2 / 11
2.父の帰還
しおりを挟むダンスパーティーには行かなかった。
それで、カルビがまた店にやって来た。
「ディー、どうしたんだよ。待っていたのに」
責めるように言うから、ちょっと腹が立つ。約束なんかしていない。服はもらったけど。でもあれは、兄のビーエルが持って行ってしまったのだ。
「服なんかいいよ。また買うから」
カルビは気前のいいところを見せてから、うどんを注文した。『星まるうどん』は素うどんに、好きな具材をトッピングするスタイルだ。
ちくわ天、ごぼう天、かき揚げ、エビ天、イカ天などなど。天ぷらが多い。
全然こしのないうどんにさっくさくの天ぷらが、案外おいしいのに。このあたりの人の舌には合わないみたい。
カルビが、素うどんをのせたトレーをぶるぶる震わせた。おたまじゃくし風の顔が、一緒に震えている。
「肉がないじゃないか」
「うん、そう。ないの」
「だめだよ。肉の町なのに」
「え」
「見なよ。この界隈はみんな肉をあつかった店なのに。ここだけだ。こんな練り物とか野菜や海鮮でごまかしている。卑怯だ」
確かに町内は肉一色だ。肉まみれの町と言っていい。
「でも、おいしいわよ」
「おいしさじゃないんだ。道徳のことだよ」
「わからない」
カルビの言うことがわからない。
後ろで母が不機嫌そうにねぎを切っている。母がねぎを切るのは機嫌の悪いときだ。いつもは父の仕事にしている。
このところ父が家を空けていて、いないのだ。
カルビは素うどんを食べて、帰って行った。
「カルビ君はディーが好きなのよ」
分厚いねぎの小口切りを終えた母が言った。
「うん...。多分そう」
「ディーはどうなの?」
「いい人だとは思うけど」
それ以上は答えられなかった。
きっとカルビは、寺子屋を出た後で、わたしにプロポーズするだろう。この界隈の人はみんなそうだ。そして二人の合意があれば、町内会に諮られる。
その許可を得て、晴れてカップル成立だ。デートできる。
「カルビ君なら、お金の苦労はないわね」
そうだ。
カルビは大『チーギュー』チェーンの跡取り息子だ。その妻になれば、裕福になれるだろう。
でも、それは幸せかしら?
ふと思うのだ。
夢に現れる、決してよみがえりはしない幼い初恋を思うより、カルビとチーギューに染まって生きる方がいいのじゃないか。少なくとも、生活は楽になる。
でも、
わからない。
まだ決めたくない。
庭で母に髪を切ってもらっていた。うちの散髪はいつもそう。外でやる。
電話がかかり、母がハサミを置いて家に入った。
通りかかった焼き鳥の竹串専門店のおばさんが、代わりに切ってくれる。おばさんの飼い犬が吠えるので、帰って行った。
次に牛鍋屋のおじさんが、放ったらかしのわたしを見かねて切ってくれる。
そこで母が家から出て来た。
ハサミを受け取った母が、肩先までそろえてくれながら、父が帰って来ることを告げる。
「ふうん」
慣れているはいえ、ヘアサロンで髪を切りたいと思った。
子供じゃあるまいし。いろんな人にちょっとずつ切ってもらうなんて、恥ずかしい。横綱の断髪式みたいだと思った。
父が帰って来たのは、夜更けで、真っ白な顔が赤く焼けていた。友人とエロドラドという土地に行っていたという。
小金が貯まるとふらっと出かけるのは父の癖のようなもので、そんなところに母が魅かれたというのは、何度も聞いた両親のロマンスだ。
「パパはね、大学の寮を抜け出したのよ。ふふ、メイド姿のママの手を取って、フランス窓を開けて、お邸から飛び出したの。自由を求めて」
「苦労をかけたね、エマ」
「いいえ。ビーエルとディーという可愛い我が子にも恵まれて。わたし、幸せよ」
「わたしこそ、愛しているさ。君との二十年を誇りに思うよ」
そんな父が、ダイヤモンド鉱山を探し当て大金持ちになったという。
一緒に見つけた友人と折半でというが、それでも大変なものだ。
母もわたしも驚いて、言葉がなかった。
貧乏しか知らないから。
お金は他人が持っていて、それを羨むのが我が家のいつものスタンスなのだ。
父はちょっと渋い顔をして、母にくしゃくしゃになった手紙を渡した。
「まあ」
広げた母の顔が、青ざめるのがわかる。
「どうしたの?」
「パパのご実家の侯爵家が財産難で、助けてほしいと懇願のお手紙よ」
「幸い、わたしは大金持ちになったから、助けてやるのはやぶさかでないのだが...」
父も渋い顔だ。
「パパ、わたしのことはいいの。お父上の殿様を見捨てるなんてできないでしょう?」
「いや、しかし…。君を身分違いとさんざんなじった父を簡単に許すことは出来ない」
どうやら、両親の駆け落ちは、いまだ侯爵家の許すところではなかったようだ。
話し合った末、父は実家を助けることを決めた。
母はもちろん、わたしと兄のビーエルのことも孫と認めることも条件に加えた。
けれど、そうすることによって、我が家は重大な変化を迎えることになる。
生まれ育ち、親しんだこの肉まみれの町を出て、侯爵家に入ることになるのだ。
