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一章:ロードレーサー
第四話:ガールズトーク・イン・ランチタイム
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「サワタリさ、アンタひょっとして彼氏でもできた?」
唐突に投げかけられた質問に、眞琴はひょいと視線を上げた。
校舎の一階、三年二組の教室。
時間帯は昼休み。
質問者は、クラスメートの野々村早苗だ。
窓際にある机を境に向かい合って座る彼女に向かって、眞琴はさらりと言葉を返す。
「まさか。そんなひといないよォ。でも、それがどしたの?」
「いやさ、アンタがこの間、四組の高山を袖にしたって話を耳にしたもんだから、もしかしたらアタシの知らないうちにこしらえちまったか? と疑ったわけよ」
早苗と眞琴のふたり組は中等部以来の腐れ縁。
妙なところでウマが合うせいか、学校内外を問わず、そろって行動していることも多かった。
客観的に見ても、まあ親友と言っていい間柄だろう。
もっとも、いくら仲がいいからといって、その性格や趣向までもが同一方向を向いているわけでは当然ない。
根っからの体育会系で活発な雰囲気を持つ眞琴とは対称的に、文芸部と新聞部とをかけもちしている早苗のほうは、眼鏡に三つ編みという地味な外見からくる予想を裏切ることなく、完全無欠の文系だった。
ただし、その実際の行動力となると、彼女への評価は見た目のそれと激しく異なる。
「学園のパパラッチ」を自称するだけあって、早苗が見せるスクープ記事への情熱は、付き合いの長い眞琴ですらを時として閉口させるほど熱く燃えあがることがあったからだ。
ちなみに、四組の高山こと高山正彦とは、インターハイ出場経験を持つ陸上部短距離走のエースである。
引き締まった筋肉質の長身の上に端正な甘いマスクを載せたその容貌は、数多くの女生徒を夢中にさせるだけの何かを確かなレベルで秘めていた。
その高山が眞琴に交際を申し込んだのは、今週初めの出来事だった。
夕方、部活動からの帰り道。
型どおりに校門付近で待ち伏せされた眞琴は、彼自身の口から、はっきりといまの気持ちを伝えられたのである。
猿渡、好きだ。俺と付き合ってくれ。
これに対する眞琴の答えは、きっぱりひと言、「ごめんね」であったと伝えられている。
それも、考える素振りも見せないほどの即答で。
もっとも、異性としての高山個人が眞琴の琴線に触れ得なかった、というわけではどうもないらしい。
おそらくは、相手が誰であろうとも彼女はこの回答をしたはずだ。だって、あの娘には恋愛モードのオプションがないんだもの──とは、のちの早苗がこの時の眞琴に下した、なんとも率直でわかりやすい評価である。
「ああ、あのことか」
満面に苦笑いを浮かべた眞琴が、手作りのサンドイッチにかじり付いた。
「ほら、高山くんって物凄くモテるでしょ。だから、ボクみたいなのと付き合ってもきっと面白くないよって言ってあげただけだよ」
「告られたのは事実だったか」
ニヤリと笑って早苗が茶化した。
「で、これで何人目だっけ? あんたが刻んだ撃墜マーク」
「撃墜マーク?」
「この学校に入学して以来、あんたが交際断ったオトコの数よ。もう片手の数じゃきかないでしょ。立派な撃墜王じゃない」
「う~、それなんか毒のある言い方」
「そりゃあ、毒のひとつやふたつも吐きますって」
眞琴の不平に早苗は応えた。
「今回アンタに告白したのは、よりによってあの高山よ。近場の学生のみならず、マスコミからも俄然注目されている、容姿端麗、学力優秀、スポーツ万能の、あの高山正彦なのよ」
「む~」
