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国崩し・東瀬織と悪意の箱のこと

国崩し・東瀬織と悪意の箱のこと36-炎上編-

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三月上旬――
東瀬織は、家に帰ることにした。
堂々と、景に電話をかけて
「今日、おうちに帰りますわ~♪」
と告げて、夕方に堂々と隠れ家を出て、学校まで景を迎えに行った。
「さ、一緒にわたくし達の愛の巣に……帰りましょうか。景くん?」
「えぇっ……?」
連絡を受けたとはいえ、それは一方的。あまりにも一方的なものであり、景は困惑した。
周囲にはまだ人目が多い。しかも瀬織は美人なので、とても目立つ。
どこからかカメラの撮影音も聞こえるし、「あの人だれ……?」「高等部の東って人だよ……」「転校したんじゃなかったの?」といった、ひそひそ声も聞こえてくる。
「ね……瀬織? こ、これって……ヤバくないの?」
「別にぃ~~? もう矢場でも土壇場でもありませんわよ~~?」
景の不安をよそに、瀬織は嫣然と笑っていた。
そして帰り道――四か月前、瀬織が一度死んだ日と同じ道を辿る。
あの日と同じように、人気のない田舎道だった。
日は少し高くなって、午後五時前でも大分明るい。
景は周囲を気にしながら、横を歩く瀬織を見上げた。
「政府と戦ってたんじゃ……なかったの?」
「はい。でも、もう勝敗は決しましたわ」
「こんな堂々と出歩いて……大丈夫?」
「はい~。全・然、平気ですわ~~?」
「ゆ、油断しすぎなんじゃ……?」
「ほほほほ……」
夕暮れの農道。
音もなく、瀬織が立ち止まった。
「景くん……わたくしが過去に、どれほどの国を滅ぼしてきたと思いますかぁ?」
「えっ……」
「幾百、幾千もの戦を知る、わたくしが油断? ほほほ……わたくし、仏法の神ではありませんが、景くんに説法をされるほど未熟とは思いませんけどぉ~~?」
甘い毒のこもった嘲笑が景の全身を包んだ。
甘美なる魔性の恐怖に、少年はぶるっと背筋を震わせた。
「ご、こめん……。ちょっと心配なだけだったから……」
「ま、分かる話ですわ。戦といっても穏便に済ませよ、というのが園衛様からの御命令でしたので。我が身に砲火も降りかからぬ戦の勝った負けたなぞ、実感が湧かないのも詮無きこと」
瀬織はスマホをポケットから取り出すと、馴れた手つきでブラウザを起動した。
「今世の戦とは情報戦。ウカは情報を掌握する神でしたので――わたくしはその情報の糸でウカを縛り、神から魔に零落させたのです」
すっ……と、瀬織がスマホを画面を景に見せた。
「ご覧になりますか? 今世の神殺しを」
画面には、大手ニュースサイトの記事が表示されていた。
記事のタイトルは〈止まらぬ炎上。UKAはなぜここまで普及してしまったのか〉。
内容もアプリに関する記事なのだが、コメント欄が異常だった。
〈UKAの背後には秘密結社である暁のイルミナが存在しています。この組織は非道な人体実験を繰り返し――〉
〈バーチャルアイドルを利用した民衆の洗脳計画が進んでいたという情報があります。それはスマホから電磁波を放射し脳を狂わせます。詳細は次の動画に――〉
〈カルト宗教のマスコットキャラだった時点で胡散臭さしか感じない。こいつらが政治家と組んでいずれ日本を支配するつもりだったんだろ?〉
アプリとは無関係の意味の分からない内容が好き放題に書き込まれている。
戸惑う景を前に、瀬織は笑いを嚙み殺していた。
「くくくく……この掲示板、少し前まではウカが有害な書き込みを判断して削除とか、書き込み停止を行っていたんですよぉ。人工知能による適切な管理という体裁で。ふふっ……しかし今やウカ自体が信用を失い、運営から切り捨てられてぇ……ぷくくくく……このザマですわ♪」
「なに……なんなの? 何が起きてんの、これ……?」
「愚者の傀儡舞……ですわ」
瀬織はぬるり、と指をかざした。
堕ちる太陽、夕の赤光の中で操り糸を手繰るように、ゆらゆらと指を舞わせた。
「人は古来より、不安を克服するために森羅万象に理由を求めました。簡単に言ってしまえば設定を創作したのです。大地は神が海を掻き回して出来た泡であるとか、火や水も神々から生じているとか……。『なぜ?』『どうして?』という問いに対する解は、先人たちが知識によって解き明かしてきました。しかし、愚者は過去に学びません。辞書を開くよりも、目の前の分かり易い答を選んでしまうのですわ」
「えっ、どゆこと……?」
「わたくしは、彼らに答を差し上げたのですよ。『世の中には悪い奴らがいる』『そいつらが全ての原因』『世の中の悪事は全てそいつらに繋がっている』――という、分かり易くて、バカバカしい、単純で、間違った答を……ね?」
瀬織は更にスマホを操作して、要領を得ずに首を傾げている景に見せた。
「人を操る方法は古来より変わりません。一つは、その人間の価値観、世界観を壊してさしあげること。いわゆる型崩し。今まであなたの見てきた世界は偽りで、あなたはこれから世界の真実に自分の力で辿りつく――と錯覚させるのです」
「そんな催眠術みたいなのに何人も引っかかるわけ……」
「ところが、引っかかっちゃうんですね~? 自尊心、優越感、正義感、そして怒り、義憤。そういった感情をくすぐり、キモちよ~~く肯定する話を吹き込んであげれば、自我も脳ミソもない人形の出来上がり、ですわ」
