上 下
21 / 26

20.噂の魔女

しおりを挟む

子爵らに会ってからしばらくのちのことだ。騎士の御前試合の後で、剣技場は人で混み合っていた。


褒美ものを配る役を終え、わたしは場を離れた。城の中で侍女と話していた。行政府も兼ねる表の面はダリルが仕切り、わたしは城の私的な部分の責任を持つ。


話のついでに、侍女が妙なことを言い出した。


「ルヴェラの魔女の噂はお聞きになりまして?」

「え?」


「魔女が出るとの触れが回ってきたそうでございます。幻覚を見せて人を操る術を使うとか。会った者は毒気に当てられて、高熱で寝込むのだそうです」


「どこからそんな触れが?」

「さあ、ルヴェラの城下では知る者も多いようです。わたしも出入りの商人から聞きましたもの」


侍女は、わたしが馬で出かけることが多く、気をつけるように言う。


少し前なら魔女など馬鹿にしていたが、ハクを知り、見方も変わった。真に魔術を持つ者は確かにいる。


「ありがとう」


試合の後で、自らも手合わせに降りた王子に飲み物を用意しようと、侍女に頼んだ。


それを持ち、屋外へ出る。隊士たちの群れの奥に王子がいた。金の髪を乱し剣を振るう彼を眺めた。


「ダーシー様」


声はウィルだった。お辞儀され、微笑んで返した。


王子の相手は彼より大柄な騎士だ。その一太刀は重いが、彼は器用に流し、危なげなくかわしていく。それでも見ていて、はらはらさせられる。


「殿下は剣の天凛をお持ちです。ご安心下さい。あれで随分遊んでおられる」


しばらくして王子が相手に合図をし、剣を下げた。


「ダーシー」


大声で呼ぶ。手合わせをしながらいつ気づいたのか、ウィルの言う、「遊んで」いるとは本当かもしれない。


「王子はお幸せにしておられます。元来が朗らかな方でいらっしゃるが、ダーシー様と出会われてからは、すべてに満ちていらっしゃるようです」


「あのね…」


ふと思い出し、たずねてみた。次に王子が任務に出立する際も、またわたしに告げずに急に出て行ってしまうのか。


彼の思いやりなのだろうが、知らぬ間に置いていかれるのは、つらい。やはり無事を祈って見送りたい。


ウィルは少し黙ってから、首を振る。


「それは未定です。ですが、以前殿下がそうなされたのは、ダーシー様のお為というより、ご自分の未練をお断ちになるためなのではないでしょうか」


「え」

「あのご闊達な殿下が、旅立ちからしばらくはお笑いにならなかったと覚えています。慣れた者でも旅は長い」


ウィルも恋人のマットと離れた日々をそう感じるのだろう。


そこへ王子がやって来た。彼に飲み物を渡し、額の汗を拭いてあげた。


ウィルの言葉が胸にしみ、わたしへ注ぐ彼の視線もちょっとまぶしくなる。


周囲の騒がしさの中に、「魔女が」の言葉が混じったのを聞いた。


「魔女が出るって噂があるそうよ。触れがあったのですって」

「どこで?」

「城下では広まっているそう」


彼は干したカップをわたしへ返し、剣技場を抜ける。その背を追いかけた。


「アリヴェル?」

「ルヴェラの触れは王家が出すんだ。僕は出していない」


通りかかった者にダリルを呼ばせた。ほどなくしてダリルが現れた。王子は彼へ、触れについてたずねた。


「いえ、わたしも存じません」


ダリルは眉を寄せた。


よくわからない。触れなど簡単に出すものだと思っていた。タタンでも、注意事項としてわたしの知らないものが出回っていた。泥棒に用心とか、天候の荒れに用心とか。


「ルヴェラは王家の直轄領です。その触れは法に準じ、発布も厳格な扱いになっております。風説を流布するような類は一切許されません」


ダリルの説明に納得した。


では、よそから回ってきたものなのでは? 噂など境界を関係なく流れていくものだから。


「それが触れとして噂されているのなら、問題です。」


ダリルは調べてみると下がって行く。


回廊の欄干に腰掛け、王子がつぶやいた。


「誰か魔女に会ったのか?」


幻覚で人を操り、見た者は高熱で寝込むという。具体的な噂で、誰かの体験談なのかもしれない。


しばらく待つうち、ダリルが戻ってきた。明るいこの場で話せばいいのに、なぜか彼は手近の応接室にわたしたちを招いた。


ひんやりと暗い部屋で、ダリルは話し出した。


「これを持つ者を見つけました。城下にはまだ広まっているようです」


衣装の内側から、一枚の紙を取り出して広げた。そこには触れであることと、魔女が現れ、その注意喚起を促す内容が載っていた。


髪の短い少年のような格好の女であり、自在に魔物を出して男を幻惑させる、とある。


「これはダーシーのことか?」


王子が低い声で聞く。


自分でも目で追ってすぐに気づいた。


「妃殿下が魔物を出されるのは存じ上げませんが、おそらく。至急の回収を命じてあります」

「僕の妃が揶揄されて愚弄されているのか?」

「これを見る限りでは」


王子は腹立ちに、いすを壁に投げつけた。跳ね返ったそれを足で蹴り飛ばす。大きな音に、思わず首をすくめた。


ウィルならなだめて王子を落ち着かせるところを、ダリルは静観し鎮静を待つ。


内容もあるが、王子の衝動を見越して密室での話になったようだ。


「出所もわからないのか?」


「妃殿下のお髪の具合を知っている者となれば、ルヴェラでしょうとしか。しかし、殿下のご帰還中、ご婚儀を控えた今、こんなものを城下にまく不遜な者がいるとは考えにくいところでございます」