「それを軽~く一蹴するなんてさ、普通に考えたらもったいないオバケが出るレベルじゃない」
「それはそうかもしれないけどさァ……」
「アンタ、全然自覚ないでしょうけど、一部の過激派から随分と恨まれてるわよ。アタシたちのアイドルをないがしろにするだなんて、いったい何様のつもりだ~ッて」
「そんなこと言われたってェ……」
困ったように眞琴は言った。
「好きでもないオトコのひととお付き合いするなんて不誠実なこと、ボクには死んでもできないよ」
「まあ、アンタならそう言うと思ってたけどね──…」
早苗が認識するとおり、学園内における眞琴の人気は、はっきり言って絶大だった。
日本人離れした長い手足に短距離走で鍛えたしなやかなプロポーション。
明朗快活で気さくな性格に加えて、水準以上に端正なルックス。
これだけの要素を併せ持つ娘が、男性諸君から注目されないわけがない。
ただし当の本人は、他人から見た自分の査定を「過大評価」と言い切って、顧みようともしていなかった。
しかも、うぬぼれからくる嫌みな謙遜ではなく心からそう思っていたのであるから、周りにとってはかえって始末に負えなかったりする。
まあ、基本的には同年代の男性を異性として認識できていないのだろう、と早苗あたりは思っていた。
まるで小学生中学年レベルの恋愛センスだ。
正直な話、なかなか香ばしい素材であるとは言える。
早苗が得意とする学園三面記事、その表題を飾るにふさわしいネタを、もしかしたら提供してくれるかもしれない。
とはいえ、友人のプライベートを元に記事を書こうとまでは、さすがの彼女も思ってなかった。
そんなことをすれば、これまでの友情にひびが入ることは避けられまい。
早苗も、クラスメートの多くがそうであるように、眞琴の持つ陽性のキャラクターが好きだった。
話の種を深追いしてそれを失うことは、彼女の好むところではなかった。
頭の後ろで両手を組んで、椅子の背もたれに体重を乗せる。
それは、早苗が自主的に話題を切り替える合図みたいな仕草だった。
大切な友人に対する、ちょっとした気配り。
時に毒舌家としての一面を垣間見せることがあっても、その一方でこういったさりげない配慮のできる彼女は、自分が思っている以上に周囲からの評価が高い。
わざとらしく大声で、早苗は言った。
「あーあ、誰かアタシに告白してくんないかなぁ。ふたつ返事でOK出しちゃうのに」
「容姿端麗、学力優秀、スポーツ万能の高山くんみたいなオトコのひとなら、でしょ?」
向けられた矛先が逸れたことに乗じて、眞琴が早苗の台詞に突っ込みを入れた。
その直前に彼女の見せた軽い安堵を認めた早苗は、少しだけサディスティックな快感を感じつつ、にぱっと笑ってそれに応じる。
「どうせなら、そこに家がお金持ちってのも付け加えといて。やっぱ、男の決め手は経済力よね」
「ぜいたく過ぎ。ネタとしては聞いておいてあげるよ」
「何よ。あくまでも理想なんだから、言うだけだったらタダじゃない」
「どうだか。早苗の場合、口だけじゃなさそうだしなぁ」
「さすがは我が級友。よくわかっていらっしゃる」
そうしたかけあいをこなしつつ割と多めの昼食をきれいに平らげた眞琴は、軽く一服してみせたのち、おもむろに分厚い雑誌をリュックの中から取り出した。
本当に厚い。
電話帳クラスの厚さだ。
それは、プロレスラーとの熱愛・結婚で話題を呼んだ某グラビアアイドルをイメージキャラクターへと配した、大手の中古車情報誌だった。
「何よ、それ」
自分の住む場所とは明らかに違う世界のその物体。
早苗はあからさまに怪訝な表情を浮かべ、確認するよう眞琴に問うた。
「サワタリ、アンタ、クルマでも買うつもりなの?」
「イエス」
