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第四話

ヒト・カタ・ヒト・ヒラのこと26

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「ここでキミに選択肢をあげよう。ひとつ、このまま芋虫のように惨めで無力な余生を過ごすか。ふたつ、芋虫の皮を破って蝶のように舞い、蜂のように刺す、なんとも形容しがたい無敵の怪物に生まれ変わるか。忠告しておくが、後者を選んでも長生きはできない。それでも、一瞬の閃光となって強さの頂きに昇り詰めたいのなら。人間としての生を捨て去って生物の域を超越したいのなら――私は協力を惜しまないよ」

 その、死体のように顔色の悪い男は、私を覗きこんでそう言った。

 目が異様にギラついた男だった。

 脂ぎった活力と、狂気と、欲望に満ちた男だった。

 男の名前は、なんと言ったろうか。

「私はドクター・メス――と呼ばれている。まあ、ニックネームだ。オペでメスをやたらめったら使いまくって、内臓でも手足でも切りまくるから、前の職場でそう呼ばれていたよ、ウフフフフフ」

 そう、ドクター・メスだ。

 この男が、私を作り変えた。

 私は、手足を無くした哀れな姿で、手術台に乗せられていた。

 どうして、そういうことになったのか――というのは、大した話ではない。

 私は、とある国の軍人だった。

 戦闘工兵中隊の大尉をしていた。

 仕事の内容は、邪魔な障害物の撤去――それだけだ。

 我が国の国民が入植する地域にある障害物――つまり、退去に応じない原住民の違法な建築物を破壊するのだ。

 あの日も、私の部隊は滞りなく任務を進めていた。

 D9装甲ブルドーザーのバケットが原住民の粗末な住宅を突き崩し、装甲パワーショベルが瓦礫を撤去していく。

 周囲には歩兵科の兵士と、機甲科のデルタムーバー〈マラクーMk.3〉が警戒に当たっていた。

 トチ狂った原住民が対戦車ロケットを撃ち込んできたり、自動車爆弾でカミカゼを仕掛けてくるのも珍しくない。

 私は指揮所で、ブルドーザーのオペレーターからの連絡を受けた。

『■■■■大尉。ガキが邪魔をしています。どかしてください』

 私は舌打ちした。

 面倒で、くだらない仕事が増えた。

「おい、ガキをどかせ!」

 私は歩兵科の連中を待つのも惜しく、声を荒げて自ら出向いた。

 原住民の子供が、瓦礫の破片を拾って、装甲ブルドーザーに投げつけていた。

 実に無駄な抵抗だ。

「どけ! どかないと轢き殺すぞ!」

 私は子供の肩を掴んで、強引に放り投げた。

 乾いた路上に子供が転がって、ブルドーザーの進路が開けた。

「僕の家だ! 僕の家なんだぞ!」

 子供が何か叫んでいる。

 どうでも良い。聞き飽きた泣き言だ。負け犬の遠吠えだ。

「だから、どうした? 家なんて他の場所に建てれば良いだろう」

「中には母さんも婆ちゃんもいた! 他に家なんてないから! 行き場なんてないから!」

「そりゃ気の毒にな。で、お袋とパバァはどこだ? まさか、瓦礫の下か? 逃げなかったのか?」

 私は思わず鼻で笑った。

「バカな奴らだ」

 指揮所に戻ろうとした時、ふと視界に入った子供の顔が、私の記憶に今も焼き付いている。

「お前だけは許さない……! お前だけは絶対に……!」

 歯茎から、唇から鮮血が滴るほどに歯を食いしばった、本当の憎悪の表情。

 それが酷く印象的だったのは

『■■■■大尉! 高熱源体の発射を確認! ロケット弾きます! 退避を――』

 護衛の〈マラクーMk.3〉からの緊急連絡をヘッドセットインカムで受信したのと同時に、私の意識が暗転したからだろう。

 意識の消える寸前の光景が、焼印のよう脳髄に刻まれた。

 次に目覚めたのは、軍病院のベッドの上だった。

 そして、身動きが取れないことに気付いた。

「■■■■大尉。お気の毒ですが、切断するしかありませんでした」

 医者は事務的に説明した。

 爆発に巻き込まれた負傷者の治療と、術後経過の説明など、医者にとっては飽きるくらいに手慣れたことだった。

