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陥落したアラン

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 アランと会うのは月に一度だと思っていたのだが、そうでもなかった。
 彼は特に用もないのにここにやってくる。
 そして私が作ったメニュー候補の軽食やお菓子を摘まんではぼそぼそと愚痴をこぼしている。
 今日はソファでぼそぼそと愚痴か呪詛かを呟きながらクッキーを食べていた。
 あまりにもぼそぼそとしゃべっているので独り言なのか話しかけられているのかも判断できないが、私はキッチンからたまに相槌をうってやっている。
 そろそろお茶のおかわりが必要だろうかとアランのほうを見ると、彼は疲れているのか全体的にだらりとしていて体に力が入っていなさそうだった。
 そんなアランは、子猫たちにとっては格好のおもちゃになっていた。
 こうも頻繁にくるので、猫たちも皆アランの存在に慣れて、子猫たちは彼に懐き始めているらしい。

「お前はなぜいつも俺の手にしっぽを乗せてくるんだ?」

 アランにそう声をかけられているのはサリーの子、ミドリだった。
 よく見たら、ソファにだらりと投げ出されていたアランの左手に、ちょんとしっぽを乗せている。

「なでてもらいたいんじゃない?」

 私が声をかけると、アランはあまり納得がいかないらしく首を傾げている。

「尻を向けながらですか? この白いチビはいつも俺の手にちょっとだけしっぽを添えてくるのに俺の顔は一切見ないのですが」

「なにそれずるい私もされたことないのにそんなこと」

「えぇ」

「私もしっぽ添えられたい。とりあえず背中あたりをなでてあげたら?」

「背中……ちっちゃ」

 アランはそう呟きながら、ミドリの背中を人差し指でちょこちょことなでる。
 するとすぐにミドリが喉をゴロゴロと鳴らし始めたので、やはりなでられたかったのだろうと悟る。

「イリスさん、こいつ声出ないんですか?」

「え? なんで?」

「いや、さっきから口は動いてるんですが鳴いてないみたいで」

「あぁ、それ囁いてる。甘えてるときに出るやつだよ。普段は普通に鳴くよ」

「ふーん」

 よくダイダイもかすれた声で囁いている。私の耳元で。
 耳元で愛を囁くダイダイ超かわいい。

「しかしアランがそこまで疲れるってことはあいつの相手の女は余程面倒なやつなのね」

 一緒に働いているときは表情を変えることすら珍しいくらいだったので、こんなに疲れた様子のアランなど一切目にすることはなかった。
 それをここまで疲れさせているのは、つむじ男ことケヴィンの相手の女なのだという。

「面倒というか注文が多いというか。化粧品を作れとか、こう、布みたいなもので偽物の花? を作れとか、どう考えても専門外のものを作らせようとしてて」

 化粧品と偽物の花……造花ってことかな? まぁ確かに日本の100円ショップにもあったけど、両方とも。
 ……ってことはそいつ、100円ショップのこと知ってるのか?
 私みたいに前世の記憶があるとか?

「イリスさんの後釜に入ろうとしてるらしいし、ケヴィンさんは了承しようとしているし、さらには俺をその人の補佐に置こうとしてるし最悪です」

 可哀想に。
 可哀想にとは思うけれど、私にはどうすることもできない。もう辞めちゃったし。

「あの女のせいで俺の人生設計が盛大に狂ってしまった」

 ……可哀想に。

「ただあの女、好き放題やらかした結果かまだ結婚出来てないそうで」

「そうなの?」

「もう結婚したみたいな顔をしているし、もうすでにケヴィンさんのことを夫だと言い触らしているのですが書類上はまだらしいです。どこで引っ掛かってるのかは知りませんけど」

