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六章:ミッドナイト
第三十六話:在りし日の道程
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理恵のドライビングは、心からそう思えるほどに「優雅」な代物であった。
同じ女性でありながら、初心者である自分のように「稚拙」なレベルのそれではなく、だからといって求道者めいた倫子のように「鋭利」で尖った技でもない。
もちろん、あの芹沢聡に代表される、男らしい力任せの「豪腕」でもなければ、一般的な女性ドライバーのごとくクルマの性能に乗せられているだけの頼りない走りでもない。
あえて眞琴の知っている人間に例えるのであれば、それは「八神の魔術師」、壬生翔一郎の走りに似ていると言えようか。
実に無駄なく滑らかで、無理せずクルマを行きたい方向へと進ませるそのテクニック。
仮にそれを評する表現があるとするなら、ただひたすらに「上手い」
助手席に座る眞琴には、そのひと言だけしか思い付けなかった。
それは、今日という日がちょうど夕方に差しかかろうとしていた午後四時頃のこと。
やや唐突ともとれる理恵の願いをなんとなく断り切れなかった眞琴は、彼女の言葉どおりにその愛車の助手席へと身を収め、ともに八神街道へと向かっていた。
理恵のクルマは、ダイハツL-880K「コペン」
軽自動車規格に則った、ふたり乗り用のオープンカーだ。
駆動方式は前輪駆動。
AT全盛期が続く日本の軽自動車市場において、珍しく五速MTが設定されていることが特徴だった。
そんな「コペン」という駿馬にまたがり、養護教諭は軽やかに公道を駆ける。
さして速度を出しているというわけではない。
せいぜい法定速度に毛が生えた程度であろう。
しかし、そんな「コペン」の乗り味は、深夜の街道を疾駆する倫子の「MR-S」とはまた別種の快楽を、確実に助手席の眞琴へと伝えていた。
適度な強さで吹き込んでくる峠の大気が、優しくその頬を撫でていく。
それは、あたかも眞琴の心中にどんよりと溜まっていた淀みまでをも、軽やかに吹き飛ばしてしまうかのごとくであった。
眞琴はこの時、本当のドライブというものを初体験したように感じた。
速やかに目的地へ到着するためにではなく、それでいて競技のように自身の力量を確かめるためにでもなく、純粋に楽しむことのみを目的としたドライブ。
目から鱗が落ちたと、大袈裟にではなく心底からそう思った。
文字どおり、自分の世界が広がったのだと本心からそう思った。
それはある意味で感動にすら近い。
だからこそ彼女は、つい先ほどまで自分自身を押し潰そうとしていた暗い闇の存在を一時的にしろ忘却した。
その表情に張り付いていた「陰」が、いずこへともなく姿を隠す。
「どう? 気持ちいいでしょう。こうやってオープンカーで走るのって」
まるでその時を見計らっていたかのように、理恵は眞琴に声をかけた。
彼女の運転する「コペン」は、すでに八神街道のふもと、「八神口」と呼ばれるあたりに到達していた。
やや急な上り坂。
眼前に現れる右コーナーを、彼女と「コペン」は難なくクリアしていく。
ほとんど衝撃を発生させることなく、五速から四速、三速へとシフトダウン。
女性にしては珍しく愛車にマニュアルシフトのクルマを選んだ理恵は、その操作をまったく苦にせず易々とこなす。
いや、それはもう苦にしていないというレベルではない。
彼女は下手な走り屋が裸足で逃げ出すほど巧みなアクセル操作をもって、見事なまでに正確なエンジン回転数の同調を実行してみせたのである。
もはや驚きをはるかに通り越した感を漂わせながら、眞琴は理恵に敬意のこもった眼差しを送った。
彼女は言った。
「河合先生がこんなに運転お上手だったなんて、思ってもみませんでした」
それは、先に提示された理恵からの質問に対する回答ではなかった。
筋から言えば、いささか順序を間違えた発言になるのだろう。
だがそれを気にすることもなく、理恵は、いつもの彼女と変わりない適温のカフェオレを連想させる口振りでもって、その言葉に応えた。
「先生ね、とんまだから。いっぱいいっぱい失敗して、その回数と同じだけ自分を修正してきたのよ。いま猿渡さんから誉められたのも、それが原因なのかもしれないわね」
眞琴からするといささか要領を得ない回答をごくあたりまえのように口にして、彼女は小さく舌を出した。
上り坂を越えたのち、理恵の運転する「コペン」は、頂上のパーキングエリアにゆっくりと進入を果たした。
これまでたびたびこの場所を訪れていた眞琴であったが、思い返すとそのほとんどすべてが夜間のことであったと気付く。
なぜなら、この見慣れたはずの風景が、いまの彼女には初めて足を踏み入れた処女地のように感じられたからだ。
白線で指定された駐車スペースに愛車を停めた理恵は、「そこのベンチでお話ししましょ」と教え子に告げると、自らは近くに設置された自動販売機へと歩いて向かった。
理恵がそこでふたり分の清涼飲料を購入している間、眞琴はベンチに腰を下ろして空を見ていた。
一応夕方に属する時間帯であるとはいえ、まだ空の端に赤みなどは差していない。
先ほど屋上から見上げていた空と比較してやや雲量が増えたかなという程度で、その総面積にかかる青色の比率は、間違いなく過半数を占めていた。
「猿渡さんは、甘いのと苦いのとどっちがお好みかしら?」
理恵がいつの間にかやってきていた理恵が、微笑みながら眞琴に尋ねた。
その両手には、それぞれ缶コーヒーが握られている。
眞琴が苦いほう、つまりブラックの側を即決すると、彼女は嬉しそうに相好を崩し、「よかった。先生、もう歳だから甘いのじゃないと身体が受け付けないの」などと宣った。
まあいくぶん本音が混じっていたのだとしても、おそらくそれは冗談の類なのであろう。
眞琴はその発言に深い突っ込みをすることはせず、理恵もそのままの表情を崩さずに少女の隣へと腰を下ろした。
眞琴と同年代の皆々は言うに及ばず、彼女たちより若干年上である「ロスヴァイセ」の面々とも明白に一線を画す、なんとも艶のある仕草でだ。
なんて素敵な女性なんだろう、とちょっとだけ眞琴は感嘆し、そんなひとと隣り合って座ることをなんとなく気恥ずかしく感じた。
改めて思い返すまでもなく、眞琴はこれまで、河合理恵という養護教諭の女性に対してほとんど接点を持たなかった。
にもかかわらず、なぜか彼女は、いまその存在を抵抗なく受け入れることができた。
その理由についてふと思いを巡らせた眞琴は、それを「河合先生がボクのよく知る誰かさんに似ているからだ」と断定する。
その人物とは、彼女が抱える心理的負担の元凶、「壬生翔一郎」にほかならなかった。
だがいったいどこが似ているのかとなると、彼女はその具体的な部分を何ひとつ挙げることができずにいた。
