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第二話

竜血の乙女、暴君を穿つのこと2

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 そこは薄暗く、妙な臭いのする場所だった。

 東瀬織にとって暗がりは心地の良い場所なのだが、この臭いは本能的に厭な感じがする。

 なので、瀬織は鼻から息を吸わず鼻声で話す形になった。

「なんですの、この臭い……。くっさいですわね……」

「防虫剤の臭いだ。窒素ガスに臭いはないはずだが」

 先導する宮元園衛が言った。

 ここは園衛の屋敷の敷地内。その外れにある古びた建物だった。

 見栄えの良い日本家屋の母屋と違い、鉄筋コンクリートの壁面が剥き出しの無骨な作りで、住居や倉庫というよりも要塞的な作りだった。

 事実、ここは外からの侵入を防ぎ、同時に内部からの逃亡を防ぐ、不入不出の牢獄でもある。

 暗室の奥に液晶モニタの光が見える。

 そこに座っていた人影が瀬織たちに気付くと、慌てて席を発ち、小走りに駆けよってきた。

 一見すると小柄な少女であった。

「お待ちしておりました園衛様ぁ! 言われた通りフヒヒ……二体の封印、解いておきましたぁ。フヒヒッ」

 何が楽しいのか、不気味な笑いをこぼす少女。

 瀬織は自分より背の低い、中学生ほどに見える少女をそれとなく観察する。髪質は痛んでいるし、骨格も良く見れば成人女性のそれに近い。つまる所、この少女は見た目通りの年齢ではなく、単に発育のイマイチなだけの成人女性なのだと悟った。

 園衛は「ご苦労」と謝辞を述べると、瀬織に目配せをした。

「この者は西本庄篝。こう見えて私の四つ下でな。大学院まで行ったが今の工学系はロマンが足りないとかワケ分からんこと言って就職も結婚もせずにブラブラしてたからウチで働かせている」

「けぇっ……結婚しないのはちょっ、ちょっ、ちょっ……園衛様に言われたくありませんよぉ。だって園衛様は来年でさんじゅ――」

「と・も・か・く! 篝は傀儡弄りの心得がある。瀬織もこれから世話になると思うゆえ、紹介はしておく」

 園衛は触れられたくない話題を力づくで断ち切った。

 形式に則り、瀬織は会釈をしてから簡潔に自己紹介を始める。

「どうも、西本庄さん。わたくし、東瀬織と申します。かくいう、わたくしも見た目通りの年齢でないことはご存知かとは思いますが――」

 篝は瀬織を一瞥すると、口を半開きにしたまま表情が固まった。

 一見すると、瀬織は可憐な女子高生である。同姓でも見惚れてしまうほどの、気品が漂う制服の美少女だ。

 しかし、瀬織を見る篝の目には明らかな恐怖が浮かんでいた。

「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ! なーっ、なっ、なー―――っ!」

 妙な悲鳴を上げて園衛の背後に隠れる篝。

「どうした篝。急に変な声を出すな」

「ぁぁぁぁぁぁっ……は、話には聞いてましたけど……な、なんですかアレは……」

「なにって。説明した通りのモノだ。見た目も見たままだ」

「そ、そりゃ説明して頂きましたけどぉ……。あ、あんなものが普通に歩いて、喋って、目の前にいるとか……そ、園衛さまは良くマトモでいられますねぇ……っ」

 篝にしてみれば、瀬織は常識の埒外の存在だった。

 ロボットでもなく、空繰でもなく、人間でも魔ですらもない、論理と理屈を超越した不条理の塊のような存在が目の前にいるのだ。存在すること自体がおかしい。理系脳の篝にとっては未知と理解不能ゆえに恐怖を感じざるを得ない。

 同時に、理性とは違う本能がざわめく。

 禁忌の存在だと思う理性と相反して、見てみたいと本能が騒ぐ。おっかなびっくり、危険なものだから少しぐらいは覗いてみたい。ほんの少しだけなら平気だから……と意識せずに篝は園衛の影から頭を出した。

