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しおりを挟む勇者だけど魔王城を目前にした森の中で、得体の知れない生き物に足を捕られた。
そいつは植物の蔓のような緑色のものを数えきれぬほど出して、細いものから太いものまで形も様々な長さのあるそれをヌメヌメと粘液を纏いながら蠢かしていた。
いや俺だって、魔王城の近くまで来たことだし、油断ならないことは百も承知していた。
だから警戒を怠ったつもりもなかったし、防御魔法だって完璧にかけていたつもりだ。
だが、誤算は仲間がいない、ってことだろうか。
「ま、待て待て待て……っ、ああああああああっ」
ぐるりとひっくり返った視界に、ぶらつく体。
太い蔓のようなそれが俺の足首にがっちり巻き付き、いともたやすく俺を逆さに吊り上げる。
ゆら、ゆら、と揺れる視界に万歳状態の逆さの俺。
ポケットに突っ込んでいた小型の武器やら薬草やらその他諸々がバラバラと地面に落ちていく様を死んだ目で見送った。
背負っていた大剣は既に自由自在に動くこの蔓に剥がされている。
「詰んだな……」
うん、詰んだ。
◇
事の始まりはこうだ。
俺、勇者ミカはとにかく貧乏な家庭に生まれた。
母親は娼婦で昔はそれなりに稼いでいたようだが、年齢を重ねるごとに全盛期のような収入を得ることはできず、かといって慎ましく暮らすこともできずにいて日に日に貧困に喘ぐような生活となった。
母にとってその仕事は、おそらく彼女の中でも最低なものには違いなかったんだろう。
物心ついたときには、母は仕事を終えるたびに酒を浴びるように飲んで、この世への呪いを吐くように悪態をついては泣く日々を過ごしていた。
そういう時、彼女は決まってじっと俺を見つめ、言うのだ。
お前は結婚すると約束していた男とのあいだにできた子だ。あの人は強くてやさしくて、すべてが完璧だった。そうさ、ただ、信じた私がバカだっただけ。わかるよ。誰も娼婦なんかと結婚はしない。
男は身重の母を見てそのまま去ったという。
このあたりじゃよくある話だった。特別に俺の環境は珍しくなんてなかった。
スラム育ちの子供がやることといったら大抵決まっている。物乞いから、窃盗から知恵が付けば悪党の一味になって仲間と共に詐欺に恐喝。
例に漏れず俺もその一員となり順調に成長した。
母は俺を可愛がるわけでもなく、かといって無下にすることもなく俺の成長を遠巻きに見ているだけだった。
身体が成長していくにつれ、物乞いをすることをやめた。大人にだまされてその日の金を巻き上げられるのも嫌だったので、学のない中でも必死に学んでは賢いフリを習得した。中でも自分が他人より身体能力が高いと気付いたら妙な自信をつけてしまい、今となってはそれがあだとなったと言っても過言ではないだろう。
体格差のある大人相手の喧嘩にも負けたこともなく、武器を持たせたらとんでもない。適当に念じただけで出る魔法と、驚異の身体能力。
俺は瞬く間にスラムの悪党を統べる、王となった。
金のためならなんでもやった。だが、娼婦だった母のようにはなりたくなかったので色を売るのは極力回避してきた。
そんなある日、勇者試験なるものが国で開催されると知る。
既に成人して毎日悪党どもの面倒を見ていた俺は、この生活にうんざりしていた。
強くて魔法が使える俺に怖い物などなかったが、そのせいで幼い頃から周囲に頼りにされすぎて、結局俺は常に働きぱなしだったのだ。
ドジを踏んで牢屋行きになった仲間を脱獄させたのだって一度や二度じゃない。毎日のように泣きつく手下どもに、それでも同じスラム出身だというだけでかばう日々。金だっていくらあっても足りない。というよりまともな職ではないもので生計を立てていても安定など夢のまた夢だ。
無駄に忙しい日々に遊んでいる暇もなく。
俺は疲れ果てていた。
今や立派な指名手配犯になったのもあり、一度大きな仕事をこなして大金を手に入れ、もうあちこち動き回らず、隠居したい気分でいたのだ。
さて、勇者試験は勇者に選別されるとまず一定の報酬を貰えるらしい。それがまたスラムでちまちま稼ぐ金額より遙かに多く、非常に迷った。