雰囲気、態度、言葉遣い。
どれを取っても理恵と翔一郎には重なる箇所を見出せない。
ひょっとしたら、三十代半ば付近という互いの年齢ぐらいしか存在しないのではあるまいか。
どうしてだろう、と眞琴は思う。
そして、ほんの数十分前の出来事を頭の中で反芻した。
あの時、なんの前触れもなく屋上に現れた理恵は、ほとんど抱き合っていたかに等しい眞琴と高山の関係を邪推せず、ただ彼女だけに向け語りかけてきた。
そして、「猿渡さん。そんな酷い顔をしていたら学園の人気者が台なしよ」と告げながらきれいなハンカチを差し出してきた養護教諭は、その一方、軽く目配せをしただけで高山を階下に追いやることにも成功した。
理恵の目線に何か信頼できるものを感じたのだろう。
小さく会釈しただけで、少年はその場を足早に去っていった。
それはまるで、あとのことをすべて彼女に委ねたかのごとくであった。
理恵は残された眞琴に対して優しく顔を洗うよう促すと、自らは愛車「コペン」を正門付近にまで回し、有無を言わせることなく彼女をその助手席へと積み込んだ。
その後の経過は言わずもがな、である。
だからこそ、いま自分はこの場所で缶コーヒーを手にしているのだから。
その瞬間、眞琴はここまで続く一連の流れになぜかデジャブのような感覚を抱いた。
そして、これまた唐突にその理由について思い至る。
それは、過去一時間程度の間に起こった出来事が、自分が衝撃的な言葉を翔一郎から告げられたあの夜の経過とよく似ているという事実であった。
あの夜も、激しく精神的に落ち込んでいた自分を翔一郎が八神街道まで連れ出した。
今回は、その翔一郎の役柄を理恵が代わって行っているだけのことだ。
昼夜の違いはあるけれど、奇しくも目的地は同じくこのパーキングエリアだった。
泣いて泣いて自分が酷い顔をしていたことだって同じだった。
そして、自分をこの地に運び込んだドライバーの卓越したテクニックまで。
眞琴の脳裏に、屋上で浮かんだ忌まわしい光景が再来した。
幼子を抱いた女性と並ぶ翔一郎の図。
だが今回浮かびあがったその女性は、顔を持たないのっぺらぼうのままでなく、明らかに河合理恵の姿形を有していた。
なんで?
どうして?
それが根拠のない妄想だと頭の中で理解しながら、眞琴は果てしない混乱の中に再度陥ろうとしていた。
それを寸前で救い上げたのは、理恵が放った温く甘ったるい声だった。
「先生ね。悩んだり落ち込んだ時には、必ずここにくることにしているの」
コーヒー飲料を口にしながら、彼女は訥々と独り語りを始めた。
「ここにくると、不思議と心が落ち着くから。きっと楽しかったこともつらかったこともひっくるめて、いろいろな思い出がたくさんこの場所に眠っているせいね。格好いい言葉で言えば、この駐車場こそが先生の『聖地』なんだって言えるのかもしれないわ」
理恵の口から発せられたそれらの台詞は、実に大真面目な雰囲気を携えていた。
少なくとも、意図して作られた語り口でないことだけは確かであった。
眞琴が思わず「え?」と疑問符を掲げてしまうほどに。
それまで眞琴が側聞していた河合理恵とは、どこか浮世離れした雰囲気を漂わす女性であった。
自分たちのように些細なことで悩んだり落ち込んだりするような、そんな俗っぽさとはいささか縁遠い人間であった。
だから眞琴は、つい彼女に向けて非礼とも取れる言葉を発してしまった。
彼女は言った。
「河合先生もそんな感情持ったりするんですか?」
「あら心外ね」
理恵が応えた。
「先生だって、人並みに苦しんだり傷付いたりすることもあるのよ」
例えば、と前置いてから彼女が語った内容は、職場である尽生学園においての、とある出来事の顛末だった。
その日、理恵の上司である学園の教頭が提出書類にあった問題を口実にして、実に半時あまりもねちねちと、彼女に説教を食らわしたそうだ。
しかも、その内容はあまり合理的なものではなかったらしい。
本当につまらない揚げ足取りと嫌味とが投げかけられ、本来ならひと言ふた言で済むはずのお小言を、延々続く言葉のリンチへと変貌させていったのだと。
「要するにストレス発散の材料にされたんでしょうね」
理恵は、そうした教頭の行為を評定した。
「だから先生ね、クルマでこの道を走りながら思い切り叫んでやったの。『教頭のハゲー!』って」
言い回しも何もない直接的な罵倒の言葉に、眞琴は思わず吹き出した。
ついつい声を出して笑ってしまう。
眞琴はこの時、親友である野々村早苗がこの女性に心酔しているわけを、なんとなくだが理解した。
「やっと笑ってくれたわね」
そんな少女の様子を見て、理恵は心から嬉しそうにそう言った。
「男の子たちから聞いてはいたんだけど、改めて実物を見るとその気持ちがとってもよくわかるわ。猿渡さんの笑顔って、本当に素敵。このまま、ずっと見ていたくなるくらい。誰かを元気付ける笑顔って、きっとあなたみたいなのを言うのね。この年になって、またひとつ勉強になったわ」
「そ、そんなことないですよぉ。言い過ぎですってばぁ」
頬を赤く染めた眞琴が、彼女の言葉を否定する。
だが理恵は、その謙遜をひと言のもとに却下した。
「そんなことあるわよ」
断言口調で彼女は告げた。
「最近あなたが笑わなくなったって心配しているひと、猿渡さんが思っている以上に多いのよ。たとえば、野々村さんとか」
「早苗が?」
「そう」
理恵は小さく頷いた。
「今日ね、あの子から相談を受けたの。猿渡さんが『つらい恋』で悩んでるみたいだから、なんとか力になってあげてくれって」
ゆっくりと諭すような口振りでそう説かれ、眞琴は「うっ」と口をつぐんだ。
先ほど冷たくあしらってしまった親友が、こんな自分をそこまで見詰めていてくれたという事実を、いまさらのように知らしめられたからだった。
だから続けて放たれた理恵の台詞、「いいお友達を持ったわね」にも、彼女は素直に肯定の意志を表することができた。
理恵はそんな眞琴を眺めながら、なお蕩々と言葉を続けた。
「ごめんなさい」
それは謝罪の言葉から始まった。
「野々村さんにお願いされたあとね、先生、いろいろと猿渡さんにお話しする内容を考えてみたんだけど、やっぱり莫迦だから何もいいお話が思い浮かばなかったの。
だからせめてね、これからのあなたが参考にできるよう、先生が経験した『つらい恋』のお話しをしてあげる。もし差し支えなければ、猿渡さんの大事な時間を、少しだけわたしに割いてもらえないかしら」
無言で眼差しを送ってくる眞琴の態度を受諾のそれと受け取った理恵は、おもむろに白雲の流れる大空に向かって視線を投げた。
「あれは先生がまだ大学生の時、先生にはA君という同じ歳の幼なじみがいたの」
淡々と、彼女は自分の過去を語り始める。
「A君とわたしは子供の頃から仲が良くって、お互い違う大学に進んでからも、よくこの場所で遊んでいたわ。同じ趣味を持つ仲間たちと一緒にね。いま思い出しても、本当に楽しい時間だった」
