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8 優しい、その手【奏斗】

2 情熱と期待

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「ん……」
 奏斗はそのまま彼女の腰に手まわした。
 まるで、そうすることが自然とでもいうように。
 唇が離れ、優しく髪を撫でられた。胸に抱き寄せられ、瞳を閉じる。
「奏斗」
「うん?」
 後頭部から背中に滑る手。
「ここで会ったのも何かの縁だし、友達にでもなりましょうよ」
「うん」
「あなた、相変わらず可愛いわね」
「は?」
 何言ってんのと、膝立ちになる彼女を見上げれば、再び口づけられる。

「俺はペットじゃないんだけど?」
 ムッとしてそういえば、襟元から手が侵入してきた。
 直に背中を撫でられ、
「襲いたくなるわね」
と言われる。
「何、浴衣フェチか何かなの?」
 彼女はそれには答えることなく、奏斗の耳を撫でた。
「花穂にならいいよ」
 奏斗はため息をつきながら。

「ここでは遠慮しとくわ」
 ふふふっと笑って立ち上がる花穂。手を差し伸べられ、素直にその手を掴む。
「友達と来てるの?」
「いや」
 何と答えるべきなのだろう。愛美は友人ではない。しかし、元カノと来ていることが知れたら軽蔑されることだろう。
「じゃあ、恋人かしら」
「違うよ」
 彼女は”そうなの”と拍子抜けとでも言いたいような態度で鞄の中から名刺ケースを取り出す。
「なんだかよくわからない相手と来てるのね。家族?」
「ううん」
 そこまでして相手を突き止めたいのかと思っていると、彼女の綺麗な指先が名刺ケースを開き、一枚の名刺を摘まむ。
「一応、連絡先」
 奏斗はそれを受け取りながら、
「俺も教えた方がいい?」
と問う。
「ううん。消してないから、大丈夫よ。それともID変わった?」
「そのまま」

──消してない? なんで。

 疑問を感じつつも、なんとなく聞くのが阻まれる。
「じゃあ、今度また映画でも行きましょうよ」
「その後は?」
「あと? ご飯くらい奢るわよ」
 花穂は社長令嬢。いづれ父の後を継ぐらしい。だが、奢って欲しかったわけじゃない。
「いや、自分で出すし」
「相変わらずプライド高いのね」
 彼女の手が奏斗の頬を撫でる。奏斗はその手に自分の手を重ねた。
「なんで、友達?」
「嫌なの?」
 彼女の問いに奏斗は数度瞬きをし、床に視線を落とす。
「嫌じゃない」

 何を期待していたのだろうと思う。
 何故自分はそんなことにがっかりしているのか。

「だって、奏斗。恋人いるんでしょ?」
 その言い方はまるで恋人がいなかったならつき合おうと言われているように錯覚してしまう。一体何を自惚れているんだ、自分はと心の中で自分にツッコミを入れる。
「うん、いるよ」
「そっか」
 残念そうに感じるのはきっと願望なのだろう。
「じゃあ、連絡するわね」
 離れていく体温に名残惜しさを感じながら、奏斗は軽く手を挙げる。

 楠花穂。半年以上前に別れた年上の元彼女。
 そこに愛はなかったはずなのに。
 あんな風に簡単にキスをするような人なのだ。あれはきっと挨拶と変わらないのだろう。自分は特別でも何でもない。

 初めは乗り気ではなかった交際。
 それなのに、自分はのめり込んでいたとでも言うのだろうか?
 奏斗は深いため息を落とす。
 あの体温を感じていた自分が存在する。それはどう表現すれば報われるのだろう?

 もう、その手を掴むことはできないのだろうか?
 女性は心が変わってしまえば、そこで終わり。
 そんなことわかっている。友達になろうと言われただけでも十分ラッキーなのだ。撫でられた背中と頬が熱を帯びている。
『襲いたくなるわね』
 彼女の言葉を反芻してドキリとした。

──あ、まずい。
 
 自分の体の変化にゲンナリする。チラリとトイレの入り口に視線をやり、そちらに向かう。
「こんなことしたことないんだけれど」
 なんだか情けない気持ちになりながら、個室に入る。
 部屋に戻るに戻れないのだから仕方ないだろう。
「背に腹はかえられないし」
 スマホの画面に目をやると時刻はとうに午前二時を回っている。
 自分はいったい何をしているんだと思いながら、額に手をやったのだった。

──バカすぎるだろ、俺。
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