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第三話

剣舞のこと・舞姫は十字星に翔ぶ33

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 午後7時ともなると、宮元学院の周囲に人気はなかった。
 部活の生徒も帰宅して、校内には見回りの警備員が残っているだけだ。
 校門前の道路も小さな市道なので、車の通りもほとんどない。
 そこに中型トラックが停車した。
 運送業者の使っているような車種だが、会社のロゴマークはどこにもない。
 日中なら不審者と思われて警備員と教師に取り囲まれそうなものだが、皮肉にもトラックはこの学院の経営者が寄越した車だった。
 運転席には、南郷が乗っていた。
 運転免許は依然として更新されていない実質無免許運転なのだが、緊急時なので仕方がない。尤も、そんなことは飲酒運転の検問にでも捕まらなければ露呈しようがないのだが。
 南郷は、車のライトをローに落とした。
 控えめな光料が、校門前に立つ少女をぼんやりと照らした。
 田舎街には不似合いな少女だった。
 金髪の……スラヴ系だろうか。
 年齢は空理恵と同い年、中等部二年生で14歳とのことだ。
 夜の校門にもたれかかる姿は、どこか幻想的ですらあった。
 車を降りて、こちらから彼女に声をかける。
「ソーカルちゃん……で良いか?」
「『ちゃん』付けはくすぐったい。普通に呼び捨てにして」
 クールな口調で返された。
 人懐っこい子犬のような空理恵とは対照的で、孤高のネコ科動物を思わせる。
「空理恵から話は聞いてるよ。人様の家に居候してる無職で住所不定のお兄さん」
 酷い言われようだが、事実なので南郷は反論しなかった。
(ペチャクチャと俺のことを好き勝手に言いふらしてるのか……)
 下手をするとソーカルだけでなく、クラス全員に南郷を無職だヒモだと触れ回っている可能性がある。
 あの年頃の女の子の口に蓋をするのは不可能に近い。自慢半分、面白半分で身近な男の情報はザルのように溢れ出すものだ。
 とりあえず、それに関しては置いておく。
「園衛さん……理事長から話は聞いていると思う。乗ってくれ」
 南郷が誘うと、ソーカルは助手席のドアを開いて、猫のような身軽さで飛び乗った。
 この身のこなし……体操でもやっているのか。あるいは――
「フン、理事長ね……。なんだかんだ偉そうなこと言って結局、私をこういうことに巻き込む……だから大人って嫌い」
 ソーカルの冷たい声が、南郷の観察を阻んだ。
「園衛さんは、キミが全てを知っていると言ったが……?」
「買い被り過ぎ。人間は神様にはなれないの。私が分かるのは、電波の行き先……ていうか、なんていうか……」
 奇妙なことを口にしながら、ソーカルは耳のあたりを掻いた。説明するための言葉を選んでいる、といった感じだ。
「勘違いしないでね。別に私、頭が宇宙電波受信してるとか、そういうのじゃないから。ただ、ちょっと……普通の人には見えないモノが見えるだけ」
「そうか」
「疑わないし、詮索もしないんだ?」
「世の中には、色んな人間がいる。それだけだ」
 この学校には、普通に暮らせない子供たちも受け入れているという。なら、ソーカルが少し特殊な事情を抱えていても不思議ではない。
 不思議な身の上でも普通の人間として暮らしているのなら、不思議に思うべきではないのだ。
 南郷の反応が珍しかったのか、ソーカルは「ふうん……」と少し上機嫌に鼻を鳴らした。
「空理恵の言ってた通り、変わったお兄さんだね。そういうの、嫌いじゃない」
「それはどうも」
「でも――お兄さんは多分、私みたいな人種の天敵だと思う。理事長と同じ。だから根っこの部分じゃ仲良くなれないと思う。それだけは分かってちょうだいね」
 また、ソーカルは妙なことを言った。
 深く考える気はない。ただ、お互いに適度な距離を保って接するという点だけは理解した。
「ああ、分かった。空理恵の捜索は手伝ってくれるんだな?」
「もちろん。こういうことに関わるのはイヤだけど、友達のことなら別腹。助けてあげる」
 言って、ソーカルはスマホを取り出した。
 そして電話帳を開き、空理恵の番号に電話をかけた。
 コールはしているが、相変わらず出る気配がない。
「電源は入っているのに出ないのは携帯が手元にないのか、あるいは出る気がないのか……」
「恐らくは後者ね。子供がこれ見よがしに家出する時って、どんな気持ちだと思う?」
「自分を捜してほしい……ってところか」
「そ。お兄さん、良く分かってるね」
 程なく、ソーカルは電話を切った。
 諦めた――というより、最初から空理恵と通話するのが目的ではなかったようだ。
「うん……大体分かった」
「何が分かった?」
「空理恵の居場所」
 どうしてそれで分かるのか、南郷は全く理解できなかったが、そういうものだと納得することにした。
 園衛がソーカルを頼れと言ったのだから、それは信じるに値する。
 ソーカル自身も悪い子ではなさそうだ。疑う余地はない。
「どこにいるんだ?」
「まだ大体しか分からないよ。とりあえず――」
 ソーカルはカーナビにタッチして、地図を拡大。隣のつくし市の中心部に目的地をセットした。
「――この辺に行って。あと、出来るだけ電線のある場所を通って」
 相変わらず意味は分からないが、南郷は指示に従ってトラックを発進させた。
 鈍い加速の中で、ソーカルはいそいそとシートベルトを締めた。
「ところでさ、お兄さん」
「なに」
「なんでトラックなの?」
「荷台に……仕事道具が積んであるんだ」
