鍵の海で踊る兎

裏耕記

文字の大きさ
上 下
16 / 50
第二章 近づく夏

16th Mov. ピアノと両親

しおりを挟む
 僕のピアノをやりたい宣言から、話はコロコロと変わり、僕の子供時代に思いを馳せている両親。
 二人は懐かしがっているけど、僕としてはそこまで昔の記憶はない。

 それよりも大事なことは、父さんがピアノを習うことを許してくれるか。それ一点のみだった。

「ただな、だからと言って承諾したわけじゃないぞ」
「うん……」

 昔を懐かしむ空気が終わり、放たれた父さんの一言。
 何とかして、ここからピアノを習う許可と、出来たら資金的な協力を得たい。
 ここからが正念場だ。

「まず第一に、グランドピアノなんか置けるか? うちに」
「へっ? ああ、そうだよね。ピアノ教室にあったのはグランドピアノだったから、候補に入れていたけど、そもそも置くところを考えないといけなかったか。片づければ僕の部屋にも置けないかなって。練習するのにも便利だし」

 思っていたより、砕けた調子で投げかけられた質問。
 父さんは怒っている感じでもなくて、否定している感じでもない。

「二階にグランドピアノなんて置けるか! ウチは家が古いんだから床が抜けるぞ! 置く場所を考えても一階の客間しか選択肢が無いのだから、グランドピアノは諦めなさい。グランドピアノを客間に置いたらスペースが無くなる」
「それはもう。そもそも、そんなお金も無かったし、無理だと思ってたよ」

「なら良い。次に、どこまで本気なんだ? 塾の勉強が始まったら、ピアノ優先などは許せんぞ? ピアノに打ち込めるのは一年くらいだ。拓人《たくと》のやりたいことを考えれば、たった一年では時間は足らんだろう。それでも数十万かけてピアノを手に入れたいのか?」
「正直、難しいならキーボードでも良いと思ってるよ。数千円くらいでも買えなくないし。今はとにかく、やってみたいって気持ちが強いんだ」

「駄目だ」

 この話になって初めての明確な拒絶。
 とにかくやってみたいという言葉が思い付きの行動に聞こえたのだろうか。

「お前はどこまで本気なんだ? 一年しかない時間なら家でも必死に練習するんだろう? 安物のキーボードで上手くなれるのか?」
「そうは言っても、現実的に考えたら、それしかないし……」

「その場しのぎで安易な結論に流れるんじゃない! お前がやりたかったのはピアノを習うことじゃないだろう。ピアノで人の心を動かせるようにしたいんじゃなかったのか? そんな人間が、おもちゃみたいなキーボードで良い訳ないだろう!」
「しょうがないじゃないか。今、僕には安物のキーボードを買うくらいのお金しか無いんだから」

「良いか、拓人。仕事って言うのは、技術や熱意も大事だが、道具も大事なんだよ。道具に拘らない人間に一流の仕事は出来ない。父さんはそう思ってる。話を聞く限り、技術で人の心を動かした同級生の子は一流なんだろう。それを目指すなら、道具も相応の物でないと厳しいぞ」
「言いたいことは分かるんだけどさ……」

「今日の今日で、アップライトピアノを買ってやるとは言えん。まず、その同級生の子かピアノ教室の先生に、どのレベルの物が必要か聞いてみなさい。無知な父さんたちより、詳しい人の意見の方が当てになる」
「わかった。聞いてみるよ」

「楽器の話はそれからだな。拓人が本気なら月謝くらいは出してやる。ただし、来年の塾の話は、決定事項だ。来年もピアノをやるなら趣味程度にしろよ。許せるのはそこまでだ」
「本当に⁉ ありがとう! まさか、そこまでしてくれるなんて思ってなかった」

