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20・シアワセにはヒビを入れたくなる2

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20・シアワセにはヒビを入れたくなる2


「伊藤……」

「なに?」

「おまえ……最近ちょっと老けてきてないか?」

 居酒屋の席で向かいの友人が申し訳なさそうな顔でつぶやいた。そう言われた方は一瞬ショックを受けたような顔をしたが、タバコの箱をつかみ笑ってつぶやく。

「仕方ないよ、名前が老気太(ふけた)だし」

「いや、それにしても……」

 ライターの火を貸してやる友人、かなり前から老気太の顔は実年齢から離れているとしか思えなくなっていた。

「まぁ……仕方ないよ」

「おまえ仕方ないが口癖だな」

「いやでも……正直仕事しか趣味がなくなったっていうか」

「マジか?」

「だってそうだよ、音楽? 飽きた。ユーチューブで動画鑑賞? これも飽きた。たまの居酒屋はいいとしても、家で食べる料理も飽きてきた。で、夜のセックスも正直飽きたってキモチがあるから」

「えぇ、おまえの妻って美人じゃん、しかも32歳。これからが脂の乗り時ってやつじゃねぇの?」

「そうなんだけど、そう思うんだけど……こう言うと申し訳ないと思うんだけど、色々つまらなくなってきた」

「じゃぁ、セックスは?」

「週に2回はやっている」

「まぁ、悪くないと思うけど」

「でも、おたがいあんまり楽しめていないような気がするんだ。燃えるセックスをするための手を使い果たしたような気がして」

「だったらおまえ、浮気とかしてみたら?」

「う、浮気?」

「ってその反応……10代の少年かよ」

「いや、浮気はダメだ。人の心に反するのはダメだ」

「じゃぁさ、もしおまえの奥さんが浮気していたらどうする?」

「それはない」

「なんで?」

「椎奈はそんな事しない」

「なぜ信じる? その根拠は?」

「ぼくは出来るだけ誠実でありたい。それと結婚した椎菜が不誠実なわけがない」

「なるほど、老けるわけだ」

 ここで友人の中にイタズラ心が沸いた。つまらない男ってオーラをまとっている老気太に対し、あれやこれは誘惑めいたつぶやきを聞かせ続ける。

「伊藤、もうちょい遊んだらどうだよ」

「もうそんな年齢じゃない」

「ちゃうちゃう、遊戯って意味じゃなく、女との密会やコミュニケーション。今の内にやれよ、30代なら浮気は自然現象で済まされると偉い先生が言っていたぞ」

「いや、だからそういうのは……」

「だってよぉ伊藤、おまえだけババを引いて腹が立ったりしないか?」

「ババ?」

「そう、ババだ。午前8時に仕事を始め夜の8時過ぎまでがんばる。こうやって酒を飲んで会話するってどのくらいよ? せいぜい90分。しかも相手はおまえと同じ男。で、家に帰ったら? たのしくないんだろう? 夜のセックスもマンネリなんだろう? だったらおまえは呼吸の延長として寝るしかない。でも一方の奥さんはどうよ? 朝から夜まで自分の時間なんてたっぷりある。これって不公平だと思わないか? だからさ、今のうちにガス抜きしておけ。幸い子供もいないんだから」

「いや、しかし……」

「シアワセっていうのは男が犠牲になって女が肥え太るだけのモノだよなぁ」

 その場をネガティブ色に染めてやった。すると友人が期待した通り、老気太はイヤなキブンを追い払うことができなくなった。よって酒を追加注文しガボガボ勢いよく飲み始める。一応自制はしているが自滅したいと願っているような飲みっぷり。そうしてギリギリのところで老気太は店を出る事になった。立てなくなるとか、汚物をそこら中にまき散らすとか、そんな醜態をさらすようなレベルではないものの、千鳥足でふらつくのは避けられない。

「おい、伊藤、タクシーつかまえろよ」

「いらない、ちょっと歩いて酔い覚まし」

「おれは送ってやれないぞ?」

「いいよ、ひとりでだいじょうぶだから」

 フラフラっと歩きながら、家まで20分くらいを歩き通そうとする。道路を走るタクシーを見ると乗りたいと思わなくもないが、それをやると寝てしまうだろうということで歩く。眠気覚ましにとタバコを取り出しくわえる。

「あぅ」

「んぅ!」

 ここでふと老気太は見知らぬ人間にぶつかる。白いタバコの箱が地面に落ちてしまったものの、相手が拾ってくれたので怒るわけにはいかない。ありがとうとほろ酔いの声で言う。

