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第三話

剣舞のこと・舞姫は十字星に翔ぶ2

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 宮元空理恵、14歳。
 宮元学院中等部の二年生。ごく普通の女子中学生。
 苦手なものは、数学と頭を使うゲーム。
 好きなものは、頭を使わないゲームとスポーツ全般。
 尊敬している人は、実の姉。
 姉、宮元園衛は若いころはマンガやアニメのヒロインのように悪い怪物と戦っていた、というのは知っている。
 だが、なにせ10年も前のことなので空理恵の記憶にはないし、詳しいことは知らない。
 空理恵は、いま現在の姉が好きなのだ。
 姉はたまに、早朝に部屋を出る。
 広い屋敷だが同じ家に住んでいるので、部屋で寝ていても足音は聞こえるし、姉と女中との
「おっ……おはようございます、園衛様ぁ。今朝もまぁた木刀振り回すんですかあ?」
「変な言い方をするな。体が鈍らんように温めるだけだ」
 といったやり取りも聞こえるので、どこに何をしに行くかは分かってしまう。
 ちなみに、この寝ぼけたようで馴れ馴れしい口調の女中は、西本庄篝という。
 姉とは十年来の旧知の仲でとっくに成人しているらしいが、身長は空理衛と大して変わらない上に見た目も幼く、胸の大きさに関しては空裏衛よりも小さいように見えるので、あまり大人という感じのしない不思議な人だ。
 以前はだいたい月に一回の頻度で園衛は早起きしていたが、最近は週に一回か二回にまで間隔が狭まっている。
 姉にどんな心境の変化があったのか、それとも単なる気まぐれなのか。
 気になるなら後で暇な時に姉に直接聞けば良いのだろうが、最近の姉は以前にも増して忙しいらしく、朝から深夜まで家を空けていて、なかなか会話の機会が掴めない。
 なので、
「あー……なんかめんどっちいなあ……っ!」
 と、空理恵美は意を決して布団から起き上がった。
 屋敷の中は使用人たちが慌ただしく働く物音に溢れているが、外に出れば空気は一変する。
 広い敷地の奥に入れば辺りはしぃんと静まって、どこかで山鳩が鳴いている声だけが聞こえる。
 山に囲まれた10月の朝の空気は清廉。パジャマのままでは肌寒い。
 空理衛は手入れのされた竹林に入る。ブンッ……と疾く、重い空裂音が響いて、青竹の幹に反響していた。
 竹林の向こう側に、園衛がいた。
 しかも、割と珍しい格好をしている。
 ジャージ姿で、髪はポニーテールに結っている。その格好で、木刀を振っていた。
 大昔のドラマにでも出てきそうな体育教師じみた格好だが、木刀を振る速度が尋常ではなかった。
 肩に担ぐように構えてから、数歩の踏み込みの後、振り下ろす。その動作は分かる。だが、過程が全く見えない。
 構えたと思ったら、次の瞬間には園衛は5メートルほど前進して、木刀が振り下ろされている。木刀が空を切る音は、目視から僅かに遅れて聞こえてくる。
 見る者に僅かなりとも武道の知識があれば、これだけで園衛の剣理の深さを思い知るだろう。
 この状況を茶化せるとしたら、それは単なる無知か、気心の知れた相手だけだ。
「うわー……なにやってんの姉上ぇ」
 空理衛はヘラヘラと笑いながら、何の遠慮もなく背後から声をかけた。
「しかもジャージでポニテ! ジャポニ化姉上じゃん!」
 普段の姉からは想像も出来ないイモ臭い格好に、空理衛はブフッと吹き出した。
 園衛はとっくに妹の気配に気づいていたようで、木刀を降ろして溜息を吐いた。
「なにしに来た。早起きして授業中に居眠りなぞ、冗談ではないぞ」
 物腰の柔らかい、砕けた口調だった。ごく普通に妹に接する姉としての態度だった。
「ん~? ちょっと気になったから、尾行してみたの」
「私に尾行なぞ100年早い」
「で、来て見たら姉上がジャポニ化してるし」
「人をノートみたいに言うな。ジャージもポニテも動き易いからやってるだけだ」
 空理衛は園衛の足元を見やった。
 靴まで運動靴である。しかも学校で販売している靴と同じ。園衛は学院の理事長もやっているので、融通の効く学校用品を使うのは道理ではあるが、いよいよ本当に体育教師のようである。
 ブフッと吹き出すのを堪えつつ、空理衛は会話を続けた。
「最近、なんか良く木刀振り回してるからさ。どしてかなーって」
