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第三話

剣舞のこと・舞姫は十字星に翔ぶ6

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 東京都、芝浦ふ頭某所。

 深夜2時を回ったコンビニの裏手に、一人の少女がいた。

 暗がりの中でスマホを弄る、ブレザータイプの制服姿の女子高生。肌は真っ黒に日焼けして、耳にはピアス、目は紫のカラーコンタクト、顔には派手なメイク。金髪に染めた髪はツーサイドアップにまとめ、スカート丈も限界まで短く詰めた、かなり目立つ格好だった。

 とっくに未成年の外出できる時間は過ぎており、警らの警察官に見つかれば即補導という危うい状況なわけだが、少女は全く気に留めていない。

 少女の足元には通学用のバッグが置かれ、ナイロン製の携帯用竹刀ケースがコンビニの壁に立てかけてある。

 好意的に見れば、部活の帰りに友人と深夜まで遊んだその帰り――という解釈もできる。

 だが、少女の外見はどうひいき目に見てもスポーツ少女のそれではない。

 むしろ、良からぬ逢引きの待ち合わせをしている、という方が相応しい。

 実際、少女の顔立ちとスタイルは、誘蛾灯のように男たちを引きつける魅力に満ちていた。

「ねー、きみぃ。どしたの?」

 いかにも軽薄そうな二人組の男が、少女に声をかけた。

 この二人はコンビニの客で、店から出た後で少女の存在に気付いたらしい。

「暇だったらさ、カラオケ行かない?」

「俺たち夜型だから、オールもオッケーよ?」

 男達の欲に塗れた視線は、少女の艶やかな太腿からすらりと伸びた黒いハイソックスとローファーの足元までを嘗め回す。

 下心丸見えの男たちの誘いを見透かして、少女はクスリと笑った。

「ゴメンなあ、お兄さんたちぃ。ウチ、お客と待ち合わせしとんねん」

 流暢な関西弁だった。

 だが甘ったるい少女の声で奏でられる方言は、珍しさよりも愛らしさの方が印象に残った。

「あれっ、もしかして関西の子ぉ?」

「かわいーじゃーん!」

 男たちは、どうにか少女を口説き落とそうと気を張り始めたが、当の少女は荷物を抱えてすっ……と合間を抜けていった。

「ほら、もうお客が来てもうた。お兄さんらとは、また今度……な?」

 上手く口実を作りつつ、遺恨を残さぬよう愛想笑いを振り撒いて、少女は道路の向こう側に歩いていった。

 街灯の下には確かに、少女の客らしき背広姿の男が見えたので、男たちは顔を合わせて「しゃーねーな!」「また今度だな、今度!」とサッパリと諦めて去っていった。

 少女は、客と呼んだ男の前ですたっとローファー履きの足を止めた。

「遅いでぇ~、お客さん? こない夜中じゃあんまり遊べんと思いますけどぉ?」

「なぁに、そんなに時間はかからないさ。テキパキお仕事してくれればね」

 サラリーマン風の中年男性だが、声は見た目に反して飄々としている。

 少女は妖艶に笑って、背伸びをして男の耳元で囁いた。

「合言葉、言えます?」

「アズキバタケで捕まえて」

 男の奇妙な言葉を聞いて、少女はフッと笑った。愛想笑いを浮かべつつも、どこか醒めたような目をして、背伸びを止めた。

「ご依頼のお客さんですね。今宵、お相手をさせて頂きます。ウチはアズハと申します。どうぞよろしゅう」

 軽い会釈をして、アズハと名乗った少女は三歩後に身を引いた。

 男は、顎のあたりを擦りながらアズハを見た。

「アズハ……というのは偽名だろうね。まあ、僕も似たようなモンだしぃぃぃぃ……」

 すると、男の顔面にノイズが走り、全く別の顔に変化した。

 それは、顔のない無貌の仮面を付けた、異様な風体だった。

「ぼぉくは! エデン・ザ・ファー――」

 何を思ったか、男は急に大声で自己紹介を始めた。

 アズハは焦って男の口を手で抑えた。

「ちょっ……アンタ、なに考えとんねん!」

「――おぉーーっと、ソーリィソーリィ……。いつもの癖でねェ~~っ」

