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上.残り日
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心地よい電車の揺れは、先ほどまで僕に睡魔として襲いかかっていた。僕は座席に座わり、あと数駅で倉井崎に着くと示していたスマートフォンを見つめながら、目の前の女性が包丁を持っている理由を考えていた。
外の雪は山をすっかり冬に染めてしまっているのに、彼女はグレーのTシャツに半ズボンを着ているだけで、かなり寒そうに見える。それなのにTシャツに汗が染みて、ところどころ黒くなっているのが、さらに僕を混乱させる。
「さっきから、ずっとそれ見てるね。」
「うぇっ、あの、そうですね。」
いきなり話しかけられて、変な声が出てしまった。
「君いくつ?」
大きな声に聞こえた。先ほどまで車内は静かだったから、なおさら際立っていた。他の乗客の目を気にして、僕はこれから一切の返事をしないと心の中に誓った。しかし、そう誓ってすぐ、車内はもうがらがらで、この車両には自分と彼女しか乗っていないことに気づいた。小さな辺境の駅に向かうこの電車の乗客は、僕がうとうとしているうちにすっかりいなくなってしまっていた。
「聞いてる?」
「聞いてますよ。15歳です。」
「若いね。私、32。」
左手に握られている包丁が気になって、彼女の年齢は、入ってこなかった。
「その包丁はなにに使うんですか。」
言い切る前に、彼女は答えた。
「あー。」
一瞬彼女は躊躇ったが、すぐに言った。
「これで人を殺すの。」
驚いた。でも、包丁を持っている時点で予想できたことだったから、それほど大きく驚けなかった。そのときには、驚きよりも好奇心が勝っていた。
「失礼ですが、誰を?」
「婚約していた男の人がいてね。ほんとに入籍する直前、一週間前くらいかな。彼が浮気してたのがわかっちゃって。結局破談。手元に少しのお金だけが残って、私たちは赤の他人になった。私はその後は1人で仕事をして暮らしてた。低月収だったけどね。それでも幸せに思えていたの。でも、私の心には何か大きな穴が開いていた。それに気づいていたのに、気づかないふりをしていたの。それに気づかされたのは友人伝いた彼の現状を聞いた時だった。」
彼女の表情は曇り切っていた。それが最初からだったのか、この話を始めてからなのかはわからなかった。
「彼は幸せになっていた。あの時の浮気相手と結婚して、今はリモートで完結する仕事をしているみたい。稼ぎもいいんだって。」
「その方が住んでいるのが、倉井崎なんですか。」
「そうよ。倉井崎はね、子供の頃何度も行ってた。海が綺麗で、美しいところ。私は1人で、30万にも満たない月収で働いてる。なのに、彼は、私にないものを手にしているようで。私はその事実をどうしようもなく受け入れることができなかった。だから、殺しに行くの。」
彼女に共感する部分もないことはなかった。でも、それ以上に彼女が少し自分勝手に思えてしまっていた。
「その後は?」
「私も死ぬ。」
「本当に死ねますかね。」
「なんで?」
「人間って誰でも、自殺を考えたことがあると思うんです。その思いが大きくても、小さくても、実行に移す人ってとても少ないですよね。実際にその方を殺してから、自分を殺す決意がつきますかね?」
「なにそれ、私は死ねるよ?」
彼女の目は、純粋に輝いた。ガラスのような目に、冬の残り日の光が細く差し込んでいた。彼女は自分が死ねることを疑っていない。きっと、あっさりと包丁を自分の胸に突き刺させるのだろう。そう思った。
外の雪は山をすっかり冬に染めてしまっているのに、彼女はグレーのTシャツに半ズボンを着ているだけで、かなり寒そうに見える。それなのにTシャツに汗が染みて、ところどころ黒くなっているのが、さらに僕を混乱させる。
「さっきから、ずっとそれ見てるね。」
「うぇっ、あの、そうですね。」
いきなり話しかけられて、変な声が出てしまった。
「君いくつ?」
大きな声に聞こえた。先ほどまで車内は静かだったから、なおさら際立っていた。他の乗客の目を気にして、僕はこれから一切の返事をしないと心の中に誓った。しかし、そう誓ってすぐ、車内はもうがらがらで、この車両には自分と彼女しか乗っていないことに気づいた。小さな辺境の駅に向かうこの電車の乗客は、僕がうとうとしているうちにすっかりいなくなってしまっていた。
「聞いてる?」
「聞いてますよ。15歳です。」
「若いね。私、32。」
左手に握られている包丁が気になって、彼女の年齢は、入ってこなかった。
「その包丁はなにに使うんですか。」
言い切る前に、彼女は答えた。
「あー。」
一瞬彼女は躊躇ったが、すぐに言った。
「これで人を殺すの。」
驚いた。でも、包丁を持っている時点で予想できたことだったから、それほど大きく驚けなかった。そのときには、驚きよりも好奇心が勝っていた。
「失礼ですが、誰を?」
「婚約していた男の人がいてね。ほんとに入籍する直前、一週間前くらいかな。彼が浮気してたのがわかっちゃって。結局破談。手元に少しのお金だけが残って、私たちは赤の他人になった。私はその後は1人で仕事をして暮らしてた。低月収だったけどね。それでも幸せに思えていたの。でも、私の心には何か大きな穴が開いていた。それに気づいていたのに、気づかないふりをしていたの。それに気づかされたのは友人伝いた彼の現状を聞いた時だった。」
彼女の表情は曇り切っていた。それが最初からだったのか、この話を始めてからなのかはわからなかった。
「彼は幸せになっていた。あの時の浮気相手と結婚して、今はリモートで完結する仕事をしているみたい。稼ぎもいいんだって。」
「その方が住んでいるのが、倉井崎なんですか。」
「そうよ。倉井崎はね、子供の頃何度も行ってた。海が綺麗で、美しいところ。私は1人で、30万にも満たない月収で働いてる。なのに、彼は、私にないものを手にしているようで。私はその事実をどうしようもなく受け入れることができなかった。だから、殺しに行くの。」
彼女に共感する部分もないことはなかった。でも、それ以上に彼女が少し自分勝手に思えてしまっていた。
「その後は?」
「私も死ぬ。」
「本当に死ねますかね。」
「なんで?」
「人間って誰でも、自殺を考えたことがあると思うんです。その思いが大きくても、小さくても、実行に移す人ってとても少ないですよね。実際にその方を殺してから、自分を殺す決意がつきますかね?」
「なにそれ、私は死ねるよ?」
彼女の目は、純粋に輝いた。ガラスのような目に、冬の残り日の光が細く差し込んでいた。彼女は自分が死ねることを疑っていない。きっと、あっさりと包丁を自分の胸に突き刺させるのだろう。そう思った。
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