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第四話

ヒト・カタ・ヒト・ヒラのこと8

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 12月は、神帰月ともいう。
 神無月で出雲に出かけた神々が、地元に帰ってくる月である。
 朝、山々は靄に包まれ、地面には霜が降りる冬季(ふゆごよみ)。
 がらがらと音を立てて、家の雨戸が開かれた。
 さて、自分は一体どこの神だったのだろうか――と今さらながら、東瀬織はふと思った。
「というか、わたくし別に出雲参りなどしないのですが……」
 土着信仰の神樹であった瀬織には、天津神だの国津神だのといった、大和が勝手に作った区分など知ったことではなかった。
「土が良ければ、種はどこにでも根付くものです……」
 ガラス戸を閉めて、家の中に戻る。
 瀬織は、両手に包帯を巻いていた。
 昨日までは右手だけだったのが、左手にも増えている。
 当然ながら、起きてきた景に気付かれた。
「あれ……そっちの手も、どしたの?」
「ああ……これ、ですか」
 瀬織の一瞬の逡巡に、景が気付くことはなかつた。
「お料理を……ちょっと失敗しちゃいまして」
「瀬織が失敗? 珍しいね」
「ほほほほ……今世のお料理ですから。馴れない内は、思わぬ事故もあるものです」
 どんな料理でもレシピ通りに作り上げる瀬織がミスをしたという発言に、景は違和感を覚えなかった。誰でも失敗くらいあるだろうと、普通に受け止めたようだった。
「で、どんな料理なのさ」
 いつも通りに、景が食卓についた。
 自分の料理を楽しみにしてくれている人がいるのは、なんとも作り甲斐を感じるものである。
「牛肉のうま煮♪ ですわ♪」
 瀬織は軽やかに、踊るような仕草で旨煮を器に盛って、景の待つ食卓に届けた。
 とん、と心地の良い音を立てて、朝餉の主役がテーブルに登壇した。
 味の染みた牛肉が濃厚に香り、大根としめじが脇を固めて、刻みネギが料理を引き締める、見事な出来栄えだった。
 しかし、景の表情はパッとしない。
「朝から肉はちょっと……」
「こってりして胸焼けする……と?」
「うん……」
「わたくしが、その程度のことを考えていないと思いますか? お肉の合間に、大根を食べてみてくださいな」
 尺然としないまま、とりあえず景は言われた通りに食べ始めた。
 瀬織は白米と味噌汁、口直しのしば漬けを食卓に並べた。
 濃い味付けの牛肉は確かにご飯が進むが、脂っこさが喉に残る。どうしても、しつこい感じがする。肉だけ食べ続けるのは色々と辛い。
 景は、大根はあまり好きではないという。
 味噌汁に入れても、鍋に入れても、酸味が料理に移ってしまうのが苦手なのだという。
 なので、今回もあまり気乗りしない様子だったが
「あれっ……?」
 大根を一口食べて、表情が一変した。
「肉のしつこさが……大根で無くなってる……?」
「大根の酸味が、肉の脂っこさを相殺しているんですのよ。わたくし、ちゃあんと考えて作っているのです。御心配なく♪」
 景の好みに合わせた応用である。
 瀬織は、そういう気配りが出来るように作られている。
 あらゆる面で――器用なのだ。
 現に、景の頭からは瀬織の包帯のことなど既に消えていた。関心を意図的にシフトさせられていることに、景自身は気付かなかった。
「景くん。わたくし、今日は学校は午後から参ります」
 瀬織はさりげなく、遅刻の報告をした。
「え、なんで?」
「園衛様のお屋敷で、マガツチの調整に立ち会わねばならないのです」
 景が瀬織の体調に意識を向けるより早く、それらしい理由を告げた。
 嘘は言っていない。
 休むわけではないから、制服を着ている。体調は遅刻の理由ではない、と説得力を持たせる。
