何処吹く風に満ちている

夏蜜

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温めの風

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 不思議そうに紙包みを手に取った遠矢は、包装を解いてすぐ顔つきが変わった。現れた墨色の眼鏡ケースをさらに開き、表情を一段と険しくする。 
「……気を悪くしたなら、詫びるよ」
「創一が謝ることじゃないさ」
 遠矢はわざとらしくケースの中を創一に見せた。以前、遠矢がしていた眼鏡と型が似ている。そういえば、今の彼は眼鏡をしていない。極度の近視だとは思うが、周りは見えているようなのでコンタクトだと思われた。
「……あのさ、学校に来ていないみたいだから心配してたんだ」
 創一は、ずっと吐き出したかった言葉を口にした。もしかしたら、あの放課後の件が関係しているのかもしれないという懸念があった。遠矢は目を伏せて口をつぐんでいたが、短く息をついた後に唇を動かした。
「眼鏡が壊れてさ、替えがないから困ってたんだ」 
「……ああ、それで」
「だから、風邪ひいちゃって。その日は運悪くどしゃ降りだったから、帰ってきたときにはずぶ濡れだったんだ。晴れていたら、感覚で場所が判るんだけど」 
 遠矢は気怠そうに椅子にもたれた。熱はもう下がったのだと付け加えた後で、瞬きを繰り返して目頭を押さえる。どうもコンタクトが合わないらしい。
「ごめん、ちょっとトイレ」
 一人リビングに残された創一は、改めて部屋の中を眺め回した。テーブルに向かい合って椅子が二脚しかないということは、遠矢は二人暮らしなのだろう。買い物袋からは、ご飯のパックや缶詰め、出来合いの惣菜などが垣間見えている。時間があれば何か作ってあげたいとも思ったが、バスの最終便が迫っている。
 遠矢が涙を拭いながら戻ってきた。覚束無い足取りで、明らかに前が見えていない。あの日、こんな調子で自宅まで帰ったというのだろうか。
 創一は立ち上がって遠矢を支えに行った。背中に手を添えると、遠矢のほうから倒れるように抱きつく。不意に唇が重なった。偶然、というわけではなく、肩を強く掴まれたためだった。彼の唇は雨に濡れたままの冷たさを保ち、創一をもどしゃ降りに追いやる。 
 とても長い時間だった。創一にとって初めての行為だったことが、そう感じさせたのかもしれない。抱きつかれている間、遠矢の睫毛は小刻みに震えていた。
「……ごめん」 
「ここで待ってて。眼鏡、必要なんだろう」
 創一は動揺を隠す振りをして、テーブルに置かれた眼鏡ケースを取りに走った。遠矢に手渡すと、彼はあからさまに渋い顔つきになったが、恐る恐る確かめるようにケースから眼鏡を取り出して身に付けた。
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