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国崩し・東瀬織と悪意の箱のこと

国崩し・東瀬織と悪意の箱のこと39-炎上編-

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 組織が肥大化すると――伝言ゲームが常態化するケースがある。

 電子メールもなかった時代では、部下→上司→更に上司→そのまた上司……と口頭で情報伝達が行われることが珍しくなく、その過程で失われていく情報もあれば、言葉の意味が歪められていくことも数限りなく。

 そういった非効率、非論理的なやり取りで、取り返しのつかない失敗を招いたことも数え切れない。

 しかし、人は歴史に学ばない生き物である。

 今日においても、官民双方で同じことを繰り返している。

 勿論、部下は改善を訴えるが、上が下から指図を受ける謂れはないし、なにより伝統は何よりも尊ばれるものであるから、上司も億劫になって上層部に改善案は出せずに終わる。

 電子メールや書面でやっても同じ結果になる。

 上司が添削もとい検閲して更に上司に伝言ゲームを繰り返す内に、最下層からの切実なる嘆願、報告、発案は消えて無くなる。

 ウ計画が秘密主義を徹底し、各省庁、各企業が何も知らずにバラバラに計画の構成部品を作っていた頃は、この方法で正解だった。

 しかし計画が一定の形を成した頃から、硬直した官僚主義と縦割り構造に組み込まれ、ウ計画は報告、連絡、相談のホウレンソウに著しい目詰まり、血栓的な病巣を抱えることになった。

 だから、剣持からの警告も、いつの間にか握り潰された。

『剣持一尉が政府内にスパイがいるのではないか、と警告しています』

 最初、ウカを介して内閣府の直接の担当主任である菰池志郎に報告がいった。

 菰池は

「ん……そうですか。分かりました、では、上に伝えておきます」

 と、一応は報告を承ったものの、これが伝言ゲームの始まりだった。

 内閣府の上層部、あるいは閣僚の秘書に話が達した辺りで報告の重要性が有耶無耶になって

「そんなことは後にしてくれ」とメールやSNSメッセージが未読のまま放置されたり、「確証もないくせに下っ端が何を寝言をほざいているのか」と軽視されて黙殺。

 結果、政府閣僚は敵勢力にスパイとして懐柔された江田島議員に利用され、全ての事件に致命的な対応を繰り返すことになった。

 政府与党は各支持団体や下請け企業に、ネット上の工作要員を飼っている、

 民意の操作、誘導は程度の差こそあれ、政党や企業は当然のごとく行っている。

 特に支持団体の青年部等の対応部署はボランティアでそれを行う。

 彼らは政党の熱狂的支持者であり、理想と正義に燃えて悪しき思想の根絶のために無料で24時間働いてくれるのだ。

 彼らから見れば政府の意にそぐわないネットの書き込み=悪であり、豊かな想像力を膨らませて敵国の工作員だとか対立勢力のシンパのせいだのと信じ込んで、イノシシのごとき攻撃性を発揮して突撃する。

 彼らは口では自分たちは民主主義だ自由主義を守るための戦いをしているだのと言っているが、やっていることはファシズムの真似事であり、それを指摘されると更に激怒して異なる意見への攻撃性を強めるのだった。

 自分達が正義であり、大義ある体制側だと信じているから、彼らの行動に迷いはなく、疲れはなく、無償で無限に戦うことが出来る。

 古今東西、狂信者とはそういうものだ。

 思想、主義、信仰、それらは極めて低コストで勤勉なる無償奉仕者を作り出せる、最もコストパフォーマンスの良い洗脳手段といえる。

 今回の事件の政府対応にネットが炎上しても、彼らはいつも通りに戦った。

 それが完全な逆効果だった。

 いつもなら数で上回る彼らは容易にSNSや掲示板の流れをモノできるのだが、今回は敵の方が遥かに数で優勢だったのだ。

 スマホのストレージやインターネットクラウド上に保存されていた個人情報、通話記録、写真諸々が総合サポートアプリ〈UKA〉のセキュリティホールから流出した被害者は数千万人。

 〈UKA〉は政府と大手広告代理店が全力で普及させたアプリであり、日本国内に流通するスマホの大半にプリセットインストールされているわけで、その普及率がそのまま被害率に反映された。