「篝といい、またそういう……」
 まるで大昔の不良少女がウサ晴らしに木刀を振っているような言い方をされて、園衛は微妙な表情をした。
「それは兎も角、最近は厄介事が多いのでな。いざという時に体が動かんのでは冗談にもならん」
「それで、鍛錬してるの?」
「鍛錬ではない。筋肉に油を挿すようなものだ」
 厄介事、というのは空理衛には想像がつかない。
 とはいえ、最近は学校の窓ガラスが割られる害獣騒ぎやら、海沿いでの怪獣云々の事件が連続して起きているので、園衛なりの万一の備えなのだろうと思った。
「ふうん。つまり、姉上はもうレベルカンストの最強状態だから、鍛錬の必要ないってことかあ」
「おいおい、ゲームじゃないんだぞ」
「でも、姉上はどんな奴が相手だって負けないんでしょ?」
「さて、それはどうかな……」
 園衛が、不意に困ったような顔をした。いつも自信に満ちている、無敵のような姉が。
「えっ……姉上でも勝てない敵とか……いるの?」
「いるさ。私はずっと、そいつと戦ってる」
 また、いつもの姉らしくない物良いだった。
 そんな強大な敵と戦い続けている? 今までずっと普通に家族として暮らしてきた。そんな気配は全くなかった。
 不可解な答に困惑する空理恵の前で、園衛は敷地の奥に振り向いた。
 そこには、もう使われていない古びたコンクリートの建物がある。
「お前も、いつか同じモノと戦うことになる」
「えっ……その敵って、なんなの?」
 急に恐ろしいことを口にされて、空理恵は困惑した。
 姉ですら苦戦するような敵と、何の力もない自分が戦わされるなど初耳だった。
 恐々と空理恵が見守る中、園衛は背中越しに敵の正体を明かす。
「最大の敵……それは運命だ」
 ふうっ、と風が吹いた。
 竹林の香りを運ぶ肌寒い朝の風。
 真剣な空気の充満する最中にて、脱力した笑いがこぼれた。
「ぬへへっ……なあにそれぇ?」
 空理恵には、姉が変にシリアスぶった言い方をするのがバカバカしく見えた。冗談を言っているのか、気が触れて15年遅れの中二病でも起こしたように思えた。
 園衛は、ばつが悪そうに頭を掻いた。
「まあ……運命とは言い換えれば人生だ、全ての人にとって、己の人生こそが最大最強の敵なんだ」
「自分の人生なのに敵なのぉ?」
「そう。死ぬまで戦い続けることになる。永遠の宿敵だよ」
「アタシはそういうのヤだなあ~~。いつまでも明るく楽しく人生と付き合っていきたいよ~」
 まるで実感の湧かない説教なので、空理恵はヘラヘラと笑って聞き流した。
 今のところ、空理恵は自分の人生に苦痛を感じない。多少は嫌なことがあっても、それは全て自分で解決できることばかりだ。人生に苦労している人間というのは、運が悪いか努力が足りないだけなのだと思う。
 よって、姉のような完全無欠の才媛が、こんな弱音めいた発言をするのも理解できなかった。
 園衛は、ずっと敷地の奥を見ている。
「お前もいつか分かる。分からねばならんのだよ。クリエ……」
 姉の独白は誰にも聞こえず、姉の表情は妹には見えなかった。

 その日、学校が終わって空理恵が帰宅すると、珍しく姉が家にいた。
 普段は夕方も仕事で外にいるのに、わざわざ玄関で空理恵を待ち構えていた。
「あれ? どったの姉上?」
「空理恵……話がある。私の部屋に来なさい」
 やけに真剣な表情。声色にも迫力があった。妹を絶対に逃がすまい、という脅迫めいた威圧感があった。
 14年も同じ家に住んでいるから、これが何を意味しているかは空理恵にも分かる。
 怒られる。絶対に怒られるパターンだ。
 だが、理由が分からない。姉の逆鱗に触れるような心当たりは一切ない。
 無いなら堂々と釈明すれば良いだろうと、空理恵は半ば開き直って園衛の部屋までついて行ったのだが、そこで思わぬ物品と再会する羽目になった。
「学校の先生から渡された。なんだ、コレは!」
 トン、と園衛がテーブルに置いたのは一枚のプリント。ヘッダーには〈進路調査票〉と記されている。氏名欄には〈宮元空理恵〉の文字。他の誰でもない、空理恵自身が数日前に提出したプリントであった。
「こ、これって……だから、進路調査の……アレじゃん」
「私が言っているのは、お前の書いたコレのことだ!」
 園衛、ずんと指で示すは三か所の記入欄。
 第一の希望進路には〈ヒロイン的なモノ〉。