簡潔に答えた眞琴が、歯を見せて笑った。
「夏休み中に普通免許取るから、それまでには決めとくつもり」
それを聞いた早苗は、「ふぅん」と短く鼻を鳴らした。
なんともまた気の抜けた相槌だった。
話の筋に興味なしという姿勢があからさまな態度である。
もっとも、彼女がその話題に付いていけないというわけではなかった。
確かにクルマなんぞにはこれっぽっちも興味を持たない早苗であったが、そっち方面に御執心の眞琴と長年付き合ってきた関係上、本人の意思とは無関係にそれなりの知識を蓄積する羽目に陥っていたからだ。
まだ時間もあることだし、とばかりに早苗は会話を続行した。
なんだかんだと付き合いがいいのは、彼女の持つ強力な長所のひとつだ。
「ま、アンタのことだから、どうせ倫子さんとやらの影響モロ受けなの選ぶんだろうけど、友達として、一応どんなのをターゲットにしているのかだけは聞いておいてあげましょうかね」
「悪いなぁ、なんだか催促しちゃったみたいで」
そんなしおらしい言葉の内容とは裏腹に、まったく悪びれる様子もなく眞琴は雑誌のページを素早く開ける。
見るとそこには、橙色のしおりが一枚、しっかりと挟み込まれてあった。
彼女があらかじめ購入対象を選別していたことは間違いない。
開かれたページには、十数台分の販売車輌がそれぞれ小さなカラー写真付きで掲載されていた。
車輌データには、車種・価格・年式といった基本的なもののほかに、走行距離やグレード、駆動系の種類などが追記されてある。
詳細はともかく、概要を把握するだけならばまずまず十分な情報量だ。
そのうちで眞琴が指し示した一角を、どこかもったい振ったような表情で早苗は見詰める。
まるで、持ち込まれたお宝を検分する鑑定士のような面持ちだった。
思ったよりも写真が小さかったのか、かけている眼鏡をくいと動かし彼女は見入る。
五百四十一ページの左下の角。
平べったくのっぺりとした感じの赤いクルマがそこに載っていた。
記載されてある名称を、早苗が思わず口にする。
「CR-X?」
「ホンダEF-8、CR-X!」
ここぞとばかりに、未記載のデータを眞琴が補足。
「見かけはちっちゃいけど排気量一.六リッター百六十馬力のB-16Aってエンジンを積んだスッゴイクルマなんだよ。通称『サイバー』 峠じゃいまだに現役バリバリだし。実は、今週末に実物を見にいくつもりなんだ」
「……サワタリ、アンタねぇ」
まるで子供のような無邪気さで語る眞琴に対し、肩をすくめて早苗は応えた。
わざとらしく、うつむき加減に頭を振る。
彼女がこうしたオーバーアクションを見せることの意味を、眞琴は完全に理解していた。
小姑モード開始の合図だ。
間を置かず、早苗は一気にまくし立てる。
「どうせホンダ車買うなら、フィットみたいな可愛いコンパクトカーにしなさいよ。人も荷物もたくさん載るし、燃費だっていいじゃない。いま時分、馬力でクルマ選んで何が楽しいわけ? クルマってのは移動手段のひとつでしょ? 制限速度の何倍も出せるパワーなんて、宝の持ち腐れ以外の何物でもないわ!」
まったくもって正論だった。
およそ非の打ち所すら見当たらない。
だが困ったことに、ことは個人的趣味の範疇に存在していた。
そこは、万人が納得できる理屈が大手を振るえる場所ではない。
早苗の理屈に眞琴が反論できたのは、まさにそれこそが理由だった。
「宝の持ち腐れなんかじゃないよ」
突き付けられた人差し指を目の前にして、さらりと彼女は言ってのけた。
「人が『速さ』を求めるのは、持って生まれた本能なんだとボクは信じているから」
「本能?」
「うん、本能」
妙な自信をみなぎらせた眞琴はきっぱりとそう断言すると、訝る親友に向かってとうとうと自説を語り出した。
