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第五章
しおりを挟む「やっほー、三日月さん」
東原夢乃だ。声だけで判断できる。だが、違和感がないこともなかった。いつも通りの明るい声だが、心なしか毒が含まれているように感じるのだ。
尚樹はほぼ無意識のうちに、息を潜めて、耳を澄ませていた。
「……猫かぶり女」
「なあに、それー? もしかして夢乃のこと? やだなあ、自分が素直に甘えられないからって、素直な人をひがむのは良くないと思うな」
「昨日の、聞いていたの? 趣味悪いわね」
「違うもん。尚樹君に挨拶しようとしただけだもん。そしたら二人がお話中で――」
「それで盗み聞き?」
「どこまで夢乃を悪者にしたいの? 邪魔しちゃ悪いかなあ、って夢乃的に配慮したつもりなんだよ。三日月さん、尚樹君と良い感じだもんねえ」
「そんなんじゃないわ」
落ち着いた声だが、僅かに怒りが含まれているのがわかった。名前を出された尚樹も肩身が狭い。
「夢乃は、尚樹君、すごく良いと思うんだけどなあ」
「私はべつに……」
「あはははははははっ。遠慮してるの? あの子に? 妬んでるくせに」
「馬鹿なこといわないで。美桜は私の親友よ」
「でも、憧れって妬ましいってことじゃないのかなあ」
「あんた……ずいぶん性格曲がっちゃったのね」
「なんのこと? 夢乃は素直な良い子だよ。みんなそういってくれるもん。三日月さんってば意味わかんなーい」
あはははははははははは――静まり返った空間に笑い声が響き渡る。
いつも通りの笑い声のようにも思えるが、明らかに棘が含まれている。楽しそうに笑う夢乃の表情を想像しようとするが、上手くできない。代わりに浮かんできたのは、人を見下すような、それでいて泣き出しそうな表情。そんな夢乃は見たことがないし、有り得ないと思う。だが、それが正解だと確信できた。
助けてーーと、ようやく尚樹にも聞こえた。
「夢乃……」
ほら、やっぱり。
彼女は蔑むように実の姉を見ていた。
だが、溢れ出しそうな涙に耐える為に、必死で強がっているようにも感じられる。その目が突然姿を現した尚樹に向けられ、そして、見開かれた。
「え……ど、して」
「夢乃、ごめん。盗み聞きしてた」
「あ、尚樹君……あの、これは、えっと……」
激しい呼吸の音が漏れている。過呼吸を起こすんじゃないかと心配になるくらい、荒い呼吸を繰り返している。息切れ気味に、途切れ途切れに、言葉を繋いでいく。
「そっ……そうそ、ゆ、夢乃ね……あ、のね、三日月さんとお友達に、なりたかったの。で、でも、ちょっと……失敗しちゃった。てへ」
「姉妹なのに、家族なのに、そんな態度おかしいだろ」
夢乃の瞳が一気に目が見開かれた。そして発せられた声は誰のものか理解できなかった。
「あんた言ったの!? 言ったんだ……言ったんだ言ったんだ言ったんだっ。信じられない!! あたしがどんな思いで必死に隠してると思ってんのよっ。母親に捨てられた子供だって言いふらして、あたしを踏みにじりたいの!? そうなんだ!? 信じらんない信じらんない信じらんないっ。あー、そっかあ、ここに尚樹君を呼んで、会話を聞かせたのもあんたでしょ。計算なんだっ。あたしの人生をめちゃくちゃに壊したいんだっ。ううう、あああ、うわああああああぁぁぁああああぁああああああああああああああ」
ぐわあっと限界まで見開かれた目。そこから溢れ出す大粒の涙。悲鳴のような叫び声。
そして夢乃は、その場にぺたりと座り込んだのだった。
初めて見た、夢乃の本当の姿だった。彼女は獣が吠えるように泣き叫ぶ。この場の空気が破裂したかのように思えた。
「おいっ、夢乃、夢乃、夢乃、ゆめのおっ」
何度か呼び掛けて目が合うと、彼女はハッと息を飲み、床に顔を擦りつけた。
肩を震わせ、声を押し殺して泣いている。かすかに声が聞こえる。
「こんな……あたしを、見ないで。どこかに、行って。誰にも、言わないで。おねがい」
夢乃は、おねがい、おねがい、みないで、おねがい、やめて、いわないで、とうわごとのように繰り返す。今にも消え入りそうな声で、必死に繰り返す。
「嫌だ。放っておけるかよ」
なるべく力強い声を心がけた。自分に囚われている彼女に届くように。
夢乃はゆっくりと顔を上げて、ずずずぅぅずずぅっと鼻をすすった。鼻水を垂らしている夢乃の姿が、なんだかとても愛らしかった。
しばらく経ってーー具体的にはどれくらいかわからないがーー夢乃がぽつり、ぽつり、と呟き始めた。
「この高校に来て、びっくりしたの。姉が、いたから。姉はトップクラスの成績で、入学式で式辞を読んでて……それで、そうか、と思ったの。あたしなんかより、ずっと出来がいい。受かるのがやっとだったあたしとは違う。だから、お母さんにも選ばれたんだ、と思ったんだ。だから、あたしはみんなに愛されるように、愛されるように、って、虚勢を張っていたの」
へへへ馬鹿でしょ、と無理やり作った笑顔が痛々しくて、とても見ていられなかった。
驚くべきことに、二人が同じ高校に入学してきたのは、まったくの偶然だったのだ。
それを知っていたら、もう少し、なにかが変わっていたかもしれない。華弥はどんな思いで聞いているのだろうと思って目を向けて、言葉を失った。
彼女は、泣いていた。尚樹が驚いたのは、その顔が夢乃とそっくりだったから。ぼろぼろと流れ止まることのない雫は、床に多くの染みを作っていた。
「ごめんなさい……。夢乃、ごめんね。傷ついてたんだよね。気づいてあげられなくてごめんね、私、あなたのお姉ちゃんなのに……」
ごめんね、ごめん、と繰り返しながら、その場に崩れ落ちた。そうして妹をぎゅっと抱き締める。
「ごめんなさい、お姉ちゃん。ずっとお姉ちゃんって呼びたかった。でも勝手な被害妄想や劣等感が邪魔をしてたの。あたしは要らない子だって、お姉ちゃんより出来の悪い子だって、見せつけられたらどうしようって、そればっかり考えて……」
「もうやめろよ。夢乃は夢乃だろ。誰とも比べるなよ」
「なおきくん、」
彼女の口がゆっくりと動いた。でもなにを言ったのかわからなかった。真っ赤に泣き腫らした瞳から、再び大粒の涙が溢れ出したから。思いっきり声をあげて泣く姿を見ながら、わんわん泣くってこういうことなんだろうな――そんなことを考えた。
「夢乃は、泣き虫だな」
生まれたての赤ん坊のようだった。もしかしたら、今日は彼女が本当の自分を見せた初めての日なのかもしれない。今まで取り繕っていた殻を自らの涙で流しているのかもしれない。
どれほど時間が経ったのだろう。
二人が泣き疲れた頃、尚樹は「一緒に帰ろう」と両手を差し出した。
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