 男は声を抑えて、改めて自ら名乗った。

「僕はエデン・ザ・ファー・イースト。たまたま日本に来た時に、キミと同じ雇い主にお仕事を頼まれた。一晩限りのお付き合いだろうが、よしなに」

 エデン・ザ・ファー・イーストが、もう一度顎を擦る仕草をすると、仮面は再び中年男性の顔に戻った。

 どこにでもいそうな、しかしどこにもいない、ありふれた日本人男性の顔。

 あの仮面にはそういう機能があるのだと、アズハは理解した。

 そこから二人で暫く歩いて、ビルの廃墟に辿りついた。

 立ち入り禁止のフェンスに囲まれた廃墟は焼け焦げて、火災の跡を物語っている。

 周囲は不自然に更地に囲まれ、この廃墟も含めて管理者は〈厚生労働省〉と全ての看板に記載されていた。

 アズハは施錠されたフェンスの扉に、鍵を差し込んで開錠した。

「おっと、鍵の出所は聞かんといてや」

「ま、そういうことだよね」

 根ほり葉ほり聞かない暗黙の了解、というわけだ。

 廃墟の敷地内に入ると、エデン・ザ・ファー・イーストは偽装を解いて仮面の顔に戻った。

「しっかし、ここまで二人揃って歩いてきたけどォーーーッ! 案外、警察に職質とかされないもんだねぇぇぇぇぇ!」

 周囲に人気がないからと、エデン・ザ・ファー・イーストは遠慮なく大声を出し始めた。

 アズハは、相方の変人ぶりにはもう馴れた様子だった。肩をすくめて軽く答える。

「隠行の術っちゅう奴や」

「オンギョー?」

「忍の術の一つや。普通に歩いてるように見えても、ウチは人目や監視カメラの死角を選んで移動してきたんや」

 アズハの解説に、エデン・ザ・ファー・イーストは興味深そうに首を傾げた。

「ホォー、忍術? ということはキミはニンジャ? JKっていうのもただの変装? ナンチャッテJK?」

「さあ? それは想像にお任せしますわ。女子高生ってのは、忍として動くのに色々と都合がええのは確かやけどね」

「ホォー、つまり?」

「でっかいカバン持ち歩いてても部活の道具にしか見えんし、どこ歩いてても不自然やない。それに、潜入した先で見つかっても子供の悪戯っちゅうことで言い訳が立ちますしね」

 言うと、アズハは背負った竹刀ケースを振って見せた。中身が竹刀でないことは、もはや明らかであった。

 なるほど、確かに意外にも女子高生に扮した忍者というのは理にかなっているのだなと、エデン・ザ・ファー・イーストは相槌を打った。

 二人は廃墟の中に踏み入った。

 火災が起きたのはもう随分前のことだろうに、以前として焦げ臭い。

「で、ここはなんなんです?」

 アズハは場所を指定されただけで、ここが具体的にどういう施設で、何があるのかは聞かされていない。忍者に依頼される秘密の仕事とは、大方そういうものだ。機密を守るために、下っ端には断片的な情報しか与えられない。

 情報に関して守秘義務は特に無いのか、エデン・ザ・ファー・イーストはアッサリと答えてくれた。

「厚生労働省の外局、医薬庁の薬事監査委員会の庁舎だった所さ」

「医薬庁ぉ……?」

 反射的に、アズハはスマホを取り出して検索しようとした。

 それを、仮面の男が制止する。

「タンマタンマ。知識の補完を文明の利器に頼り過ぎるのは、人間として退化していると思わないかい?」

「じゃあ、代わりに教えてくださいよ」

「そぉぉぉぉぉぉう! 要はスマホより僕に頼ってくれというワケさあああああああ!」

「声は小さくお願いしますわ」

 流石に、この男の大声にはアズハも辟易しつつあった。距離も近いのに、いちいち大声を出されてはたまらない。

 歩きながら、声のトーンを落としてエデン・ザ・ファー・イーストは解説を始めた。

「医薬庁は10年前の薬事法改正に伴い、医薬品の迅速な治験と認可を行うために厚生労働省の内局が発展、独立した省庁――というのは表向きの建前。実際のところ、お役人と政治屋さんたちが外資の製薬会社とベッタリ癒着の汚職で美味しい思いをするために作られた、腐敗の殿堂だった。と。ここまではネット辞典にも書いてあるね」

