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28.落首
しおりを挟む『よゆうしゃくしゃく しゃくのあまりに かわのべにながすにしかず ちんのこうしゃく』
その落首は日本橋で見つかった。その下の川に棒状のものに刺さって突き出ているのを、朝方近所の者が見つけた。繁華な土地柄もあり、すぐに話題になった。
出来事は、帰宅した柊理が教えてくれた。まず部下の者に噂を聞き、その後知人からも詳細を聞いたという。
落首は批判の意を込めたざれ歌だ。「かわのべ」、「しゃく」とあるから、誰の目にも川辺公爵のことを風刺したものと知れる。そこに天子様から賜った笏をかけてある。増上慢が極まり、天子様のご威光を蔑ろにしている、という内容だ。
「ちんとは何だ?」
「陛下のみがお使いになる一人称だ。「ちんのこうしゃく」で、陛下の厚いご寵愛を揶揄しているんだ。もちろん大変不敬ではあるがな。上手いことを言う」
柊理はちょっと愉快そうだ。
歌もさることながら、落首を刺してあった棒がより問題だという。
「突き刺してあった棒こそ、賜った笏だという。ご宸筆があって偽物だというごまかしが効かないらしい」
「どこから?」
「川辺公爵の邸だろ。家宝にすべき笏を易々と盗まれて、落首の添え物にされた。陛下は御気色をお悪くされて、内々に不快であるとのお声を出されたという話だ」
「内々なのに広まるのだな」
「華族は噂が早い。とにかく、もう公爵個人が嘲笑されてどうのこうのの段階ではなく、陛下のご威光に傷がつくという問題に発展している」
そこまで聞けば、宮中や世事に疎いわたしでも想像がつく。公爵はすっかり面目をなくし、窮地に立たされているのだ。
あんな男がどうなろうが、知ったことではない。
しかし、誰がそんな真似を?
「川辺公爵をねらったというのが痛快で、どこもこの話題で持ちきりだ。警備の厳しい公爵邸から盗み出したことから、犯人は『怪盗霧雨』ではないかとも噂されている。霧雨は美術品専門の盗賊だから、違うだろうがな」
権力者に楯突く所業だ。露見すれば、大きな罪を科せられるだろう。誰がやったにせよ、公爵を嫌う人々は面白おかしく騒ぐだろうが、そんな危険を冒すほどの意味のあることだろうか。
しかし、やった本人にとって意味があるのだとしたら…。
ふとお冴から聞いた話を思い出し、今の話につながる気がした。胸が高鳴る。それを抑えつつ、柊理に聞いてみる。
「川辺公爵は元勲の筋ということだったの。礼司の絵を言い値で買い占めるなど羽ぶりがよいが、昔から金持ちなのか?」
「そうじゃない。元は下級武士以下の出だと聞く。潮目の後で今の身代になったようだ。投機で大儲けしたということだが。それがどうした?」
「投機とは、それほど儲かるものなのか?」
彼はおやっという表情をした。わたしが話の逸れた問いをするから妙なのだろう。それでも教えてくれた。
「投機で儲けるにも、相場に張る元手がいる。手持ちの資金のことだな。だから、投機で大きな利益を上げる者は、元から金持ちというのが本当のところだ。そうだな。考えたことがなかった。公爵は元手をどう工面したのか…」
柊理はちょっと考える風を見せた。
潮目後、元勲とされる倒幕の立役者たちが高位顕官に並んだ。政権の移譲による混乱の中の外交。内政財政問題、さらには続く士族の反乱…。近代化へ突き進む激動の黎明期。
「秩序が入り乱れていた頃だ。何でもありだったのじゃないかと思う。そんな時代だから、親父も華族に紛れ込めた。公爵が正当な手段で金を作ったかはわからんな。そうじゃなかったとしても、十分うなずける」
「そうか」
「何だ? それと落首が関係するのか?」
「いや、ちょっと…。公爵は過去に恨みを買ったのではないかと思ってな」
「あり得るな。その意趣返しを食らったと、姫は考えるんだな。確かに、それだと筋は通る。誰にせよ、あっぱれな人物だな」
柊理は笑って、わたしを抱き寄せた。彼にも今回の出来事が痛快なのだ。結い残した垂らし髪を指がいじる。
「俺の姫をねらうから、麒麟の天罰が降ったんだな」
「そのようだの」
一成様だ。
あのお人しかいない。
「騒動は困る」。その言葉の意味が今ならわかる。「目的に適っている」とも言っていた。獲物をねらう時期や機会の照準を懸命に絞っていたのだ。
川辺公爵はかつて佐和野家を騙し、滅亡へ導いた男なのではないか。これは、一成様の鮮やかな復讐劇なのでは。
そうであってほしい。
そしてそれが叶った時、あの澄んだ笑顔を浮かべているのではないかと思う。願う。
ふっと、ため息に気づく。柊理だ。
目をやると、わたしを見て、
「姫は上の空だな」
とぼやく。
「遠くを見るような顔は見たくない」
「え」
柊理が口づけた。少し強引なそれに、胸がうずく。
わたしの中のおとぎ話が閉じるのを感じた。
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