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名前を言ってはいけないアレ

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 いつか「この婚約はなかったことにしたい」って言われるんじゃないかと思っていた。いや、今も思っている。
 勇者様は悩んでいたようだったし、いつこの婚約がなくなってもおかしくない。
 だから、ショックを受けないようにイメージトレーニングは欠かしていない。やっぱり嫌だって言われても傷つかないように。
 大丈夫。婚約が嫌だと言われるのは、初めてではないのだから。
 15歳で婚約して現在18歳。約3年間、来る日も来る日もこんな婚約嫌だ、あんな女と結婚なんかしたくない。そんな陰口を聞こえるように言われ続けていた私だもの。
 相手が誰であろうと言われることが同じならいつものことみたいなもの。大丈夫。私は大丈夫。

「セリーヌ、顔色が優れないようだな」

 朝食の席であれこれ考えこんでいたからか、お兄様に声をかけられた。
 今日はお父様も正妃様も側妃様もその子どもたちも、皆朝早くから予定があるらしく、今朝食の席についているのはお兄様と私だけだった。
 弟も妹たちも皆まだ学園に通っているから、何かと忙しいのだ。それに比べてもう卒業してしまったお兄様と私の朝はこんなにも余裕。忙しいのは忙しいんだけども。

「いえ、いつも通りです」
「どこが? 何か悩みがあるのでは? 勇者のことか?」

 どこが? と来たか。見抜かれているようだ。

「いえ、その……今更ながら、タイキ様の婚約者が私でいいのかと不安になっていまして」
「勇者に何か言われたのか?」
「……特に何も」

 結婚していいのかな、って零してたのをうっかり聞いてしまっただけで、前のあの男みたいに嫌だ嫌だと聞こえるようにぐちぐち言われたわけではない。無能だとも無表情だとも言われていない。
 むしろ昔のお宝プライベート写真を見せてもらったり動画を見せてもらったり、昔飼ってた猫ちゃんのお写真まで見せてもらったりした。嬉しかったしかわいかった。出来ればあれを全部印刷してポスターにして壁一面に貼りたい。

「勇者とは、会ってないのか?」
「いえ、パーティーの日以降……ほぼ毎日会っています。結婚後に住む新居のお話だとか、決めなければいけないこともありますし」
「それもそうか」
「でも」
「でも?」
「考えてみれば、特に用事がない日でも、必ず挨拶とちょっとした雑談はしています」

 勇者様は今、王城内のゲストルームで生活していると言っていた。ここを拠点にして魔王討伐の旅の後処理をしているのだとかで。
 もちろん私も王城に住んでいる。
 敷地自体はとてつもなく広いし塔も違うけれど、同じ空間に住んでいるわけだ。だから遭遇してもおかしくは……え、っていうか推しと一つ屋根の下じゃん。今気付いた。まぁこの城めちゃくちゃ広いけど。

「毎日会う約束をしているのか?」
「いいえ。私がいるのを見付けたタイキ様が駆け寄ってきてくださって」

 そう、勇者様は私を見付けると必ず声をかけに来てくださる。
 ほわほわした笑顔で「セリーヌさーん」と私の名を呼びながら駆け寄ってきてくださるのだ。めちゃくちゃかわいいのであれを動画として保存して延々見続けたい。

「ちなみに今日は」
「あ、今日は約束をしたのです。私がお世話している薔薇と小鳥が見てみたいという話しになりまして」
「お前が薔薇と小鳥の世話をしていることを知っていたのか」
「あぁ、そういえば」

 教えたっけ? 推しを眺めることに全力を投じているから自分の話をしたかどうかは覚えていないな。自分なんかどうでもいいもんな。推しを前にしたら自分の存在なんて無よ。無。ちなみに推しは神。

「とりあえず、お前たちの仲は良好のようだな」
「……良好、なのでしょうか?」
「まぁ前のアレに比べれば天と地ほどの差があるくらい良好だと思う」

 まぁアレと比べればねぇ。
 でもなぁ、絶対言ってたんだよなぁ「結婚してもいいのかなぁ」って。

「その様子なら一応大丈夫だとは思うが……今度俺の誕生日があるだろう」
「ありますね」
「で、それを祝う夜会がある」
「はい」

 私が頷くと、お兄様は一度小難しい顔をしてお茶を飲む。
 お兄様がこの顔をしているときはとんでもなく悩んでいるときだ。

「……俺は次の誕生日で21歳になる。よって貴族全員に招待状を送らねばならんのだが」
「そうですね」
「まだ貴族であるアレにも」
「あー……はい。来ますかね?」
「来なければいいなとは思っている」

 王族の21歳の誕生日は『妖精王との約束の日』と呼ばれていて、全貴族を集めて大々的な夜会を開くことになっている。そういう大昔からの習わしがあるのだ。
 それはともかくとして、お兄様が懸念しているのは、アレこと私の元婚約者に招待状を送らなければならないこと。
 大昔からの習わしとはいえ強制参加ではないし、そもそも私になんか会いたくないだろうし、もしかしたら来ないのでは? と思っているけれど、何があるかは分からない。

「来るか来ないかはどうでもいいんだが、もし来た時のためにお前には前もって言っておこうと思ってな」
「ありがとうございます」

 教えてもらっていたほうが心の準備が出来るもんな。

「勇者にも言っておくといいだろう」
「え? あ、はい」

 お兄様の言葉に、私はこくりと頷いておいた。



 
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