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薔薇の令嬢は胃がいたい
しおりを挟む授業と授業の間の短い休み時間のこと。
何気なく窓の外、グラウンドに視線を流すとそこには見知った人間が三人いる。
フォルクハルト様と会長くんと魔力ゴリラだ。
次の授業は三人ともグラウンドで受けるんだろうなぁ程度に考えつつ、私は手元に視線を戻す。
私も次の授業の準備をしなければならないから。
フォルクハルト様が魔力ゴリラと一緒にいるところも見たくないし。
そう思っていた私の耳に、こそこそと話す女子生徒の声が飛び込んできた。
「ねえ、見て」
「うわ」
そんな声だった。「うわ」があまりにも強い嫌悪感を帯びていたので妙に気になった。
いつもなら他人の話し声なんて気にしないようにしているというのに。
顔をあげて声の主を探せば、私の二つ前の席の子の声だったようだ。噂話に興じているのは二人。
そしてその二人の視線はグラウンドへと向いている。
「神々に愛された娘、だったかしら?」
「確かにそう言われていたけれども、ねぇ?」
彼女たちの嫌悪感は魔力ゴリラに向けられたものらしい。
神々に愛された娘みたいなこと言われてたもんな、魔力ゴリラ。
「神々に愛されているとはいえ、あれははしたないわ」
「淑女の風上にもおけないわ」
……いや、あなたの「うわ」も淑女としてはどうかと思いましたけどね。
「フォルクハルト様にべたべたしてたと思ったら今度はバルトロメウス様にべたべたして、ついにはお二人に挟まれてデレデレしてるなんて」
言われてみれば、あの魔力ゴリラは今向かい合うフォルクハルト様と会長くんの間にいる。
確かにデレデレしているようにも見えるが、いい雰囲気には見えない気がする。なんというか、こう……
「フォルクハルト様とバルトロメウス様は少し険悪そうね?」
そう、険悪そうだ。
「フォルクハルト様にべたべたしてたのにバルトロメウス様にもべたべたし始めたから、お二人があの子を奪い合っている……そんな感じかしら?」
「私のために争わないで、みたいな? それが嬉しくてのデレデレなのかしら? はしたないわぁ」
あぁ、なるほど、奪い合いか。そんなシナリオもあったから、そういうことなのかもしれない。
「人目も憚らず男の子にべたべたする子のどこがいいのかしら?」
「本当よねぇ」
私もそう思う。
ここが日本なら人目も憚らずべたべたするカップルなんて珍しくもないんだろうけど、ここは未来の紳士淑女を育てる貴族が中心の学園なのである。
はしたないことは大体ご法度だ。
しかしあの女が許されているのは、神々に愛された娘だから。
別に神々に愛されているからといって他の人たちに崇拝されているわけではない。
ただ怖がられているだけだ。
単純に得体が知れない。そして強いものに弱いものは勝てない。
下手に敵に回すわけにはいかない。
ただそれだけ。
だから本人に聞こえない場所ではこうしてごちゃごちゃ言われている。
「フォルクハルト様には一応婚約者がいらっしゃるのに。本気で略奪するつもりなのかしら」
一応って言うなや。気付いていないかもしれないけど、私、あなたたちの後ろにいるの。
「確かバルトロメウス様にもお相手がいたはずよ?」
「一人で二人を略奪……さすが、神々に愛された娘ねぇ」
「でも重婚は出来ないから、いずれどちらかを捨てるんでしょうね」
「重婚を認めさせるかもしれないわ。だって神々に愛されているんですもの」
二人は刺々しくそう言いながら皮肉っぽくくすくすと笑っていた。
いやぁ、女って怖いなぁ。
関わり合いになるもんじゃないね、なんて考えながら家路を急ぐ。
いやな話を聞いてしまったから、薔薇たちの癒しが必要だ。
ちょっといい魔石の粉が手に入ったから早く皆にあげたいし、今日咲きそうな蕾がたくさんあったから早く見たいし、それからそれから、とわくわくしていた私の瞳にとんでもないものが映った。
屋敷の外にとても豪華な馬車が停まっていたのだ。
とんでもなく豪華な馬車なので、もしかしたらとは思っていたが、近くで見て確信した。
王家の馬車だ。王家の紋章が付いている。
まさかまた私が何かやらかしたのだろうか?
