【完結】公爵令嬢の育て方~平民の私が殿下から溺愛されるいわれはないので、ポーション開発に励みます。

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第59話 殿下、媚薬を浴びる

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言わなきゃよかった。

私は殿下の顔を見た途端に後悔した。

彼は砲弾を撃ち続けていた時の顔に戻った。

冷たくて無表情で、目的のためには手段を択ばない、そんな顔。

あのう、私は殿下の一ファン。敵に向かってその顔を向けている時の殿下が大好きなんです。でも、私に向かって、その顔を向けるのはやめてください。怖いんで。

「なぜ?」

温度を感じられない声で殿下は聞いた。

「なぜ、婚約した?」

ノリと突っ込みで……ではない。
うむ。ヤバい。殿下はセス様を解雇していないし、新しい侍女はまだ決まっていない。
本人が戦場へ出かけてしまったから、この婚約を知る由もなかったわけで、当然だけど、これだけ頑張っている殿下を見ると、なにやら申し訳なくなってきた。
いま、考えると傲慢だったかも。

「セスか」

目の前の男を見ていると、ものすごいエネルギーを感じる。
ヤバい。超ヤバい。

婚約者にするなら、バスター君の方がよかったかも。でも、バスター君だと、この調子だと、夕方までに死体になってそう。

殿下の実力はそんな甘いものじゃなかった。

セス様でギリギリだ。

セス様が言っていた。殿下に攻撃されて持ちこたえられるのは自分しかいないだろうけど、勝てるわけではないと。

「セスを好きなのか」

どこか苦し気な聞き方。

ええと、あの。

私が悪かったです。本当に悪かったです。理屈はわかりませんけど、本能的に理解しました。

真実には真実を。私は誠実ではなかった。

弁解できない。説明できない。説明したら、余計まずそう。


「ポーシャ……」

殿下の手が伸びて、私から媚薬の瓶を取り上げた。

「それ、媚薬だったな」

あ、開けないで。それは魔獣専用で人間には効かない。人にとってはただの毒。

「そんなことはないさ。これは魔力に作用するんだ。魔力のある動物、人間にだってよく効く。セスだって知ってただろう。見ればわかる。だから保護魔法が必要だったんだんだろう」

殿下は封を切った。

「止めて!」

「毒は食べない限り安全だよ。少しは漏れ出すかも知れないけど」

ビンは割れて、土の上にシミを作った。

「お願い、殿下、移動して! ここを離れて」

何をしているの? 殿下? 媚薬を嗅ぎつけて、悪獣たちがいつ現れるとも限らないわ。

絨毯の上に座っているのは殿下だったから、殿下が操作してくれないと、ここから動けない。

「ポーシャ」

殿下が私の手を捕まえた。手から腕、肩、背中を抱いて言った。

「ほんとに媚薬が効いたらどうしよう?」

殿下が薄く笑いながら言った。

「そしたら、君が僕を求めてくれるかも知れない」

殿下は笑っていたが、目がちょっと怖かった。

そんな理由で媚薬を撒いたの?

私たちには効かないのですよ?

「殿下、正気なの?」

「事故だな。僕のせいじゃない。こんな戦時中に事故はつきものだ」

私はゾオオオっとした。

殿下は目をつぶって、首筋に顔を埋めている。

「いい匂いだ。他のことが考えられなくなる。こんなに細いとは思ってなかった。力を入れたら……どうとでもなりそうだ」

いい匂い? 大丈夫じゃないよ、これ! 私、汗臭いだけだよ!

悪獣向けの媚薬は即効性だ。普通なら、直ぐ効果が現れる。多分、悪獣にとってはすごくいい匂いなんだと思うけど、殿下も変なことを口走り始めた。

心中でせわしなく警戒音が鳴り響いた。

私は絨毯を操れないわけじゃない。

私に媚薬が回って来る前に、動かせば、安全な場所へ移動できる。
殿下がこんなに媚薬に弱いだなんて考えていなかった。それとも私の保護魔法が効かなかったのかしら。

「好きになってくれ。どうしていつも逃げていく。嫌われているのか。どうしてだろう」

いえ、嫌ってなんかない。
でも、今、殿下は様子がおかしい。
早くこの場を離れないと。
移動式の絨毯の操作方法……

「ええと、鍵で動かすのよね。次のポイントは……」

ガサリと葉っぱを踏む音がした。

私はびっくり仰天してそちらを振り向いた。

悪獣だ!

