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第80話 契約のキス

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「どうしてリーマン侯爵家で、それもアデル嬢の目の前で、求婚してみようだなんて思ったのですか?」

殿下は困ったようだった。

「僕の婚約者については、何回もアデル嬢だと言う噂が流れてね」

「私も聞きました」

「大好きで絶対に結婚したい人がいるんだが、なかなか信用してもらえなくて」

そう言って、殿下は私の顔を盗み見た。

「本人以外に好意をお伝えするのは、おかしいと僕も思ったのだが、リーマン嬢にも、僕の真意が伝わらない。それどころか、僕の意向を無視して、ここまで妨害工作が多いと、さすがに元から絶たないと解決しないのではないかと」

「妨害工作ですか?」

殿下はうなずいた。

「婚約式の用意があるからと、リーマン家出入りの宝石商は、王家に相応しいような宝飾品を探してくれと内々に頼まれていた」

それって、親ぐるみってことかしら?

「王家にふさわしいものをと言われたら、こりゃ本当だと思うだろう」

「そうですわね」

「宝石商やら、ドレスメーカーやら、小物店や香水商人とか、色々呼び集められた。そして、そいつらは他の家にも出入りしているわけで……」

「なるほど」

話題としては、抜群だよね。みんな、飛びついて拡散してくれると思うわ。

「リーマン侯爵夫人は顔が広い。熱心にいろいろなところのお茶会だの夜会に参加して、思わせぶりな態度を取る。王家との縁談なら、はっきり言わなくても当然なので、みんな信じる」

「社交界ですね!」

私には縁がないな。おばあさまも縁がなさそうだ。
私たちにとっては第三世界、パラレルワールドだ。
たぶん、セス様も縁がなさそう。

「僕は本人で王族なので、いちいちリーマン侯爵夫人の言動を否定する立ち場にない。側近どもに言い返せと指令したのだが……そう言う小手先の回るやつはあまりいなくてだな、一番使えたのがセスだった」

「うわあ……殿下の周り、深刻な人員不足ですね」

一番使えたのがセス様とは……これまた第三世界に生息している魔王のような、魔王のふりをしているような、微妙な人物が筆頭とは。

「私の方がマシなんじゃないでしょうか」

「いや、何言ってるんだ。本気でアデル嬢が婚約者だと信じていたろ?」

「…………だって、アデル嬢が自分でそう言うんですもの」

「好きだって言ったろう! ほら、森の中で。二人でずっと悪獣狩りをした」

殿下が赤くなって言った。

「あれは……その、媚薬酔いを起こしたのかと……」

殿下の上着の裾をじわじわとつかむ人物がいた。
ソファの上のアデル嬢だ。
命のポーションのおかげで復活し始めたらしい。

「や、やっぱり、媚薬……」

聞きとれないような声で、うめいている。


殿下がアデル嬢の手の届かないところに座りなおした。冷たいな。

それが、私の真横だったわけだけど。

「媚薬酔いなんか起こすわけないだろ」

「は?」

「だから、そんなわけないだろ」

殿下が決まり悪そうに、でもはっきり伝えてくる。

「ずっと一緒にいられた。仕事だったけど。あなたは真面目な顔をして必死で毒肉ポーションを渡してくれる。なんていい子なんだろう。僕のことを気遣ってくれて、やりやすいように気を配ってくれる。一生懸命だ。好きな女の子と一日中一緒! ずっと僕を見ていてくれる! 最高に幸せだった」

そりゃ仕事ですから。相棒に合わせるのは当然でしょう。殿下の為じゃないってば。根本的に勘違いしているような気がするけど、それよりも、真正面のアデル嬢の手が小刻みに動いているのが気になるわ?

殿下は切なそうに続けた。

「でも、何にも出来ない。思いのままに抱きしめたら、魔力が膨大なあなたのことだ、返り討ちにされそうだった。だから一世一代の芝居を打った」

「え? 芝居?」

私はアデル嬢の手の観察から、我に返って殿下の顔を見た。

「なんですって?」

「媚薬酔いなら、大目に見てもらえると思って」

こいつ、しれッと吐きやがった。

「悪獣用の媚薬に酔ったわけではないと?」

私が確認すると、殿下は何言ってるんだみたいな表情で私を見返した。

「僕は人間だよ? 悪獣用の媚薬になんか酔うわけないでしょ。あなたを抱きしめて堪能した。すごい甘い魔力の香りがした。他の人とは違う。本気で酔いそうだった。素面なのに」

「素面なのに?」

「お、怒らないでくれ。あなたが好きだったんだ。あれ以来、夢に出る」

「出すな」

「夢に見るよ。想像が捗る」

殿下の夢の中に出演しているだなんて、なんだか気持ち悪い。

「お願いだ。結婚して。一緒に仕事がしたい」

「結婚して仕事をしようって、どんな求婚? あなたを幸せにしますとか、せめて言えないの?」

「あなたと一緒なら、僕は確実に幸せになる。どうしたら、あなたは幸せになれる? あなたの幸せを追求したい。僕を連れてってくれ。きっと幸せだ」

私はガセボの中にあったリーマン家の贅沢なクッションで殿下を殴った。クッションは破れて中の羽毛が飛び散った。

「じゃあ、どうして、夏の終わりの大舞踏会の時、私を帰したの?」

「帰した?」

殿下が怪訝けげんな顔をした。

「邪魔だから帰したんでしょ?」

「何言ってんだ。あれ以上男がたかってきたら、どうするつもりだったの? ちょっと目を離したすきに三人だよ? 僕は王族だから付きっ切りにはなれないし、セスは隠蔽魔法を解いてしまうし、放っておいたら、会場中の男を制御しなくてはならなくなるだろう?」