いや、でも第一王子は「次は王宮で会おう」って言って帰っていったしそもそもそんな短いスパンで来るほど暇ではないだろう。
……しかし王家の人がこんなところに来る理由なんてあるのだろうか?
フォルクハルト様が来ていたころだったら第二王子がフォルクハルト様のところに来ることもあっただろうけど……?
びくびくしながらそーっとそーっと温室を目指す。
何事にも気が付かなかったふりをして温室に籠城すれば問題は……だ、ダメだ。
暇ではないだろうと思っていた第一王子がいた。
しかも私が向かおうとしている温室の入り口前に。
入り口前に椅子を置いて、そこに鎮座していらっしゃる。
朝はあんな椅子なかったはずなのでメロディが用意してくれたのかもしれない。
「遅かったな」
「お、ご、あ……すみません」
緊張と焦りで変なことを言ってしまったが、第一王子は気にすることなく一つ頷いた。
「中に入れてもらえるだろうか」
「あ、はい、今すぐ!」
あわあわと焦りながら温室の鍵を開けようと試みるが、手が震えてしまって難しい。
鍵穴ってなんでこんなに小さいの? 前からこんなに小さかった?
「落ち着け」
「はい……」
無理を言わないでほしい。
やっとの思いで鍵を開けて、中に入っていただく。
温室の中には質素な椅子しかないので、今まで彼が座っていらっしゃった椅子を中に運ぼう。
「あぁ、悪いな」
「あ、いえ」
本当はもっと丁寧な言葉遣いをしなければならないはずなのに、私の口も頭も上手く回ってくれない。
落ち着かなきゃ、と自分に言い聞かせていると、第一王子がまた盗聴防止の装置とやらを入り口付近に設置している。
先日見たものよりも大きくなっている気がするのは……気のせいだろうか?
「さて。俺の使い魔が『危険』と探知したものはどこにある?」
危険……あぁ、あのカードか。
「私の部屋に」
「持ってきてもらえるか?」
温室にあの危険物を持ってこなければならないのか。
「持ってこられないのか?」
「いえ、その、大切な薔薇に近付けたくないのです」
「なるほど、確かにな。ではこれを使え」
そう言って第一王子が差し出したのは革製の袋だった。
「その袋は魔力を遮断する。万が一薔薇に悪影響を与えるものだとしてもその中に入れておけば問題はない」
「分かりました。持ってまいります」
私がこくりと頷くと、第一王子の左手が動く。
その動きに合わせるように、使い魔の赤い蝶が私の頭に止まった。ついてきてくれるらしい。
急いでクローゼットの奥から例のカードを取り出し、さっきの革袋にそれを突っ込む。
それにしても、第一王子がすっ飛んでくるくらい危険なものだったのか、このカード。
そんなことを考えながら急いで温室に戻ると、温室からメロディが出てきたところだった。
「テーブルを運んでおきました。お茶は断られてしまいましたが」
「ありがとう」
メロディにお礼を言ってから温室へと足を踏み入れる。
「持ってまいりました」
「ああ、袋ごとテーブルの上に置いてくれ」
「はい」
「……長くなるかもしれない。とりあえず座れ」
「はい」
小さく返事をして、言われるがままテーブルの上に危険なカードを入れた革袋を置き、自分が普段使っている簡素な椅子に腰かける。
するとテーブルの上に透明の膜のようなものが張られた。
大きなシャボン玉のようでとても綺麗だ。
「結界だ。この中なら魔力が漏れることはない。……まぁ、漏れてマズい魔力は持っていないがな」
危険なカードではあるものの、薔薇に悪影響を及ぼす魔力は持っていないらしい。
「……漏れることはないが、吸われるな」
……吸われる?
「いつから持っていた?」
「えっ、えーっと……その、結構前です」
咄嗟に雑過ぎる返答をしてしまい後悔しかない。
「……あぁ、お前は、そうか」
紫の瞳がこちらを見て、何か納得したように頷いている。
何の説明もなしに勝手に納得しないでほしい。怖いから。
「どこで手に入れた?」
説明は!?
