お嬢様をはじめました

帆々

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5.修学旅行の期待

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兄の友人が、イライジャ先生だなんて。

「ディーさんだね、初めまして」

手を伸ばせばもう少しで届くほどの距離で見る彼は、確かにあの初恋の君だった。

もしかしたらわたしの記憶違いであるのかも、というわずかな疑念もあった。そうであってであってほしいという願いもまじるから。

けれども、こうして見る彼は、あの初恋の君の凛々しく成長した姿だった。

「学園に通うのでしょう? 僕はあそこで教師をしている」

「ええ、知っています」

「ビーエル君に聞いて、君に会いたくて無理を言ってお邪魔したんだよ」

「え」

わたしに会いたくて?

胸がどきんとなった。

そもそも二人はどうして友人同士なのだろう。兄は大学生で、エロ公爵の邸に入り浸っているし、イライジャ先生はお勤めの教師だ。

兄が腹をちら見せさせながらアコースティックギターを抱いている。

「イライジャの兄上が公爵なんだよ。それで仲良くなったのさ」

「そう」

それならつじつまが合う。

昔わたしがイライジャ先生を見たのも、美しい邸だった。あれは公爵邸だったのだろう。集会中に芝生でさぼっていられるのも、公爵の弟君だからだ。

そこまでは納得できたが、なぜわたしに会いたいと?

「もうパーティーは決まったのかな? よければもふ...」

勧誘。

廃パーティー寸前のもふもふパーティーへの勧誘のためだ。

勝手に裏切られたような気がして、わたしは挨拶もそこそこに居間を出た。

でも、どう言ってくれれば満足だったのか。

彼はわたしを知りもしないのに。

遠い初恋を引きずり出して悩んでいるのは、わたしだけなのだ。

気ままな感情で、失礼だったと反省した。


ある日、学園内に激震が走った。

もふもふパーティーがとうとうなくなってしまったのだ。

最後のメンバーが我が勇者パーティーに入り、メンバーがゼロになったのだという。

「勇者パーティーは、賢者様を迎え成長著しいからね」

我がパーティーは意気盛んだが、わたしはイライジャ先生の気持ちを思い、心が沈んだ。

先日、邸にやってきた先生は、きっと廃パーティーを免れるための、決死の覚悟だったのだ。

あんな兄のつてを頼り、メンバー確保のために動いていたのに。

それにわたしは、ろくに話も聞きもせず、背を向けてしまった。

集会の時、校庭の芝で寝ころぶ彼の姿が、まるでふてくされているかのように見え、胸がどうしても痛む。

そんなわたしの心とは裏腹に、学園内はテスト期間を迎え、勉強ムードになっていく。

クラスメイトもノートやテキスト手に教科の話題に熱心だ。

赤点は平均点で決まるという。平均点が低ければ、赤点も低く、高ければ赤点も高い。

ここにわたしは目を付けた。

隠居した先の侯爵のおじい様は、おかしな薬の調合が趣味だ。邸には離れの開かずの間があって、そこが調合部屋になっているのだ。

わたしはそこにそっと忍び入り、媚薬を少々もらった。

空いた味の素のビンに詰め、テストに備えた。

テストはよくわからなかった。過去のことについて述べたり、知らない誰かの感情を推し量ったり、またはもつれ合う数字を求めることだらけだ。今を生きるわたしは、そこに何の喜びも感じない。

こんな時ばかりは、その日暮らしの肉の町が懐かしくなる。何もなくとも、自分がするべき何かがあった。父のうどん店を手伝ったり、お芋をふかしたり、洗濯したり...。

わたしは媚薬の防護用に、自分の分の血清を用意していた。これは、おじい様が作ってあった坑媚薬剤だ。相手に媚薬を用いて、自分はそれに酔わないための薬。

孫娘の身で、おじい様の未だ衰えを知らぬ男の性をのぞいてしまうようで恐ろしかった。

めらめらと紫色の煙を出して、味の素のビンから媚薬が教室に広がっていく。

隣りのヨーコがまず顔を伏せて倒れた。

「どうした?」

監督官の先生も、彼女までたどり着く前に床に伏してしまう。次々とクラスメイト達は穏やかな眠りについた。

わたしは坑媚薬剤効果で、ピンシャンしている。ヨーコの答案をさらっと写し、知らん顔で、うつ伏せになっていた。

チャイムが鳴る頃、みんなの目が覚めた。

「はい、終了」

これを教科分繰り返した。


今回のテストはさんざんな出来だったと、担任が叱った。

「赤点は30点だ。これ以下の者には追試を行うから、そのつもりでおくように。ナーロッパの未来を担う、エリートの君たちが恥ずかしいぞ」

わたしはおじい様の媚薬とヨーコのおかげでオールクリア。ゼロカロリー。

口笛を吹きたい気分で、廊下を歩いていると、イライジャ先生と会ってしまった。

邸で会って以来なので、気まずい。

わたしはお辞儀をし、先生の顔色をうかがった。もふもふパーティーの廃パ以来、落ち込んでいるのだろうと、申し訳なく思う。

わたしが加入し、獣人の着ぐるみを着て先生とぶつかり合ってさえいれば、と今も悔やまれるのだ。

「テストの成績はどう? その様子じゃ良かったみたいだね」

「え。ええ、まあ...」

彼はなぜか、わたしの心をのぞくような視線を向ける。少しいたずらっぽく笑う。

「正面からぶつかるだけが、物事の対処の仕方じゃない。からめてから攻めるのも、嫌いじゃないよ」

そう言い、彼は通り過ぎて行った。

もしかして、わたしのテスト攻略作戦が気づかれた?

まるでお見通しだと言わんばかりの言葉だった。

「嫌いじゃないよ」。

その部分だけが耳に残るのだ。


テストが終われば、次なる一大イベントで学園内はわき立つ。

修学旅行だ。

「どこへ行くの?」

ここは上流学園だ。さぞ豪華な旅が予定されているのだろうと、初めてのイベントに、今から期待に胸が高鳴る。わたしは旅を知らない。旅行をしたことがないのだ。

「本能寺よ」

ヨーコが言う。

何年も前からの決定事項で、学園の修学旅行は本能寺と定まっているらしい。多額の寄付金を受けながら、国内旅行で済まそうなんて、その強欲っぷりに驚いた。

使わないから貯まる。金持ちの基本中の基本を思い知らされた気分だ。

しかし、本能寺はもちろん行ったことがない。

相も変わらず、肉を焼きながら、本能寺旅行について話し合う。

「今年の信長さまは誰かしら?」

「ノブナガサマ?」

旅行中に行われる企画で、生徒の中から一人信長役を決め、攻め方に討ち取られるのだという。

「去年の信長は逃げっぷりがもう、情けなくて。泣き叫んでたなあ」

「みんなで追い立てて、汚い炭小屋で信長を切腹に持ち込むまでがセットなの」

「様式美ですよ、伝統の。和の心」

それが、集団いじめと何が違うのかはわからない。セレブの考えは、時に狂気をはらんでわたしを悩ませるのだ。

とにかく、自分が今年の信長役になりませんように。

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