 更に、自衛隊の違法出動事件がSNS等で話題になると、自動検閲あるいは運営削除によって封殺された。

 これは火消しを請け負う、政府の下請け企業の仕業だった。

 トップダウンで「いつも通りの対応をしろ」と命じられた下請けは、言われた通りに仕事をした。

 不都合な書き込みを削除し、不適切なユーザーを凍結あるいはアクセス禁止にする。

 これが国民の不信感を増大させた。

 国内のマスコミやインターネットには鼻薬を効かせても、海外メディアには通用しないので、国民は外資系ニュースサイトや動画サイトで自由に情報を得ることが出来た。

 特に動画サイトには、国民の不信感を煽るために敵対勢力が用意した動画がアップロードされている。

 疑念、あるいは怒りに駆られた国民は悪意に満ちたシリコン製のパンドラの箱から溢れ出し、現実世界の国を飲み込んだ。

 理性的に疑問を抱く者、怒りの矛先を探す者、デマに踊らされて人形と化した者、炎上に乗じて自分達の敵を叩こうとする者、騒動自体を娯楽として楽しむ者――これら情報と感情のカオスは、もはや政府の小手先の工作で御せるものではなかった。



 破壊と悪意の熱狂の中――ある官僚は、世の中に変化に気付かなかった。

 ウ計画の全体像と進捗を知る、唯一といって良い人物――田守龍成。

 年齢56歳。一見すると人畜無害な中年官僚。

 しかし目つきは鋭く、場にいるだけで周囲を威圧する雰囲気があった。

 田守は内閣府総合科学技術事務局の局長であり、サポートアプリ〈UKA〉及び人造神ウカの開発運営を担う下層部と、上層部である政府閣僚の間に位置する管理職だった。

 彼の指示一つでウ計画の進行も、それに纏わる金と企業の動きも自由に操作できた。

 そんな自らの立場を利用して、田守は株で莫大な利益を上げていた。

 本来ならインサイダー取引として逮捕されるべき行為だが、ウ計画自体が極秘であり、更に政府中枢に近いことから、立件どころか捜査すら不可能であった。

 そして田守はウ計画の内容にはさして関心もない、放蕩貴族も同然の世襲閣僚議員たちに都合の良い報告をしては、思い通りに機密予算を獲得していた。

 全てを操り、あわよくばウ計画完成の暁には、その権益に食い込むことすら可能な立場――田守は自らの人生の成功を確信していた。

「お坊ちゃん議員もアリンコみてェな木端役人どもも、せいぜい俺の将来のために頑張ってくれよォ~~っ?」

 と、田守は盗み聞きされる心配もない通勤の車中で、良くほくそ笑んでいたものだ。

 田守が注意すべきは、内閣府の人事だけであった。

 自分の足を引っ張る無能、自分の汚職に気付くダボカス、自分の地位に取って代わろうとする邪魔者、これら人生の障害物を弾圧し、粉砕し、排除することだけにエリート官僚としての全能力を注いでいた。

 業務だの国政だのウ計画の進捗だの、そんなことはどうでも良いのである。

 内閣府という狭い世界、仕事場での政治闘争の勝利こそが何よりも優先されるのだ。

 社内政治の、身内同士でのマウント合戦の勝利こそが森羅万象の勝利に繋がるのである!

 歴史上、会議や議論というのは最終的に声の大きい方が勝つ。

 だから、田守は口論の時は大声で、威圧的に声を上げる。

「誰が何と言おうと私はこの案を通す! キミらのやり方は手ぬるい! 全く現実的ではない!」

 そうして相手が根負けして議論をするのを諦めたら勝ちだ。

 論理より感情である。粘りである。そう、粘着質の精神だ。

 自分が絶対に正しいと確信を持っていれば、論理的に間違ったことでも百回、千回、365日叫び続けることが出来る。

 やがて不屈の精神と大声は現実すら覆し、個人的な主張は普遍的な事実となり、組織の規範となって歴史すらも書きかえるだろう。

 マトモな学者、理性的な論客、理論武装した識者にしてみれば「バカと狂人の相手をしても無駄」と呆れて去ったに過ぎないが、議場を後にした時点で敗北なのである。

 こうして無能なエゴイストとその取り巻き達が実権を握る。

 また、田守のような官僚が必然的に持っている特殊能力がある。

 記憶の改竄である。

「私がいつ、そんな命令をした? このプランが失敗したのはキミらの不手際だよ。私にせいにするな」

 古今東西、高級官僚が良く使う究極の護心術だ。

 責任を他人に押し付けるために自分の過去を書き換えて、エリートとしてのプライドを守るのだ。

 悪いのは無能な下々の人間だ。失敗したのは連中が無能だからだ。あいつらにやる気と努力が足りないせいだ。「出来ない。無理です」というのは怠け者の吐く嘘だ。そんな連中はとっとと死ねば良い。

