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17.隠せない嫉妬

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王子の声が落ちた。


「ダーシー、すまなかった」

「いいの。ジュードに詫びて。あなた、本当に怖かったから」


彼はジュードに手を貸して立たせ、申し訳なかったと素直に詫びた。王子に詫びの言葉をもらい、逆にジュードが恐縮している。


「今日は城に泊まってね。マットにもぜひ会って」


彼に乗ってきた馬を譲り、わたしは王子と相乗りすることにした。王子は落ちた弓を拾い肩に担いだ。悄然として見えた。


彼の腕前は確かだろうが、少しずれていたらジュードは大けがをしていた。嫉妬で誤解した彼の心情を思えば責めたくはない。でも、反省はしてほしい。


「ではのちほど」


ジュードに先に行かせた後で、彼に抱きついた。


「お帰りなさい。無事でよかった。早かったのね。もっとかかると思った」


それに返しはなく、泣き出しそうな声が、すまない、と落ちた。闊達な彼に、影が差したような表情をほしくない。


「いいの」

「誤解しないでほしい。レディに手を上げたことはないんだ。誓ってもうしない」

「うん」


王子がくずおれるように、わたしにひざまずいた。


「悪かった。君が男と抱き合っていて、頭に血が上った。本当にすまない。僕は...、何てことを」

「わたしは丈夫だから、普通のレディと違うの。何ともないの、平気」


彼だけをそんなままにしておけない。わたしも屈んだ。彼をなだめるために、わたしから口づけた。彼の腕が回り、強く舌を吸われた。長くそうしていた。


先に騎馬した彼が、わたしを引き上げてくれる。城へ戻った。


わたしたちを出迎えたダリルが、わたしの髪を見て表情を変えた。何も言わないが、王子へじろりと鋭い目を向ける。


「よくわかっている。爺は何も言わないでくれ」


わたしは知らん顔でいた。


髪をショールで隠してからジュードともう一度話した。マットも交える。


「お嬢様は王子様の熱いご寵愛を受けていらっしゃる。身をもって知りましたよ」

「反省していらっしゃるから、許してあげて。きつい任務の帰りでお疲れなの」


ジュードのからかいに頬が熱い。わたし自身、あれほど王子が嫉妬深いとは知らなかった。ダリルからは細かいことを気にしないタイプと聞いていたのに。


「タタンにわたしが行くのは厳しいみたい。王子様がお許しにならないと思う」

「ダーシー様が行かれる必要がありません。ジュードにはそのままを伝えてもらうのがいいかと」


「王子様にもしっかり意見なさる。しっかり妃殿下におなりのご様子をお伝えしますよ」

「もう止めて。恥ずかしいから」


ジュードは食事だけご馳走になれば、タタンへ立つと言った。マリアが妊娠中で気がかりのようだ。王子への遠慮もあるだろうが。


彼を見送ってから、城のメイドに髪を切ってくれるよう頼んだ。ばらばらなままをショールで巻いて隠していたから。


短い方にそろえて切ってもらうと、肩に届かない長さだ。真ん中で分けて片方を耳にかけた。首筋が少しひんやりする。髪など伸びるし構わないが、子供のようなこの髪で婚儀の席をどう乗り切るか。


「妃殿下」


ダリルに声をかけられた。目顔で呼ばれ、執務室に招じ入れられた。鋭い視線がわたしの髪を一なでする。渋い表情だ。


「みっともないから、そろえてもらったの」

「…よろしゅうございますが。…殿下が手を上げられた原因をお聞きしても?」


ジュードとわたしの仲を王子が誤解したのだと説明した。


「わたしがいけなかったの。タタンの頃から使用人と仲がよかったから、ついその調子で…」


ダリルが頭を下げた。


「申し訳ございません。お育て申すに、指導の到らぬわたしの罪でございます。ただ、殿下におかれては、これまで女性に手を上げるお振舞に及ばれたことは一切ございません。それはご理解下さい」


「よくわかります。本当にもういいの」


頭を戻したダリルが、妃殿下にははばかりながら、と話す。王妃様の催促もあり、近々に結婚と、お妃候補の人選の最中だったという。女性に恬淡な王子は、そのすべてを周囲に任せっきりだった。


