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第1章 祝言の日

1.祝言(困惑する人々)

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1576年(天正4年)、長浜城下のひとつの長屋にて祝言が行われた。

新郎は、長浜城主羽柴秀吉小姓の加藤虎之助。

元服を終えたばかりの15歳、幼さの残る面影だが、体躯は6尺(約181㎝)を超える大柄で、主君であり又従弟《はとこ》である秀吉からは、将来羽柴軍団の柱を支えになって欲しいという期待をかけられる若者である。

当時の一般男性の平均身長は、5尺1寸(154㎝)であった為、初めて虎之助と出会った人は空想上の鬼の様なからだと表現する者がほとんどだった。

新婦は、近江名門の武士山崎片家の息女、篠(シノ)17歳である。

シノは、名門山崎家の名に恥じぬ様に幼少期から大名の側室になれる様にと厳しい花嫁修業をされており、料理、裁縫さいほう、家事は非のつけようが無い娘であった。

シノの身長は、5尺(151㎝)と当時の女性の平均ぐらいの身長であったが、二人が座って並ぶと虎之助が大きすぎる為、非常に小さく感じられた。

実はこの時、新郎新婦、いや家族共々全員心に不安を抱えていたのである。

祝言は、秀吉の気遣いも有り、祝いものや、両家の多くの親戚が集まり、長屋で行われる祝言の中では一番華やかな祝言となった。

新郎虎之助にとってその華やかさは、秀吉の虎之助に対する期待の裏返しである。

祝言の間、虎之助は秀吉の心遣いについては感謝しながらも、その期待に応える自信が無かった為、正直この場から逃げ出したいという気持ちを必死に抑えていた。

(俺は、もともと刀鍛冶の子、名門の氏族の娘なんかと祝言できる身分じゃないし、躰がでかいだけが取り柄の男なのに、なんでこういう事になったんだろう。)

心の不安は、顔に出るものである。今の虎之助の顔は、マバタキが出来ない魚の目になっていた。

虎之助は、そんな不安を紛らわす為に、何時も心の何処かで頼りにしている母の伊都(イト)の座っている方向に目を向ける。

母の顔を見て、少しでも落ち着こうとした虎之助であったが、母の顔をみてその考えを諦めざるを得なかった。

何時も凛としている母イトの目も瞬きしない魚の目になっていたのである・・・。

虎之助は、3歳の時に父を病気で失い、母一人で育てられた。

母イトは、時には男親の様に厳しく、愛情を持って育ててくれた。

もともと、刀鍛冶の家系は、母で、足軽であった父が戦で傷を負い、戦場に出られなくなった父をしゅうとの祖父が不憫に思い、刀鍛冶として修業させていたのである。

刀鍛冶の長女で生まれたイトは当時の女性で有りながら、刀鍛冶としては一流の腕を持つ、男まさりな聡明な女性であったが、身分制度があるこの時代、身分とは変える事のできない宿命として捉える事が常識であり、身分を越えて結婚する事はほぼ皆無であった。

イトは、自分が生んだ虎之助が、武家の名門の息女と祝言を挙げている今の状況を現実として受け入れる事が出来ず、ショックで意識を失わない様に必死に目を開けていた様な状況であった。

一ヵ月前、家を訪れた従妹のなか(秀吉の生母)に、トラに嫁さんを紹介してよいかと聞かれたので
軽い気持ちで、『あの子も15歳だし、そろそろ、良い子(器量がの意)がいたら紹介してえ、ナカちゃん宜しく。』と応えてしまった。従妹のナカは、イトの意を酌んで、息子の秀吉に器量の良い子でも紹介してやれとっそのまま伝えた。

秀吉は、農民の出自である自分へのコンプレックスから、名門の血筋に憧れを持った男であった為、この良い子という言葉をわざと解釈をかえた。

期待する又従弟に、とびっきりの名門の子を引き合わせたのである。

(ナカちゃん、良い子紹介してといったのは、器量が良い子で。家柄の良い子の意味ではなかったの、 トラ、ごめん、私、伝え方間違ったみたいです・・・ごめんなさい。だけど、この娘さん、顔も可愛らしいから・・・許して)とイトは心の中で息子に詫びていた。

新婦のシノも、加藤家の母子と同様に祝言の主役の一人になっている自分が、夢か現実うつつか理解できないような状況であった。

17歳の娘の自分が未だに輿入こしいれできていない状況を周囲が心配していた事実と、又彼らの焦りも当然の事と理解していたが、まさか名門である山崎家の娘である自分が、小さい長屋で祝言をする日が来るとは、夢にも思っていなかったのである。

突然決まった祝言、挙げた後の自分はどうなるんだろうと考える間もなくその日が来たというのが実感であった。

しかも彼女は、今この時抱えている不安は、今後の自分の人生がどうなるのかという漠然とした不安ではなく、隣に座った新郎の想像以上の大きな体躯たいくに驚き、恐怖に似た感情を必死に抑えていたのである。

(わたし、まさか食べられるのかしら・・・、鬼みたいな体して、何を食べたらこんなに大きくなるのかしら・・・父上、こんな祝言の話を受けた事、心底恨みます・・・。)

打ちひしがれた気持ちになったシノが恨んだ目で祝言に参加している父をチラッと見ると、父も顔面蒼白で新郎を見ていた。父も、その時間とき、シノ以上に動揺していたのである。

シノに恨まれた父片家は、戦国の世に翻弄ほんろうされながらも主君を何度も変え生きた人物である。

もともと、近江の六角氏に仕えていた彼だったが、娘婿むすめむこ(シノの姉の夫)が主君に殺された事で、主君を見限り、六角氏の領土へ信長が攻め込んだ際に早いうちに信長に寝返り仕えた武将だった。

虎之助とシノの祝言が行われたこの年は、信長に仕える様になってから日も浅く、織田家の中ではまだまだ新参者であったといえる。

シノの姉の事もあってか、結果的にシノが他家へ送る事に消極的になり、結果シノの婚期は遅れた。

当然、織田家中に親しい者等おらず、今後の為、織田家の中で必死に人脈を作ろうとしていた矢先に、羽柴家よりこの祝言の申し込みの話が来たのである。

加藤家という名、状況については、一度も耳に挟んだ事が無かったが、聞けば織田家重臣羽柴秀吉の御母堂の親戚筋であるとの事で、この縁談をきっかけとして織田家での立場を構築したいという期待があった。

当然シノが、当時の晩婚の年になっていた事も理由の一つだった。

羽柴家の申し出に快く承諾した彼だったが、秀吉の弟でもある羽柴秀長より、大男とは聞いていたが、その想像を超える程虎之助の体躯は大きかった。

(トラじゃない、クマだ、俺は娘を、クマにやるのか、愛するシノをクマに、シノごめん)

この身分の違う家同士の結婚が、上手くいくとは、その場に居合わせた家族誰もが想像していなかった。
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