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第四話

ヒト・カタ・ヒト・ヒラのこと48(終)

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 月に薄く雲がかかり始めた、深夜1時過ぎ。
 宮元園衛の屋敷に、客がやってきた。
 その客は人ではなく、生ありて生なし。
 新年の来訪神は、正門のインターホンを鳴らして、使用人に屋敷の主への言伝をした。
 新たな戦いに際して気を重くしていた園衛は、来るはずのない客の報せに驚愕した。
「バカな……! このタイミングで、どうしてあいつが……!」
 使用人から連絡を受けて、応接室に速足で向かう。
 気が逸るあまりノックもせずに、園衛は応接室の扉を開けた。
 そこには――
「夜分遅くに申し訳ありませ~ん♪ 園衛さま♪」
 ソファの上で足を組み、不敵な笑みを浮かべる、制服姿の少女が
 一ヶ月前と何も変わらぬ、元通りの東瀬織がいた。
 園衛は自分の目を疑った。
「幽霊では……あるまいな?」
「死霊が住まうは常世の国。大和の神もそこでは死体になっているそうですがぁ……わたくしが死体に見えますかあ?」
 不遜な態度といい、整った顔立ちといい、何もかも東瀬織だ。
 不審な点は見当たらなかった。
「復活した……と理解して良いのか」
「はい。わたくし、自分で自分の神産みを行いましたの。今ではピカピカの新品ですわ♪」
「儀式という形態を取った、神という概念の再結晶化……か」
「あら、お分かりですか?」
「私たちも10年前に似たようなことをやった。滅びの概念を神として実体化させ、この手で倒した。尤も、年単位での準備が必要だったがな」
 かつて大量の資金と人員を必要とした神降ろしと神産みの儀式を、こうも短期間かつ独力でやってのけるのは、瀬織が知性を持つ神そのものである何よりの証左といえる。
「わたくしとしても賭けであったのですが――まあ結果良ければ万事よしということで」
 瀬織は組んでいた足を下ろして、姿勢を正した。
「此度のいくさ……わたくしの力が必要と思いまして、新年早々こうしてお伺いに参りました」
「私の状況を理解している……と考えて良いのか」
「はい。要するに、地方豪族と中央集権の利権争い――ですわよね?」
 瀬織はなんとも馴れた様子で涼しげに言った。
 それぞれの大義だの感情論だのはノイズに過ぎない。シンプルに対立構造を明文化すれば、確かに瀬織の言う通りだ。
 彼我の戦力差もまた、しかり。
「園衛様の側は圧倒的劣勢。劣勢の側の戦術は限られております。たとえば、市井に紛れての暗殺と破壊工作」
「テロか……。確かに、南郷くんはその気でいた」
「ある面では有効でございます。利権や人脈というのは、当事者が死んでしまえば容易く壊れる。縁の切れ目はお金の切れ目。銭勘定が得意な人ほど、義理人情には薄いものですわ」
 瀬織が知った風な口を効くのは、実際に知っているからだ。
 要人暗殺の結果など、古代に飽きるほど見てきたのだろう。
「確かに――あのウカとかいう小娘に関わる政治家、商人、官僚を皆殺しにすれば一時的には計画は止まるでしょう。でも、根本的な解決にはなりません。何十年と時をかけて進められた計画なら、邪魔者がいなくなってから、またやり直せば良いだけですわ」
「私や南郷くんが寿命で死ぬのを待ってから……か」
「何より、そんなことをしたら園衛様たちの大義名分はなくなりますわ。意味の分からない陰謀論で暗殺を繰り返したら、社会的にはおしまいです」
「その程度の覚悟は――」
「南郷さん、一人で泥を被る気でしょう? 園衛様は――それでよろしいのですか?」
 瀬織は小首を傾げて、薄い笑いを浮かべた。
 園衛は思わず、一瞬だけ目を逸らした。
 女としての本心を見抜かれていた。
 南郷と同じ時を過ごせなくなるという、恐怖と後悔を。
「なら……他にどんな方法がある」
「簡単ですわ。相手の弱点を突くのです」
 瀬織の笑みは、暗く冷たいものに変わっていた。
 それは権謀術策を以て古代に幾度となく国を破壊してきた、魔性の怪物の顔だった。
「人工知能の社会生活への浸透。政治経済軍事の支配。合法的思想統制と監視、価値観の誘導……確かに完成すれば勝ち目などありません。ですが、それは今は未完成。人間の統制下にあります」
「人が使っているからこそ、付け入る隙があると?」
「はい♪」
 瀬織はころりと笑って、唇を指でなぞった。
 悪巧みをする時の仕草だった。
「この三か月間、今の人の世を見て、わたくしは理解しました。人間とは、1000年経っても進歩のない生き物だと」
「なに……?」
「人の可能性を信じ、自ら体現する園衛様には受け入れがたい事実と存じます。しかし、人間の性質は今も昔も変わりません。事実に反しても自分の信じたい夢だけを信じて、自分の夢を守るためなら知性すら簡単に捨ててしまう。父祖から連綿と受け継がれてきた歴史、技術、知識、倫理、理性……すべて目先の感情に敗北して、ただの塵芥に変わる。人は、野山で獣を追い、神を崇めて暮らしていた頃と何一つ変わっておりません。ただ、使う道具が違うだけです」
 言うと、瀬織は制服のポケットからスマホを取り出した。
 電源は入っていない。
「フフ、流石に一ヶ月も放置したら電池切れですわ。この呪いのオモチャ……」
「呪いだと?」
「今世の人間は、おしなべて自分の作った道具に縛られているんですよ」
 くつくつ、瀬織の腹の奥から笑い声が上がってくる。
 昏い闇の底から、一切合切の邪悪が煮え立つように、暗黒の女神が笑っていた。
「くっくくくくく……人間はぁ……自分たちの知性と感情で自滅するのですよぉ……!」
「お前……いったい何をするつもりだ」
「知れたこと。国崩しぃ……ですわぁ」
 瀬織は、訝しむ園衛を見ていなかった。
 ここにはいない、遥か遠くの敵へと殺戮の意思を込めて、妖しい光で目を輝かせていた。
「この国ぃ……三ヶ月でブチ壊して、あげますわ♪」
 凍れる殺意の笑顔のまま、東瀬織は三本の指を立ててみせた。
 七十余年の時をかけて人が練り上げた永遠楽土の夢を、たった三ヶ月で破壊すると、今ここに宣言したのだった。
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