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第65話 礼儀作法の教育、始まる

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公爵邸に出向くと、闇の帝王様は、額に深いシワを寄せて、仁王立ちになっていた。

黒地に銀の模様入りというお気に入りのマントを羽織っていて、それが風もないのにたなびいていた。
無駄な魔力消費の筆頭にあげたい。

横にはカールソンさんがいつものようにピシッと決まった執事服で立っていた。帝王のとても自由な格好とは好対照である。

「それで、夏の終わりの大舞踏会だが……」

「私は行かないですけど」

えっ? とセス様は叫び、カールソンさんは目をかっぴらいた。

「何言ってるの? 主賓が!」

「主賓?」

「今年の夏の終わりの大舞踏会が盛大なのは、悪獣退治の目処が立ったからっていうのが大きい。毒肉ポーションのおかげで、今後、どこの地域でも悪獣に悩まされる可能性はグッと減るだろう」

「そりゃすごい」

へえ。知らなかった。

闇の帝王ことセス様は、ちょっといらただしげに言った。

「毒肉ポーション作戦の大成功が、今回の舞踏会が盛大な理由なんだ。だから、主賓はポーシャ様なんだよ」

「はあ。そうですか」

私は困った。

「なんで、そんな困り顔なの?」

「だって、全然行くつもりなかったんですよ」

「行くよね? 行かないでどうすんの?」

どう言う訳かセス様が血相変えて詰め寄った。
自分だって、超の付く社交嫌いのくせに。

「殿下がやったことにしとけばいいんじゃないかなと」

「毒肉ポーションの発明料はどうする? それも殿下の手に渡す気か?」

「いいえ!」

カネか! お金は大事だよね?

「いいか? ちゃんと出しゃばって、自分が作りましたってアピールしないと、お手柄なんかどんどん他人に取られてしまうぞ?」

横でバスター君がうなずいている。

「ポーシャ様、間違いなく毒肉ポーションの発明はあなたのものです。ちゃんと世の中にお知らせしなくてはなりません。今回の舞踏会はチャンスなんです」

バスター君が言うんなら、その通りなんだろう。

「ポーシャ様、ご衣装も何もかも、ハウエル商会が全面的にお支えします。父の会長からもくれぐれもポーシャ様に失礼がないように申しつかっています」

「ハウエル商会の今後は、ポーシャ様にかかってるだろう。軍需産業として大飛躍するチャンスだ」

バスター君が控えめに目を下に向けた。

「実家の商会をおろそかにするつもりはありませんが、僕はアランソン家にお仕えしています。ハウエル商会を思う存分お使いください。アランソン公爵家とのご縁を父と兄は心より光栄に思っています」

「そうそう。両家共にすごく利益になる話だよ。よほどの大魔術師でなければポーションの開発などできない。だが、たいていの大魔術師は同時に大貴族だ。商売っ気もノウハウもない。体裁もあるしね。そこへ行くと、ハウエル商会は根っからの商売人だ。コネも伝手もある。量産体制を組むのも、販売体制を作るものお手のものだ。お互いに補完し合うことが出来る」

セス様がすらすらと言った。

「それから、ベリー公爵夫人に頼んで家を取り仕切る女性を呼んできたよ。いよいよ公爵令嬢と言うか公爵当主としての社交界デビューが近付いてきたからね」

私はゾッとした。

「まだ学生ですわ?」

「もちろん、今すぐと言うわけではないが、今回の大舞踏会はその前段階としていいチャンスだ。そのために、彼女をベリー公爵夫人が選んで寄こしてくれたのだ」

来た時から気になっていた。

部屋の隅に、年配のいかにもしっかりした顔の女性がずっと立っていたからだ。

「アランソン公爵閣下」

彼女の声に、私は震え上がった。

この女性こそ、これまで私の人生に存在しなかった、私に礼儀作法を仕込み、監督する人だろう。

普通、貴族の家の令嬢には、必ずこう言う女性がつく。

それは知っている。
だが、これまで相次ぐ毒殺事件のため、使用人を付けられず、礼儀作法はうろ覚え、学校には平民と言う触れ込みで入学して、立ち居振る舞いに関してはお目こぼしで過ごしてきた。

