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53 好きか嫌いか

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 余りにも待遇が良過ぎる『出稼ぎ』に戸惑いはしたが、ハイレリウスには感謝しかない。辺境に帰ってからのことは気がかりだが、彼の与えてくれる仕事を自分なりに熟していこう。

 ――そう思い直して屋敷で過ごすことにした、とある日。

「父上と母上は仲良く辺境の奉納祭に出ているから、君がいる間くらいは多分戻れない。私達だけで伸び伸びと過ごせるよ」

 午後の休憩時間に菓子を食べているとき、そんな話を聞いて危うく妙な悲鳴を上げそうになった。

「俺、家主がいない間に、勝手に上がり込んでるってことですか。い、いいのかな……」

 少しびくつきながらハイレリウスに聞くと、彼はにっこりと微笑んで深く頷く。

「私が良いと言っているのだから、良い。そんな心配はしないで」
「ハル様が怒られないなら、いいけど……」
「はは。怒られはしないさ。仮にも命の恩人の君を屋敷に招いたくらいでとやかく言うような人達ではないよ。今のうちに、もっと贅沢を楽しんでくれ。君を屋敷の皆も歓迎しているのだし」
「……贅沢し過ぎて、元の暮らしに戻れなくなりそうだよ」
「そうしたら、私が養ってあげようか」
「えぇ……。俺っ、そんなことされたら絶対に駄目人間になるよ。自分で働いて暮らしたいんだよぉ……」

 眉根を下げて首を振ると、ハイレリウスは「君のそういう堅実で芯のあるところ、好きだよ」と、愉快そうに声を上げて笑った。

「ほらこの焼き菓子、美味しいから食べて」
「むぐ」

 シタンが今しがた食べていたのとは別の菓子を口に押し込まれた。サクサクとした食感の焼き菓子だ。良い香りと甘味が口の中一杯に広がって、幸せな気分になった。

「美味しいだろう?」
「んっ、うん。美味しい」
「このお茶も美味しいよ。少し苦いけれど、それがこの菓子とよく合うんだ」

 勧められた茶を飲んでみると、ほど良い苦みが口の中をすっきりとさせてくれる。菓子だけでは甘ったるくなってしまうが、この茶と合わせればいくつでも食べられそうだ。

「ほんとだ。丁度いいね」
「東の方から取り寄せた茶だ。独特の苦みがあるけれどそれが売りだそうだ」

 雛鳥に餌付けするかのように、ハイレリウスが口の中が空く度に菓子を入れてくる。

「んぐ……。んっ……、自分で食べられるよぉ。もう腹がいっぱいだし」
「こうすれば、遠慮なく食べてくれるかと思ってね」
「遠慮なんかしてないよ……」
「君は少し痩せ気味だから、こまめに食べたほうが良いと思うよ。いつも二つか三つ食べて終わりにするし」
「だ、だって、高そうだし、食べてばっかりいたら太っ……むぐっ!」

 反論した口を塞ぐようにして再び菓子を押し込まれたが、「も、無理だよぉ」と、泣きを入れると流石にそれ以上の餌付けは止めてくれた。

「食べたら庭園を散歩しているし、弓の練習だって沢山しているだろう。十分消化できているよ」
「はぁ。……そうかなぁ……」

 ハイレリウスは屋敷に連れてくる前に『三食昼寝付き』と言っていたが、三食どころか、午前と午後にある茶を飲む時間も入れると五食くらい食べているようなものだ。昼時に狩りで小屋にいないと飯を抜くし、よっぽど小腹が空いたときにだけ干し肉を一枚かじる程度だったシタンからすれば、食べ過ぎなくらいだ。今食べさせられた菓子だけでも、立派な食事になってしまう。

「太ってはいないけど、少し肉付きが良くなった感はあるかな」
「えっ、ほんとに?」
「ああ。少し頬がふっくらしたっていうか……」

 対面の位置にいたハイレリウスがシタンの横合いにやって来て腰を下ろし、「辺境で初めて君と会ったときは、この辺が少しこけていたよ」と、言いながら頬骨の辺りをなぞって両手で包み込んでくる。

「若返った感じがする」
「俺、そんなに老けてたかな」
「そうではないけれど、くたびれた感じがしていたよ。食事の量が少なかったのではないかな。向こうに帰らせた後が心配だな。また痩せてしまいそうだ」
 
 話しながらひとしきり頬を撫でられて、今度は髪に触れられた。「この髪だって、こうは保てないだろうね」と、言いながらきっちりと三つ編みにされた髪を手に取り、その先の飾り結びにされた淡い青の平紐を弄ぶ。

「ウェイド達が張り切っているんだね。前よりも艶が出て、凄く綺麗になったよ」

 甘く微笑むハイレリウスの顔が、間近にある。なんだか知らないがやたらと距離が近い。

「ハ、ハル様」
「ん? なんだい」
「ち、近いよ」

 吐息が感じられそうなくらいに、距離が近くなっている。

「私に近付かれるのは嫌いかな」
「嫌いとかそういう問題じゃ、なくて」
「どういう問題かな」
「……う、ううっ」

 顔がなまじ綺麗なのが悪い。

「ひょっとして、私のことが嫌いかな」
「き、嫌いじゃ、ないけど」
「それじゃあ、好きだということだね」

 なんでこういう流れになったのか。なんだかとても顔が熱い。

「シタン……。私はね、君の律儀で欲のないところか、そういう照れ屋なところとか……好きだよ。矢を射るときの精悍な顔も恰好良くて、とても好きなんだ。流されやすくてかなり鈍いところなんて、すごく可愛いし」
「あ、う……」

 好きだの可愛いだの、言われ慣れていない言葉が色艶の良い唇から次々と飛び出す。こうなると言葉の暴力だ。恥ずかしいのか嬉しいのか分からない。最後の方の鈍いだの流されやすいだのは少し引っ掛かったが、息が止まりそうだ。

「……ハル様、ちょ、ちょっと離れて、くださ……」

 ぐ、と肩を押しても動こうとしない。仕方がないので座ったままで尻をずらして自分が距離を取る。

「なっ、なんでそんな恥ずかしい言い方ができるんだよぉ……」
「あはは! 顔が真っ赤だ。可愛いねシタン」

 顔を覆って呻くように言うと、横合いからげらげらと笑う声と体を大きく震わせている気配がした。人を恥ずかしがらせておいて、そんなに面白いのか。

「おっ、俺、可愛くなんかないよっ!」

 正直、少し腹が立った。両手で覆っていた顔を振り上げて、大声で叫んでしまう。

「はぁ、ふうっ。ああ、いや、悪かったよ。……ちょっとからかってしまったけど、君のことが好きなのは本当だから。これからも仲良くしてくれるかな。辺境へ帰ってしまったら、毎日会えなくなるけど」
「……うん」

 眉根を寄せながらもこっくりと頷く。腹は立ったがそれほど嫌な気分ではなかった。……涙目になっているところを見ると相当に笑ったらしいハイレリウスは、とても楽しそうで、幸せそうだったからだ。
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