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6──雛本一族の問題【実弟】

5 名前を呼んで

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「優人?」
 部屋に着くなり後ろから兄に抱き着く優人に、兄が心配そうな声をあげる。
 優人は何も言わずに兄の肩に顔を埋め、その肩を濡らした。
「泣いてんのか?」
 どうしてこんな時に思い出してしまうのだろう。
 不意に溢れた涙を止めることが出来ず、そのまま声を殺して泣いた。
 兄がそのままの体勢で優しく頭を撫でてくれる。この温もりが……自分はずっと恋しかったのだ。
 その感情が、実感が今ここで湧き上がるとは思わなかったのである。


 K学園大学部にあがり、直ぐに平田彰浩という友人が出来た。先に話しかけてきたのは彼。とてもお洒落なやつで、いつも男女関係なく侍らしていたように思う。
 そんな彼が何故自分に話しかけてきたのかは分からない。
 彼は兄と同じ全性愛者でつきあわないかと言われたこともあるが、とても気が合い直ぐにルームシェアを始めたのだ。
 そんな彼は自分のことをよく見ていたと思う。

 ある日、彼からこんなことを言われたのである。
『お前さあ。なんでそんなつまらなそうにしているのに、つきあうの?』
 大学に入ってからも高校時代と同じように、つきあっては別れてを繰り返す優人。 
 自分から交際を申し込んだことはない。
 だが身体の関係を求められれば、終止符を打つ。

『アッチのほうも全然みたいだし』
『あっち?』
 なんのことだと言うように首を傾げれば、
『お前、不能なの?』
と更に問われた。
『別に。したくないだけだよ』
 心を許せるのは友人の平田だけ。
 彼が未だ自分に好意を寄せていることは知っていた。

『優人さ。ホントは好きな人がいるんじゃねえの?』
『いたら何?』
 平田はベンチに腰掛ける優人を心配そうに眺めていたが、隣に座るとポケットからホットカフェオレを出し、こちらに寄こす。飲めとでもいうように。
『こういうの、良くないと思う。どんな相手か分からないけれど、伝わるものも伝わらなくなるぞ?』
 優人は”そんなのわかっているよ”というと、受けとった缶を両手で包み込む。

『じゃあ平田はさ。二度と会えないかもしれない、想いの叶うことのない相手だけを想っていろって言うのかよ?』
 頬を涙が伝い、優人は雑に腕で拭った。
『残酷だな』
『優人……』
 あの時も声を殺して泣いたのだ。
 
 想いが叶わなくてもいい。ただ会いたかった。
 それすら他人に奪われたのだ。
 誰でもいい。好きになりたいと願った。
 忘れさせて欲しいと。

 優人の想う相手が誰なのか知った時、平田は、
『そういうことか』
と呟くように言った。
 優人が兄と結ばれてからは、
『それでも俺は、お前が好きだ』
と。


「どうしたんだよ」
「ううん」
 顔を上げると、身体を反転させた兄和宏に抱きしめられた。
 肩に頬を寄せれば、良い子と言うように優しく頭を撫でてくれる。
「ずっと、兄さんに逢いたかったんだ」
「うん」
 兄を阿貴の元から奪い返し数週間が経つが、全く実感が湧かず夢の続きのような気分でいたのかもしれない。
 母たちと会い、ここにきて初めて現実感を味わう。
「俺はもう、二度と会えないかもしれないと思っていたんだよ?」
「うん」
「兄さんの気持ちは知っている。でも俺の気持ちは……伝わることがない」
 
 溢れる涙はとめどなく、兄を濡らしていく。
 その体温で温めて溶かしてくれる。
「辛くて、苦しくて現実から逃げてた。平田にどんなに怒られても、呆れられても」
「うん」
 彼の手が優しく優人の背中を撫でた。
 ここにいるよとでも言うように。
「兄さん」
「うん?」
 顔をあげると兄の手が頬に伸びる。
 優人はその手首を掴んだ。
「愛しているよ。俺は『雛本和宏』が好きだ」
「え……」

 彼がゆっくりと色づく。
 掴んだ手首から、上がってく体温を感じた。
 何故彼が赤くなったのか分かっている。
 弟から名前で呼ばれるなんて思っていなかったからだ。

「優人、俺……」
 腰に腕を回し引き寄せると、彼はあっさりと胸のなかに納まる。
「欲情したの?」
 耳元で問えば、
「するよ、こんなの……」
 ぎゅっと抱き着く兄が愛おしかった。
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