「そんなんがバレてるっちゅうことはぁ……」

「イェス。ある日、ネットに談合やら出入金の記録がドーーンと丸ごとアップされちゃってね。マスコミも懐柔してたのに全てがご破算。国民から大バッシングを受けて、医薬庁が解体再編されたのが7年前。そして、このビルが焼けたのも7年前」

 7年前の汚職事件などアズハが知るはずも無かった。そんなニュースは子供の頃から今の今まで全く興味がない。

「ふぅん……ウチ、むつかしい話は嫌いやわ」

「折角教えてあげたのに」

「ウチが好きなのは楽しいことと気持ち良いコト。あとはゼニの話やな」

 要するにアズハは快楽主義なのだ。小難しいことはそれで給料を貰っている奴が考えれば良い。

 アズハはバッグからライトを出して先を照らすが、エデン・ザ・ファー・イーストは先行してどんどん闇の中に進んでいく。仮面に暗視機能でもあるのだろうか。

「で、医薬庁と癒着してた外資の製薬会社ってのがクセモノでね~。ぶっちゃけぇ~~、そいつら悪の秘密結社だったのよ~~」

「はあ?」

 アズハは怪訝な顔で声を上げた。

 政治や汚職の話と思いきや、急に突飛な単語が出てきたのだ。このふざけた男、冗談でも言っているのか。

「1900年の歴史を持つ世界的秘密結社、暁のイルミナ。グノーシス主義を根幹の思想として持つ彼らは、技術によって人間の肉体と魂は高次元に到達し、いつの日か神の世界に旅立てると信じていた」

「あのぉ……つまり、どういうことですか? 急にそない意味わからん設定つらつら言われましても……」

「簡単に言うと、人間を科学と魔術で改造するのが趣味の変態集団がいたのさ。その連中が医薬庁を牛耳っていた」

「はあ……」

 まるでアニメか漫画のような話で、アズハには実感が持てない。

 エデン・ザ・ファー・イーストは、フフンと鼻を鳴らして横目でアズハを見やった。

「僕に言わせりゃ、ニンジャも似たようなモンだけどねぇ! ファーーーンタスティックでファーーーーナティックな職業じゃあないか!」

「せやろか……?」

 自分がゲテモノ扱いされているようで、アズハの表情は複雑だった。

 地下に続く階段を降りていくと、エデン・ザ・ファー・イーストは地下三階部分の踊り場で足を止めた。

「確か、この辺かな?」

 何もないコンクリートの壁を調べて始めたかと思えば、左端の壁面まで体を這わせて、ぐっと全身の体重をかけて圧し掛かった。

「オーケー、ビンゴ」

 壁が鈍い音を立てて動き始めた。さながら、RPGゲームか冒険映画に出てくるダンジョンの仕掛けだ。

 エデン・ザ・ファー・イーストは、壁の向こうに進みながら、背中越しに話を続けた。

「暁のイルミナは、どうして医薬庁なんて作らせたと思う?」

「そりゃあ……製薬会社やから……」

 儲けるためだろう、と言いかけてアズハは口を噤んだ。わざわざ日本の省庁を新しく作らせたのだ。そんな単純な話ではあるまい。だが、考えるのはどうも面倒臭い。

 幸いにも、謎かけの答え合わせは自動的だった。

「医薬庁は、合法的に全日本国民の健康診断、予防接種、遺伝的疾患の有無といったビッグデータを管理、閲覧できる立場にあったんだ。それを利用すれば、改造に適した素体を効率的に抽出することが出来る」

「改造って……人を選ぶモンなんですか?」

「暁のイルミナの改造手術はかなり特殊でね。機械を埋め込むサイボーグ処置やサイバネティクスとは異なっていた」

 壁の向こうをライトで照らして、アズハは背筋に冷たいものが走った。

 簡素な鉄製の非常階段が、遥か下方まで続いている。廃墟の下には、巨大な地下空洞が作られていた。

「なんやコレは……」

「医薬庁薬事監査委員会の本庁舎というのは表向き。実体は暁のイルミナの日本グランドロッジ……つまりは悪の組織の日本支部だったのさ。雇い主がキミを僕に付けたのは、ここの警備装置が生きていた場合のボディガードってこと。それに、こんな所を夜中に一人でウロウロするなんて心細いからね~~っ!」