スマホに表示されたのは、動画サイトの検索結果だった。
怪しげな陰謀論のサムネイルばかりが並んでいる。
悪の秘密結社だの電磁波だの爬虫類型異星人だのレムリア大陸だの、無節操な設定の数々がウカや政府の不祥事と関連づけられている内容だった。
更に、その動画の再生数に景は目を疑った。
「うぇっ……なんでこんなのが20万とか30万も再生されてんの……?」
「それだけ愚か者が多いということですよ。カチナさん達も、いいカモだと笑ってましたわ。広告収入ガッポガポだと。この鳥頭さんたち全てが、わたくしの傀儡なのです」
「いや、こんなの普通おかしいって分かるでしょ?」
「はい。ですから、その普通の世界観を崩してあげましたの」
「ひ、ひどくない……?」
「こんなのに騙されるのは自己責任でございますわ~~? だって、すまほでちょっと調べるだけで設定の陳腐さとかは分かるんですもの。なんなら、試しにUKAに聞いてみたらどうですか~~?」
言うと、瀬織は躊躇なくUKAのアプリを起動した。
このスマホは他人から譲渡されたものなので、プリセットインストールされたUKAをそのまま残してあったのだろう。
しかし、UKA……つまり若木ウカというAIは瀬織の敵だ。
それを利用するというのは、景としては戸惑いがあった。
「うう……ほ、本当に大丈夫なの?」
「万民に等しき、とこしえの幸せを与える――それがあの小娘の役目ですので。景くんとて例外ではありませんわ」
瀬織が安全を保障するのは奇妙であるが、それは神としての立場からの発言だろうから、信用は出来る。
意を決して、景はUKAのアプリに向かって質問をした。
「UKAはどうして炎上したの……?」
間を置かず、アプリが少女の声で返答した。
『発端は ネット上に違法アップロードされた 1970年代のアニメ作品の キャラクターが ウカに酷似しているという 指摘でした 指摘の書き込みの初出は バーチャル配信者ウカちゃん アンチwiki パクリ疑惑一覧の コメント欄でした』
UKAは自分の炎上原因について淡々と説明している。
なんとも奇怪で不気味な光景だが、これは利用者の要求に応えるというサポートAIの基本理念に従っているだけだ。
「色んな陰謀論が追加されてるけど、それは正しいの?」
『ほとんどが 根拠に乏しく 情報ソースも信頼性に 欠けるものです』
「たとえば?」
『UKAのアプリが有害な電磁波を照射する という陰謀論ですが 一般的なスマートフォンに そういった機能は 搭載されていません また 爬虫類型異星人 という設定も 古典的陰謀論のマイナーチェンジ あるいは 1980年代の アメリカ製SFテレビドラマからの 流用でしか ありません これらの突拍子もない設定は 炎上から数日間に 匿名で アンチwikiに 追加されたのが 初出となります』
すらすらと論理的に、参照サイトまで表示して説明してくれた。
景は「ふうん……」と軽く溜息を吐くと、すっきりした表情でアプリを閉じた。
「UKAが説明したけど……それはもうあの人達には届かないんだね」
「はい。ウカも政府も全てが悪であり敵である、と自分達で設定を固めてしまいましたからね。彼らは自分たちの世界から、もう戻ってはこれませんわ。仲間と一緒に悪と戦い続けるのは愉しいですからね~~? こういうのを今世では、戦士症候群……というんでしたかね?」
瀬織は情報を操り、新しい神話を作ったといえる。
ウカという偶像を悪に変える物語を整えてやれば、後はウカを悪しきものと認識した人々が怒りのままに、熱狂的に神話を紡いでいく。
操り糸によって、自分達ごと、がんじがらめに神話の設定を固めていくのだ。
常識的に考えれば突拍子のない、何の関連性もない情報も設定として取り込んで、神話は宗教となり、教典となる。
教典に異を唱える者は異端者、あるいは敵と見なされ排除され、教団は更に先鋭化していく。
もはや、彼らは別の世界、別の常識で生きている。
正常な人間とは対話すら成立しないだろう。
「戦いが終わったのなら、元に戻してあげなよ……」
「ええ、考えておきますわ~~」
瀬織は適当にはぐらかしつつ、スマホを景から取り上げた。
「彼らのような先鋭化したお人形だけでなく、もはや大半の利用者にとってUKAは悪でございます。偶像の女神は魔に零落したわけです。衆愚を利用する政治家の皆様も民意は無視できませんので、ウカは排除される運命にあるのです。よって、この戦は――」
落ちる太陽を背にして、瀬織が首を大きく仰け反らせた。
その手には、人の悪意の詰まった小さな小箱。
愚者と敗者を見下し、嘲笑い、闇と光の狭間にて、堕ちたる女神が勝ち誇る。
「――わたくしの、勝・ち……♪ ヒヒヒヒヒヒッ……」
凄絶に、邪に笑いながら、瀬織の首がころりと傾いた。
慄く景の頭を越えた、向こう側――道の果ての人影に、赤い視線が向いた。
「ねェ――そうでしょう、若木ウカさん?」
瀬織と景の長い長い影法師の先、逢魔が時の農道の果てに、一人の少女がいた。
かつて、この道で若木ウカと名乗り、瀬織に挑んだ人造神の少女だった。
ウカの表情は瀬織と対照的に……暗澹と沈んでいた。
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