「これはボクが陸上やっているからかもしれないけど」と前置いてから彼女は言う。
「人間ってさ、『速く走ろう、速く走ろう』って自分自身を追い立てるDNAを持っているように思えるんだ。だって、そうじゃないと百メートル走でコンマ何秒を争うアスリートに感動なんてできっこないじゃない。
で、ボクはいま、クルマの運転でそんな世界に行ってみたいと目論んでいるのだよ、早苗クン。
だからね。そんなボクが愛車にパワーを求めるっていうのは、とっても自然な成り行きだと思うんだよ。わかってくれる?」
それを聞いて脱力した早苗の口から、特大のため息がこぼれ落ちた。
同時に放たれた「本気でレーサーにでもなるつもりなの?」という台詞も、だから八割方は皮肉であった。
しかしながら、そんな彼女の発言を眞琴は字面どおりに受け取った。
満更でもなさそうに「なれるものなら、それもいいかもね」と答えながら、満面の笑みをすら浮かべてみせる。
早苗は、天を仰いで肩を落とした。
唐突に投げかけられた質問に、眞琴はひょいと視線を上げた。
校舎の一階、三年二組の教室。
時間帯は昼休み。
質問者は、クラスメートの野々村早苗だ。
窓際にある机を境に向かい合って座る彼女に向かって、眞琴はさらりと言葉を返す。
「まさか。そんなひといないよォ。でも、それがどしたの?」
「いやさ、アンタがこの間、四組の高山を袖にしたって話を耳にしたもんだから、もしかしたらアタシの知らないうちにこしらえちまったか? と疑ったわけよ」
早苗と眞琴のふたり組は中等部以来の腐れ縁。
妙なところでウマが合うせいか、学校内外を問わず、そろって行動していることも多かった。
客観的に見ても、まあ親友と言っていい間柄だろう。
もっとも、いくら仲がいいからといって、その性格や趣向までもが同一方向を向いているわけでは当然ない。
根っからの体育会系で活発な雰囲気を持つ眞琴とは対称的に、文芸部と新聞部とをかけもちしている早苗のほうは、眼鏡に三つ編みという地味な外見からくる予想を裏切ることなく、完全無欠の文系だった。
ただし、その実際の行動力となると、彼女への評価は見た目のそれと激しく異なる。
「学園のパパラッチ」を自称するだけあって、早苗が見せるスクープ記事への情熱は、付き合いの長い眞琴ですらを時として閉口させるほど熱く燃えあがることがあったからだ。
ちなみに、四組の高山こと高山正彦とは、インターハイ出場経験を持つ陸上部短距離走のエースである。
引き締まった筋肉質の長身の上に端正な甘いマスクを載せたその容貌は、数多くの女生徒を夢中にさせるだけの何かを確かなレベルで秘めていた。
その高山が眞琴に交際を申し込んだのは、今週初めの出来事だった。
夕方、部活動からの帰り道。
型どおりに校門付近で待ち伏せされた眞琴は、彼自身の口から、はっきりといまの気持ちを伝えられたのである。
猿渡、好きだ。俺と付き合ってくれ。
これに対する眞琴の答えは、きっぱりひと言、「ごめんね」であったと伝えられている。
それも、考える素振りも見せないほどの即答で。
もっとも、異性としての高山個人が眞琴の琴線に触れ得なかった、というわけではどうもないらしい。
おそらくは、相手が誰であろうとも彼女はこの回答をしたはずだ。だって、あの娘には恋愛モードのオプションがないんだもの──とは、のちの早苗がこの時の眞琴に下した、なんとも率直でわかりやすい評価である。
「ああ、あのことか」
満面に苦笑いを浮かべた眞琴が、手作りのサンドイッチにかじり付いた。
「ほら、高山くんって物凄くモテるでしょ。だから、ボクみたいなのと付き合ってもきっと面白くないよって言ってあげただけだよ」