 このまま頓挫すればいいのに、とアランが小さな声で零した。

「ケヴィンも早く結婚したいでしょうね」

 特に何も考えず、単なる相槌のつもりでそう言ったのだが、私のその言葉を聞いたアランは眉間にとても深いしわを作りながらうーん、と呻る。

「そういえば、そんな素振りは見たことないですね」

「そうなの?」

 アランは眉間にしわを寄せたまま、目を閉じて何かを考え込んでいるらしい。

「ミー」

 考え込んでいるせいでなでる手が止まってしまったから、ミドリが不服そうに小さく鳴いた。

「ケヴィンさん、俺と同じか俺以上に疲れた顔してて……」

 なんだろう。私をクビにしたしわ寄せでもきてるのだろうか?
 いや、しわ寄せがくるのはあいつじゃなくアランのほうだろうけれど。

「そういえば俺、あの人が結婚することを喜んでるとこ、見たことないかもしれません」

「どういうこと?」

 マリッジブルー的なこと?
 それとも元々結婚する気なんかなかったのに結婚せざるを得なくなったってこと?
 どっちにしろ私には関係ないことだけど。

「結婚したかったのはあの女だけだったんですかね?」

「私には分かんない。ねぇ、そろそろムースケーキが出来上がるんだけど食べる?」

「いただきます」

 程よく冷えていた肉球型いちごのムースケーキを二つ、ソファ前のローテーブルに乗せる。私はそのままアランの隣に座った。自分でも味見をするために。
 するとアランはムースケーキをじっと見た後、手元に居たミドリの前足を見て呟いた。

「これかぁ」

 と。

「かわいいでしょ」

「ええ。あと美味しいです」

「良かった。それはメニューに加えよう」

 ダイダイちゃんの肉球は黒いから、黒っぽい食材を探しているところ。
 日本だと黒ゴマとかあったけど、こっちに黒ゴマがないんだよなぁ。

「……それと、あの二人の結婚がまだ先延ばしになりそうな話があるんですが」

「まだあんの」

 その話まだ終わってなかったのか。

「一応部外者にはまだ教えてはいけない話なんですが」

「私めちゃくちゃ部外者ですけど?」

「ほぼ関係者ということで。どうやら、この国のお姫様がルーチェに来るらしいんです。日程はまだ決まってませんが」

 ほぼ関係者とはいったい? と思っている私を構いもせずにアランはそう言った。
 なんか、あの雑貨屋にお姫様が来るらしい。
 城内で100円ショップグッズを使う機会がどこに転がっていたのかは知らないが、あのグッズの便利さを知ったお姫様が感動して店を見てみたいと言い出したそうだ。

「まぁ、いいことじゃないの」

 お姫様が気に入ったというのなら、世間からの評判も良くなるし、そのまま王家御用達の店なんかになれば一気に高級店と同じような扱いになるだろう。
 そう考えると、私が辞めてあの女が間に入ることが良かったことのように思えてきた。
 身内に貴族が居るのと居ないのでは扱いも違うだろうし。