「でも」と眞琴が口を挟んだ。
「このあたりに学生が遊べる場所なんて何もないんじゃ──」
「普通ならね」
理恵がそれに答えた。
「でも先生たちは普通じゃなかったから。先生たちね、『走り屋』さんだったの」
あまりに意外過ぎる告白を耳にして、眞琴は思わず絶句した。
なぜならそれは、いまの理恵からはまったく想像もできない過去であったからだった。
しかし、その反応をある程度予測していたのであろうか。彼女は楽しそうに頬を緩ませつつ、なおも言葉を続けていく。
「A君は、ここに集まるみんなの中ではリーダー格のひとりだった。彼が自分たちだけのチームを立ちあげると、A君を慕う人たちがたちまちのうちに仲間入りをしてきたわ。
その頃の先生はね、A君のことを憎からず思っていた。でも、それは好きという感情とは少し違っていたかな。例えるのなら、むしろ尊敬という表現のほうが近かったかもしれないわね。
先生がそれを実感したのは、彼がチームを立ちあげて、しばらくが経ってからのことだった。A君はね、B君という男の人をここに連れてきて、先生たちに紹介したの。
B君はA君と同じ高校の出身で、彼の親友とでも言うべきひとだった。これまでずっとスポーツに打ち込んできたひとで、正直な話、先生たちとは全然接点がないような感じの男性だった。でもその時、A君は訝しがる先生たちにこう言ったの。
こいつは、怪我のせいで頑張ってきたスポーツを引退しなくてはいけなくなった。
さぞかし無念だったろう。
さぞかし残念だったろう。
俺は親友として、こいつが落ち込んでいる姿を見ていられなかった。
こいつはクルマに関してはド素人同然だが、もし何か問題が起きたら、この俺がすべて責任を持つ。だからみんな、こいつと仲良くしてやってくれ──って。
リーダーのA君にそこまで頭下げられたら、先生たちも受け入れるしかなかったわ。内心でどう思っていたかは別にしても、ね」
「嫌だったんですか?」
眞琴が尋ねた。
「そのBさんが先生たちの仲間入りをすること」
「だって」と苦笑しながら理恵は答えた。
「彼ったら、クルマどころか免許すら持っていなかったのよ。
でも、ひとたび免許を取って自分のクルマを持ったあとのB君は、先生たちがびっくりするくらいの速度で上達していったの。チームの古株たちも瞬く間について行けなくなって、あっというまに彼はA君に並ぶだけの存在に駆け上がったわ。
B君は、男らしくて積極的なA君とは対称的に、理性的で落ち着いた感じの男性だった。A君がチームの大将だとしたら、B君は作戦参謀といったところかしらね。
そして、ちょっとわがままなところのあるA君よりもB君のほうが周りに気をつかうことが多かったから、チームのメンバーも自然とB君を頼りにすることが多くなっていったの。
先生も、その中のひとりだった。お互いに学生だし、悩みごとも相談ごともそれなりにあったわ。そういった話を真剣に聞いてくれるB君のことを、先生はいつの間にか好きになってしまっていた──」
興味津々な眞琴の視線を一身に受けながら、理恵はちょっとだけ頬を赤らめた。
「気持ちを伝えたのは、先生のほうからだった。突然の告白だったけど、B君はそれを受け入れてくれた。そしてこの場所、そう、このベンチに座って、お互い初めてのキスをした。気持ちが伝わったのが凄く嬉しかった。きっとこの幸せが続いていくに違いないって、心の底から信じてた」
「違って……いたんですか?」
無言で理恵は頷いた。
「猿渡さんたち現役世代と違ってね、先生たちが学生だった頃は、まだ彼氏彼女ができることを少し恥ずかしく思ってしまう世代だったの。だから、先生とB君もふたりが付き合い出したってことを仲間内には知らせてなかった。先生もB君もその点では経験不足だったから、積極的にお互いを求めようともしなかったしね。たぶん、先生たちの交際に気付いた人間は誰もいなかったと思う。
A君がわたしに告白してきたのは、ちょうどそんな時のことだった」
それも、まさにみんなが集まっていたこの場所でね、と付け加えて、理恵はゆっくり両目をつぶる。
「それは、A君らしく大胆で、まっすぐで、男らしい告白だった。女の子なら誰だって心が揺れてしまいそうな、そんなひと言……
だけど、先生にはB君がいた。公にはしていなかったけど、ちゃんとした彼氏だと先生は思っていた。先生ね、この時、とっても大きな間違いを犯したの」
「間違い?」
「そう……本当なら、そのことをA君に告げて断らなくてはいけなかったのに、その時の先生は『考えさせて』って答えてしまったの……その場にはB君もいたのに。仲間たちの前でA君に恥をかかせられないって思いが、先生の中にあったのだと思う。だけど、それにしたって言ってはいけない言葉だった。
先生の発言にB君が哀しそうな目をしたのを、いまでもはっきりおぼえてる。でも彼は何も言わなかった。責められても仕方のないことだったのに。そのあとすぐ、先生はふたつめの間違いを犯すことになるの。
A君の告白を断らなかった先生は、罪悪感に苛まれたわ。どうしてあんな返事をしてしまったのだろうって。頭の中が混乱してた。そして、よりによって先生は、そのことをB君に相談してしまった。
絶対にしてはならない相談だった。最低なオンナだったって自分でも思う。自分の彼氏に面と向かって、『ほかの男性から告白されたんだけど、どうすればいい?』なんて莫迦な質問をしてみせたんだから。
口に出してすぐ、激しい自己嫌悪に襲われたわ。これが普通のひと相手だったら、大声で怒鳴りつけられてたかもしれない。
でもB君は、静かに、落ち着いた声で、『理恵の好きにしたらいいよ。俺はそれを応援するから』って答えたの。
その声を聞いた瞬間だった。先生ね、自分の最低な発言で、このひとを心底呆れさせてしまったんだって感じたの。そして、それも当然の結末だと思った。自分の莫迦さ加減に思わず泣きそうになったけど、自業自得だと我慢した。だから、B君にその真意を確かめることもしなかった。はっきりと自分を拒絶されるのが怖かったから。
だんだんとふたりの距離が広がっていくのがわかったわ。何日も何日も、お互いに言葉を交わさない日が続いた。ああ、振られちゃったんだなって確信するのに時間はかからなかった。
飲めないお酒をあおったわ。腕ずくで奪ってくれなかったB君への恨み言と、尻軽な自分自身への嫌悪感。そのふたつが頭の中でぐるぐると渦を巻いてた。もう何もかもが嫌になって、気が付いたら、先生はA君の腕の中にいた。
そう、逃げ出したのよ。卑怯にも。
やがて、そんな先生とA君は、誰もが認める恋人同士になっていた。
B君から送られたあの言葉が先生への信頼から出てきた言葉だと知ったのは、随分あとになってからのことだったわ。もう、すべてが後戻りできなくなってからのこと。
