たが、教会学以外、目新しい科目はなかった。教会学は、初めて見る教科だった。

 昼ご飯は、自室でとることにした。食堂でほかの生徒にじろじろ見られたくなかった。どうも夕べの食堂での出来事が、かなり噂になっているらしい。

 昼休憩中に、律儀に様子を見に来たトマシンにフリースラントは、質問を浴びせかけた。

「この学校、最高学府だって聞いたんだけど?」

 トマシンは怪訝そうだった。

「ええ」

「どこの教室も、そんな風じゃなかった。猛烈に簡単なことしかやってなかったよ?」

「だって、学校ですから」

「最高学府って、学校って意味なの?」

 トマシンは首を傾げた。

「だって、トップクラスで九九を教えていたんだけれど?」

「学校としては、そんなもんではありませんか? 貴族のご子弟の初等教育のための学校ですから」

「家庭教師が教えてくれたよ。もう、知っているよ?」

「だって、家庭教師が付いていた生徒ばかりではありませんから」

 フリースラントは、はっとした。そうか。

「そうか。そうだな」

 トマシンは何を言ってるんだろうと、不思議そうだった。

「ここへ入学する年齢もバラバラですから。十歳以下の子供が入学することもあります。それに、今は、学期が始まって間がない時期なので、学習内容も簡単です。フリースラント様も、入学式に出席されるご予定とうかがっていましたが、何でも、王宮の夏の宴会に呼ばれたために時期がずれたと……」

 思い出したくもない王宮での出来事だった。そのせいで、みんなと一緒に入学できなかったのだ。

「それで引き算をやっていたわけか」

「フリースラント様、九九が簡単すぎるなら、高等科に行けばいいでしょう」

「それはなんだ?」

「本科を終了して、もっと学びたい者は高等科へ行くのです。そのうえには研究科があります」

 フリースラントは納得した。彼は仕組みを知らなかっただけなのだ。

「じゃあ、明日は高等科へ行こう」

 トマシンは首を振った。

「本科を卒業しないと編入できません」

「なんだって? ずっと九九を唱えていろって言うのか?」

 フリースラントが真剣に抗議して、トマシンは、少しおかしそうに笑顔になった。

「本科に在籍しておいて、授業は高等科を聴講生として聞けばいいでしょう。卒業試験を受けて合格点が取れれば、高等科に正式に入学できます」

 スリースラントは乗り気になった。

「じゃあ、先生にそう伝えておけばいいんだね」

「そうですね。でも、授業を全部受けたわけではないので、一応、全教科のレベルを確認してから申し出られたらいかがでしょう」

 まじめで慎重なトマシンの意見は、もっともだった。

「午後の授業もあります。まずは、お昼ご飯を召し上がってください」

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