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7『あるはずのないif』
4 想像と現実の狭間
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****side■黒岩(総括)
自宅のある駅に降り立った時、とうに酔いなど醒めていた。
今日も妻は実家の方へ泊るらしい。冷めきった夫婦間だ、それはそれで気が楽だった。
「あと何年で離婚できるかな」
黒岩は小さく呟きを落として歩き出す。
愛人でもいれば逃げ場もあったろう。
──そうだな、そういう道もあったよな。
忙しいは良い口実だ。忙しいと言って残業でもしていれば妻の元へ帰らずに済む。向こうだって愛がないのだ、自分がいない方が楽でいいだろう。
それならいっそと黒岩は思う。
妻がこの婚姻関係を続けているのは子供のため。養育費のために他ならない。黒岩と婚姻している限り、暮らしも楽だろう。
──俺はただの財布か?
日本と海外では婚姻に求める優先順位は違うと感じている。
愛なんて幻想の国だ。
少なくとも自分にとってはそれがしっくりくる。こと、男女間においては。
明りのついていない家のドアにカギを指し込みドアノブを掴む。
こんなの一人暮らしと何ら変わらないだろうと思いながら。むしろ、一人暮らしの方がよっぽどマシだと思った。
明りをつけてリビングへ向かうとビジネスバッグを置いてスーツのジャケットをソファーにかけ、風呂場に向かう。
Yシャツを脱ぎながらため息をつく。今頃、唯野はきっと板井とお楽しみに違いない。
妻には利点があるだろうが、自分にはなんら利点のないこの婚姻。何故続けているのかと聞かれれば、責任を果たすためと答えるだろう。
パートナーに対し愛がなくても、子に対して親は責任を果たさなければならない。
──こんなだったら、別居でも変わらないよな。
熱いシャワーを浴びながら黒岩は思う。誰もいない広い家に毎日時間をかけて帰るのはバカバカしいと。
後悔したことはなかったか?
後悔しかしたことがない。互いに干渉しないことは楽ではあるし、妻に愛を求めたこともない。
耳を打つ水音。皇の言うことは正しい。こんなんことしてもなんの意味もなかった。それどころか自分から唯野を遠ざけただけ。
”別に嫌いじゃない”
唯野はそう言った。好かれてはいなくてもマイナスではないことを知ったのだ。自分に足りないのが誠実さと一途さだと言うなら、クリアはできたかもしれない。
──とは言え、今まで誠実さの欠片もなかった奴が改心したところで簡単に信用されはしない。そのくらい俺にでもわかる。
唯野が板井に惹かれたのは理想そのものだったからかもしれないし。
ポジティブさが自分の売りだ。こんなことで落ち込んでいても仕方ない。
手に入らないと言うなら奪い取るしかない。
別居することを決意した黒岩は、肩の荷が下りたような気分になりながら浴室を出て脱衣所で腰にタオルを巻くと髪を拭きつつ自室に向かった。
PCを立ち上げると音楽プレイヤーをクリックする。
『唯野はどんな音楽聴くの』
それはまだ入社一年目の記憶。
『洋楽ばかりだよ。興味あるのか?』
怪訝そうにこちらを見る瞳。あの頃は今よりは少し、純粋に……いや不純だったかもしれない。唯野と共通の話題が持てれば落としやすくなると思っていた節はある。
『興味あるなら、これやるよ』
彼は休憩時間に自分が聴く用のディスクを黒岩に寄越した。お気に入りの曲を選曲して焼いたものらしい。
黒岩はジャンルを問わずなんでも聴く方だった。
その日の昼休みにPCで聴いてみればお洒落で優しい旋律。唯野らしいと思ったものだ。あれから家に持ち帰って今でも聴いている。
──単に変わらないままでいたいのかもしれない。
けれども現実にはこうして年を重ね、手に入らないものをバカみたいに今でも追いかけている。間違った方法で。
Tシャツにハーフパンツという格好に着替えた黒岩は髪を乾かしたのちヘッドフォンを装着した。PCの前に腰かけ目を閉じる。
どんなに時が経っても目を閉じればあの頃に戻るから。
何度、想像の中で唯野を抱いただろう。その度に彼は善がってこの胸の中で熱を放つ。それは自分が望む最高の時間。しかし、現実には触れることさえできない。
「現実は厳しいね」
黒岩は一人呟いて肩を竦めたのだった。
自宅のある駅に降り立った時、とうに酔いなど醒めていた。
今日も妻は実家の方へ泊るらしい。冷めきった夫婦間だ、それはそれで気が楽だった。
「あと何年で離婚できるかな」
黒岩は小さく呟きを落として歩き出す。
愛人でもいれば逃げ場もあったろう。
──そうだな、そういう道もあったよな。
忙しいは良い口実だ。忙しいと言って残業でもしていれば妻の元へ帰らずに済む。向こうだって愛がないのだ、自分がいない方が楽でいいだろう。
それならいっそと黒岩は思う。
妻がこの婚姻関係を続けているのは子供のため。養育費のために他ならない。黒岩と婚姻している限り、暮らしも楽だろう。
──俺はただの財布か?