 傷痍軍人となった私は、失意のどん底にいた。

 妻にはなんと説明したら良いのだろうか。結婚生活を続けていく自信がなかった。

 子供たちにはどんな顔をすれば良いのだろうか。力強く、自信に満ちた父はもういない。

 他人の手を借りなければ食事も取れず、便所にも行けない、哀れな私はどうやって生きていけば良いのだろうか……。

 そんなある日、病室に妙な男がやってきた。

 首から下げたIDカードを見ると、軍医のようだった。

「私は軍で義体の研究をしている者でね。キミのように手足を失った軍人に新しい手足を提供している。もちろん、ちょっとした対価は頂くが――」

 そう言って、男は義手を取り出して見せた。

「人工筋肉駆動のサイバネ義体というのは、今となって珍しいものではない。だがコレは些か特殊な義手でね。神経接続ではなく、一種のBMIチップで脳波による遠隔操作で動かす。人によって適性があって、全く動かせない人もいれば、何のリハビリもなく初日から自由に動かせる人もいる。そういったデータを収集して、ハードとソフトを最適化して、ゆくゆくは全ての人が義手を使えるようにする、というのが目標なんだ。そう、つまり義手の提供と引き換えに、定期的に軍病院で検査を行う被験者になってほしいんだ」

 つらつらと言葉を並べる軍医には、違和感を覚えた。

 大層な綺麗事の裏に、どろっとした欲望みたいなものを感じたからだ。

 この男は、何かを隠している。

 だが背に腹は代えられないのも事実であり、私は義手と義足を受け取った。

 幸いなことに、私には適性があった。

 義体を元の手足同然に動かせるようになるまで、二日とかからなかった。

 軍は退役したが、私の日常生活は元通りになった。

 何の介助もなく家族と過ごし、年金を貰いながら、月に一度病院で検査を受けてデータを提供して、5年の歳月が流れた。

 その間に政府の方針が変わって、我が国の入植政策は終了。全ての入植者は本土に撤退した。

 そういった政府や軍の動きも、今となってはニュースで知るだけの他人事だった。

 私は、そろそろ次の仕事でも探そうと思っていた頃、

 事件は起きた。

 私の運命を決定づける、最悪の事件。

 だが事件が起きるのは偶然ではなく、運が悪いという話でもなく、必然だった。

 就寝時には、義手と義足を外す。

 自由に動くとはいえ異物を体に付けていることに変わりはない。床ずれや汗むれの防止のために、寝る時に外すのは当然のことだった。

 固定用のベルトを妻に外してもらって。義手と義足は部屋の隅に置かれる。

 朝になれば、また妻に付けてもらう。その程度の介護なら、負担にもならない。

 私は妻と同じ部屋で、別々のベッドで眠っていた。

 深夜に、妙な音で目を覚ましたのは、仮にも私が軍人だったからだろう。

 パチンッ……という、ゴム紐のスリングショットを撃ったような音が、立て続けに二回聞こえた。

 まさか……と思った。

 聞き間違いだと思った。寝ぼけていると思った。

 それがサプレッサーを付けた拳銃の発砲音であると確信を得たのは、侵入者が私の部屋に入ってきた時だった。

 目出し帽子を被った、絵に描いたような暴漢は、有無を言わさず寝ている妻へと発砲した。

 妻には二発撃ち込まれた。

 撃たれた痛みで目を覚ました妻が、嘆くような悲鳴を上げて身を捩った。

「アァァァァァァァァ……!」

 私はベッドの上で身動きも取れず、叫ぼうとした。

 それに先んじて、侵入者が口を開いた。

「俺はお前を許さない……お前だけは絶対に許さない……! そう言ったのを憶えているか、■■■■大尉?」

 熱を持って記憶が呼び起されるのを感じた。

「お前……あの時の子供か……!」

「ああ、そうだよ。お前の何もかもを壊しに来てやった」

 侵入者が、また妻に発砲した。わざと急所を外している。腹を撃たれて、妻はなんとも形容しがたい……いや、豚のような悲鳴を上げていた。

「うぅぶぅぅぅぅぅぅぅ……!」

「ここに来る前に、アンタらのガキも二人殺した。せめてもの慈悲だ。寝たまま苦しませずに、一発でな。だが、アンタらは楽に殺さねえ。俺の味わった地獄の万分の一でも味わえ……!」