 トラックの荷台コンテナには、〈タケハヤ〉と装甲服が積まれていた。
 空理恵の捜索にしても、穏便に済む確証はない。
 常に最悪のケースを考えて、致命的な失敗を回避するために、南郷は想像力を働かせていた。
 40分ほど走った後、トラックはつくし市の中心部に来ていた。
 狭い路地を徐行する車内で、ソーカルは窓の外を眺めていた。
「今日の空理恵の様子……少しおかしかった。下校する時も、なんていうか……」
「なんていうか?」
「ここではない、どこか……自分のいる本当の場所を探しに行くみたいな……そんな感じがした」
 誌的な言い回しだが、分かる話ではある。
 空理恵が失踪した理由は、自分の出生の秘密を知ったことにあると見て間違いない。
 居場所も自分も見失ったから、彷徨うしかなかった。
 一方で、誰かに見つけてほしい、助けてほしいと思っているから、携帯の電源を切らないでいる。
 尤も、その居場所を見つけられなかった南郷自身に、空理恵を説得できる自信も権利もあるとは思えなかった。
「――止めて」
 唐突にソーカルに言われて、南郷は軽くブレーキを踏んで速度を緩めた。
「どこに止めるって?」
「ここ。カラオケ屋」
 ソーカルが窓の外を指差した。
 狛犬をデフォルメしたマスコットキャラの描かれた看板がギラギラと照明に照らされていた。店の名前は、〈カラオケ招き犬〉。東京を除く関東圏に広く出店しているカラオケチェーンだ。
 南郷は駐車場にトラックを乗り入れて、レバーをパーキングに入れた。
 中型トラックなので、店の迷惑にならない範囲で駐車できたのは幸いだった。
「ここにいるのか?」
「ちょっと待って……」
 ソーカルがスマホを取り出し、シュリンクスのアプリを開いた。
 空理恵のID宛てに〈起きてる?〉と短文を送信。もちろん、返信は期待していない。メッセージは受信されて既読判定が入ったが、レスポンスは無かった。
 だが、受信されること自体がソーカルの目的だったようだ。
「……二階の14番の部屋にいる。後はお兄さんの仕事だよ」
「分かった。ありがとう」
 南郷は簡潔に謝辞を述べると、園衛借りたスマホを出した。
 電話帳で〈鏡花〉を選択して、即座にコールした。
 少し時間はかかったが、鏡花が電話に出た。
『はい、もしもし……』
 声に張りがない。夕方の一件で落ち込んでいるのは分かる。
 そして、どういう反応をされるか分かった上で、南郷は口を開いた。
「悪いが園衛さんじゃない。俺だ。南郷だ」
『――ッッッ!』
 喉の引きつる音が聞こえた。
 このままだと即切られるのは間違いない。
 南郷はすかさず、強い語気で続けた。
「切るな! あんたに仕事を頼みたい。俺ではなく、園衛さんからの仕事だ」
『なんなの……なんなのあなた!』
「なんだって良い。俺のことは何とでも思え。だが仕事はやれ。簡単な仕事だ。人を迎えに来てほしい。厄介事に巻き込んでしまった女の子だ。それくらい出来るだろう」
 電話の向こうで、鏡花が息を切らしていた。
 過呼吸気味だった。南郷にどういう感情を抱いているかは分かる。
 ここで感情を押し込められなければ、鏡花はただの小娘だ。もう二度と頼ることもないだろう。
 鏡花の呼吸が、次第に落ち着いていくのが聞こえた。
『……どこに行けば良いんですか』
「ここは……カラオケ招き犬。つくし学園中央店……だな」
 南郷はバックミラーで店名を確認しながら言った。
『……分かりました。すぐに行きます』
 鏡花は掠れた鼻声で答えて、電話を切った。
 一応は合格。最低限は使える人間、というわけだ。
 南郷はシートベルトを外しつつ、ソーカルを横目で伺った。
「悪いが、車を降りてくれ。すぐに迎えがくる」
「空理恵にケガはさせないでね」
「善処する」
 南郷とソーカルは、ほぼ同時に車を降りた。
 ソーカルの物分かりの良さと判断力は、一般人のものではない。荒事に馴れた人間のものだ。それだけは分かるが、それ以上は考える必要もない。
 懐の中身に指で触れて確認する。ホルスターに収めた大振りのナイフが一本。携帯する武器はそれだけだ。尤も、相沢から貰った特製の武器なので威力はお墨付きだ。
 これを使うことがないよう祈りながら、南郷はカラオケ店に入った。
「いらっしゃいませ~」
 男性店員の出迎えを受けつつ、南郷はカウンターに向かった。
「14番の部屋で友人の女の子が待ってるんで、合流して良いですか?」
 一般客を装って、ごく自然に切り出した。
 後から来た友人が部屋に加わるのは、良くあることだ。
 店員は馴れた様子で対応してくれた。
「はい、分かりました。それではお一人様30分300円となっております~」
 案内を適当に受け流して、南郷は速足で二階に向かった。
 不十分な防音で客の歌声が廊下に漏れている。左右から響く音楽と素人の歌に揉まれながら、目当ての部屋を探して歩いて、〈14〉の番号札を見つけた。
 部屋の中からは、少女の歌声が聞こえた。
 空理恵の声ではなかった。だが聞き覚えがある。
 誰がいるのか察しをつけて、南郷はドアを開いた。
「失礼する」
 無言で突入するわけではない。戦う気は最初からないので、断りを入れて入室した。
 歌声は止まり、聞き慣れないJPOPのメロディだけが流れている。
 室内には、軽食とジュースが散乱したテーブル、ソファで眠る空理恵、立ってマイクを握る少女が一人。
「フフ―ン……来ると思ってましたわ、お兄さん♪」
 制服姿のアズハがミラーボールに照らされて、南郷を待ち構えていた。
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