自分がB君からの信頼を裏切ったんだってわかった時、本当の意味で死にたくなった。B君は、そんな先生を決して責めたりしなかったから。それどころか、本当に先生とA君のことを祝福してくれた。
胸が痛かった。時々そのことを思い出して、ひとりきりで泣いたこともある。いまからでも遅くない、B君とやりなおそう、なんて思ったこともあったけど、『卒業したら理恵と結婚するんだ』って盛りあがっているA君を前に、そんな話を切り出すこともできなかった……そして、その日がやってきた」
「その日?」
「A君が死んだの。交通事故で」
短く事実のみを告げられた眞琴が、一瞬驚愕の表情を貼り付けた。
理恵が小さく鼻をすする。
そして眞琴から顔を背けるように上を向き、ふたたび言葉を紡いでいく。
「場所はここ、八神街道だった。A君はバトル……要するにクルマ同士で競争している最中に、ハンドル操作を誤ってガードレールに突っ込んだの。即死だった。警察も単なる自損事故として処理したわ。事件性はまったくないって。当時、走り屋の絡む事故なんてあたりまえのように起きていたから、それも当然の対応だった。
仲間たちもそれはわかっていた。峠を攻める以上、すべてが自己責任。一緒に走っていた対戦相手を責めるのは筋違いだって。
もちろん、先生だって走り屋の端くれだったからそのことは理解していたつもりよ。でも先生は、A君のお通夜に現れたそのひとに向かって、本当に酷い言葉を投げ付けてしまった……『ひと殺し! A君を返して』って」
理恵はここで言葉に詰まる。
徐々に溢れ出る感情を必死に抑えているかのようだ。
「でもそれは仕方のないことなんじゃ──」
短い沈黙にいたたまれなくなった眞琴が、唐突に助け船を出した。
「ボクでも、きっとそう言ってしまうと思うから」
「そう、仕方のないこと。もしあの時に心からそう思えていたら、たぶん先生も幸せだったんだと思う」
それを受けた理恵は、あたかも何かに耐えているような面持ちを浮かべた。
そして、喉の奥から絞り出すように決定的なひと言を眞琴に告げた。
「でもそのひとは……A君と対戦していたそのひとはB君だったのよ」
目尻に浮かんだ涙を拭い、彼女は大きく天を仰ぐ。
「黙ってなじられるままになっていたB君は、そのまま先生たちの前から姿を消したわ。峠に姿を見せることもなくなってしまった。そして、A君とB君を同時に失った先生たちも、櫛の歯が抜けるみたいにひとりまたひとりと走るのをやめていった。
その段階になって先生は気付いたわ。わたしは、B君のことが本当に好きだったんだって。B君の存在が、わたしにとっては必要不可欠なものだったんだって。
だから、先生はあのお通夜の晩、何がなんでもB君を離してはならなかったのよ。
たとえそれが周り中からの非難を呼ぶことになっても、あの時、先生がするべきだったのは彼を面罵することじゃなく、本当の意味で彼を『許す』ことだった。目の前で起きた惨劇に叩きのめされた彼の魂を、ずっとこの手で支えることだった。
でも、そのことを確信した時には、もうすべてが終わってしまっていた……
これが先生の犯した三つ目の、そして人生最大の間違い」
持ち直した感情を軽く肩を落とすことで表した理恵は、改めて眞琴の顔に目をやった。
「B君とは、それ以降一度も会っていないわ。先生には、その勇気が持てなかった。いまでもそのことを後悔してる。時間が巻き戻せるのなら、なんとしてでもそうしたいと本気で思ってる。そんなこと、できるはずなんてないのにね。
だからね。先生、猿渡さんにはあとになって悔いの残らない決断をしてもらいたいの。失って初めて、それがかけがえのないひとだったと気付かないで済むように」
そんな台詞で、彼女は長い語りを締め括った。
だが、それに対する眞琴の反応は皆無だった。
深く何かを考え込むような表情を浮かべたまま、ただのひと言をも発しようとはしなかった。
数秒の沈黙を経て、ようやく少女は口を開く。
らしからぬほどに重々しい口調で、眞琴は理恵に問いかけた。
「質問があります。河合先生は、いまでもBさんのことが好きなんですか?」
「そうねぇ」
右手の人差し指を口元に運び、他人事のごとくに理恵は答えた。
「もう十何年も前の話だから、いまでも当時と同じように好きなのか、といわれたら、ちょっと違うと思うわ。でも……」
「でも?」
「もし街中で彼とばったり再会して、その時、彼の横に奥さん子供がいちゃったりしたら、先生、思わずその場で泣いちゃうかもしれないわね」
理恵の返答は、終わりのほうで少し茶化して語られた。
それが、意図して作られた口振りだったのは明らかだった。
おそらく彼女は、ふたりの間に漂う重苦しい雰囲気をなんとかして断ち切りたかったのだろう。
しかし、眞琴の姿勢はそんなことでは小揺るぎさえもしなかった。
彼女は言った。
真顔で。
「先生は、いまからでもBさんに会うべきだと思います」
その発言に理恵の表情が一変した。
穏和な微笑みが一瞬だけ消失する。
「あらあら、どうしたのよ、急に」
彼女は眞琴をたしなめた。
「もしかして、わたしのむかし語りに感情移入しちゃったのかしら」
「ボク、いま聞いた河合先生のお話に感じるものがありました」
理恵の語りかけを完全に無視して、眞琴は一方的に話を続ける。
「だけど、それがいったいなんなのか。そしてそれをいったいどう扱えばいいのかが、これぽっちもわからないんです。せっかく胸の奥に掴んだヒントを具体的な形にできなくて、それが凄くもどかしくて、悔しくて……
だから、先生がBさんと再会することができたら──ううん、先生とBさんが再会することのお手伝いをボクが務めることができたら、きっとそこに何かを見付けることができるような、そんな気がするんです!」
叩き付けるように眞琴は吠えた。
「言っていることが滅茶苦茶なのは百も承知です! でも、いまのボクには現役の走り屋に知り合いが何人もいます。もし当時先生がいたチームの名前がわかったら、たぶんBさんについての情報も何か掴めると思うんです。だから先生、無理を承知でお願いします。ボクに道標をください!」
眞琴の言い分は完全無欠に理不尽だった。
筋道など、どこにも存在していない。
しかし理恵は、彼女の願いを快諾した。
最初驚きの表情を浮かべ、次いでその激情を受け止めるだけの役割に徹していた感のある彼女は、慈愛をそのまま形にしたような微笑みを添えて少女に伝えた。
「それがあなたの前進に必要な糧となるのなら、先生、その願いを拒んだりしないわ。だって、わたしはあなたたちの先生だし、あなたはわたしの大切な教え子なんだもの」
言いながら理恵は、眞琴の頭部をその豊かな胸元へと抱き寄せる。
彼女は告げた。
「だけどね、猿渡さん。その代わり、これからわたしの言うことだけは、いまここではっきりと約束して欲しいの」
養護教諭の豊かな胸に半分顔を埋めながら、眞琴はさっと視線を上げた。
自分に向けられた教え子の目をまっすぐに捕らえた理恵は、誤解のしようもないほどわかりやすい言葉で眞琴に言った。