隠居を決めた父の父、わたしのおじい様に代わって、父が侯爵家を継ぐことになった。
引っ越しを明日に控え、わたしはカルビと一緒にいた。
彼はチーギューを手に慌ただしいわが家にやって来て、わたしを連れ出した。
小さな頃に遊んだ公園のブランコに座る。
「忘れるなよ、この町を」
「忘れないわ」
午後五時を知らせるサイレンが鳴り、子供たちは帰って行く。わたしもこの音を聞き、家に急いだものだ。
そして、兄のビーエルと一緒に、夕飯のお芋をふかすのが日課だった。熱々を兄が馬鹿みたいにかじりつき、唇を腫らしていた。
今でも別な意味で唇を腫らして帰って来るけれど。
侯爵家に入ってしまったら、お芋はふかせるのかしら。
「ディー」
彼の唇が真紫になっていた。わたしを見て、ぶるぶる震えている。
「カルビ、どうしたの?」
「思い出にキスしていいか?」
「嫌よ」
「どうしてもか?」
「うん。町内会の許しもないのに。罰せられるわよ」
町内会は性の乱れにとりわけ厳しい。
「それでもいい」
カルビの覚悟が壮絶に思え、わたしは手を差し出した。甲ならいいと許した。
カルビが手をつかむ。唇が触れ、ねろりとなめ出したから、そこから手を引っこ抜いた。
それでわたしたちは別れた。
9
お気に入りに追加
36
あなたにおすすめの小説
性悪という理由で婚約破棄された嫌われ者の令嬢~心の綺麗な者しか好かれない精霊と友達になる~
黒塔真実
恋愛
公爵令嬢カリーナは幼い頃から後妻と義妹によって悪者にされ孤独に育ってきた。15歳になり入学した王立学園でも、悪知恵の働く義妹とカリーナの婚約者でありながら義妹に洗脳されている第二王子の働きにより、学園中の嫌われ者になってしまう。しかも再会した初恋の第一王子にまで軽蔑されてしまい、さらに止めの一撃のように第二王子に「性悪」を理由に婚約破棄を宣言されて……!? 恋愛&悪が報いを受ける「ざまぁ」もの!! ※※※主人公は最終的にチート能力に目覚めます※※※アルファポリスオンリー※※※皆様の応援のおかげで第14回恋愛大賞で奨励賞を頂きました。ありがとうございます※※※
すみません、すっきりざまぁ終了したのでいったん完結します→※書籍化予定部分=【本編】を引き下げます。【番外編】追加予定→ルシアン視点追加→最新のディー視点の番外編は書籍化関連のページにて、アンケートに答えると読めます!!
許婚と親友は両片思いだったので2人の仲を取り持つことにしました
結城芙由奈@12/27電子書籍配信中
恋愛
<2人の仲を応援するので、どうか私を嫌わないでください>
私には子供のころから決められた許嫁がいた。ある日、久しぶりに再会した親友を紹介した私は次第に2人がお互いを好きになっていく様子に気が付いた。どちらも私にとっては大切な存在。2人から邪魔者と思われ、嫌われたくはないので、私は全力で許嫁と親友の仲を取り持つ事を心に決めた。すると彼の評判が悪くなっていき、それまで冷たかった彼の態度が軟化してきて話は意外な展開に・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。
鶯埜 餡
恋愛
ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。
しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが
女避けの為の婚約なので卒業したら穏やかに婚約破棄される予定です
くじら
恋愛
「俺の…婚約者のフリをしてくれないか」
身分や肩書きだけで何人もの男性に声を掛ける留学生から逃れる為、彼は私に恋人のふりをしてほしいと言う。
期間は卒業まで。
彼のことが気になっていたので快諾したものの、別れの時は近づいて…。
傲慢令嬢は、猫かぶりをやめてみた。お好きなように呼んでくださいませ。愛しいひとが私のことをわかってくださるなら、それで十分ですもの。
石河 翠
恋愛
高飛車で傲慢な令嬢として有名だった侯爵令嬢のダイアナは、婚約者から婚約を破棄される直前、階段から落ちて頭を打ち、記憶喪失になった上、体が不自由になってしまう。
そのまま修道院に身を寄せることになったダイアナだが、彼女はその暮らしを嬉々として受け入れる。妾の子であり、貴族暮らしに馴染めなかったダイアナには、修道院での暮らしこそ理想だったのだ。
新しい婚約者とうまくいかない元婚約者がダイアナに接触してくるが、彼女は突き放す。身勝手な言い分の元婚約者に対し、彼女は怒りを露にし……。
初恋のひとのために貴族教育を頑張っていたヒロインと、健気なヒロインを見守ってきたヒーローの恋物語。
ハッピーエンドです。
この作品は、別サイトにも投稿しております。
表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。
【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる