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第三話

剣舞のこと・舞姫は十字星に翔ぶ15-ゴッドストライカー襲来の巻-

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 ショッピングモールの一角にボウリング場がある、というのは中々どうして異様な光景である。

 テナントの入れ替えに工事を要する大掛かりな設備を備え付ける理由は、ここのオーナーが大のボウリングファンだという、その一点に尽きる。

 そして、テナントとして入っているゲームセンターの運営会社も同様。常にボウリング大会のスポンサー企業として名を連ねている。

 ボウリング場の受付には、オーナーが過去にゲストとして呼んだ外国のプロボウラーと熱い握手を交わす写真が飾ってあった。

 写真に映るのはアメリカ代表の世界ボウラー、フリーダム・バターフライヤーである。

 彼はバターを愛するあまり、1日1kgのバターを摂取。正にフリーダムな食欲であった。健康だの摂生といった全ての抑圧からの解放であった。

 彼はボウリング遠征中も背中のフライヤーでバターを揚げ、各国の子供たちに振る舞ってはドン引きされることで有名だった。

 そんな彼も肝硬変を患い、惜しまれつつも昨年逝去した。

 今日、ここにやってくるゲストのプロボウラーも業界では有名な選手である。

 神喰澪――世界最強と謳われる、日本代表の若き女流ボウラーである。

 だが、場内では全く別の顔ぶれが闊歩していた。

「オラーッ! とっととドリンクバー持ってこんか~~いっ!」

「先生はレモンソーダとドクターシナモンのミックスをご所望じゃ~~っ!」

 テーブルを占有し、傍若無人に怒鳴り散らすガラの悪い男たち。

 彼ら自体はさしたる問題ではない。

 大の問題は、群れの中心で尊大に座る、ただ一人の異様な怪人であった。

「サービスの悪いボウリング場だのォ~~っ!」

「この御方を誰だと思っとんかのぉ~~? あの栃木代表プロボウラー、マスク・ザしもつかれ先生! その人やぞ!」

 ドン引きする一般客に向かって、男たちが自分たちの頭領を紹介した。

 しもつかれ、という食品がある。

 主に栃木県で消費される郷土料理であり、鮭と大豆、野菜を酒粕で煮込んで調理する。

 栃木県のスーパーマーケットでは透明ビニールに詰められた状態で良く販売されているのだが、その見た目はエチケット袋に排出された吐瀉物に近く、若年層からは不評である。

 その、ビニール入りしもつかれを頭部に被った怪人――彼こそが、マスク・ザしもつかれだった。

「フォッフォッフォッ……まあ皆さん、お静かに。こんな禿山みたいに人口密度すかすかド田舎の人間には、私の名前を知らない無知蒙昧な人も多いんでしょう。何せ人間よりレンコンの方が多いなんていう、哀れな土地なんですから。ここは――大目に見てあげましょうねぇ~~っ? フォ――ッフォッフォッフォッ!」

 偏見と嫌味を込めて、不気味に笑うマスク・ザしもつかれ。

 彼は頭頂部のビニール袋の口を開くと、空になったグラスからボトボトと氷を流し込んだ。

 「フォ~ッフォッフォッフォ」

 アイスしもつかれと化したビニールの内部で、ゴリゴリと豪快に氷を噛み砕く音がした。

「ヒュー! さっすがマスク・ザ先生~~っ!」

「スゲー! 氷を一瞬でぇ! なんてパワーだぁっ!」

 氷を噛み砕くのを褒め称える小物たち。

 そんなこと誰にでも出来るだろう、なんてツッコミは心の中にしまっておくのがTPOというものだ。

 傍若無人に騒ぐしもつかれ軍団を敬遠して、一般客はそそくさとボウリング場から逃げていく。

 明らかな厄介者である。

 ゲームセンターには、こういった厄介客に対応するための人員が用意されているのが常だ。

「お客様……。当店のドリンクバーはセルフサービスでございます」

 妙にガタイの良い、強面の店員が現れた。いわゆる厄介担当であった。

 大抵の厄介客は、この類の店員が強い口調で注意すれば萎縮するのだが、そうでない連中もいる。

「フォッフォッフォッ……昔のファミレスは飲み物は店員がうやうやしく運んできたものです。昔できたことを今できないワケがないしょう? 私はお客様なんですよぉ~~っ?」

「当店はファミレスではありませんので!」

 店員が正論で突き返すと、マスク・ザしもつかれは再び頭部を包むビニールを開いた。

「瞬間安眠……しもつかスリープ……!」

 マスク・ザしもつかれの頭部から、甘ったるい酒粕の臭いが放出された。

 濃厚なアルコールには強烈な催眠効果がある。

 店員はふらつき、瞬く間に床に倒れ伏した。

「バカがぁ! マスクザ先生に刃向うから、こォーーーいうことになるんだよォ!」

「分かったらとっととレモンソーダとドクターシナモン、ミックスで持ってこいやァ――――ッ!」

 今やボウリング場はしもつかれ軍団に完全に乗っ取られていた。

 ショッピングモールの警備員を呼んだところで結果は同じ。

 プロボウラーを倒せるのはプロボウラーのみ。もはや常識である。

 カウンターの店長は頭を抱え、興味本位の客が遠巻きに軍団をスマホで撮影する絶望的状況。

 このままでは閉店時間まで居座られる。折角の休日のかきいれ時が台無しにされてしまう。



 ボウリング場の入り口で、南郷と空理恵は異様な世界観を見せつけられていた。

「なんだよアレ……」

「見れば分かんじゃん! 悪のプロボウラーだよっ!」

 分からない。全く分からない。

 困惑する南郷。空理恵はカメラでマスク・ザしもつかれを撮影して、UKAアプリで検索した。

『マスク・ザしもつかれ 元栃木県代表プロボウラー 栃木県しもつかれ普及協会の公認選手でしたが しもつかれのイメージダウンに繋がる数々の横暴により 現在は 除名されています 必殺技は 酒粕の発酵ガスで 相手を眠らせ その間に投球を行う しもつかスリープ』

