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幼少期編
第十話
しおりを挟む◇◇◇その日の夜 国家老屋敷にて(林 蔵人 視点)
「ご家老、二ノ丸御殿より落文が」
俺はご家老の屋敷に着くと、いつものように庭先に両膝を付き、膝立ちの状態で明かりのついている書院に向かって声をかけた。
「またか。今度は何じゃ。京友禅は先日届けたばかりであるぞ」
「はて、私は落文を拾う程度しか能のない男にて」
俺はいつものように過剰に謙り阿呆を演じる。
文の内容など当然のように閲覧している。その内容から、ご家老が打ちそうな手を想定し、己の利益になるよう準備し、それとなく思考を誘導するのだ。
「主に学がないのは知っておるわ。 何を考えているのやら、ゴミの体裁をった文に香を焚きしめておるではないか。非常識すぎて呆れるわ」
確かにそれは俺も思わぬでもなかったが、特に反応はせず平伏したまま文を読み終えるのを待つ。
毎度のことながらではあるが久野の言い草には腹が立ったがな。
国家老ともなれば世襲制で生まれながらに将来が決まっている。もちろん降格することも想像すらしていないだろう。
生まれに恵まれ胡座をかいている男を掌の上で転がすことなど大して難しいことではない。
「…………」
「主は無能だが、妹がお方様付きの侍女のおかげで今の立場を得たぐらいだからの」
「真その通りにて、妹に足を向けて眠れませぬ」
「ふん、林よ、儂が引き立ててやったことを忘れるなよ」
俺は国家老の派閥間で書簡のやり取りや連絡関係を受け持ち小遣いを稼いでいる。
庭番は植木屋とさして変わらない職務のため、下士も下士、家格が最底辺の家臣が担当する。
そのため、俸給は極めて少なく、年に米俵三十俵の扶持を得るのみである。金額に換算して三両ちょっと(現代では年収30万円程度)、農民ですら倍ぐらいの所得はある上、武士としての体裁を整えるための出費もない。
街で職人にでもなれば三倍か四倍は稼げる。我らが正月くらいにしか食えない白米を毎日当たり前のように食っている。なぜこんなにも苦労せねばならぬのか嘆かずにいられようか。
給与として支給された米はすべて換金してしまうが、それでまともに暮らせるわけがない。庶民の四分の一程度にしかならぬのだ。
庭先で小さな畑を耕し、子らが川で魚を取ってこれればご馳走という有様だ。春の今の時期は山に入れば食うものは、得られるから良いものの冬にはそれも枯渇する。
だから庭番の武士たちは困窮するばかりだ。
そういった経緯で、まともに職務だけを行っても食っていけないので、ある者は庭園になる梅をくすねたり、またあるものは花を摘んで街角で振り歩いたりしなければならないのだ。皆が何かしら武士にあるまじき行為をしていかなければ生きて行けない。
俺は運良く妹のお陰でお偉いさんとのコネができたおかげで、割の良い小間使のようなことをしているに過ぎない。馬鹿にされようと生き抜くためには耐えるしかないのだ。
いつか殺してやろうと心には決めているがな。
兎にも角にも不幸中の幸いと言えば良いのか、庭番のような下の下の者は武士連中の眼中にないため、こそこそ色んな屋敷に出入りしていても目立たない。
そしてお役目柄、庭木や薬草などの調達のため、山を駆け回り探し集めている。見つけるまで時間がかかったり、成木を運ばねばならない日は明るいうちに帰る事もできないことがある。
どのような事情があっても次の日に休むことなどできないから夜を徹して山を下るのだ。自然、獣に悟られぬような歩走が身につき、夜目も利く。
そういう下地もあり家老の久野には、いいように使われている。
しかし、しっかり太鼓持ちをしておかねば駄賃が減る。が、癪に障るので話を進めるよう促す。
「もちろんでございます。ご家老のおかげで今の生活を送れております。それにしても此度の文でお方様はなんと?」
「この度、城に登られた四男の進之介様へ意趣返しをしろと書いておる」
「意趣返しですか。ご家老様が手を下されるようなことではないように思えますが」
「大方、下らぬ事で騒いでおるのだろう。女の癇癪で書いた文など読む気もせん。ただ、どちらにせよ日の目を見ることのない四男だ。いずれは江戸かこちらで藩務につくのであろうし、今のうちに鎖をつけておいて損はあるまい」
「確かに。藩務の何たるかも知らぬ若造であれば、これからの教育次第で良い駒になるやもしれませぬ」
「とりあえず外回りをさせるか。郡代につけて連れ回してやれ。領内を嫌というほど歩かせれば音を上げるであろう」
「誰にやらせましょうや?」
「確か年末に郡代に口利きしたものが居ったであろう」
「新任の宮川殿でございますね」
「そやつじゃ。せいぜい嫌がらせをするよう言い含めておけ」
俺は無言で両手を差し出す。
「なんじゃ?」
「そのようなお話は場内では出来かねます。どこぞ人払いできる店でなければ」
ジャラン。銭が投げて寄越される。
「これで良かろう。もう去ね」
「ありがたき幸せ」
久野が去るまで頭を下げ続ける。気配を感じなくなった俺は、投げつけられた銭を拾い集めながら数を数えた。
一朱銀まであるではないか。
「これでうまいメシと酒が飲めるな」
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