明日からは、いままでどおり明るく笑って過ごすこと。
それが理恵の、眞琴へ送った要求だった。
「いいわね?」と押された念に、眞琴ははっきりと頷いて応えた。
「じゃあ、いまから先生がいたチームの名前を教えるわ。いいこと。一度しか言わないから、忘れないよう注意して聞くのよ。先生のいたチームの名前はね」
理恵の唇が、テンポ良くその名を紡いだ。
それはたちまち短いセンテンスを形作り、少女の耳へと進入を果たす。
刹那、眞琴の双眸が驚愕のあまり皿のように見開かれた。
間違いなく、理恵は次のように言ったのであった。
「ミッドナイトウルブス」っていうのよ──と。
同じ女性でありながら、初心者である自分のように「稚拙」なレベルのそれではなく、だからといって求道者めいた倫子のように「鋭利」で尖った技でもない。
もちろん、あの芹沢聡に代表される、男らしい力任せの「豪腕」でもなければ、一般的な女性ドライバーのごとくクルマの性能に乗せられているだけの頼りない走りでもない。
あえて眞琴の知っている人間に例えるのであれば、それは「八神の魔術師」、壬生翔一郎の走りに似ていると言えようか。
実に無駄なく滑らかで、無理せずクルマを行きたい方向へと進ませるそのテクニック。
仮にそれを評する表現があるとするなら、ただひたすらに「上手い」
助手席に座る眞琴には、そのひと言だけしか思い付けなかった。
それは、今日という日がちょうど夕方に差しかかろうとしていた午後四時頃のこと。
やや唐突ともとれる理恵の願いをなんとなく断り切れなかった眞琴は、彼女の言葉どおりにその愛車の助手席へと身を収め、ともに八神街道へと向かっていた。
理恵のクルマは、ダイハツL-880K「コペン」
軽自動車規格に則った、ふたり乗り用のオープンカーだ。
駆動方式は前輪駆動。
AT全盛期が続く日本の軽自動車市場において、珍しく五速MTが設定されていることが特徴だった。
そんな「コペン」という駿馬にまたがり、養護教諭は軽やかに公道を駆ける。
さして速度を出しているというわけではない。
せいぜい法定速度に毛が生えた程度であろう。
しかし、そんな「コペン」の乗り味は、深夜の街道を疾駆する倫子の「MR-S」とはまた別種の快楽を、確実に助手席の眞琴へと伝えていた。
適度な強さで吹き込んでくる峠の大気が、優しくその頬を撫でていく。
それは、あたかも眞琴の心中にどんよりと溜まっていた淀みまでをも、軽やかに吹き飛ばしてしまうかのごとくであった。
眞琴はこの時、本当のドライブというものを初体験したように感じた。
速やかに目的地へ到着するためにではなく、それでいて競技のように自身の力量を確かめるためにでもなく、純粋に楽しむことのみを目的としたドライブ。
目から鱗が落ちたと、大袈裟にではなく心底からそう思った。
文字どおり、自分の世界が広がったのだと本心からそう思った。
それはある意味で感動にすら近い。
だからこそ彼女は、つい先ほどまで自分自身を押し潰そうとしていた暗い闇の存在を一時的にしろ忘却した。
その表情に張り付いていた「陰」が、いずこへともなく姿を隠す。
「どう? 気持ちいいでしょう。こうやってオープンカーで走るのって」
まるでその時を見計らっていたかのように、理恵は眞琴に声をかけた。
彼女の運転する「コペン」は、すでに八神街道のふもと、「八神口」と呼ばれるあたりに到達していた。
やや急な上り坂。
眼前に現れる右コーナーを、彼女と「コペン」は難なくクリアしていく。
ほとんど衝撃を発生させることなく、五速から四速、三速へとシフトダウン。
女性にしては珍しく愛車にマニュアルシフトのクルマを選んだ理恵は、その操作をまったく苦にせず易々とこなす。
いや、それはもう苦にしていないというレベルではない。
彼女は下手な走り屋が裸足で逃げ出すほど巧みなアクセル操作をもって、見事なまでに正確なエンジン回転数の同調を実行してみせたのである。
もはや驚きをはるかに通り越した感を漂わせながら、眞琴は理恵に敬意のこもった眼差しを送った。
彼女は言った。
「河合先生がこんなに運転お上手だったなんて、思ってもみませんでした」
それは、先に提示された理恵からの質問に対する回答ではなかった。
筋から言えば、いささか順序を間違えた発言になるのだろう。
だがそれを気にすることもなく、理恵は、いつもの彼女と変わりない適温のカフェオレを連想させる口振りでもって、その言葉に応えた。
「先生ね、とんまだから。いっぱいいっぱい失敗して、その回数と同じだけ自分を修正してきたのよ。いま猿渡さんから誉められたのも、それが原因なのかもしれないわね」
眞琴からするといささか要領を得ない回答をごくあたりまえのように口にして、彼女は小さく舌を出した。
上り坂を越えたのち、理恵の運転する「コペン」は、頂上のパーキングエリアにゆっくりと進入を果たした。
これまでたびたびこの場所を訪れていた眞琴であったが、思い返すとそのほとんどすべてが夜間のことであったと気付く。
なぜなら、この見慣れたはずの風景が、いまの彼女には初めて足を踏み入れた処女地のように感じられたからだ。
白線で指定された駐車スペースに愛車を停めた理恵は、「そこのベンチでお話ししましょ」と教え子に告げると、自らは近くに設置された自動販売機へと歩いて向かった。
理恵がそこでふたり分の清涼飲料を購入している間、眞琴はベンチに腰を下ろして空を見ていた。
一応夕方に属する時間帯であるとはいえ、まだ空の端に赤みなどは差していない。
先ほど屋上から見上げていた空と比較してやや雲量が増えたかなという程度で、その総面積にかかる青色の比率は、間違いなく過半数を占めていた。
「猿渡さんは、甘いのと苦いのとどっちがお好みかしら?」
理恵がいつの間にかやってきていた理恵が、微笑みながら眞琴に尋ねた。
その両手には、それぞれ缶コーヒーが握られている。
眞琴が苦いほう、つまりブラックの側を即決すると、彼女は嬉しそうに相好を崩し、「よかった。先生、もう歳だから甘いのじゃないと身体が受け付けないの」などと宣った。
まあいくぶん本音が混じっていたのだとしても、おそらくそれは冗談の類なのであろう。
眞琴はその発言に深い突っ込みをすることはせず、理恵もそのままの表情を崩さずに少女の隣へと腰を下ろした。
眞琴と同年代の皆々は言うに及ばず、彼女たちより若干年上である「ロスヴァイセ」の面々とも明白に一線を画す、なんとも艶のある仕草でだ。
なんて素敵な女性なんだろう、とちょっとだけ眞琴は感嘆し、そんなひとと隣り合って座ることをなんとなく気恥ずかしく感じた。
改めて思い返すまでもなく、眞琴はこれまで、河合理恵という養護教諭の女性に対してほとんど接点を持たなかった。
にもかかわらず、なぜか彼女は、いまその存在を抵抗なく受け入れることができた。