 すると、すぐ目の前に瀬織の顔があった。

「どうされましたかぁ、西本庄さん?」

「ひぃっっ!」

 自分より背の低い篝の目線に合わせて腰を曲げ、瀬織は薄笑いを浮かべていた。

 瀬織は篝の慄きがとても愉快なようで、くすくすと嗤いながら至近距離まで顔を寄せた。

「何が恐ろしいのですかぁ? わたくし、見た目通りの普通の女学生でございますよぉ」

「ああああああっ……なにが、なにが、なにが普通……」

「暗くて良く見えないのですよね? だから、こうして近くまで来てさしあげたのです。さあ、もっと良くご覧あそばせ」

 甘く生温い吐息を篝の鼻に吹きかけると、次第に篝の表情が変わっていく。

 強張りが緩み、歓喜の笑みを浮かべて、篝の眼差しは憧れと尊敬を抱く少女のような輝きを得た。

「ええ……そうですね。暗くて良く見えませんでしたぁ。瀬織お嬢様はとっても素敵な学生さんですねぇ! キラキラしててトキメキましゅう!」

 口調が明らかにおかしい。しかも妙な尊称までつけている。

 園衛は訝しんだ。

「瀬織、お前……」

「ほほほ……わたくし、何もしておりませんわ。普通の人はこうなってしまう。それだけの話です」

「妙なことはするなよ」

「もちろん。分別は心得ております」

 不敵に笑う瀬織の表情が引っかかるが、それはさて置き園衛は本題に入ることにした。

「ここは10年前まで空繰や戦闘機械傀儡の整備に使われていた場所だ。今は私の空繰の保管場所になっている。木と金属で出来た傀儡を保存するには防虫剤と窒素ガスで密閉する必要があるのでな」

「はあ、道理で臭いわけです。それで、園衛様の空繰というのは?」

「アレだ」

 園衛が広い部屋の片隅を指差すと、篝が壁際の照明のスイッチを押した。

 低温の白い空気の中、大きな二体の空繰が鎮座している。

 一体は、三本角と切れ長の目をした狛犬型の2メートル級の機体。

「こっちが雷王牙で――」

 園衛が空繰の名を告げた。続いて指差すのは、その隣の鳥のような意匠の機体。いや頭に山伏のような頭襟を乗せているから、カラス天狗を模しているのだろうか。翼を畳んで駐機しているが、翼を広げれば幅5メートルはありそうな空繰だ。

「あっちが綾鞍馬だ。若い頃は、こいつらと随分と無茶をしたものだ」

 昔を懐かしむよりも苦労が思い出されるらしく、園衛は眉間に皺を寄せて肩をすくめた。

 二体の空繰の中枢部である勾玉の色は、共に赤。最上級のグレードの証だ。若き日の園衛と修羅場を潜り抜けてきたというのだから、性能はかなりのものだろう。この等級の空繰ともなれば遠隔操作の必要はなく、自律行動も可能なはず。

 と、瀬織は妙な気配を感じた。

 チクチクと頭の裏を冷たい棘で突くような感覚。殺気、というより喧嘩をふっかけられている気配だった。

「あら……なんですの、あなた達」

 純粋な敵意には敵意を以て返す。

 〈雷王牙〉が喉を低く鳴らして瀬織を威嚇している。

 〈綾鞍馬〉は翼の付け根に折り畳まれていた腕を展開し、先端が槍のように尖った錫杖をしゃんと鳴らして、穂先を瀬織に向けた。

 一触即発。

 園衛は舌打ち、不穏な空気の間に割って入った。

「待て。どうしてそうなる」

 〈雷王牙〉と〈綾鞍馬〉は自我があっても人語は発せないため、首を引っ込めるような仕草で不満の意思を表した。言葉にするなら『どうしてコイツ殺っちゃ駄目なんですか、園衛様!』といったところか。