 説得力のある嘘というのは8割の事実で塗り固めるものだ。残りの2割の嘘は、さながら偽装された爆弾であることが多い。
「ふぅん……。それって、瀬織が行く必要あるの?」
「マガツチはわたくしの眷族ですし、人の手に負えぬ部分もあるのです。もしもの時に景くんをお守りするためにも、整備は万全でなくてはなりません」
 尤もな理由を説明すると、景はあっさり納得してくれた。
 嘘は言っていない。
 ただ……言い難い事柄を省いただけだ。
 景を学校に送り出して、朝食の後片付けをして、洗濯物を済ませて、瀬織が家を出たのは午前9時過ぎだった。
 瀬織は玄関を出ると、景の家を……我が家を見渡した。
 かつては宗家の邸宅があったので敷地だけはやたらに広く、土蔵だけが過去の遺産として残されている。
 近年に新築された核家族用の住宅も、使われていない空き部屋が多い。
 何もかも、景一人では持て余す。
「家……人にとっては、安らぎの場所。帰る場所。でも、一人で住むに淋しい場所……」
 一人には、広すぎる家だった。

 園衛の屋敷にある倉庫には、戦時の名残で空繰や戦闘機械傀儡の整備場がある。
 そこには園衛の使役する〈雷王牙〉と〈綾鞍馬〉が駐機しており、〈マガツチ改〉も時折り世話になる。
 尤も、善なる空繰である二体と、邪気と呪いの塊である〈マガツチ改〉は折り合いが悪く、もっぱら整備は距離を取って行われていた。
 今日の整備はソフトウェアの調整であり、〈マガツチ改〉のAIユニットが外部接続ポートを解放し、ハーネスやらコードやらが接続されていた。
 その配線の先には、もう一体の〈マガツチ〉がいた。
 一見すると同一の機体のようだが、パーツの形状が大分異なっている。
 もう一体の機体は、電子戦機として改装される以前の、軽輸送戦闘機械傀儡として試作された〈マガツチ〉だった。
「ん~? どうして、わざわざ古い機体を新しく作ったんですの?」
 薄暗い整備場で、瀬織は首を傾げた。
 旧型の〈マガツチ〉はボディの損傷が激しく、流用できる部品もないということで廃棄されている。
 なのに、性能の劣る旧式ボディが新造されて、目の前にある。
 不可解だ。
「あっ、それはですねぇ~~……」
 作業の手を止め、西本庄篝が解説に身を乗り出した。
「マガツチの予備機というか、データのバックアップとか各種装備の試験用とか、非常時の共食い整備用の筐体ですね。機体が一体だけだと色々と運用に不都合なのでぇ……」
「見た目が旧型なのは?」
「マガツチ改の電子装備が高価すぎるので、同じ物を二つ作るっていうのは予算的にちょーーっと難しかったんです。現代兵器で一番高価なのは電子部品ですから。外装に関しては、改を作る時に原型機をスキャンして作った初号試作の装甲を流用しています」
「なるほど。つまり、性能的には電子戦以外は同じと考えて良いのですね」
「といっても、改の方が全損でもしない限り、瀬織お嬢様が使う機会はないと思いますよ?」
 篝の説明を聞いて、瀬織は暫く考え事をしていた。
「確かに……使わないでしょうねえ、これ……」
 整備の立会を終えると、瀬織は屋敷に出向いた。
 屋敷の玄関は真新しく改築され、掲示板が設置されていた。出入りする外部の人間や、従業員向けのものだろうか。
 そこには、町役場や農協の広報紙が掲載されている。
 瀬織には特に縁のない内容と思いきや、見知った人物の写真を二点見つけた。
「あら……カチナさん、ですねえ?」
 以前の事件で関わった、カチナという外国人少女が写真に写っていた。
 彼女は黒竜の魂をインストールされた器であり、ある邪教集団の巫女であり崇拝対象なのだが……写真の中の彼女は、ゴム手袋にヘアキャップ、マスクにエプロン姿で野菜を加工していた。
 要するに、食品工場のオバちゃん的な格好だった。
 掲載されているのは農協の広報紙であり、