 第二の希望進路には〈ニンジャ的なモノ〉。
 第三の希望進路には〈男をまどわすましょうの女的なモノ〉。
 園衛、大きく肩を落として落胆す。
「お前なあぁぁぁ……もう少し真面目になあぁぁぁ……」
 学校の先生がどういう思惑で理事長である姉に、直接これを手渡したのかは知る由もない。
 今、空理恵が第一に考えるべきは、姉を刺激せずに可能な限りこの場を切り抜ける上手い言い訳であるが、悲しいかな頭を使うのは苦手だった。
「えぇーと……なんつーか、その……『将来の夢はお嫁さんです~』ってのと大差なくね?」
 妹の下手な言い訳に、園衛は溜息を吐いた。くたびれた溜息だった。
「お嫁さん、というのは専業主婦ということだ。突き詰めればすなわち、結婚のための道筋を立てなければならん。どんな男を旦那にするか、旦那として将来性はあるのか、人格に難はないか、子育てはどうするか云々、考えることは山ほどある。お前は――」
「あっ! 姉上もアラサーじゃん! そろそろ結婚とか~~……」
「話を逸らすなッ!」
 園衛はバン、とテーブルを叩いた。
 このテのはぐらかしは園衛には通じないことを忘れていた。その上、少し地雷を踏んでしまった。
「大体、私に釣り合う男なぞそうそういるものか……っと、そんなことはどうでも良い! 私が聞きたいのは、この馬鹿げた漠然とした進路志望に、ちゃんと具体的な理由はあるのか、ということだ!」
「う、うーん……」
 要は、たかが進路志望票だとバカにした態度でふざけた内容を書き込んだのだとしたら、園衛は姉として理事長として大人として許すまじとロングロング説教モードに入ると考えられる。
 それは空理恵としては回避したい未来だし、書き込んだ進路希望にも一応の理由はある。
「姉上みたいな……カッコイイ大人になりたいし……」
「むっ……むう」
 自分を槍玉に挙げられて、園衛の怒気が緩んだ。
「それはまあ、良いとしよう。第二の、このニンジャ的なものというのは……」
「姉上が侍みたいに刀振り回してるから、それならアタシは被らないようにニンジャかなーって」
「第三のコレは」
「こういう人ってアタシの周りにいないし、折角ならそういう可能性も模索したいかなーって……」
 嘘は言っていない。進路志望について割と真面目に考えた末に書いたのは事実だ。
 それでも、こんな漠然とした志望しか書けなかったのには理由がある。
「大体、アタシまだ中二だよ? バイトもできない、職場見学とかもないのに、将来の志望とか言われても困るよう」
 社会経験も人生経験も貧しい14歳の中学生に、将来のことを考えろと問われても無理難題である。
 こんなアンケートめいた進路志望票を何も考えずに生徒に押し付ける教育体制の方に問題があるのではないか。もはや進路志望アンケートを出す行為自体が目的になっていないか。
 人を育てる教職がルーティンワーク化している実情を目の当たりにして、園衛は腕を組んで唸った。
「むう……確かになあ。これは先生方を集めて協議する必要があるかも知れん」
「でしょー? だからアタシは悪くな――」
「それはそれとして。冗談でこんなことを書いたのでなければ、ちゃんと進路として考えろ。ヒロインになりたけばアクション関係の養成所を目指せ。大成すれば日曜日の朝にやってる特撮ヒロインの中の人になれるだろうな。忍者にしても同様だ」
 空理恵は逃走に失敗した。
 園衛はポジティブな方向での説教モードに入ってしまった。
「忍者なら、昔の私の知り合いにもいる。今は地元で忍者のテーマパークで働いているそうだ。今度、見学に行くか? 稽古もつけてもらうか?」
「うぅー……めんどくさぁ……」
 親身になってくれるのは有難迷惑だった。
 思えば、空理恵は両親からは放任されがちで、昔から熱心に接してくれるのは専ら姉だけだった。
 こんな出来の良い姉がいるのだから、自分が両親に期待されていないのは分かる。
 だが実際に姉のような人間を目指すのは、物凄く苦労しそうだ。仮に目指したところで、姉を超えるのは無理だと分かっている。
 憧れは間近にあっても手が届かない。なんとも不思議な気分だった。
(そういや、ましょうの女って誰を参考にすれば良いんだろ……?)
 と、空理恵は姉の説教を聞き流しながら、漠然と考えていた。
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