「告られたのは事実だったか」
ニヤリと笑って早苗が茶化した。
「で、これで何人目だっけ? あんたが刻んだ撃墜マーク」
「撃墜マーク?」
「この学校に入学して以来、あんたが交際断ったオトコの数よ。もう片手の数じゃきかないでしょ。立派な撃墜王じゃない」
「う~、それなんか毒のある言い方」
「そりゃあ、毒のひとつやふたつも吐きますって」
眞琴の不平に早苗は応えた。
「今回アンタに告白したのは、よりによってあの高山よ。近場の学生のみならず、マスコミからも俄然注目されている、容姿端麗、学力優秀、スポーツ万能の、あの高山正彦なのよ」
「む~」
「それを軽~く一蹴するなんてさ、普通に考えたらもったいないオバケが出るレベルじゃない」
「それはそうかもしれないけどさァ……」
「アンタ、全然自覚ないでしょうけど、一部の過激派から随分と恨まれてるわよ。アタシたちのアイドルをないがしろにするだなんて、いったい何様のつもりだ~ッて」
「そんなこと言われたってェ……」
困ったように眞琴は言った。
「好きでもないオトコのひととお付き合いするなんて不誠実なこと、ボクには死んでもできないよ」
「まあ、アンタならそう言うと思ってたけどね──…」
早苗が認識するとおり、学園内における眞琴の人気は、はっきり言って絶大だった。
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明朗快活で気さくな性格に加えて、水準以上に端正なルックス。
これだけの要素を併せ持つ娘が、男性諸君から注目されないわけがない。
ただし当の本人は、他人から見た自分の査定を「過大評価」と言い切って、顧みようともしていなかった。
しかも、うぬぼれからくる嫌みな謙遜ではなく心からそう思っていたのであるから、周りにとってはかえって始末に負えなかったりする。
まあ、基本的には同年代の男性を異性として認識できていないのだろう、と早苗あたりは思っていた。
まるで小学生中学年レベルの恋愛センスだ。
正直な話、なかなか香ばしい素材であるとは言える。
早苗が得意とする学園三面記事、その表題を飾るにふさわしいネタを、もしかしたら提供してくれるかもしれない。
とはいえ、友人のプライベートを元に記事を書こうとまでは、さすがの彼女も思ってなかった。
そんなことをすれば、これまでの友情にひびが入ることは避けられまい。
早苗も、クラスメートの多くがそうであるように、眞琴の持つ陽性のキャラクターが好きだった。
話の種を深追いしてそれを失うことは、彼女の好むところではなかった。
頭の後ろで両手を組んで、椅子の背もたれに体重を乗せる。
それは、早苗が自主的に話題を切り替える合図みたいな仕草だった。
大切な友人に対する、ちょっとした気配り。
時に毒舌家としての一面を垣間見せることがあっても、その一方でこういったさりげない配慮のできる彼女は、自分が思っている以上に周囲からの評価が高い。
わざとらしく大声で、早苗は言った。
「あーあ、誰かアタシに告白してくんないかなぁ。ふたつ返事でOK出しちゃうのに」
「容姿端麗、学力優秀、スポーツ万能の高山くんみたいなオトコのひとなら、でしょ?」
向けられた矛先が逸れたことに乗じて、眞琴が早苗の台詞に突っ込みを入れた。
その直前に彼女の見せた軽い安堵を認めた早苗は、少しだけサディスティックな快感を感じつつ、にぱっと笑ってそれに応じる。
「どうせなら、そこに家がお金持ちってのも付け加えといて。やっぱ、男の決め手は経済力よね」
「ぜいたく過ぎ。ネタとしては聞いておいてあげるよ」
「何よ。あくまでも理想なんだから、言うだけだったらタダじゃない」
「どうだか。早苗の場合、口だけじゃなさそうだしなぁ」
