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第四話

ヒト・カタ・ヒト・ヒラのこと4

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 朱音への見舞は思いのほか速く終わった。
 というより正確には追い出されたわけで、帰りのバスが病院の停留所に来るまでに1時間以上もの余裕があった。
 要するに、暇になってしまった。
 待合室で瀬織と並んで座る、景の表情は暗い。
「朱音ちゃん……やっぱり具合悪いのかな……」
「あー……それはですねぇ……」
 時間つぶしもかねて、瀬織は朱音の様子について景にとりあえずの説明をした。
 別に隠す必要もないし、下手に隠すと後で責められそうな気がしたからだ。
 実際、朱音がああなった原因の1/4くらいは自分にある――と、瀬織は僅かばかりの責任を感じているが、それは別に罪悪感とかではない。単に事実を顧みた過失割合の機械的な計算である。
「――と、そんな感じで氷川さんは、わたくしに精神汚染されてしまった……と思ってくださいな」
「……は? 」
 景の表情が困惑に固まった。
 いきなり説明されても理解が追いつかないようなので、瀬織は少しばかり肉を解した解説をすることにした。
「ええとですね……景くん。以前に氷川さんは、わたくしの分身に取り込まれて人間を辞めてしまいましたよね? あの時の彼女はわたくしと同質の存在。つまりは神様だったんですよ。あの時は同等の存在でしたが、わたくしが勝利したことで支配権の序列が変わってしまった。つまる所、今の氷川さんは、わたくしに従属する眷族なのです。故に、本能的にわたくしに命令されたい、支配されたい、あるいは一つの存在に戻りたい、という欲求が――」
「えっ……いやいやいや! だって! え? 朱音ちゃん元に戻ったんでしょ?」
「ん~~……」
 どう説明したものか……と瀬織は少し考えた。
 甘い糖衣で出すべきか、オブラートに包むべきか、苦い現実をそのままお出ししてしまうか、と三択が頭に浮かぶ。
 思案一秒。
 瀬織は景の芯の強さを信じることにした。
「ぶっちゃけた話~、一度人間を辞めたのに退治されたら何もかも元通りなんて――ご都合主義じゃありませんこと?」
「じゃ、じゃあ……治らないってこと……?」
「それは本人次第ですわね~」
 瀬織は鼻声になった。
 アルコールの臭いを嗅ぎたくないからだ。ここは清浄な空気に満ちている。瀬織のような邪悪を追い払い、邪気に穢された人間を治療するには適当であると言って良い。
「景くん? 前にも言いましたが、この世界で最も強い生物は人間なんですよね~。ですから、気合があれば精神にこびりついた邪気など一晩で吹っ飛びますわ。疲れは憑かれ。病は気からと言います」
「気合って……」
「気合、気迫、闘志に不屈、激怒ひらめき熱血必中の精・神・力ですよ。実際、1000年前にわたくしをバラバラにした野蛮人も、70年前にわたくしを真っ二つにしてくれた景くんのひいおじい様も、神であるわたくしを精神力で圧倒していたのです。神なぞは……儚く脆い一片(ひとひら)の……人の夢の花弁ですわ」
 瀬織は、包帯を巻いた右手に視線を落とした。
 怪我をしている。
 瀬織でも、怪我くらいはする。そして、すぐ治る。それは景も分かっている。今まで何度も戦闘で負傷しては再生を繰り返してきた。
 瀬織はたとえ灰となっても、時間さえかければ無限に再生する永遠不滅の呪いだと……景も知っている。
 故に、景は瀬織の包帯をさして気に留めない。
 今は朱音の話題に意識が向いていた。
「じゃあ朱音ちゃんに教えてあげなきゃ!」
「ん~? ですからぁ……本人に治る気がなければ永遠に治らないのですよ」
「えっ……?」
「ずっとなりたいと思っていた特別な存在になれたんですよ? なんで今さら、普通の人間に戻らなくちゃならないんです? それに、ここの入院費は全部園衛様が払ってくださる。その気になればいつまでも入院していられる、居心地の良い眉の中、永遠の幼年期。フフ、実に不健全」
 治す必要がないから、自分の意思で治さない。
 外に出る必要がないから、いつまでも引き籠る。
 なんだか性質の悪いニートだか、助成金の不正受給者の話をしているような気分だった。
「人生に危機感がない……と言いましょうか。しかし、今世は社会との繋がりなんてすまほ一つあれば事足りますからね~。他人と接点がなくても生きていけるのは、ある意味で事実ですわ」
「園衛様、朱音ちゃんに稽古つけてくれるとか言ってたけど……」
「今どきの学生が、毎日辛いお稽古なんてすると思いますか? 正義の味方になる? なんて漠然とした、夢みたいな目標のために毎朝素振り千回、早駆け十週、365日懈怠せず続けろと言われたらぁ……翌日にはもう行きませんよ。普通は。」