その理由についてふと思いを巡らせた眞琴は、それを「河合先生がボクのよく知る誰かさんに似ているからだ」と断定する。
その人物とは、彼女が抱える心理的負担の元凶、「壬生翔一郎」にほかならなかった。
だがいったいどこが似ているのかとなると、彼女はその具体的な部分を何ひとつ挙げることができずにいた。
雰囲気、態度、言葉遣い。
どれを取っても理恵と翔一郎には重なる箇所を見出せない。
ひょっとしたら、三十代半ば付近という互いの年齢ぐらいしか存在しないのではあるまいか。
どうしてだろう、と眞琴は思う。
そして、ほんの数十分前の出来事を頭の中で反芻した。
あの時、なんの前触れもなく屋上に現れた理恵は、ほとんど抱き合っていたかに等しい眞琴と高山の関係を邪推せず、ただ彼女だけに向け語りかけてきた。
そして、「猿渡さん。そんな酷い顔をしていたら学園の人気者が台なしよ」と告げながらきれいなハンカチを差し出してきた養護教諭は、その一方、軽く目配せをしただけで高山を階下に追いやることにも成功した。
理恵の目線に何か信頼できるものを感じたのだろう。
小さく会釈しただけで、少年はその場を足早に去っていった。
それはまるで、あとのことをすべて彼女に委ねたかのごとくであった。
理恵は残された眞琴に対して優しく顔を洗うよう促すと、自らは愛車「コペン」を正門付近にまで回し、有無を言わせることなく彼女をその助手席へと積み込んだ。
その後の経過は言わずもがな、である。
だからこそ、いま自分はこの場所で缶コーヒーを手にしているのだから。
その瞬間、眞琴はここまで続く一連の流れになぜかデジャブのような感覚を抱いた。
そして、これまた唐突にその理由について思い至る。
それは、過去一時間程度の間に起こった出来事が、自分が衝撃的な言葉を翔一郎から告げられたあの夜の経過とよく似ているという事実であった。
あの夜も、激しく精神的に落ち込んでいた自分を翔一郎が八神街道まで連れ出した。
今回は、その翔一郎の役柄を理恵が代わって行っているだけのことだ。
昼夜の違いはあるけれど、奇しくも目的地は同じくこのパーキングエリアだった。
泣いて泣いて自分が酷い顔をしていたことだって同じだった。
そして、自分をこの地に運び込んだドライバーの卓越したテクニックまで。
眞琴の脳裏に、屋上で浮かんだ忌まわしい光景が再来した。
幼子を抱いた女性と並ぶ翔一郎の図。
だが今回浮かびあがったその女性は、顔を持たないのっぺらぼうのままでなく、明らかに河合理恵の姿形を有していた。
なんで?
どうして?
それが根拠のない妄想だと頭の中で理解しながら、眞琴は果てしない混乱の中に再度陥ろうとしていた。
それを寸前で救い上げたのは、理恵が放った温く甘ったるい声だった。
「先生ね。悩んだり落ち込んだ時には、必ずここにくることにしているの」
コーヒー飲料を口にしながら、彼女は訥々と独り語りを始めた。
「ここにくると、不思議と心が落ち着くから。きっと楽しかったこともつらかったこともひっくるめて、いろいろな思い出がたくさんこの場所に眠っているせいね。格好いい言葉で言えば、この駐車場こそが先生の『聖地』なんだって言えるのかもしれないわ」
理恵の口から発せられたそれらの台詞は、実に大真面目な雰囲気を携えていた。
少なくとも、意図して作られた語り口でないことだけは確かであった。
眞琴が思わず「え?」と疑問符を掲げてしまうほどに。
それまで眞琴が側聞していた河合理恵とは、どこか浮世離れした雰囲気を漂わす女性であった。
自分たちのように些細なことで悩んだり落ち込んだりするような、そんな俗っぽさとはいささか縁遠い人間であった。
だから眞琴は、つい彼女に向けて非礼とも取れる言葉を発してしまった。
彼女は言った。
「河合先生もそんな感情持ったりするんですか?」
「あら心外ね」
理恵が応えた。
「先生だって、人並みに苦しんだり傷付いたりすることもあるのよ」
例えば、と前置いてから彼女が語った内容は、職場である尽生学園においての、とある出来事の顛末だった。
その日、理恵の上司である学園の教頭が提出書類にあった問題を口実にして、実に半時あまりもねちねちと、彼女に説教を食らわしたそうだ。
しかも、その内容はあまり合理的なものではなかったらしい。
本当につまらない揚げ足取りと嫌味とが投げかけられ、本来ならひと言ふた言で済むはずのお小言を、延々続く言葉のリンチへと変貌させていったのだと。
「要するにストレス発散の材料にされたんでしょうね」
理恵は、そうした教頭の行為を評定した。
「だから先生ね、クルマでこの道を走りながら思い切り叫んでやったの。『教頭のハゲー!』って」
言い回しも何もない直接的な罵倒の言葉に、眞琴は思わず吹き出した。
ついつい声を出して笑ってしまう。
眞琴はこの時、親友である野々村早苗がこの女性に心酔しているわけを、なんとなくだが理解した。
「やっと笑ってくれたわね」
そんな少女の様子を見て、理恵は心から嬉しそうにそう言った。
「男の子たちから聞いてはいたんだけど、改めて実物を見るとその気持ちがとってもよくわかるわ。猿渡さんの笑顔って、本当に素敵。このまま、ずっと見ていたくなるくらい。誰かを元気付ける笑顔って、きっとあなたみたいなのを言うのね。この年になって、またひとつ勉強になったわ」
「そ、そんなことないですよぉ。言い過ぎですってばぁ」
頬を赤く染めた眞琴が、彼女の言葉を否定する。
だが理恵は、その謙遜をひと言のもとに却下した。
「そんなことあるわよ」
断言口調で彼女は告げた。
「最近あなたが笑わなくなったって心配しているひと、猿渡さんが思っている以上に多いのよ。たとえば、野々村さんとか」
「早苗が?」
「そう」
理恵は小さく頷いた。
「今日ね、あの子から相談を受けたの。猿渡さんが『つらい恋』で悩んでるみたいだから、なんとか力になってあげてくれって」
ゆっくりと諭すような口振りでそう説かれ、眞琴は「うっ」と口をつぐんだ。
先ほど冷たくあしらってしまった親友が、こんな自分をそこまで見詰めていてくれたという事実を、いまさらのように知らしめられたからだった。
だから続けて放たれた理恵の台詞、「いいお友達を持ったわね」にも、彼女は素直に肯定の意志を表することができた。
理恵はそんな眞琴を眺めながら、なお蕩々と言葉を続けた。
「ごめんなさい」
それは謝罪の言葉から始まった。
「野々村さんにお願いされたあとね、先生、いろいろと猿渡さんにお話しする内容を考えてみたんだけど、やっぱり莫迦だから何もいいお話が思い浮かばなかったの。
だからせめてね、これからのあなたが参考にできるよう、先生が経験した『つらい恋』のお話しをしてあげる。もし差し支えなければ、猿渡さんの大事な時間を、少しだけわたしに割いてもらえないかしら」
無言で眼差しを送ってくる眞琴の態度を受諾のそれと受け取った理恵は、おもむろに白雲の流れる大空に向かって視線を投げた。