 いつだって、自分だけは何一つ間違っていない――。

 高級官僚のプライドは人の命より重いのだ。

 なので――田守が異常に気付いたのは、二月の半ばごろだった。

 今まで田守の命令通りに動いていた防衛省や総務省が、言うコトを聞かなくなっていた。

「どういうことだ! ちゃんと仕事してるのか貴様ァ……!」

 部下の菰池を呼んで二時間ほど叱責した。

「はい……。その、防衛省の幹部の方々が……被害額が多すぎて……立場を保障してくれないと、これ以上の協力は難しいと……」

 菰池は何とも要領を得ない言い訳を述べては数えきれないほど頭を下げて、真っ青な顔をして帰っていった。

 こういう使えない部下は、今まで何十人もいた。

 そいつらは精神を病んで入院したり、辞表を出して辞めていったり、もしくは電車に飛び込んで消えていった。

 ああいった有象無象は庭の雑草のように無限に生えてくるので、気にも留めない。無能の代わりなどいくらでもいる。

 それから一週間ほどして、今度は田守が叱責された。

 あろうことか官房長官に呼び出されて、ウ計画について厳しく問い詰められ

「このままだと計画の廃止も有り得る! 70年かけても完成しない計画のせいで、今の我々が面倒を被るなど冗談ではないのだよ!」

 想像もしていなかった宣告をされた。

 ここに至り、田守は初めて危機感を覚えた。

 ウ計画が潰れたら、今までの自分の汚職が明るみになる。

 地位も財産も未来も人生設計も、何もかもが台無しになる。

 いったい何が起きているのか。

 事態を把握しようにも下からはロクに情報が上がってこない。

 ただ、巨大な力を持った何者かが世論を操り、政府を追い詰める形で間接的にウ計画を潰そうとしているのは分かった。

 何者か――といっても、大体の想像はつく。

 不穏分子として排除対象にあった、宮元家の連中だろう。

 過去にワケの分からない妖怪だか妖魔だかと戦っていた連中で、現在も独自の私兵集団を擁している。

「だがら! とっとと潰してしまえと言っているだろう!」

 今さらになって、田守は直に電話を取った。

 馴染みの暗殺組織に連絡をしたが――

『冗談じゃありませんよ……。もうウチの若いのが何人も殺られてんだ。他を当たってください』

 とか

『自衛隊でも勝てないようなバケモノども相手に、うちらが何できるってんですかね?』

 とか、人殺しの分際で泣き言の言い訳ばかり並べて電話を切られた。

 政治的な邪魔者を消すのに使っているヤクザにも連絡を取ったが――

『それだけは勘弁してくだせぇ……』

 命知らず情け知らず、頭昭和で止まったままの西国ヤクザどもが、苦しげな声で電話を切った。

 後で知ったことだが、宮元家の一派は大型機動兵器の輸送と兵站関連の整備に際して、関西の流通面を牛耳っていた勢力を実力排除した過去があるのだという。

 ある広島ヤクザ一家は、組長の家ごと恐竜に踏み潰されて一家全滅した云々といった正気を疑う記録まで出てきた。

「ふっっっざけるなァ! 恐竜なんているわきゃあねぇーーーーだろォァッッッ!」

 田守はオカルト資料のファイルを投げ飛ばした。

 なら防衛省の連中に実行させようとしたが――

『爆撃? 出来るワケないでしょ』

 電話は即切られた。

 他の幹部にも連絡をしたが

『うーーん……ハッキリ言いましょうか。あなた、もう落ち目なんだよね。地獄にはお一人でどうぞ』

 無礼極まりない対応で切られた。

「~~~ッッッッ! 恩知らずの人でなし共がァーーーーーッッッッ!」

 田守は激怒し、デスクの電話をブン投げた。

 ネットのニュース速報では、防衛省に財務監査が入り、総務省の下請け企業には検察が立ち入ったことが報じられていた。

 ――まずい。

 このままでは、かなりまずい。

 もはや田守一人の力では官も民も抑えられない。

 幸い、ウ計画に深く関わっている官僚は他にもいる。

 ソフトとネットワーク面での開発は主に総務省の指揮で行われていた。

 トロイの木馬同然の〈UKA〉の仕様決定も、あらゆる情報をビッグデータとして収拾するための意図的なセキュリティホール作製も、全て総務省のやったことだ。