 UKAが丁寧な怪人解説をしてくれた。意味が分からなかった。

「……別の所に行こう」

 厄介者に因縁をつけられたくない。そもそも、こんな世界観に関わりたくない。

 南郷の判断は当然だった。

 だというのに、空理恵は不満と期待に満ちた目で見上げてくる。

「えぇ~~っ! アニキ、サザンクロスなんでしょ~~っ!」

「だから、なに……」

「サザンクロスvsマスク・ザしもつかれ! 見た~い!」

 そんな、ヒーローショー紛いのことを強請られても困る。

 無視して逃げようとした南郷の手を、空理恵が掴んだ。

「アニキ、正義の味方でしょっ!」

「そんなモンになった覚えはない……」

「じゃあ、アレも無視しちゃうの?」

 空理恵はボウリング場の一点を指差した。

 そこでは、学生服姿の女子高生がマスク・ザしもつかれ軍団員に絡まれていた。

 竹刀ケースを担いで、ブレザーの制服を着た、日焼け肌と金髪の派手な見た目の少女。彼女はガラの悪い男たちの格好のターゲットだったようだ。

「ちょっ……困るンですけどォ……」

 少女の口調には関西訛りがあった。

 全く乗り気でない少女を無視して、軍団員たちは下卑た目つきで彼女を取り囲む。

「ぐへへへ……まあまあ、そう言わずにさぁ~?」

「ウチの先生、お金持ちなんよ~。これから夜まで楽しいこといっぱいしようぜ~っ?」

 絵に描いたような三下悪党ぶりである。

 少女は面倒臭そうに溜息を吐いて、ツーサイドアップの金髪を弄った。

「はー……。ったく、兄さんたち……しつっこいですねェ、ホンット……」

 吐き捨てるように言って、少女は竹刀ケースに手を伸ばした。

 ほぼ同時に、南郷の声が横から割り込んできた。

「悪い悪い、遅れちゃったみたいで――」

 無視しても良かったのだが、空理恵に頼まれては仕方ない。

 可能な限り自然な風体で、南郷がすっと会話に入り込む。

「――うちの妹が、何かご迷惑でも?」

 月並みだが、少女の兄を装って救出する作戦だ。

 恋人よりは親類縁者の方が暴漢の感情を軟化させ易い。あとは、少女の要領が良いことを願うだけだ。

 南郷がさりげなくアイコンタクトを送ると、少女は薄く笑って了解を示した。

「兄さん、気にせんといてや~! ウチがあんまり可愛いから、この人らもちぃーーっと興奮してもうたんや。ねぇ?」

 少女は流れるような動きで、南郷の横にぴったりと張り付いた。軍団員たちとの間に、目に見えぬ心理的境界線を張った。

 さて、どう出るか――と、南郷は軍団員たちの出方を待つ。

 ここで萎えて引くなら良し。粋がって手を出してくるのなら、状況は少し悪くなる。騒ぎは起こしたくない。そもそも、わけの分からない世界観に生きている連中とは関わりたくない。

 運が悪いことに、マスク・ザしもつかれ本人がこちらに気付いた。

「ん~~? どぅしたお前ら~~? なァにを騒いで――」

 直後、マスク・ザしもつかれの頭部に球体が衝突した。

 金色に塗られた直径約22cmの金属球――ボウリングボールであった。

 ビニールの口から発酵した内容物を噴出し、マスク・ザしもつかれはぐにゃりと歪んで吹き飛んだ。

「ぬぼぇーーーーーっっ!」

 テーブルをなぎ倒し、レーン上に転がるマスク・ザしもつかれ。

 その頭部を直撃したボールは音を立てて床に落ちた。

 指貫グローブをはめた細く、しなやかな指がボールを拾い上げた。

「神聖なボウリング場が発酵食品臭くなるわ。喋らないでもらえるかしら」

 冷たい白刃のように空気を切り裂く、女の声。

 その声の主を見て、マスク・ザしもつかれが慄いた。

「げえっ! おっ、お前はーーーーっ! ゴッドストライカー澪!」

 引き締まった体躯の女流プロボウラー。彼女こそ、ゲストである神喰澪。またの名を、ゴッドストライカー澪!

「久しぶりね、酒カスマスク」

「マスク・ザしもつかれだ! 頭にボール投げるとか何考えとんだお前はーーーっ! こんなんワシがプロボウラーじゃなかったら死んどるわ!」

 名前を間違えられて訂正するマスク・ザだったが、神喰澪は投球のごとくスルー。

「どうでも良いわ、甘酒仮面。あなたは世界ボウリング連盟からも除名されている。つまり、プロボウラーというのも詐称ってことになるわね」

「だからどぉーーーーしたっ!」

「ボウリングと食べ物を粗末にする奴は許すまじ」

 神喰澪の全身から闘気が、いや黄金のボウリング力が迸った。

「ぬひっ……」

 マスク・ザしもつかれの全身から血の気が引く。自分が倒れているのが一直線のレーン上であると気づいた。

 そこは、ゴッドストライカー澪の投球の射界なのだ。

「レーン上にあるということは、それ即ち打ち倒すべきピンということ! ゴッド! ストラァ―――イクッッ!」

 気功と重心移動を併用した華麗なる投球フォーム。ボウリングの絶技、ゴッドストライクが投げ放たれた。

 ボールが音速を超えた衝撃が場内に轟き、何か巨大な異物が全てのピンと共にレーンの奥、因果地平の彼方へと吸い込まれて消えていった。完全なストライクであった。

「せっ、先生―――っ!」

「マスクザ先生――――っ!」

 大将を失った軍団員の悲鳴が響き渡った。

 兎にも角にも、どさくさに紛れて南郷は少女を連れて異界から脱出した。

「全く……なんなんだよ連中は……」

「えっ、アニキ知らないの? ゴッドストライカー澪だよ~」

 空理恵は当然の常識のように言った。

 異様なボウリング業界の人間を、誰もがみんな知っているヒーローのように言われても困る。

「そんなん知らんわ……」

「本名は神喰澪! 姉上の昔の知り合いで、ウチにも良く来てたんだよ。アタシも良く遊んでもらったな~。一昨年の正月に、父上のこけしコレクションでボウリングやったら出禁になっちゃったけど」