 四度目の発砲が、妻の肩を撃ち抜いた。

 ベッドのシーツが、じわじわと赤く染まっていく。

「やめろ! やめろぉぉぉぉぉ! こんなことをして――」

 私はベッドの上でもがきながら叫んだが、言葉が続かなかった。

 侵入者の男が、私を見下ろしながら、代わって続けた。

「『こんなことをして何になる』か? それとも『こんなことをしてどうなるか分かっているのか』か? バカ言うんじゃねえよ。それが分かってるから、あんたもその先は言えない。違うか? だって、これは正当な復讐だし、俺はこの先のことになんて考えちゃいねぇのさ」

 懐から爆薬のパッケージを取り出して見せた。

 元工兵の私には、見慣れたC4爆薬のパッケージだ。それがどれだけの威力を持っているかも簡単に想像できた。

「あんたの家族も家も何もかもブッ壊して、俺の復讐は終わりだ。俺の人生も終わりだ。一切合切、何もかも終わりだ」

 捨て身の復讐――その覚悟の妙味を、私は味わった。

 人間の憎悪を、因果の応報を、初めて理解した。

 この男には、私を殺す権利がある。

 私の全てを破壊する権利がある。

 だが私は諦念と喪失感の中で運命を受け入れるということはなく、それら全てを練り潰す激しい怒りが湧きあがってくるのを感じた。

 手足のない体で、もがく。

 隣で妻が殺されていくのを見ながら、私の中で激情ォが火口のマグマのごとく膨れ上がっていく。

「んぐぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!」

 歯を食いしばり、血管がはち切れんほどに目を見開き、私は一心に念じた。

 動け……動け……と。

 目の前の、この敵を殺すために、私の手足よ……動け! と!

 そして、部屋の隅に置かれていた義手と義足が、見えない糸に引っ張られるように、動き始めた。

 私の手足は床を這いずり、妻に銃弾を撃ち続ける復讐者の体を這いあがり、その首を……一瞬で握り潰したのだった。

 敵の抹殺を確認すると同時に私は意識を失って――

 目を覚ますと、私は手術台に寝かされ、あの軍医が私を見下ろしていた。

「おはよう、■■■■元大尉。奥さんは手遅れだった。お悔み申し上げるよ」

 全く心のこもらない、心にもない言葉を告げてから、軍医の男は笑った。

「だがキミは生きている。そして成功した。蛹のままで勝利した。キミは完全な適合者だ。おめでとう」

 そして、男はドクター・メスと名乗った。

「この国はキミのように優秀な素体が手に入るし、試作品として使い潰す検体もいくらでも手に入る。ここは正に私の理想の改造実験帝国だよ」

 検体……というのは、不法居住者たちやゲリラの捕虜のことだと知ったのは、もう少し後になってからだ。

「元から存在しない人間なんだから、切り刻もうが機械を埋め込もうがお構いなし、とキミたちの政府からお墨付きを貰っていてね~。ああ、これは居住者たちの自治政府とも合意の上の生贄なんだ。一定数の生贄を差し出すことで自治政府は存続を認められる。キミたちの国からテロ組織認定されても……まあプロレスだね。多過ぎる人口を適度に間引きつつ、お互いに憎悪とか愛国心とか民族感情を都合良く喚起できる、仮想敵が手に入るんだ。政治屋にとっても、私にとっても理想的な取引だ。それに、キミたちの宗教では異教徒は家畜だそうじゃないか。キミたちの神様は小麦ではなく肉を所望している。文字通りのスケープゴートだよ。ただし、二本足だがね」

 手術台の上の私が反論も抵抗しないからと、メスは好き放題に話を続けていた。

「私は子供の頃から、日本製のロボット玩具が好きでねぇ~。初めて手に取ったのは、関節が磁石で自由に交換できるオモチャだった。手足を交換して、ロケット砲をくっつけたり、別のロボットの頭を付けることも出来た。自由自在に世界一つ、私だけの理想のロボットを作れたんだよ。それと同じように、人間の手足や胴体や頭を付け代えて、最強のサイボーグを……機械の怪物を作り出す。この壮大なロマンが私の創作意欲をムズ痒~く前頭葉の奥の方をくすぐるんだ」

 怪物? その一言で、私は怪訝な顔をしたのだと思う。

 メスは私の顔を覗きこんできた。

「怪物だろう? ただの義手義足ならともかく、腕にプラズマカノンをくっつけて、脳ミソにチップを埋め込んでマシンデバイスを遠隔操作する。これを人間と定義して良いのかねえ? ポリコレだの人権団体だのはゴチャゴチャ自分に都合の良い御託を並べるだろうが、私にはとても人間とは思えないねえ! 人間を超越した生体兵器! それとも天使か悪魔と言い換えた方がカドが立たないかね?」