「えっと……、道端で苦しそうにしていたご婦人を助けた時にいただきました」
「そりゃあ強制的に魔力を吸われていれば苦しいだろうな」
「強制的に魔力を吸われる……?」
私の小さな声の呟きに、第一王子はこくりと頷いて、結界の中でカードを一枚引き抜いた。
星のカード……悪いカードじゃなくて良かった。いや、今は多分関係ないけれど。
「このカードに刻まれた文様、ここに魔石が使われている」
「魔石が?」
「粉にした魔石を巧妙に加工して、簡単に言えば貼り付けている」
まじまじと見てみたが、ただの文様にしか見えない。
「この魔石は、人間の魔力を吸う」
「魔力を吸う魔石……」
「体内に魔力が増えすぎる病気があってな。その治療に使われる魔石だ。だからこれ自体に問題があるわけではない」
以前魔石の本を読み漁っていた時にそんなことが書かれていた気がする。
精神的疲労が重なったりすると一時的に魔力が増えすぎてしまう、そんな病気があるんだとか。
体調に問題は出ないが増えすぎた魔力が体から溢れ出すと魔石で動く道具などが誤作動を起こす……と書いてあった。多分。
自分には関係ないと思って適当に読み飛ばしてしまったから詳しく覚えていないけれど。
「問題は目的だ」
と、いいますと? という思いを込めて首を傾げる。
「このカードは医療目的で作られたものではない。強制的に魔力を吸おうとしているわけだからな」
「あぁ、だからか……」
「どうした?」
第一王子は私の呟きを聞き逃さなかった。
「えと、その、このカードが学園内で流行っているんだそうです。流行り出したころから生徒たちの成績が下がったと、先生がおっしゃっていました」
「流行ってる、だと? もう少し詳しく聞かせてくれ」
「私は流行りに疎いのでそれほど詳しくないのですが、王都に有名な占い師がいて、その人が作っているんだと聞きました」
「流行り方次第では、相当な魔力が強制的に吸われていることになるな」
「はい」
第一王子は難しい顔をしながら手元のカードを睨んでいる。紫色の瞳で。
鑑定魔法を使っているんだろうなぁ。
「明確な悪意……。その王都の占い師とやらを調べるか」
どうやらカードに悪意が込められているらしい。やっぱりヤバいカードだったんだなぁ。
「学園内ではどのくらい流行っているんだ?」
「詳しくは分かりません。ただ、ウェラード先生……私の担任の先生以外にも悩んでいる先生がいらっしゃったと思うのでうちのクラスだけではないと思います」
「君の友人は?」
「え? 友人はいません」
「……なるほどすまない」
こちらこそすまないね!
泣いてなんかいない!
「よし。じゃあ出来る範囲でいいから学園内の様子を見ていてくれ。それでなにかあれば報告してほしい。その蝶に俺への伝言だと言えばいい」
「は、はい」
「これは、俺が預かっても大丈夫だろうか」
第一王子はカードをとんとんと指先で叩く。
「はい。怖いですし……」
「そりゃそうだ。調べたらこちらで処分しておく」
「ありがとうございます」
私は深々と頭を下げた。
やった! これで魔力ゴリラと神経衰弱をする日が来るかもしれないと怯えずに済む! なんてことを考えながら。
「それにしても……こんなものが流行るとは」
はぁ、と大きなため息を零しながら立ち上がった第一王子を目で追いながら、私も慌てて立ち上がる。
立ち上がったということは、お帰りになるということだろうから。
「無事でよかったな」
そう言った第一王子の瞳はとても優しい。そして色は青に戻っていた。
「なぜ私は無事だったのでしょう?」
私の問いかけに、彼はきょとんとする。
「……お前は、植物に意思があると思うか?」
「はい」
毎日見ていると思うのだ。薔薇にも機嫌がいい日と悪い日があったり、こちらの気持ちが伝わったりしているんじゃないかって。
「即答したな。そういうところだ」
え、どういうところ?
「薔薇たちは、お前を心底愛している」
「薔薇たちが……」
「植物も魔力を持っているんだ。持っているということは、使えるということ」
「え、そうなのですか!」
「そう。おっと時間切れだ。じゃあな。今度こそ王宮で……いや、うーん……またここに来るかもしれないが……」
うーん……と言いながら、第一王子は帰っていったのだった。
そうか、薔薇たちは私を愛してくれているのか。
「ってことは、両想いね」
手近にあった薔薇をつんつんとつつき、私は目尻を少しだけこすった。
私のことを無条件に愛してくれる存在に気が付いたら、泣きそうになってしまったのだ。
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