初めて見る。形はネコ科の動物のどれかなのだろうけど、私には種類はわからない。

だけど、すごく大きいことはわかった。

背中にたてがみが生えていて、目は黄色だった。私たちを見ている。
そして何よりまずいことに、体中から湯気が出ていてそれが渦を巻いていた。魔力の渦だ。

私は声が出なくなって、固まった。

あれはダメだ。私では勝てない。

今、持っているポーションは媚薬と毒のコンビネーション、それだけだ。あと、万一に備えて命のポーション。

媚薬に酔っている殿下は頼りにならない。

ふふふと低く笑う声が後ろから聞こえた。媚薬に酔って、余裕をかましている殿下の声だった。

次の瞬間、赤い閃光が流れて、悪獣は腹を裂かれて倒れていた。

「大きくても小さくても一緒だよ」

私は振り返った。

殿下は悪い笑いを浮かべていた。

「なるほど。この媚薬、本当に優秀だな。こんなに簡単に悪獣の方から来てくれるだなんて。この方が効率がいい。遠くからだと、命中したのかどうか心もとなくて」

「殿下、あの、殿下」

私は殿下の腕の中で身もだえした。動けない。
動くわけにもいかない。殿下のそばを離れたら、多分命ない。

「本当にいつまでも、いつまでも言うことを聞かない」

殿下の指が肩に食い込んだ。

「君を抱きながら、悪獣退治が出来るだなんて最高だ。君の匂いに酔いそうだ」

そう言うと、今度は首の前側に鼻を突っ込みに来た。

普段なら張り飛ばすところなんだけど。わたしは顎の下をねっとりと移動する殿下を堪能させられた。熱心に、そして優しく。

あああ。私はなんて物を作ってしまったのだろう。

殿下、早くここから移動して。

「わあ、ちょっと! もう一匹! あそこに出た!」

それは前のやつより一回り大きかった。もう、私は殿下の胸に縋りつくしかなかった。

「三匹だよ」

殿下は冷静に訂正するが、丁寧な愛撫は続く。余計怖い。そして彼は、ものすごくぞんざいに適当に閃光を飛ばす。

「ギャアアアアアー」

悪獣の断末魔の悲鳴が、森を震撼させる。
これまで毒撒きはしても、魔獣と直接対決することはなかった。
新鮮!……とか言うより、すごい怖い。迫力がありすぎる。悪獣の断末魔の声は聞いていて、心が冷える。

「お願い殿下。移動して。次のポイントに移って」

私は哀願した。

殿下はニヤリとした。

「次のポイントはもう、塔の家だよ。嬉しい?」

「全部のポイントを回ったの?」

「全部じゃないよ。まだ三か所くらい残っている」

私は悩んだ。全ポイント制覇したいけど、殿下は完全に媚薬にやられている。

確かにポーション作りの私の方が、媚薬には耐性があるのかもしれない。保護魔法は完ぺきだったはずなんだけどなあ。

だけど、このままの殿下は危険だ。殿下が、酔い過ぎて悪獣を倒せなくなったら、共倒れだ。

「殿下お願い」

私は殿下に取りすがった。殿下は私から手を握ったので、びっくりしたらしかったが、目が蕩けた。

「あの塔の家の部屋は温かかった。きっと君も居心地いいと思うよ。一緒に行こう」

彼はしっかりした手つきで絨毯を操作した。最後に数匹の大型魔獣が襲いかかってきたが、振り向きざまに始末することも忘れなかった。

「邪魔な奴らだ」



ドサッと音がして、この前、彼に貸し付けたレイビックの塔の家の部屋に戻ることが出来た。

「ポーシャ」

だが、殿下は手を放してくれていなかった。

「愛している」

媚薬の酔い覚ましを作らなかったのは、私の手落ちかも知れないけど、そんなこと考えもしなかった。だって、悪獣が媚薬狂いになってくれれば、その方がいいのだもの。

人間にも効くだなんてこれぽっちも思っていなかった。一応、山羊先生渾身の研究を駆使して作成した、満を持した確実なポーションのはずなのに。

「あの山羊、全く役に立たない」

私は、殿下に手をなめられそうになりながら、歯ぎしりした。

ストイックかつ冷静な殿下像が木っ端みじんだ。私の推しを返せ。

厳しい表情の殿下が、いまや蕩けそうな目をしていた。

人間にも、ここまで効果があるとは思わなかった。私は平気なんだけどな。おかしいな。

油断していると、殿下に抱きこまれたまま、簡素な狭いベッドに連れ込まれた。体の大きな殿下に本気で抱き込まれると、抵抗する術もない。

「殿下、離して!」

「嫌だ。また、どこかに行って、僕の知らない人と会って、知らない何かをやって夢中になっているんだろう。僕をそこへ入れてくれ。君の大事な人に混ぜてくれ」

すでに殿下は、私の友人だ。大事な知人だ。

そう言うと彼は、惨めなくらい打ちしおれた。

「そうじゃなくて! 僕だけを大事にして欲しいんだ」


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