「天使……?」

「おや? 知らないのかね? キミ達の宗教の旧い経典に出てくる天使には車輪や無数の目玉が付いているんだ。後世の魔導書に描かれる悪魔も似たような見た目だ。人の想像する超越者の姿。私はキミという素体を調律し、至高の超人を作曲する。そう――」

 酔い痴れる狂人が、天を仰いだ。

「――作曲だよ! 創作だよ! クリエイションだよ! 人体という脆弱な白い譜面に私の創作意欲をメスで刻みつけるんだよ! 不要部分は切除切除切除! 弱い部分を廃棄廃棄廃棄! 内臓も神経も骨もいらない。何より最も弱いのは、人間の心だ! そんなものは捨ててしまえ! 柔らかく生温い不要部分を全廃して、鋼の血肉に置き換えるのだよ!」

 身勝手に叫ぶ科学の狂い人が、鍵盤を叩くように虚空を打ち! 私という生贄を見下ろす!

「奏でる! 鳴らす! キミという肉体を楽器にして、私は至高の改造人間をクリエイションする! 改造改造! 改造人間♪ さあ、どうするかね■■■■元大尉? 私の作品になってみないかい?」

 狂っている。

 完全に狂っている。

 狂人の戯言。関わるべきでない最悪の人種。唾棄すべき悪魔の科学者……!

 だが、私はそんな惰弱な理性を

 自ら望んで

「ああ……良いだろう。存分に……キザンデくれ」

 捨て

 去った。

 私の答に、狂人は狂喜した。

「その答を待っていた。さあ、手術を始めよう! 早速はじめよう! 今すぐ始めよう! 麻酔医は手配できてたっけかあ? いなくても、始めて良いかなあ? 麻酔なしでさあ!」

 私はそれでも構わなかったが、血相を変えた助手たちがメスを制止して、慌てて麻酔医を呼んできたので、滞りなく手術は始まった。

 全身麻酔で意識に落ちる寸前まで、メスは勝手に講釈を延々と続けていた。

「そうそう日本では改造人間のヒーローが何十年も大人気なんだそうだ。彼らは機械の体に人の心を宿したまま、人類の自由と平和のために悪と戦ってるんだってね~。でもね、私は思うんだ。人の心、なんていう曖昧な代物は弱点でしかないと。コミックとかだと、人の心でパワーアップとか良くあるよね? でも現実にそんな都合の良い展開はないよウフフフフフ。精神力の踏ん張り、ガッツ。内臓分泌、脳内物質による肉体強化。そういうのも全て数値化して、化学的に再現できる。だから、心なんて不要だ。捨てろ。捨てるんだ。廃棄しろ。そして完成しろ。私の作品として――」

 そこで、私の意識は途絶えた。

 次に目覚めたのは、暗闇の中だった。

 自分の体がどうなっているのか分からない。全身に感覚がない。麻酔が抜けきっていないのだろう。

 看護師の声もやけに遠く聞こえて、自分は生と死の境界を漂っているのだと思った。

 そんな、人間と人でなしの狭間で、私は考えた。

 あの時、妻が殺された時に感じた怒りは、誰に対しての怒りだったのか。

 名前も知らない被害者のような加害者に対してか?

 違う。

 絶対に違う。

 手も足もない哀れな私自身の無力への、怒りだった。

 脳髄が爆発するような、憤怒だった。

 くだらない任務でくだらない人間のくだらない攻撃ごときで全てを失った、私という脆弱な人間への果てしない憎悪と怒りとが、体から離れた義手を動かしたのだ。

 だから、力が欲しい。

 人間を超えた力が欲しい。

 全てのくだらない人間を蹂躙し、圧倒し、天上から見下せる、超越者になりたい。

 そのために人の心を捧げろというのなら、私は喜んで一切合切を差し出そう。

 弱々しい人間としての私の全てを切除しよう。

 もう私には、何もないのだ。

 家族もない。家もない。手足もない。

 重たいモノは、全て無くなった。

 だから最後の重りを捨ててしまおう。

 戦場で無くした手足のように、手術で切り取られて医療廃棄物として捨てられた内臓のように、最後の不要部品たる心を廃棄するのだ。

 そうすることで、私は真の自由と強さを手に入れられる。

 私は私の中の最後の決断によって、人間兵器として完成した。

 人としての名前も、一緒に捨てた。

 サイボーグソルジャーNo.13、コキュートス。

 それが――私の新しい名前だった。
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