 一方、瀬織は鋭い目つきで笑みを浮かべている。

「そこの二匹はいわば園衛様の護法童子。善なる属性のモノでございましょう。すなわち、わたくしのような存在とは水と油でございます」

「ならば私の名の下に命ずる。争うことまかりならん」

 園衛は双方に命令したが、二体の空繰は不承不承といった感で低く唸っていた。

「瀬織よ。あの二体、暫くお前に預ける」

「えぇ、どうしてですかぁ?」

 瀬織も露骨に不満げな顔をして見せた。善なる空繰とは根本から相性が悪いのだろう。

 園衛は部屋の一角を親指で指した。そこにはカートに乗せられたサソリ型戦闘機械傀儡〈マガツチ〉があった。

 先日は瀬織と共に大立ち回りを演じた〈マガツチ〉だったが、今や力なくカートの上で残骸のごとき姿を晒している。

 戦闘による破損は未だ修復されず、尾は喪失し、装甲もヒビと欠損だらけ。動力源のリチウムイオンバッテリーも空のままだった。

「マガツチはあのザマだ。暫く使えん。もしものことがあった場合、今のお前で景を守り切れるか?」

 東景。瀬織が現在、同居している中学生の少年であり、かけがえのない存在でもある。

 故に代用品として二体の空繰を貸与するとのことだが、瀬織は納得がいかない様子だ。

「もしものことって……。あの園衛様、今世は平安の昔に比べれば遥かに治安が良いと思いますの。官憲や軍隊は正常に機能しておりますよね?」

「ン……まあ、それはそうだが」

「漫画絵巻やらのべみたいに学校や市井に狼藉者やら魑魅魍魎やらが突っ込んでくるようでは世も末ですわ。統治能力を喪失した国は遠からず内乱が起きるのが歴史の常でございます。して、そんな荒事とは無縁の日の元で起きる『もしものこと』とは一体かような事柄でございましょうか?」

 園衛は一旦、口を噤んだ。議論する気などなかった。

 ぐだぐだと長ったらしい理屈を並べるのは、自分に都合の良い方向に話を誘導する詐欺師かエセ宗教屋と相場が決まっている。その手には乗らない。

「お前は素手で恐竜を殴り殺せるか」

「えっ?」

 予想外の反撃に瀬織が戸惑った。1000年以上も人間を言葉巧みに操ってきた瀬織が初めて聞く言葉の羅列だった。

「恐竜をブッ殺せるくらい強いならお前の要求を呑んでやる。そうでなければ断固としてノーだ。交渉になど乗らん。恐竜の一匹も殺せないクソ雑魚のお前は黙って私の空繰を借り受けるのだ。他に選択肢はない」

「あ、あのぉ……わたくしの話聞いて――」

「お前の話など聞かん。他の有象無象のように私のことを操れると思ったか? 自惚れるな痴れ者。ちなみに私は生の小型恐竜なら素手でブッ殺せる。前に頭のイカレた爺さんがクローン再生したのを実際に一匹殺ったことがあるからな」

「ま、参りました……。ごめんなさい……」

 瀬織は言葉のデッドボールに完敗した。

 調伏を終えて、園衛は篝に向き直った。

「マガツチ、直すのにどれくらいかかる」

「な、直すって……それ無理ですよぉ」

 篝は困った顔をして首を横に振った。

「アレは10年前に一体だけ作られた試作機ですよ? パーツも冶具も何も残ってません。他の傀儡から流用できるのは人工筋肉くらいですし、それにしたって予備部品はほとんど無いんです」

「何とかならんのか」

「何ともなりませんよぉ。この前の改造はたまたま既製品と規格が合ったから出来ただけですしぃ……。大体、わたしはエンジニアであってメカニックじゃないんです。継続的に本格整備するなら熟練のメカマンがいなきゃ」

 園衛は「むう……」と小さく唸って顎に指を当てた。思い悩む。現実の壁にぶち当たって、悩む。

「この10年……機材も人も何もかも散逸してしまった。失った物は二度と元には戻らん。分かっていたことだが……」

「でもぉ……頑張れば一体くらい何とかぁ……?」

 篝は思わせぶりな口振りで、チラチラと横目で園衛を見ている。

「今は3Dプリンターとかありますからぁ……。あの、そのぉ、園衛様がいっぱいお金出してくれたり、専門家を手配してくだされば、全面改装という形で何とかなるかなぁー……と」

「何とかなるなら構わん。後で見積書を出せ。3億くらいなら出してやる」

「うひっ、さすがお金持ち♪」

 自由な開発環境と自由に使える資金を約束されて、篝は不気味に笑って歓喜した。

 篝はくるりと身を翻すや、瀬織の前に跪いた。

「そ・こ・でぇ♪ 瀬織お嬢様にもご意見を頂きたいのですぅ~」

「あら? わたくし、何を言えば良いのでしょう?」

「遠慮はいりません~! 人間を超越した偉大な神様の観点から、お嬢様が使い易いと思われる仕様を好き放題に言ってくだされば、わたし精一杯実現に向けて頑張っちゃいますので~っ!」

 瀬織を見上げる篝の目つきは明星を見上げるがごとし。

 その至高に頂かれた瀬織は、薄闇の中で闇よりも深く嫣然と嗤い、忠実な従僕を見下ろした。

「では、こんな感じで如何でしょうか――」
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