 謎というのは謎のままだから恐ろしいもので、未知を既知に変えてくれる解説者のおかげで、アズハは警戒心を大分緩めることが出来た。未知のダンジョンで何が襲ってくるか分からない状況よりは、余裕を持って警護が出来る。

 階段を下へ下へと降りながら、エデン・ザ・ファー・イーストの解説は続いた。

「彼らの改造手術は、ギガスの腕輪という道具を使う」

「腕にハメるんです?」

「腕輪、というのは便宜上そう呼んでいるだけさ。まるで神話の巨人が腕にハメるような大きさと意匠のハラマキ……いやベルトだな。それを腰に付ける。すると、装着者はベルトと一体化して超常の力を得る」

「それで神様になる、と」

「ところが、そぉーーう簡単な話ではないんだなあ」

 残念そうに、どこか楽しそうに、仮面の男は謳った。

「人は何かを得るためには何かを捨てねばならない。神の力を得た瞬間、自我が溶けて個体としての主体性を失ってしまう。つまり自分が何者かすら忘れた、抜け殻になってしまう」

「そんなん、ただの失敗作やないですか」

「彼らはそれを知識で乗り越えようとした。自我を現世に繋ぎ止める強い存在、この世界がどんなモノだったかを忘れないための記号を腕輪に刻んだ。動物や植物の形をね。そして、彼らは神話の獣人めいた姿の超人になることが出来た」

 アズハが想像したのは、特撮番組に出てくるような半獣半人の怪人の姿だ。奇しくも、古典的改造人間のイメージそのものだった。

「それで漸く成功、と」

「いいや失敗の大失敗。今度は人間性や知能を喪失してしまった。腕輪の貴重な適合者がケダモノ同然になってしまうのが長年の課題だった。それを解決したのが医薬庁のビッグデータ。適合した日本人を素体に何十体も改造人間を作って、物凄い速さで改良することが出来た」

 ここまでなら、暁のイルミナなる秘密結社の目論見は見事果たされたように聞こえる。

 だが現実はそうではなかった、ということは今の無人の支部の有様を見れば察しがつく。

「成功したっちゅう割には、なーんか寂れてますね、ここ」

「人が神になるという計画は半ば達成されたが、組織内で派閥争いが生じた。ギガスの腕輪に頼らずとも、人は人の力で進化できるという派閥がいてね。彼らは医薬庁の不穏な動きを良く思わない防衛省関係者と組んで、武力抗争を始めた。その結果が、このザマさ」

 階段は、最下層まで到達した。

 埃とカビの混じった独特の臭気が充満している。

 アズハは制服の裾で口元を多い、足元を照らした。辺り一面が白い砂……いや石灰に覆われているのが見えた。

「石灰……? ここに畑でも作ってたんです?」

「ここは改造人間の墓場さ。連中はベルトを破壊されると、全身が石灰になって崩れ落ちる」

 つまり、いま自分達が立っているのは人間だったモノの成れの果てだと知らされて、アズハは気分が悪くなった。ローファー越しに死体を踏んでいるようなものだ。

「うわ、きっしょ……」

「ここに、探し物があるはずさ」

 石灰のことは忘れて、とりあえずアズハは仕事に戻ることにした。幸いにも警備システムが作動する気配はないが、それなりに警戒して先に進む。

「墓場っちゅうことは、ここは廃棄場か何かなんです?」

「半分は正解。もう半分は違う。ここは、7年前に抗争の最終決戦場だったのさ。この場所で相当数の改造人間が殺されて、結果として暁のイルミナは壊滅した」

「世界的秘密結社が、怪人倒されただけで壊滅するんです?」

 大昔の子供向けの特撮番組ではあるまいし、そんな単純な話があってたまるか。一国の中枢まで浸透するほどの大組織が、末端を潰されただけで崩壊するわけがない。

 アズハは鼻で笑うが、それはエデン・ザ・ファー・イーストが分かり易く話を省略したからだ。

「ここに至るまでに何十体と改造人間が倒されていてね。それはギガスの腕輪に頼る彼らの教義を真っ向から否定されたことになる。それで業を煮やした組織の大首領様が、自ら反体制派を粛清に来日した。彼こそは教義の体現者、究極の改造人間、グランドガバナーだ。でも、そんな大首領様も――」