 〈西川ファームの野菜加工場で働く外国人従業員の皆さん〉とキャプションがつけられている。
「ああ……そういえばカチナさん、借金増えたんでしたっけねぇ~~? 哀れですわねぇ~~? 惨めですわねぇ~~? ほほほほ……」
 他人の不幸は甘露なり。
 カチナたち一派はテロ行為で港湾施設を破壊した責任を取らされ、多額の修繕費を借金という形で背負ったのだという。
 園衛が接収した債権で足りない分は、働いて返せということだ。
 無論、不法就労かつ強制労働なのだが、労基も入管も抱き込んであるので問題ないのだろう。
 法で裁けぬ悪党には、当然の報いだと思う。
 写真の中のカチナは、不満というより現状に困惑した複雑な表情だった。
 そして、別の広報紙には――
「おやおや、コレって南郷さんですかぁ」
 南郷十字が写っていた。
 市役所発行の、市内での出来事などを載せたペーパーだった。
 見出しは〈見回りガードマンおてがら! お年寄り宅の火災を防ぐ!〉。
 記事を読むと、見回り中の南郷が火の不始末を察知して老人宅に突入。火事になる直前で消し止めたという。
 南郷が消防署から感謝状を受け取っている写真が載っているのだが、当の南郷は引きつった表情をしていた。
「人に褒められるのに馴れてない顔ですわねぇ~。この様子だと、人を褒めるのにも馴れてませんわね」
 尤も、南郷が他人を褒めるシチュエーションが思い浮かばないのだが。
 こんな具合の瀬織の暇潰しも、ようやく終わる時がきた。
「そう言うな。南郷くんも頑張っているんだ」
 園衛が来た。
 瀬織は園衛に向き直ると、うやうやしくお辞儀をした。
「今日は、わたくしのために時間を割いて頂き、誠にありがたく存じます……」
「構わん。電話では……話せんことなのか」
「はい。是非とも、直に……」
 顔を上げた瀬織の神妙な面持ちに、園衛はただならぬ気配を感じた。
「ふむ……。場所を移す……か」
 ありがたい配慮だった。
 人間として、指導者として、戦士として成熟した園衛が相談相手で良かったと、瀬織は感謝した。
 屋敷の玄関から、庭の奥へ、人気のない竹林に移動した。
 手入れの行き届いた竹林は冬でも青々としていた。
「竹は悠久に青く、若々しく見えますが……それもいつかは枯れる。花を咲かせ、命を次に託して枯れていく。正しき生命の循環ですわ」
 瀬織は包帯の巻かれた右手で、竹の幹をなぞった。
 慈しむように、憧れるように。
「瀬織……その手はどうした」
「命の理から外れたモノが、あるべき形に戻る時が……きたのですよ」
 しゅるり、はらりと、一思いに包帯が解かれた。
 細く、柔らかく、人の理想を形にした少女人形の右手に……亀裂が入っていた。
 劣化した木材が割れるように、ささくれ立ち、粉を吹いて、瀬織を形作る神樹の木片がぼろぼろと崩れ落ちていた。
「お前、その手は……!」
「驚くことではありません。これこそが穢れ祓い。荒ぶる御霊の禊ぎの果て。わたくしという存在の救済なのです」
 淡々と、自己の終焉を語る瀬織は超然としていた。
 最初から生きていないから死を畏れることはない。
 人間とは生命の認識が異なる神樹ゆえに、固体としての死を自然として受け入れている。
 今の瀬織は人とは違う、神としての表情をしていた。
 だが、不意に表情が崩れた。
「でも……わたくしには、分からないことがあるのです」
 悲喜入り混じった泣き笑いの顔をして、瀬織は崩れゆく右手に視線を落とした。
「愛する人とお別れをする時って……どう、すれば……良いのでしょうか?」
 瀬織は震えていた。
 人の形を得て2000年。人の心を得て三ヶ月。
 人を愛した成れの果ての女神は、永別に震えていた。
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