「そんなわけないわよ」

「甘い。甘すぎる。君はそこのアデル嬢とは比べ物にならないくらいずっと美人だし、そもそも性格がいい。かわいい。下心もなければ素直だ。しかも公爵家だ。独身男、全員があなたを狙っている」

本気かと思ったが、本気でそう信じているらしい。こやつ、アデル嬢に失礼だと思わないのか。アデル嬢、毒殺犯だけど。

「殿下……」

弱々しい声でアデル嬢が声をかけた。

復活してきたらしい。

「あ、殿下。アデル嬢が何か言っていますよ?」

話題を変えるチャンスなので、言ってみた。殿下の褒め言葉はイマイチだなあ。美人だとかしか言わないし。

殿下はうるさそうにアデル嬢を見た。

「殿下、お願い。私をお姫様抱っこして自邸の方へ連れて行って」

こら。人に毒を盛っておいて、厚かましいな、そのお願い。毒を飲まされて、息も絶え絶えになって運ばれて行く可憐な乙女の役は、本来は私のはずなんだからね? 犯人がそんなお願いしていいと思っているの? 都合良過ぎない?

だが、殿下はアデル嬢を完全無視した。

「だから、結婚の約束をして。永遠の約束を。あなたにふさわしい男は僕しかいない」

「殿下、気分が悪いのです。死にそうですわ。医者を呼んで」

殿下はアデル嬢をちらっと見た。

「そうだな。うるさいし、医者を呼ぼうか。死んだら困るし」

いや、わたしの命のポーションは絶対だから。絶対、大丈夫。

「ポーシャ、医者を呼んでアデル嬢を助けよう」

殿下が提案した。

「え? ええ。そうね」

なぜ、突然、親切に? さっきの目つきなんか、アデル嬢なんかどこかのごみ箱に捨ててきそうな勢いだったけど。
だけど、ここで医者を呼ぶなって言ったら、人でなしになるのかな。

「死んだら後味が悪いだろう?」

死ぬはずがないじゃないのと言おうとしたが、アデル嬢がうめき出した。

「苦しい!ううう」

「ポーシャ、婚約してくれるなら、アデル嬢に医者を呼んでやる」

「「は?」」

私とアデル嬢がきれいにハモった。

「人助けだ。アデル嬢も死にたくはないよな? ひどい毒なんだよな?」

一瞬、間があったが、アデル嬢が苦しそうな声で元気よく返事した。

「ええと。そう。そうよ! く、苦しい!」

アデル嬢、正直に言いなさいよ。だいぶ良くなってきたって。

殿下に介抱してもらえるチャンスと考えたのね?

「もう、苦しくないのか? 助けて欲しくないのか?」

殿下がアデル嬢に近付いて聞いた。

「殿下。苦しいの。助けてぇ」

殿下が顔を近づけたからって、条件反射すな。

殿下は私の方に向き直って言った。

「ほら、アデル嬢もこう言っている。人助けだぞ。結婚を承諾してさえしたら、侍医を呼ぶ。医者を呼ぶのは反対か? ポーシャ?」

いえ。あの。医者を呼ぶのに、その条件付けはおかしくありませんか?

「まあ……医者を呼ぶのに、反対はしませんが」

「そうかッ」

殿下がソファから立ち上がった。
大きい。狭いガセボの天井に頭がつきそうだ。

「よし。約束だ。覆せない。誓約のキスだ」

殿下がいきなり、ガバリと抱きしめてキスしてきた。

え?

とても強い魔力が流れてくる。
渾身の魔力をこめてくる……

誓約のキス?

そう言えば、あの、誓約のキスって、それって、破れないやつなんでは?
魔力量のものすごく多い者だけが使える、強力で拘束力の強い……そして、魔力が多ければ多いほど、その力は強いと言う……

「ちょっと! 病人を助ける話はどうなったの?」

まだキスが続いている。魔力なのか熱が伝わってくる。体が熱くなって来る。

「いい加減になさいよ、このバカップル! 人前で延々とキスしてんじゃないわよ」

遂に立ち上がったアデル嬢は、残っていたもう一枚のクッションで殿下を殴った。

ようやく私を離してくれた殿下は、ものすごく嬉しそうだった。


「ね? 知ってる? 魔力持ち同士の誓約のキスは……」

それから、彼は耳元で囁いた。

「相手も好意を持っていてくれていないと、続かないんだ。跳ね返される」

私は真っ赤になった。別に嫌いじゃないけど、好きじゃないわよ。

「うれしい。ポーシャが僕を好きだってわかっていたけど、うれしい」

私はアデル嬢のクッションを取り上げると、も一度殿下を殴った。

「わあ。ひどいな。今日二回目じゃない! どうして殴るんだ。僕はこんなに嬉しいのに」

殴ったほうの腕をつかむと、殿下は引き寄せて、もう一度キスしようと身を寄せて来た。

「いい加減にしてよ!」

元気いっぱいのアデル嬢の金切り声を聞き付けて、侍女だの執事だのが大勢駆け付けて来たせいで、二度目のキスは回避された。
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