「いくら園衛様でも、そんな無茶言うワケ……」
「多分、言いますわよ。ていうか実際、言ったから初日からずっと氷川さんは引き籠っているのではないですかね~?」
 世の中には、悪意なく無理強いをする人間がいる。
 自分が超人だから他人も当然できるだろうと、無理難題をふっかけるのだ。
 園衛にとっては素振り千回など朝飯前であるし、少女時代はその十倍は訓練をしていたろうから、1/10でも十分に加減した内容である。
 園衛なりの配慮と正論は、しかし常人にとってはロジハラ同然であるから、朱音の心を折るには十分すぎたと考えられる。
 尤も、それも朱音が病院に引き籠る言い訳として利用されたに過ぎないのだろうが。
「わたくしがここに来た理由と都合……氷川さんの様子を確かめるためでもありましたの」
「なにそれ……」
「まあ、ある種の保険と言いますか……。呼び塩と言いますか……」
 瀬織の回りくどい言い方に、景は首を傾げた。
 これに関しては、まだ言うべき時ではないと瀬織は思っていた。
 感情と打算の、逡巡があった。
 即、話題を変える。
「――にしても、時が経つのは意外と遅いですわねえ」
 待合室の時計は、午後5時30分に未だ届かず。
 バスが来るまで40分以上もある。
「少し、お外を回りませんか?」
 俄かに小首を傾けて、景を散歩に誘った。
 待合室の自動ドアの一枚向こうは、霜月の夕闇に飲まれていた。
 病院から漏れる光のせいで、相対的に外の闇は濃く見えた。
 敷地の周囲には患者の散策用なのか、街灯がぽつぽつと立っている。
 山へと向かう遊歩道にも、街灯が列を成して中腹あたりまで伸びているのが見えた。
「わたくしはやっぱり、夜のお山って……好きですわ」
「僕は怖いんだけど……」
 と言いつつも、景は瀬織の後についてくる。本当に厭なら散歩になぞ付き合わず、待合室で座っていれば良い。
 景は、夜闇に怯えながらも、時々ちらちらと瀬織の横顔を見やっていた。
 憧憬と慕情の眼差しを受けるのは、瀬織にとって珍しいことではない。
 2000年前から今に至るまで、男からも女からも大勢の人間から、そういう視線を一方的に浴びてきた。
 だけれども、景からの目線は特別愛おしく思える。
「奇縁で……ございますわね」
「え?」
「人の縁、ですわ。わたくしを破壊した人間の子孫の方と、こうして仲睦まじく時を過ごすなど……」
「イヤだったり……する?」
「まさか。景くんは、わたくしに生きる喜びを与えてくださいました。二本の足で人と共に歩むこと。二本の手で人と手を繋ぐこと。わたくしが人の形を得て、初めて感じる幸せでございました」
 瀬織は景に手を伸ばそうとして、途中で手を引っ込めた。
 包帯の巻かれた右手を、隠すように夜闇に紛れさせた。
「生の理から外れて、時の止まったわたくしを……再び時の流れに……命の循環に戻してくださったのは、景くんなのですよ」
「そんな大層なこと……した覚えないんだけど」
「人ならざるモノを家に置くのは……普通のようで、とても凄いことですよ。それでいて、わたくしを敬うでもなく、畏れるでもなく、家族として置いてくださった。感謝感嘆の極みにございます」
 それは果てしない偉業であるが、景に自覚はない。
 困惑して首を傾げている。そういう普通の少年で良いのだ。そんな景が、とても愛おしいのだ。
 冬の山風が吹き下ろして、瀬織の髪をふわっと浮かせた。
 景は寒さで首を引っ込めた。
「さむっ……! やっぱり冬の散歩はキツイ……」
「冬はお嫌いですか?」
「寒いからやだよぉ……」
「わたくしは……好きですよ」
 冬の山を見上げる。
 人ならざる身に冷気はさして苦痛ではない。ただ苦にならないだけで、好きになる理由ではない。
 冬は全ての生命が死と静寂に包まれる。美しいと思う。悪意があってそう思うのではない。
「冬とは、生命が殖ゆる季節でございます。草木枯れ、氷雪の中に埋もれるのは、次の春に芽吹く生命を蓄えるがゆえ……。死があるからこそ、生は瑞々しく輝くのです」
 右手をかざして、冬の大気の流れを読む。
 己の運命線が、はっきりと見えた。
「瀬織……なんか変だよ」
 後から、訝しむ景の声が聞こえた。
「なんか……どっかに行っちゃうみたいな……?」
 不安げな景の声色に、瀬織は慌てて笑顔を作った。
「ほほほ……心配性ですねえ。少なくとも、景くんが大人になるまでは……わたくし、どこにも……」
 声が詰まる。
 らしくない。自分にらしくない。不可解な稼働状態。
 人間を欺くなど、息をするより簡単なはずなのに。
 ひゅうっ……と、また山風が吹いた。
 瀬織の長い黒髪と、冬服の制服が、派手に踊った。
 その一瞬、瀬織の作り笑いが崩れて、剥がれ落ちたのは……強風に目を閉じる景には見えていなかった。
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