日本と海外では婚姻に求める優先順位は違うと感じている。
愛なんて幻想の国だ。
少なくとも自分にとってはそれがしっくりくる。こと、男女間においては。
明りのついていない家のドアにカギを指し込みドアノブを掴む。
こんなの一人暮らしと何ら変わらないだろうと思いながら。むしろ、一人暮らしの方がよっぽどマシだと思った。
明りをつけてリビングへ向かうとビジネスバッグを置いてスーツのジャケットをソファーにかけ、風呂場に向かう。
Yシャツを脱ぎながらため息をつく。今頃、唯野はきっと板井とお楽しみに違いない。
妻には利点があるだろうが、自分にはなんら利点のないこの婚姻。何故続けているのかと聞かれれば、責任を果たすためと答えるだろう。
パートナーに対し愛がなくても、子に対して親は責任を果たさなければならない。
──こんなだったら、別居でも変わらないよな。
熱いシャワーを浴びながら黒岩は思う。誰もいない広い家に毎日時間をかけて帰るのはバカバカしいと。
後悔したことはなかったか?
後悔しかしたことがない。互いに干渉しないことは楽ではあるし、妻に愛を求めたこともない。
耳を打つ水音。皇の言うことは正しい。こんなんことしてもなんの意味もなかった。それどころか自分から唯野を遠ざけただけ。
”別に嫌いじゃない”
唯野はそう言った。好かれてはいなくてもマイナスではないことを知ったのだ。自分に足りないのが誠実さと一途さだと言うなら、クリアはできたかもしれない。
──とは言え、今まで誠実さの欠片もなかった奴が改心したところで簡単に信用されはしない。そのくらい俺にでもわかる。
唯野が板井に惹かれたのは理想そのものだったからかもしれないし。
ポジティブさが自分の売りだ。こんなことで落ち込んでいても仕方ない。
手に入らないと言うなら奪い取るしかない。
別居することを決意した黒岩は、肩の荷が下りたような気分になりながら浴室を出て脱衣所で腰にタオルを巻くと髪を拭きつつ自室に向かった。
PCを立ち上げると音楽プレイヤーをクリックする。
『唯野はどんな音楽聴くの』
それはまだ入社一年目の記憶。
『洋楽ばかりだよ。興味あるのか?』
怪訝そうにこちらを見る瞳。あの頃は今よりは少し、純粋に……いや不純だったかもしれない。唯野と共通の話題が持てれば落としやすくなると思っていた節はある。
『興味あるなら、これやるよ』
彼は休憩時間に自分が聴く用のディスクを黒岩に寄越した。お気に入りの曲を選曲して焼いたものらしい。
黒岩はジャンルを問わずなんでも聴く方だった。
その日の昼休みにPCで聴いてみればお洒落で優しい旋律。唯野らしいと思ったものだ。あれから家に持ち帰って今でも聴いている。
──単に変わらないままでいたいのかもしれない。
けれども現実にはこうして年を重ね、手に入らないものをバカみたいに今でも追いかけている。間違った方法で。
Tシャツにハーフパンツという格好に着替えた黒岩は髪を乾かしたのちヘッドフォンを装着した。PCの前に腰かけ目を閉じる。
どんなに時が経っても目を閉じればあの頃に戻るから。
何度、想像の中で唯野を抱いただろう。その度に彼は善がってこの胸の中で熱を放つ。それは自分が望む最高の時間。しかし、現実には触れることさえできない。
「現実は厳しいね」
黒岩は一人呟いて肩を竦めたのだった。
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