「店だけの視点で考えれば、いいことでしょうね」

「どの視点で考えたらまずいの?」

「あの女の嫉妬心」

 ンー。なるほど。
 私を強引に辞めさせた女だもの、相手が姫であろうとケヴィンに近付く女は許せないとか言い出してもおかしくない。

「とはいえ相手は王族だからケヴィンに決定権はないものね」

「はい。決まってしまえばあの女がどうごねようとお姫様はやってきます」

 めんどくさそう。

「私、辞めといて良かったー」

「正直俺も辞めておけば良かったと思っています。今からでも間に合うかな……」

 アランの目が据わっている。可哀想に。

「ケヴィンは、どう思ってるんだろうね」

「王家御用達になるかもしれないってことは素直に喜んでいるみたいでしたよ」

 あの女が面倒ごとさえ起こさなければ、ってとこかな。
 まぁ私には関係ないんだけどね。

 アランが肉球型ムースを食べ終え、ふとミドリのほうへと視線を移すと、ミドリがぐるると鳴いてアランにお腹を見せる。

「……なんだ?」

「アランのこと信頼に値すると認めたみたい」

「これは、なでても?」

「大丈夫」

 むしろなでてあげなよ、と頷けば、アランがミドリのお腹をやはり人差し指でちょいちょいとなでる。

「さっきからなんでそんなビビりがちななでかたしてるのよ」

「いや、捻り潰しそうで」

「優しくなでれば潰れないから」

 どうやらアランは子猫が小さすぎて潰しそうだと思っていたらしい。
 私は肩に乗っていたダイダイを自分の膝の上に移動させ、もしゃもしゃとなでまわす。

「このくらいなでても大丈夫だしダイダイは喜ぶ」

「ミー」

 ダイダイはまんざらでもなさそうに鳴いていた。かわいい。

「じゃあ……」

 そう言ったアランが、今度は人差し指じゃなく全部の指でなでようとしたその時、ミドリがアランの指にきゅっとしがみ付いた。
 前足も後ろ足も同時に、きゅっと。

「ほ、捕獲されましたけど?」

「かわいいね」

「か、まぁかわいいですが、これは大丈夫なんですか?」

「ゴロゴロ言ってるし大丈夫だよ。とりあえず指が動くならなでてあげるといいんじゃないかな」

 律儀なアランは、指を少しだけ動かした。
 するとミドリの前足が交互に動き始める。もみもみと。

「よかったねぇミドリ」

「ニー」

「やっとアランがなでてくれたねぇ」

「ニー」

 しっぽを乗せて構ってほしいアピールをしていたくらいだからなでてもらいたかったのだろう。

「爪が刺さる」

「そのうち慣れるよ」

「イリスさんは、そいつに噛まれてるようですが……」

 アランがそいつと呼んだのはダイダイだ。

「噛むっていうか、吸おうとしてる」

「吸う……?」

「甘えの仕草の一つだよ」

「なるほど」

 しばしアランがミドリをなでている様子を観察していると、サリーが寄ってきた。
 そろそろミルクの時間だったかな、と思っていると、サリーは無言でぴょんとアランの膝に飛び乗った。

『いい人です』

 ミルクの時間ではなくいい人チェックのお時間だったようだ。

「なんだ? 俺はお前の子に捕まっているだけであって俺が捕まえたわけではないからな?」

 アランは動揺している。

「そんな言い訳みたいなこと言わなくても大丈夫だよ。サリーも別に怒ってないし」

「怒ってないんですか? どうして分かるんですか? 静かに怒っている可能性は?」

 ビビりすぎでは?

「怒ってるときは毛が逆立つからすぐ分かるよ」

『猫は嫌いな人に近付いたりはしません』

 サリーもそう言っている。聞こえるのは私だけだけれど。

「あと猫は嫌いな人にわざわざ自分から近付いてこないし膝の上にも乗らないよ」

「なるほど。じゃあ、なでても大丈夫なんですか?」

「大丈夫」

 アランは己の膝の上に座るサリーの背中をゆっくりとなでる。

『ありがとうございます。イリスさん、アカもこちらに来たいようなので彼の膝の上に乗せてあげてください』

 というサリーの言葉を聞いて、周囲を伺うと、ソファの下にアカが居た。

「よいしょ」

「なんですかイリスさん」

「……いや、この三匹が親子だから、仲間外れは可哀想でしょ」

「なるほど」

 サリーが乗せてって言うから、と言いそうになってしまった。危ない危ない。

「イリスさん、これは……」

 アランがしばらく三匹をなでていると、いつの間にかアランの膝の上に白い猫団子が出来上がっていた。

「かわいい」

「もしかしてですが、寝てません?」

「アラン、この後予定ある?」

「ありませんけど……」

「夕飯も食べていく?」

「……えっと」

「三匹のこと起こして帰ってもいいけど」

「いただきます」

 この日から、アランも猫たちの魅力にずぶずぶとハマっていくことになるのだった。




 
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