「返り討ちに合った、と?」

「そう。ただの人間に殺された。自衛隊の試作兵器を使っているだけの、普通の人間にね」

「へえ……」

 アズハは初めて感嘆の声を出した。

 改造人間を倒したのは同じ改造人間ではなく、普通の人間だったというのは些か意外だった。人間として何だか誇らしい。少し興味も湧いてくる。

「組織を壊滅させたって、どんな人なんです?」

「さあ? そこまでは知らないね。ただ、サザンクロスと呼ばれているそうだ。この世で最も多くの改造人間を倒した男。反抗部隊の唯一の生き残りで、今でも改造人間の残党狩りをしているらしい」

「サザン・クロスさん……変な名前やな」

「アダ名みたいなモンだよ。それに些か誤解がある。組織が壊滅したのは、主流派の権威が失墜したからさ。教義の信用がなくなって求心力が無くなり、組織は無数に分裂、内ゲバを繰り返した果てに細切れになって消えてしまった……というのが実際のところさ。尤も、僕らの業界では単に『カルトにハマり過ぎて自滅したマヌケ集団』って認識をされてるがね」

 エデン・ザ・ファー・イーストの長い解説も、漸く終わりつつあった。

 この墓場の端の端、目的の場所に辿りついたからだ。

「こいつ、かな?」

 そう言って、仮面の男は懐からスマホを取り出した。

 目の前には、白い石像のような物体が横たわっている。

 スマホのカメラを起動し、赤外線センサーの焦点を石像の腰部――ベルトの意匠に当てた。

「スキャニング……Aクラス改造人間、エイリアスビートル……。うん、こいつだ」

 アプリ上に表示されたデータを読み上げて、エデン・ザ・ファー・イーストは頷いた。

 エイリアスビートルの名前の通り、石像は人型のカブトムシといった感の意匠をしている。全体的に洗練されたデザインで、見るからに強敵といった感じがする。

 しかし、改造人間の死体など見つけて何をしようというのか。

「石灰化……しとるように見えますが?」

「こいつはちょっと特別でね。日本支部製改造人間の完成体。対サザンクロス用の最強の改造人間……のはずだったんだが、起動前に廃棄されてしまった」

「なんでまた、そない勿体ないことを」

「大首領様がおわすからさ。普通の人間を殺すために調整された、理想の低い改造人間は神からは遠い下卑た存在だ。だから、面子のために廃棄されてしまった。哀れなことサ」

 使命にその身を捧げた果てがゴミ捨て場という、悲しき運命。さしものエデン・ザ・ファー・イーストの声にも同情の色が見られた。

 アズハも、白き亡骸に哀れみの視線を向けた。

 表情のない無機質な顔からは、悔恨の念は感じられない。だが、見ていると妙な寒気がする。怨念が滲み出ているのだろうか。

「これを……どうしはるんです? まさか、ウチに上まで運ばせる気じゃ……」

「安心したまえ。僕の仕事は、コイツが自分の足で歩けるようにしてやることさ」

 アズハの見ている前で、エデン・ザ・ファー・イーストは妙な動きを始めた。

 スマホのUSB端子に何かの機械を繋ぎ、そこから伸びたケーブル先端の電極をテープでエイリアスビートルのベルト部分に貼り付けた。

「ちょ……なにしとるんですかセンセ」

「僕の仕事は憑かせ屋サンでね♪ 雇い主からは、コイツの霊的バックアップデータを本体に再入力するように言われたのサ」

「つまり……?」

「コイツを復活させるのが、今回のお仕事♪」

 物騒な目的を白状しつつ、エデン・ザ・ファー・イーストは高速でスマホ上のキーボードを入力していた。

「でも万一失敗して、コイツが暴走したら、その時はお願いねぇぇぇぇぇぇぇ!」

「そないなお願いされても困るわっ!」

 とんだ無茶ぶりを唐突に命じられたわけだが、アズハは特に取り乱すことはなかった。

 常に冷静かつ客観的に状況を観察するのは忍の基本である。改造人間相手にマトモに戦える自信はないが、逃げるだけなら十分に可能だろう。伊達に何年もこの業界で仕事をしているわけではない。

 アズハは竹刀ケースに右手を伸ばし、様子を伺う。

 電極から火花が散り、エイリアスビートルの表面を覆う石灰層が、ぼろりと崩れ始めていた。
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