まずい。

私は、今こそ、これまでのツケを払う時が来たのだと悟った。

しかも、おばあさまの仕込みである。
断れない。

「ソフィア・メイフィールドでございます。ソフィアとお呼びくださいませ」

明るい茶色の髪をキッチリと結い、行き届いた隙のない身じまい、美しいアクセントとしっかりした話し方は、いかにも高位貴族の侍女長の雰囲気があった。

「メイフィールド夫人には、内向きの家政の監督をお願いした」

その内向きの家政とやらの中に、ダメ令嬢の私の教育も含まれるんですね。

「メイフィールド家は三代前のアランソン公爵家と縁続きだ。おいおい侍女たちも入れていくので、当主として頑張るようにな」

セス様のお言葉に、私はますますビビった。

「で、まずは大舞踏会だな」

「アランソン公爵家は非常に裕福ですけれど、とりあえずの費用は全てハウエル商会が負担いたしましょう。とびきり豪華で人目に付くドレスと宝石を揃えます。どうかメイフィールド夫人もご一緒にお目通しをお願いできませんか?」

バスター君が言った。

なんかバスター君、できる男だったのか。

貴族の品のあるドレスがどうあるべきかなんて、さすがにハウエル商会ではわからない。

ついでに私もわからない。

メイフィールド夫人が重々しくうなずいた。

「アランソン家の令嬢にふさわしく、品のある豪勢さが必要と言うわけですね。万事、承知いたしました。ドレスメーカーはどちらを?」

バスター君が、小腰をかがめてメイフィールド夫人に近づくと何やら紙を差し出した。

「こちらがベリー公爵夫人がお使いになっていた店のリストで、こちらが最近ルーカス殿下のご指示でドレスを作らせていたドレスメーカーになります……」

バスター君、出来過ぎにもほどがあるわ。

メイフィールド夫人はうなずき、私に向かってにっこりと微笑んだ。

「侍女には心当たりがあります。アランソン公爵家へ行儀見習いしたい娘は大勢いるでしょう」

いや、私の行儀を見習ったら、大変なことになると思う。

「セス様が面接をしてくだされば、邪心の有無はたちどころにわかりますし、安心ですわ」

セス様の特殊能力をそんなところで使っていいの? 国王陛下さえ、使うのに遠慮してるって聞いたことあるんですけど。

私は頭が痛くなってきた。あー、無理。とにかく逃げる算段をせねば。背中に冷たい汗が流れ始めた。

私は早口でメイフィールド夫人に言った。

「当面の体制が決まったら、ご連絡ください。それまでは寮にいます。ドレスは時間がかかると思うので、先にドレスメーカーに手配してください」

メイフィールド夫人がちょっと変な顔をした。

いえ、あの、その、今すぐ、公爵邸に住めって話ですよね? 分かってます。分かっちゃいるけど、心の準備がまだ……

「夏の大舞踏会まであまり時間がありませんわ。少なくともダンスのレッスンは完璧に仕上げなくては……」

ダンスのレッスンは完璧にって、他もあるんですよね。

「とりあえず、寮に置いてあるドレス類を持ってこないといけません。連絡はセス様から手紙をもらえばすぐ行きますから」

ちょっとそれふうに言ってみた。

「それは侍女に取りにやらせますわ。ここから寮へ戻られるのは時間がかかりますから」

彼女は、私が何の魔力持ちか知らないのだろう。

「セス様同様、通信魔法と移動魔法が使えるので、いつでもここへ来れますから。それから、生活魔法も使えるので……」

久しぶりに来たら、公爵邸が埃っぽくなっていた。
どうせ壊滅の沙羅なんか、掃除もできないに違いない。

私が手を動かすと、窓がガタンと音を立てて開き、家中の埃が白い渦になって行儀よく窓から出ていった。
それこそシャンデリアの上に積もった埃も、床の隅に毛玉になっていた埃も。

「まああ」

メイフィールド夫人は腰が抜けそうなくらい驚いていた。

そして台所からは、大声で喚く声がした。

「何でしょう?」

メイフィールド夫人が不安そうにセス様に尋ねると、ため息と一緒にセス様は答えた。

「下女のメアリの声ですね」

セス様が眉間を揉んでいると、雑巾から油の混ざった水をポタポタ滴らせながら、壊滅の沙羅ことメアリが走ってきた。

ちぇ。あの水滴の掃除がまた必要だわ。しかも油か。

「なぜ、雑巾なんか一緒に持ってきたのです?メアリ」

「違います、メイフィールド夫人。私の名は、壊滅の沙羅……」

ああ。本気で役に立たない。
メイフィールド夫人が気の毒だ。

ここでバスター君が丁重に誘ってくれた。

「それでは、ポーシャ様、本日は、ハウエル商会へお越しくださいませんか。今後の大舞踏会についてハウエル商会がバックアップできる点をご説明させていただいきたいと会長と副会長が申しております」

「バスター君がそう言うなら」

私は馬車に乗り込むことにした。まずは、自分の家から脱出しなくては。

淑女教育だ? とんでもございませんわっ!
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