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5『変わり始めた日常』

1 板井と皇

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****side■板井

「あっ……副社長」
「なんだ、そんなに慌てて」
 板井が企画室から出ると、副社長皇とぶつかりそうになり慌てた。
 廊下はそこまで広くないのだから、スライド式にしてくれたらいいのにと思っていると、自動販売機の前まで歩いて行った彼が、
「何か飲むか?」
とスマホを販売機に向けている。

「企画部は居心地が良くないんですよ」
「そっか」
 二人、自動販売機のベンチに腰かけて。
「ところで大好きな唯野さんとは、懇意になれたのか?」
 こちらを覗き込むように言われ、板井はむせる。
「大好きって……」
「大好きなんだろ?」
「ええ……それはまあ……」
 そんな板井に彼はフッと笑う。

「俺も大好きだったよ。入社したばかりの頃さ」
 恋愛とは違う意味でね、と付け加え。
「今は?」
 過去形で述べたことが気になり、そう口にしてしまう。もしかしたらデリケートな問題で、踏み込むべきではないのかもしれないと思いながら。
「申し訳ない気持ちでいっぱいなんだ」
 彼は明るいベージュの髪にいつもブラント物のスーツを身に着け、良い香りを纏った人物。まるで花に集まる虫たちのように、人が集まる。

 尊大な態度で振舞うが、一歩社外に出れば別人のように気品に溢れた立ち居振る舞いをする人。社内での尊大な態度は内弁慶ではなく、社長の指示なのだと誰かから聞いたことがある。
 周りの目がなければ、このように気さくなのでその話には信ぴょう性を感じた。現にしょっちゅう社長に呼ばれる唯野の代わりに、苦情係の仕事を自ら手伝ってくれる。
 
 下に妹と弟がいるらしく、時々お兄ちゃんの顔も覗かせ、板井個人としては好感を持っていた。
「課長となにかあったんですか?」
 それは純粋な興味。
 だが、
「何かあったのは、板井の方だろ?」
と彼がクスッと笑う。
「唯野さんの首に痕つけたの、お前だろ?」
と次いで問われ、板井は顔を赤らめた。

「独占欲、強いんだな」
 ストレートティーを一口含むと軽くため息をついて。
「ま、まあ」
と、板井は手に持っていたペットボトルをゴミ箱へ放りながら。
 誤魔化されてしまったなと感じていた。

 この間の変な様子にはきっと意味がある。
 すまないと思うことにも。
 けれども、その先は入り込めない場所。

「さて、行くか」
 立ち上がった皇はペットボトルをゴミ箱へスルリと落とす。
 どんな仕草にも品を感じながら、先《せん》だって歩き出す彼に板井は続く。
 そしてその背中へ、
「今でも仲は良いんですか?」
と問いかける。
 すると立ち止まり、驚いた顔をして彼が振り返った。
「仲が悪いように見えるのか?」
「あ、いや……」
 口ごもる板井。皇はヤレヤレというように肩を竦める。
 完全に質問が失敗してしまったなと思った板井だったが、どうして彼は『いいよ』と言わなかったのか引っかかりを感じていた。


「何してんだ、黒岩さん」
 苦情係に戻ると、総括黒岩が唯野に絡んでいる。
 カウンターに軽く覆い被さり、身を乗り出す黒岩の背をポンっとバインダーで軽く打つ皇。
「皇」
 皇は副社長でありながら、総括黒岩と塩田には呼び捨てにされている。
 黒岩の場合はかつての後輩だからだと思われたが、塩田は単純に礼儀がないだけだ。それを気にするわけでもない皇は、やはり大物だなと思う。
「遊んでないで、業務に戻る。休憩なら休憩室に行く」
 当たり前のことを言われ、黒岩は抗議しようとしたがやめたようだ。
「そんなだから、残業三昧になるんだぞ?」
 皇はため息をつくと、カウンターの向こう側へ。板井もそれへ続き、唯野の横に腰かけた。
 すると、隣から小さく”助かった”という声が。
 どうやら唯野は黒岩を追い払えず、困っていたのだった。
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