王家の権威は絶大だ。それに、豊かなルヴェラでは王子の冷酷な噂も聞かない。過酷な任務を長く担う彼は、尊敬もされ愛されている。


沈黙が続いた後で、王子がぽつりと言う。


「やはりあの馬車が気になる」

「馬車とは?」


「先日、郊外でダーシーが会った馬車だ。彼女は道を聞かれてそれに応じただけだと。迷いようがない一本道でたずねるのは妙だ」


二人の視線がわたしに向く。


無言の圧に耐えかねて、事実を話した。タタンからやって来た義兄姉の子爵夫妻と会ったこと。そのやり取りのおおよそだ。ダリルがいるためドラゴンのくだりは省いた。


わたしに騙されたと言い募る子爵たちなら、やりそうなことではある。王子との結婚も頑として信じようとしないのだから。視線が落ちた。


「黙っていてごめんなさい」


目を上げれば、むっつりと黙り感情をためる、気分を害したときの王子の表情が見えた。


「まずはこのビラの出所を精査したします。妃殿下のご実家からと断定できれば、その際に求める処分を判断いたしましょう」


倒れたいすを起こしてから、ダリルが下がった。二人になった。沈黙がちょっと気まずい。


「怒っている? 黙っていたこと」

「僕の癇癪を恐れたのだろう? あんな後だから、それはいい」


「子爵たちは、あなたを侮ってあんなビラをまいたのはのではないの。わたしが憎いの」

「憎しみを向けるような間柄は家族じゃない。以前から君への仕打ちが、僕はずっと不快だった。もう我慢がならない」


誰か一人を虐げてできる、歪な絆で固まるおかしな家族もある。後妻に入った継母は、そう仕向けることで自分の居場所を築いた。


わたし自身、あの中の誰一人好きではない。


「…そういう家もあるの」


そんな家に生まれ、生きていかなくてはならなかった。自分の中の何かをちょっとずつ譲り渡して、心を守っていたように思う。


そうやって、あきらめが慰めになった。


彼の腕が伸びて引き寄せられた。胸に抱かれる。


「君の家は僕じゃないか。他は要らない」

「あなたはよく空き家になるから」

「本気で言っているんだ」


むっとした声だ。


詫びる代わりに、彼の胸に頬を寄せた。


母が生きていた頃は、苦労知らずの幸せな令嬢だった。愛されたその時代をわたしは捨てられない。愛おしい思い出はそれだけだ。


「母はきっと喜ばないわ」


父や継母らと憎み合う関係を、きっと母は良しとしない。それが戒めになっているのではないが、同じように憎み返せばいいとは割り切れない。


嫌な話だ。機嫌を損ねたままの彼をなだめたくて、わたしから口づけた。唇を開き、求めるようにすると彼も応じてくれた。


甘い時間の後で彼が、


「君はこんな風にして、僕を操っていないか?」


拗ねた声で言う。


「ううん」

「…言っておくが、処分となったら、僕の気分じゃ曲げられない」

「ええ」


彼の何かを曲げてもらってまでして、子爵たちを庇おうとは思わない。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

辺境伯令嬢の私に、君のためなら死ねると言った魔法騎士様は婚約破棄をしたいそうです

茜カナコ
恋愛
辺境伯令嬢の私に、君のためなら死ねると言った魔法騎士様は婚約破棄をしたいそうです シェリーは新しい恋をみつけたが……

やり直すなら、貴方とは結婚しません

わらびもち
恋愛
「君となんて結婚しなければよかったよ」 「は…………?」  夫からの辛辣な言葉に、私は一瞬息をするのも忘れてしまった。

私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?

新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。 ※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!

ぽっちゃりな私は妹に婚約者を取られましたが、嫁ぎ先での溺愛がとまりません~冷酷な伯爵様とは誰のこと?~

柊木 ひなき
恋愛
「メリーナ、お前との婚約を破棄する!」夜会の最中に婚約者の第一王子から婚約破棄を告げられ、妹からは馬鹿にされ、貴族達の笑い者になった。 その時、思い出したのだ。(私の前世、美容部員だった!)この体型、ドレス、確かにやばい!  この世界の美の基準は、スリム体型が前提。まずはダイエットを……え、もう次の結婚? お相手は、超絶美形の伯爵様!? からの溺愛!? なんで!? ※シリアス展開もわりとあります。

「お前は魔女にでもなるつもりか」と蔑まれ国を追放された王女だけど、精霊たちに愛されて幸せです

四馬㋟
ファンタジー
妹に婚約者を奪われた挙句、第二王女暗殺未遂の濡れ衣を着せられ、王国を追放されてしまった第一王女メアリ。しかし精霊に愛された彼女は、人を寄せ付けない<魔の森>で悠々自適なスローライフを送る。はずだったのだが、帝国の皇子の命を救ったことで、正体がバレてしまい……

愛されない花嫁は初夜を一人で過ごす

リオール
恋愛
「俺はお前を妻と思わないし愛する事もない」  夫となったバジルはそう言って部屋を出て行った。妻となったアルビナは、初夜を一人で過ごすこととなる。  後に夫から聞かされた衝撃の事実。  アルビナは夫への復讐に、静かに心を燃やすのだった。 ※シリアスです。 ※ざまあが行き過ぎ・過剰だといったご意見を頂戴しております。年齢制限は設定しておりませんが、お読みになる場合は自己責任でお願い致します。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈 
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

処理中です...