極めつけは魔王を退治すれば、見たこともない桁の金を手に入れられるという。
というより、この世界のすべての国が報酬をくれるので、ぶっちゃっけ好きな国で好きなように暮らせるというまさに安定した未来が約束されていたのだ。
ここで俺は決心する。
勇者になって魔王を倒しこの生活から解放されて、どこかで優雅に一生遊んで暮らそうと。目が金貨マークになってると言われてもどうでもいい。
指名手配犯である俺だが、魔法でいくらでも変装できるのでそうと決めたら勇者試験場に勝手に足が赴いたくらいだ。
とはいえ、試験場に集まっている屈強な男達に囲まれれば、もしかして考えが甘かったのかも、と思うのは無理もないだろう。
なんせ俺は人生が甘くないことを知っている。どんなにうまくできたと思っても、最後には絶対になにか問題が出るのだ。
だからやっぱりスラムから抜け出せないか、と半ば諦め気味で挑んだ試験。
突破することはないだろうと思ったが、神の采配か俺はあっさりその試験を突破したのだ。
そしてその試験、勇者だけではなくその他の能力者も集めるもので、俺の他に召喚士、黒魔導士、白魔導士、聖騎士、が選ばれた。
そして勇者として選ばれた俺と共に、魔王を倒す事を魔王打倒国際連盟から正式に依頼されたのだ。
人生がすんなり上手くいきすぎて怖い。
罠かもしれない、と無意味な警戒をしながら、魔王打倒を掲げ出発した俺とその一行。
そもそもだ。
魔王とは何だ。
簡単に説明しよう。
魔王打倒を掲げている人類だが、残念ながら未だに一度たりとも魔王は倒されていない。
暗黒の時代が訪れる、といわれる所以は、魔王の住む東の最果ての地が徐々に広がり、魔獣や魔物の数が増え続け、人間たちを脅かしているからだ。
つまり領土戦争だ。
魔物の住む世界と人間の住む世界の境界が長い年月をかけ魔物側に侵食されている。
人間界は大いに恐怖した。魔物は容赦なく人を襲う。女子供関係なく、時場所も関係なく。
その凄惨な現場が見つかるたび、人類は怒りをため続けてきた。そうして幾度となく東の最果てを目指して戦いを挑んだのだ。
現時点でも、境界線には多くの戦士が魔物たちと戦っている。
だがその先に入った過去の勇者たちが、人類の住む地に戻ったことは一度もない。
負けばかり続いているのだ。
つまりこういうことだ。
勇者になり魔王を倒せば多額の報酬を得るが、命の保証はない。
愛国心の欠片もなく、人類がどうなろうと知ったこっちゃない俺ではあるが、勇者に選ばれてしまった以上、逃げ道はなく仲間だという彼等と共に東の最果てへと向かうこととなった。
最果て周辺の国は既に魔物の手がついており、常駐している世界中の戦士たちも止まぬ蹂躙に疲弊しきり、すべての魔物被害に対応出来ていない様子だった。
俺たちはそれを片付けながら、魔王を倒すべく日々語り明かした。
いやぶっちゃけ俺はいつも逃げる隙を伺っていたのだが、この選ばれた仲間とやらが中々に厄介で、片時も傍から離れないことに辟易していた。
なんせ俺は強かった。
多分、仲間の手助けなんかほぼ要らなかったくらい強かった。
ここでもスラムにいた頃と立ち位置が大差なくてうんざりしたものだが、俺の強さのせいか余計に仲間が俺から離れないものだから逃げ出すことも叶わず、旅は続いている。
そして遂に境界線を越え、魔物の住む地域に入り、深い森を進み続けていた時だ。
いつものようにテントを張り、魔法で内部を快適に整えた俺たちは、それぞれのベッドで眠った。
さすがに一人部屋にするほどの魔力は使わないが、それでも各自のベッドで並んで寝るのは旅が始まってから決まってる事だ。
常に一緒にいる仲間達には変装魔法をかけ続けることもすぐにどうでも良くなって、というより離脱したいがためにわざと魔法を解いたのだが、誰も俺を騎士団に突き出さなかったので、素顔を晒しても俺はまだ泣く泣く勇者をしていたのだ。
俺は勇者を辞めたかった。
もう魔王とかどうでもよかった。
なぜかって?
そうだ。
意を決して聞いて欲しい。
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