「親なんだから、そのくらいはするさ。話はこれで良いか? 俺は風呂入ってくる」

 父さんは、頭を搔きながら恥ずかしそうに話を切り上げて、リビングから出て行ってしまった。
 いつもは自分で片付ける食器もそのままで、お茶もグラスに残ったままだ。

「まだお風呂湧いてないのにね。廊下で待つ気かしら? 慌てて裸になってなきゃ良いけど。父さん、拓人に感謝されるのに慣れてないから、恥ずかしかったみたい」
「そういえば、まだ風呂が沸いたメロディーが流れてないね。父さん恥ずかしかったのか」

「拓人は普段から私たちに甘えること少ないし、心の内を話すようなことも無いでしょ? お父さん、それが嬉しくて張り切っちゃったのかもね。きっと、仕事論みたいなことを言ったから、後になって恥ずかしくなったんでしょ」
「そういうもんかな。まさか月謝まで出してくれるとは思わなかったよ」

「昔ね、お母さんが拓人にピアノを習わせたいって言ってたの。拓人は、ピアノは嫌だって珍しく愚図ってね。話は流れちゃったんだけど、お父さんは結構乗り気だったのよ」
「そんなことあったんだ。全然記憶ないけど、いつの話?」

「三歳くらいのころかな?」

 まさかそんなことがあったなんて。もしかすると、うさぎピアノ教室に通っていたかもしれなかったんだな。そうしたら、伏見さんや神田さんとも出会っていたのかもしれない。
 もちろん、駅前まで行かないで近所のピアノ教室に行っていたら、出会うことも無かったんだろうけど。

「知らなかった。それが今になってか。分からないものだね」
「そうね。お父さんピアノのこと詳しかったでしょ? 当時も結構調べていてね。子供部屋にピアノは置けないかとか、リビングならグランドピアノが置けるんじゃないかって計画してたのよ」

「だからか。真っ先にグランドピアノが置けないって話だったもんね」
「まさか十数年越しに叶うとは思ってなかったでしょうね。ちょっと興奮してたもの。それより拓人、同級生の女の子って可愛いの? 今度うちに連れてきたら?」

「知らないよ!」

 伏見さんのことを話題にされ、恥ずかしくなった僕は、足早にリビングを出て、自分の部屋に戻った。これじゃあ、父さんのことを笑えないな。やってること同じだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

【完結】箱根戦士にラブコメ要素はいらない ~こんな大学、入るんじゃなかったぁ!~

テツみン
青春
高校陸上長距離部門で輝かしい成績を残してきた米原ハルトは、有力大学で箱根駅伝を走ると確信していた。 なのに、志望校の推薦入試が不合格となってしまう。疑心暗鬼になるハルトのもとに届いた一通の受験票。それは超エリート校、『ルドルフ学園大学』のモノだった―― 学園理事長でもある学生会長の『思い付き』で箱根駅伝を目指すことになった寄せ集めの駅伝部員。『葛藤』、『反発』、『挫折』、『友情』、そして、ほのかな『恋心』を経験しながら、彼らが成長していく青春コメディ! *この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件・他の作品も含めて、一切、全く、これっぽっちも関係ありません。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

Guraduation

後藤千尋
青春
テーマは多様性。 高校2年生の彼らが『ワル』になり 誰かの心を救うかもしれないお話。 元々台本として書いたものを小説に直して書きました☺︎ 筆者の事情により かなーり遅い筆ております すみません🙇‍♀️

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

小江戸の春

四色美美
青春
新入社員の二人がバディとなり、川越の街を探索します。

ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話

桜井正宗
青春
 ――結婚しています!  それは二人だけの秘密。  高校二年の遙と遥は結婚した。  近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。  キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。  ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。 *結婚要素あり *ヤンデレ要素あり

遊星からの少女X

雨宮タビト
青春
「私は宇宙から来た」 クラスのカースト最下位にいる少女、未来からそう告げられた泰輔。 宇宙から来たと名乗る少女の目的はなんなのか。この世界の本当を知る旅が始まる。

処理中です...