「あれは先生がまだ大学生の時、先生にはA君という同じ歳の幼なじみがいたの」
淡々と、彼女は自分の過去を語り始める。
「A君とわたしは子供の頃から仲が良くって、お互い違う大学に進んでからも、よくこの場所で遊んでいたわ。同じ趣味を持つ仲間たちと一緒にね。いま思い出しても、本当に楽しい時間だった」
「でも」と眞琴が口を挟んだ。
「このあたりに学生が遊べる場所なんて何もないんじゃ──」
「普通ならね」
理恵がそれに答えた。
「でも先生たちは普通じゃなかったから。先生たちね、『走り屋』さんだったの」
あまりに意外過ぎる告白を耳にして、眞琴は思わず絶句した。
なぜならそれは、いまの理恵からはまったく想像もできない過去であったからだった。
しかし、その反応をある程度予測していたのであろうか。彼女は楽しそうに頬を緩ませつつ、なおも言葉を続けていく。
「A君は、ここに集まるみんなの中ではリーダー格のひとりだった。彼が自分たちだけのチームを立ちあげると、A君を慕う人たちがたちまちのうちに仲間入りをしてきたわ。
その頃の先生はね、A君のことを憎からず思っていた。でも、それは好きという感情とは少し違っていたかな。例えるのなら、むしろ尊敬という表現のほうが近かったかもしれないわね。
先生がそれを実感したのは、彼がチームを立ちあげて、しばらくが経ってからのことだった。A君はね、B君という男の人をここに連れてきて、先生たちに紹介したの。
B君はA君と同じ高校の出身で、彼の親友とでも言うべきひとだった。これまでずっとスポーツに打ち込んできたひとで、正直な話、先生たちとは全然接点がないような感じの男性だった。でもその時、A君は訝しがる先生たちにこう言ったの。
こいつは、怪我のせいで頑張ってきたスポーツを引退しなくてはいけなくなった。
さぞかし無念だったろう。
さぞかし残念だったろう。
俺は親友として、こいつが落ち込んでいる姿を見ていられなかった。
こいつはクルマに関してはド素人同然だが、もし何か問題が起きたら、この俺がすべて責任を持つ。だからみんな、こいつと仲良くしてやってくれ──って。
リーダーのA君にそこまで頭下げられたら、先生たちも受け入れるしかなかったわ。内心でどう思っていたかは別にしても、ね」
「嫌だったんですか?」
眞琴が尋ねた。
「そのBさんが先生たちの仲間入りをすること」
「だって」と苦笑しながら理恵は答えた。
「彼ったら、クルマどころか免許すら持っていなかったのよ。
でも、ひとたび免許を取って自分のクルマを持ったあとのB君は、先生たちがびっくりするくらいの速度で上達していったの。チームの古株たちも瞬く間について行けなくなって、あっというまに彼はA君に並ぶだけの存在に駆け上がったわ。
B君は、男らしくて積極的なA君とは対称的に、理性的で落ち着いた感じの男性だった。A君がチームの大将だとしたら、B君は作戦参謀といったところかしらね。
そして、ちょっとわがままなところのあるA君よりもB君のほうが周りに気をつかうことが多かったから、チームのメンバーも自然とB君を頼りにすることが多くなっていったの。
先生も、その中のひとりだった。お互いに学生だし、悩みごとも相談ごともそれなりにあったわ。そういった話を真剣に聞いてくれるB君のことを、先生はいつの間にか好きになってしまっていた──」
興味津々な眞琴の視線を一身に受けながら、理恵はちょっとだけ頬を赤らめた。
「気持ちを伝えたのは、先生のほうからだった。突然の告白だったけど、B君はそれを受け入れてくれた。そしてこの場所、そう、このベンチに座って、お互い初めてのキスをした。気持ちが伝わったのが凄く嬉しかった。きっとこの幸せが続いていくに違いないって、心の底から信じてた」
「違って……いたんですか?」
無言で理恵は頷いた。
「猿渡さんたち現役世代と違ってね、先生たちが学生だった頃は、まだ彼氏彼女ができることを少し恥ずかしく思ってしまう世代だったの。だから、先生とB君もふたりが付き合い出したってことを仲間内には知らせてなかった。先生もB君もその点では経験不足だったから、積極的にお互いを求めようともしなかったしね。たぶん、先生たちの交際に気付いた人間は誰もいなかったと思う。
A君がわたしに告白してきたのは、ちょうどそんな時のことだった」
それも、まさにみんなが集まっていたこの場所でね、と付け加えて、理恵はゆっくり両目をつぶる。
「それは、A君らしく大胆で、まっすぐで、男らしい告白だった。女の子なら誰だって心が揺れてしまいそうな、そんなひと言……
だけど、先生にはB君がいた。公にはしていなかったけど、ちゃんとした彼氏だと先生は思っていた。先生ね、この時、とっても大きな間違いを犯したの」
「間違い?」
「そう……本当なら、そのことをA君に告げて断らなくてはいけなかったのに、その時の先生は『考えさせて』って答えてしまったの……その場にはB君もいたのに。仲間たちの前でA君に恥をかかせられないって思いが、先生の中にあったのだと思う。だけど、それにしたって言ってはいけない言葉だった。
先生の発言にB君が哀しそうな目をしたのを、いまでもはっきりおぼえてる。でも彼は何も言わなかった。責められても仕方のないことだったのに。そのあとすぐ、先生はふたつめの間違いを犯すことになるの。
A君の告白を断らなかった先生は、罪悪感に苛まれたわ。どうしてあんな返事をしてしまったのだろうって。頭の中が混乱してた。そして、よりによって先生は、そのことをB君に相談してしまった。
絶対にしてはならない相談だった。最低なオンナだったって自分でも思う。自分の彼氏に面と向かって、『ほかの男性から告白されたんだけど、どうすればいい?』なんて莫迦な質問をしてみせたんだから。
口に出してすぐ、激しい自己嫌悪に襲われたわ。これが普通のひと相手だったら、大声で怒鳴りつけられてたかもしれない。
でもB君は、静かに、落ち着いた声で、『理恵の好きにしたらいいよ。俺はそれを応援するから』って答えたの。
その声を聞いた瞬間だった。先生ね、自分の最低な発言で、このひとを心底呆れさせてしまったんだって感じたの。そして、それも当然の結末だと思った。自分の莫迦さ加減に思わず泣きそうになったけど、自業自得だと我慢した。だから、B君にその真意を確かめることもしなかった。はっきりと自分を拒絶されるのが怖かったから。
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「その日?」
「A君が死んだの。交通事故で」
短く事実のみを告げられた眞琴が、一瞬驚愕の表情を貼り付けた。
理恵が小さく鼻をすする。
そして眞琴から顔を背けるように上を向き、ふたたび言葉を紡いでいく。