そこに、王子がいきなりわたしの存在を旅先から知らせて来た。


「大変驚きました。あなたでないと、絶対に駄目だと頑なにおっしゃる。わたしはダーシー様の何一つ存じ上げておらぬというのに」


王子のお相手として、名門の楚々とした令嬢が俎上に上がっていたはずだ。わたしは王都育ちでもなく、その列にすら入れない。涼しい顔をなかなか崩さないダリルの血相変えた様子が想像できて、ちょっとおかしい。


「何を笑われているのです?」

「いえ、別に…」


「ともかく、妃殿下、あなたはアリヴェル殿下にとって特別なお方なのです。ですから、少々とは申し難い癇癪ではございましたが、今回限りは、何とか寛容なお心でお許し願いたい。強く反省をされているご様子とお見受けします」


「ええ」


王子はどこにいるのかと聞くと、中庭の泉にいると教えてくれた。



泉の前に王子がたたずんでいた。


時間があったはずなのに旅の後で着替えも済ませていない。黒いシャツは砂ぼこりで所々白く汚れていた。


側に行くと、彼がわたしを見た。瞬時に表情が歪んだ。


「...そんなに短くなるのか…」

「気に入らない?」

「まさか。そうじゃない」


わたしは彼の腕を取って抱く。


「本当にもういいの。妬いてくれたのなら、うれしいから」

「君を殺しかけても、か?」

「殺さなかったじゃない」


彼に残虐性があれば、あのとき、必ずジュードを斬ったはずだ。王子はそれもしなかった。


「出来ない腹いせに、僕は君の髪を切った。君の長い髪がすごく好きだったのに…」


そう言えば、王子はコレットのときから、わたしの髪をよくいじってきた。これまでも指に絡め、触れることが多かった。振り返ると、少し寂しい気がした。


「髪は伸びるわ」


王子は返事をしなかった。自分の失態が許せなくてつらいのがわかる。彼自身で気持ちの折り合いをつけなければ、終わらない問題だとも思う。


何を言っても、今の彼には心に届かない。一人にしてあげた方がいいのかも。わたしは抱いていた彼の腕を放した。


タタンへ行かれない代わりに手紙でも書こう、と身を返した。


「どこへ行くんだ?」

「え。手紙を書くの」

「今書く必要があるのか」


わたしをにらんでいる。そっとしておこうと気を使ったのに。側に戻る。


「疲れていない?」


首を振る。


「帰りは十日は先だと聞いていたの。早かったのね。天候に恵まれたの?」

「行きは雨続きだった」


ぽつりと返るだけ。


いつまでこうしているのだろう。日暮れ近くなって来た。吐息ついでに胸でつぶやく。面倒くさいな。


「面倒くさい?」


低い声がして、顔を上げた。怖い目がわたしを見ている。


心の声だったのに。


「聞こえた?」

「聞こえた。それは僕のことか?」


さすがにまずい。無礼だった。


「ごめんなさい」

「僕は真剣に悩んでいるんだ。また何かあれば、自分が抑えられるのかわからず、怖いんだ。君はそれを…」


「わたしが軽はずみだったから、あなたを誤解させたの。それだけのことを重く受け止め過ぎているわ。だから、ちょっと面倒くさいな、なんて思ったの。ごめんなさい。今後は気をつけるから、もうこんなことは決して起こらない」


「どうしてそう言える?」

「ダリルやウィルに抱きつく自分が想像できないから」


王子はそこで笑った。


「あの二人ならいいよ」


よかった、機嫌が直ったようだ。


「ねえ、アリヴェル」

「何?」


「あなたが誰か女性を抱き寄せていたら、わたしだってその人の髪を切り刻むくらいしたくなる」

「うん」


ふと、彼がわたしの頬を両手で挟んだ。見つめる。


「違う君だ。王宮の小姓みたいだ」

「ひどい。あなたが切ったのに」

「大丈夫。もう一度好きになったから」


彼が口づけた。触れた髪から、やっぱり砂粒が落ちてくる。


そんな彼がやはりわたしは好きだ。


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