 いわば、総務省の幹部も田守と一蓮托生なのである。

 彼らと力を合わせれば、強い圧力でクソ検察もボケ老人会の閣僚共もミソの足りない愚民のサル共も黙らせて、計画を仕切り直すことは十分に可能だ。

 とりあえず定年退職して、天下りするまでは大人しくしていよう。

 ウ計画は、ほとぼりが冷めた頃――十年後でも二十年後にでも、田守の後任が改めて再起動すれば良い。

 やり直しなど、いくらでも効く。

 ウカの物理的バックアップは、この地上にはないのだから。

 交渉のための手札、引き出物には自信がある。

 数日後――田守は、総務省の庁舎に向かった。

 事前のアポは取ってあるはずなのだが、やけに待たされた。

 応接室に待つこと1時間――ドアが開いた。

「遅いじゃないか!」

 馴染みの幹部だと思って声をかけたが、田守はすぐに間違いに気づいた。

 入ってきたのは、政務官と事務次官。

 初めて顔を合わせる、総務省のトップクラスの幹部だった。

「残念だが、田守君――きみの友人たちは、昨日付で依頼退職したよ」

 政務官が能面のような顔で言った。

「懲戒免職よりはマシだからね。まあ、こういう責任の取り方――きみも分かるよね?」

 事務次官の声には、静かな恫喝が見え隠れしていた。

 ドアが――閉まった。

(しまったァーーーー!)

 田守の背中が冷や汗でベトベトに濡れた。

 こうして、応接室は田守の査問会場、もとい処刑場と化した。

 自分より立場が上の幹部二人に始業から終業まで、延々延々8時間。トイレ休憩はさみつつ、昼食もルームサービスで届けられ、応接室に監禁状態で詰問、尋問、譴責、非難の連打。

「田守君、きみは一体どれだけの予算を浪費したのかね?」

「ウ計画、もっと穏便に事を進められなかったのかね? よりによって宮元家に手を出すなど……」

 政務官と事務次官が、口々に責任追及をしてくる。

「全て、きみのせいだよ」

「分かっているのかね?」

 責任――そんなもの、自分に、あるわけない。

「全て部下のやったことであって――」

「決済のハンコ押したのはきみだろう?」

「ですから、失敗したのは部下のせいでして――」

「責任を取るのが責任者だろう!」

 田守は、生まれて初めて、責任を押し付けられた。

 責任から上手く逃げること。それが官僚に最も必要なスキルだ。

 仕事で失敗しても、それは無能な同僚や部下のせいだ。

 自分はいつも上手くやっている。

 だから、責任などあるわけがない。

 そう信じて生きてきた。出世してきた。成功してきた。

 だから、この生き方は絶対に正しいのだ。

 その世界観が――崩されていく。

 田守は自分より格上の、権力闘争を勝ち抜いた官僚中の官僚特有の圧迫口撃の集中砲火を受け――

「定時だ。我が国は、きみに出す残業手当はない」

「さ、もう帰りたまえ」

 解放もとい追い出された時には、田守は半死半生。

 その様子を守衛が遠巻きに見ていた。

「ブッ……」

 守衛は吹き出した。

 霞が関では良く見られる負け犬の姿に、ささやかな優越感を覚えて、蔑み笑った。

 翌日から、田守は休職届を出した。

 自宅で一日中、自室で寝込む生活をした。

 テレビもネットも見たくなかった。外の世界に、現実に触れるのが怖かった。

 布団を被って、ベッドの上でじっと固まる。

「ううぅぅぅ……うう~~……」

 それが自分の破滅が刻一刻と迫ることから逃避する、唯一の手段だった。

 引き籠ってから4日後――田守は家族に黙って早朝に外出。

 神奈川県某所で朝から夕方まで釣りをしているのが目撃されたが、彼は二度と帰宅することはなかった。

 翌朝、田守龍成は海上に浮かんでいるのを地元漁師に発見された。

 発作的な、自殺だった。

 彼の死により、もはやウ計画の全容を知る人間はいなくなった。

 元から分断され、断片的な情報と権限しか与えられていなかった各部署の連携は、事実上不可能となり――

 ウ計画は、組織として完全に崩壊したのだった。

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