「場所はここ、八神街道だった。A君はバトル……要するにクルマ同士で競争している最中に、ハンドル操作を誤ってガードレールに突っ込んだの。即死だった。警察も単なる自損事故として処理したわ。事件性はまったくないって。当時、走り屋の絡む事故なんてあたりまえのように起きていたから、それも当然の対応だった。
仲間たちもそれはわかっていた。峠を攻める以上、すべてが自己責任。一緒に走っていた対戦相手を責めるのは筋違いだって。
もちろん、先生だって走り屋の端くれだったからそのことは理解していたつもりよ。でも先生は、A君のお通夜に現れたそのひとに向かって、本当に酷い言葉を投げ付けてしまった……『ひと殺し! A君を返して』って」
理恵はここで言葉に詰まる。
徐々に溢れ出る感情を必死に抑えているかのようだ。
「でもそれは仕方のないことなんじゃ──」
短い沈黙にいたたまれなくなった眞琴が、唐突に助け船を出した。
「ボクでも、きっとそう言ってしまうと思うから」
「そう、仕方のないこと。もしあの時に心からそう思えていたら、たぶん先生も幸せだったんだと思う」
それを受けた理恵は、あたかも何かに耐えているような面持ちを浮かべた。
そして、喉の奥から絞り出すように決定的なひと言を眞琴に告げた。
「でもそのひとは……A君と対戦していたそのひとはB君だったのよ」
目尻に浮かんだ涙を拭い、彼女は大きく天を仰ぐ。
「黙ってなじられるままになっていたB君は、そのまま先生たちの前から姿を消したわ。峠に姿を見せることもなくなってしまった。そして、A君とB君を同時に失った先生たちも、櫛の歯が抜けるみたいにひとりまたひとりと走るのをやめていった。
その段階になって先生は気付いたわ。わたしは、B君のことが本当に好きだったんだって。B君の存在が、わたしにとっては必要不可欠なものだったんだって。
だから、先生はあのお通夜の晩、何がなんでもB君を離してはならなかったのよ。
たとえそれが周り中からの非難を呼ぶことになっても、あの時、先生がするべきだったのは彼を面罵することじゃなく、本当の意味で彼を『許す』ことだった。目の前で起きた惨劇に叩きのめされた彼の魂を、ずっとこの手で支えることだった。
でも、そのことを確信した時には、もうすべてが終わってしまっていた……
これが先生の犯した三つ目の、そして人生最大の間違い」
持ち直した感情を軽く肩を落とすことで表した理恵は、改めて眞琴の顔に目をやった。
「B君とは、それ以降一度も会っていないわ。先生には、その勇気が持てなかった。いまでもそのことを後悔してる。時間が巻き戻せるのなら、なんとしてでもそうしたいと本気で思ってる。そんなこと、できるはずなんてないのにね。
だからね。先生、猿渡さんにはあとになって悔いの残らない決断をしてもらいたいの。失って初めて、それがかけがえのないひとだったと気付かないで済むように」
そんな台詞で、彼女は長い語りを締め括った。
だが、それに対する眞琴の反応は皆無だった。
深く何かを考え込むような表情を浮かべたまま、ただのひと言をも発しようとはしなかった。
数秒の沈黙を経て、ようやく少女は口を開く。
らしからぬほどに重々しい口調で、眞琴は理恵に問いかけた。
「質問があります。河合先生は、いまでもBさんのことが好きなんですか?」
「そうねぇ」
右手の人差し指を口元に運び、他人事のごとくに理恵は答えた。
「もう十何年も前の話だから、いまでも当時と同じように好きなのか、といわれたら、ちょっと違うと思うわ。でも……」
「でも?」
「もし街中で彼とばったり再会して、その時、彼の横に奥さん子供がいちゃったりしたら、先生、思わずその場で泣いちゃうかもしれないわね」
理恵の返答は、終わりのほうで少し茶化して語られた。
それが、意図して作られた口振りだったのは明らかだった。
おそらく彼女は、ふたりの間に漂う重苦しい雰囲気をなんとかして断ち切りたかったのだろう。
しかし、眞琴の姿勢はそんなことでは小揺るぎさえもしなかった。
彼女は言った。
真顔で。
「先生は、いまからでもBさんに会うべきだと思います」
その発言に理恵の表情が一変した。
穏和な微笑みが一瞬だけ消失する。
「あらあら、どうしたのよ、急に」
彼女は眞琴をたしなめた。
「もしかして、わたしのむかし語りに感情移入しちゃったのかしら」
「ボク、いま聞いた河合先生のお話に感じるものがありました」
理恵の語りかけを完全に無視して、眞琴は一方的に話を続ける。
「だけど、それがいったいなんなのか。そしてそれをいったいどう扱えばいいのかが、これぽっちもわからないんです。せっかく胸の奥に掴んだヒントを具体的な形にできなくて、それが凄くもどかしくて、悔しくて……
だから、先生がBさんと再会することができたら──ううん、先生とBさんが再会することのお手伝いをボクが務めることができたら、きっとそこに何かを見付けることができるような、そんな気がするんです!」
叩き付けるように眞琴は吠えた。
「言っていることが滅茶苦茶なのは百も承知です! でも、いまのボクには現役の走り屋に知り合いが何人もいます。もし当時先生がいたチームの名前がわかったら、たぶんBさんについての情報も何か掴めると思うんです。だから先生、無理を承知でお願いします。ボクに道標をください!」
眞琴の言い分は完全無欠に理不尽だった。
筋道など、どこにも存在していない。
しかし理恵は、彼女の願いを快諾した。
最初驚きの表情を浮かべ、次いでその激情を受け止めるだけの役割に徹していた感のある彼女は、慈愛をそのまま形にしたような微笑みを添えて少女に伝えた。
「それがあなたの前進に必要な糧となるのなら、先生、その願いを拒んだりしないわ。だって、わたしはあなたたちの先生だし、あなたはわたしの大切な教え子なんだもの」
言いながら理恵は、眞琴の頭部をその豊かな胸元へと抱き寄せる。
彼女は告げた。
「だけどね、猿渡さん。その代わり、これからわたしの言うことだけは、いまここではっきりと約束して欲しいの」
養護教諭の豊かな胸に半分顔を埋めながら、眞琴はさっと視線を上げた。
自分に向けられた教え子の目をまっすぐに捕らえた理恵は、誤解のしようもないほどわかりやすい言葉で眞琴に言った。
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それが理恵の、眞琴へ送った要求だった。
「いいわね?」と押された念に、眞琴ははっきりと頷いて応えた。
「じゃあ、いまから先生がいたチームの名前を教えるわ。いいこと。一度しか言わないから、忘れないよう注意して聞くのよ。先生のいたチームの名前はね」
理恵の唇が、テンポ良くその名を紡いだ。
それはたちまち短いセンテンスを形作り、少女の耳へと進入を果たす。
刹那、眞琴の双眸が驚愕のあまり皿のように見開かれた。
間違いなく、理恵は次のように言ったのであった。
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