「酔って歩くのは危ないぞ」

 男はそう言いながらもライターの火をくれた。

「あなた、いくつくらいの人? 絶対おれより若いですよね?」

 老気太はなんとなくだが明らかに自分より年下であろう男に年齢を聞いてしまう。

「おれは……一回死んだ人間なのだけど、そのときは23歳だった」

「一回死んだ? なにどういう事?」

「色々あってよみがえっている最中ってこと」

「ちょっと待って、ちょっと待って」

 老気太は普段なら相手にしたくないと思うはずの男と話がしたくなった。いや、正確にいえば自分の愚痴を聞いて欲しくなったという事かもしれない。

「おたくさんの名前は?」

「おれは家満登息吹っていう」

「ん……ぅ……23歳にしてはなんか落ち着いているっていうか、物事をよく知っているみたいに感じるのは気のせいですか?」

「多分気のせい」

「いやいや、けっこうよく知っていそうな気がする。こうやって会ったのも縁ということで、ちょっと話を聞いてもらえませんか?」

「まぁ、いいけど」

 歩きながら、フラフラっとしつつも倒れるわけではないという歩行をしながら、老気太は居酒屋で友人とやった会話を軸にして語った。最近はつまらない。セックスもつまらない。あれもこれもつまらないとこぼす。

「友人が浮気してみたら? とか言ったんですけどね、それってダメですよね?」

「まぁ、ふつうはな……」

「え、なに、息吹さんは浮気した事あるんですか?」

「ある、思いっきり……恥知らずなくらい」

「それってどのくらい? まさか100人とか、それはないか」

「500人くらいは食い散らかしたかな」

「え、え?」

「今となっては罪の意識にあふれるのだけど、昔は特に悪びれることなく、女を食っては捨てて取り換えをやっていた」

「そ、それってゲスなんじゃ……」

「だろうな、そう思う」

「じゃ、じゃぁ聞いてみたいんですけど、浮気ってどうですか?」

「どうって?」

「怖いですか?」

「最初だけな、すぐに慣れて続けてしまうのが人間」

「浮気したらリフレッシュできるとか、それって本当ですか?」

「まぁ、新鮮なキモチというのは得られる、ハイリスクではあるが」

「ね、ねえ息吹さん、友人がね、ぼくの妻が浮気していたらどうする? とか言ったんですよ。それはないですよね? うちの妻が浮気なんて」

「どうだろうな、なんとも言えないな」

「え、えぇ、だって妻は基本マジメで」

「人間は過ちを犯しながら生きるモノ」

「ないない、絶対にない、うちの妻が浮気なんて」

「だったら信じ通せばいい」

「ですよね。あっと、話をしていたら早いな、もう家の近くだ。どうです? よかったら上がっていきませんか?」

「いらない」

「そうですか、もうちょい話がしたかったんだけどな」

「ま、生きていれば会える可能性はゼロにはならない」

「あぁ、たしかに」

「じゃぁ」

「おやすみなさい」

 息吹と別れ自宅に入ったとき、酔いというのはかなり覚めていた。そしてちょっとした勢いが体に発生したので、玄関に出てきた妻こと椎菜の腕を取り、セックスしよう! と久しぶりに男らしい情熱を見せつける。

「え、なに酔ってるでしょう?」

「酔っていても男の責任は果たす」

「どうしたの?」

「なぁ、椎菜」

「はい?」

「おまえは浮気とかしないよな?」

「なに言ってんの、するわけないでしょう」

「だよな、よかった」

「とりあえずオフロに入ってきなさい」

「わかった」

 夫がほんの少し機嫌よろしい顔になって浴室に入った時、閉められ鍵のかかった洗面所のドアを椎奈の顔が青ざめる。

「ぅ……」

 居間のイスに腰かけるとテーブルに腕組みを顔を押し当てた。そしてたとえようのないひどいキブンに顔面を歪めながらつぶやく。

「わたしは詐欺師か……人間のクズか」

 あまりもさっくり、しかも見事なまでにウソを吐けた自分を責める。どうして俳優を目指さなかったのかという後悔が芽生えてもおかしくない。

「老気太……ごめん……わたし……浮気してる」

 小さな声で沈むようにつぶやく。ジャーってシャワーの音を耳にしながら、まずは申し訳ないという思いに浸る。しかし……バレていない……という考えが小さな突起みたいに生じると、不健康な感情が開き直りによって健全色に変わっていく。

「ふぅ……バレなきゃ浮気じゃないって名言もあることだし」

 胸に痛みを覚えてからおよそ5分で立ち直る。そして老気太に申し訳ないという思いよりも、太郎の事を考える度合いが増していくのだった。
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