「こけし……?」

「うん。こけしをピンにして、庭でボウリング。でもなんか、1個3000万円のこけしだったとかで、父上が真っ青になってた! アハハハハ!」

 ボウリングもこけしも、南郷には理解し難い趣味の世界だった。こけしに関しては、有名な職人の作った逸品がコレクター間で高値で取引されているというのは聞いたことがあるが……。

 空理恵の話がツボに入ったのか、少女がくすくすと笑っている。

「ふふふふ……おもろい人らやなあ。いや、中々スリリングなドキドキ体験でしたわ。ちょっとした、お姫様気分も味わえましたしねぇ?」

 少女は、悪戯っぽく南郷を見やった。

「おおきに、お兄さん。ウチはそう……アズハ言います」

 アズハ、と名乗った少女は南郷に軽くお辞儀をした。

 感謝の意は本物だろうが、偽名らしき名乗りに空理恵は首を傾げた。

「アズハ? ペンネームか何か?」

「いやいや、ウチの愛称みたいなもんや。ほら、本名はこんな感じなんで――」

 と、アズハは学生証を取り出して見せた。

 本名は、小豆畑霧香。年齢は17歳。都立高校に在籍している、と記載されていた。

「――な? 小豆畑だから、略してアズハ。響きが可愛くて気に入ってるんや」

「へー。ていうか、東京の高校なのに関西弁?」

「関西で~生まれた女や~からね~♪」

 饒舌に、歌うように身の上を語るアズハは、一見するとフレンドリーな少女だ。

 しかし、ここで素直に言われた通りの内容を信じられないのが、南郷という男だった。

 アズハの体つきを、観察する。

 遊び好きで軽薄そうな見た目とは裏腹に、背筋は伸びて、体格も引き締まっている。

 竹刀ケースを担いでいるのだからスポーツ経験者のようにも見えるが、何のスポーツだ。ミニスカートから伸びる褐色に日焼けした足は、細くしなやかで野鹿のようだ。剣道経験者の筋肉のつき方ではない。

 その南郷の視線に、アズハが気付いた。

「いややわぁ、お兄さ~ん♪ ウチの足、そない気になりますかぁ~?」

 アズハは、挑発的な笑みを浮かべて、これみよがしに足を伸ばして見せつけた。

 ただの女子高生が、自分が見られていることを気配だけで察知できるものか。

 不信感を抱く南郷だったが、別の感情がふと口から零れ出た。

「きみ……なんか疲れてないか」

「えっ」

「いや、なんでもない。変なことを言って、すまない」

 自分でも何故、そんなことを言ったのか良く分からず、南郷はばつが悪そうに顔を背けた。

 アズハも意表を突かれたらしく、困惑を誤魔化すように笑っていた。

「たはは……いきなりエラいこと言いますねぇ。でも、お兄さん優しいんですね~? 意外、ですわ」

 また、妙に引っかかる口振りでアズハが言った。

 意外? 何が意外だというのか。初対面の印象だけで、南郷のことを計り知ったような言い方だった。

「君は……」

「ほな、縁があったらまた会いましょうねえ、お兄さん♪」

 アズハはするりと身を翻して、空理恵の肩を優しく叩いた。

「空理恵ちゃんも、またな♪」

「えっ? あ、はい……」

 呆気に取られる空理恵の横を通り過ぎて、アズハはショッピングモールの人だかりに消えていった。

「アレ? アタシ、名前……言ったっけ?」

 混乱する空理恵の後で、南郷はキャリーケースに手を掛けた。

 厭な予感がする。これを使う事態が起きるかも知れない。

 論理ではなく、あくまで勘だ。長年、修羅場に身を置いてきた戦闘熟練者ゆえの本能的な予感が、背筋を強張らせていた。

 ふと、足元に違和感を覚えた。

 床が揺れている。否、建物全体が揺れている。

 ボウリング場のカウンターに置かれた、広告ディスプレイがカタカタと動き始めた。

 レーンに並んだピンが倒れ、ボールが床に転がり落ちる。

 予感した異変が、現実になりつつあった。
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