「さすがは我が級友。よくわかっていらっしゃる」
そうしたかけあいをこなしつつ割と多めの昼食をきれいに平らげた眞琴は、軽く一服してみせたのち、おもむろに分厚い雑誌をリュックの中から取り出した。
本当に厚い。
電話帳クラスの厚さだ。
それは、プロレスラーとの熱愛・結婚で話題を呼んだ某グラビアアイドルをイメージキャラクターへと配した、大手の中古車情報誌だった。
「何よ、それ」
自分の住む場所とは明らかに違う世界のその物体。
早苗はあからさまに怪訝な表情を浮かべ、確認するよう眞琴に問うた。
「サワタリ、アンタ、クルマでも買うつもりなの?」
「イエス」
簡潔に答えた眞琴が、歯を見せて笑った。
「夏休み中に普通免許取るから、それまでには決めとくつもり」
それを聞いた早苗は、「ふぅん」と短く鼻を鳴らした。
なんともまた気の抜けた相槌だった。
話の筋に興味なしという姿勢があからさまな態度である。
もっとも、彼女がその話題に付いていけないというわけではなかった。
確かにクルマなんぞにはこれっぽっちも興味を持たない早苗であったが、そっち方面に御執心の眞琴と長年付き合ってきた関係上、本人の意思とは無関係にそれなりの知識を蓄積する羽目に陥っていたからだ。
まだ時間もあることだし、とばかりに早苗は会話を続行した。
なんだかんだと付き合いがいいのは、彼女の持つ強力な長所のひとつだ。
「ま、アンタのことだから、どうせ倫子さんとやらの影響モロ受けなの選ぶんだろうけど、友達として、一応どんなのをターゲットにしているのかだけは聞いておいてあげましょうかね」
「悪いなぁ、なんだか催促しちゃったみたいで」
そんなしおらしい言葉の内容とは裏腹に、まったく悪びれる様子もなく眞琴は雑誌のページを素早く開ける。
見るとそこには、橙色のしおりが一枚、しっかりと挟み込まれてあった。
彼女があらかじめ購入対象を選別していたことは間違いない。
開かれたページには、十数台分の販売車輌がそれぞれ小さなカラー写真付きで掲載されていた。
車輌データには、車種・価格・年式といった基本的なもののほかに、走行距離やグレード、駆動系の種類などが追記されてある。
詳細はともかく、概要を把握するだけならばまずまず十分な情報量だ。
そのうちで眞琴が指し示した一角を、どこかもったい振ったような表情で早苗は見詰める。
まるで、持ち込まれたお宝を検分する鑑定士のような面持ちだった。
思ったよりも写真が小さかったのか、かけている眼鏡をくいと動かし彼女は見入る。
五百四十一ページの左下の角。
平べったくのっぺりとした感じの赤いクルマがそこに載っていた。
記載されてある名称を、早苗が思わず口にする。
「CR-X?」
「ホンダEF-8、CR-X!」
ここぞとばかりに、未記載のデータを眞琴が補足。
「見かけはちっちゃいけど排気量一.六リッター百六十馬力のB-16Aってエンジンを積んだスッゴイクルマなんだよ。通称『サイバー』 峠じゃいまだに現役バリバリだし。実は、今週末に実物を見にいくつもりなんだ」
「……サワタリ、アンタねぇ」
まるで子供のような無邪気さで語る眞琴に対し、肩をすくめて早苗は応えた。
わざとらしく、うつむき加減に頭を振る。
彼女がこうしたオーバーアクションを見せることの意味を、眞琴は完全に理解していた。
小姑モード開始の合図だ。
間を置かず、早苗は一気にまくし立てる。
「どうせホンダ車買うなら、フィットみたいな可愛いコンパクトカーにしなさいよ。人も荷物もたくさん載るし、燃費だっていいじゃない。いま時分、馬力でクルマ選んで何が楽しいわけ? クルマってのは移動手段のひとつでしょ? 制限速度の何倍も出せるパワーなんて、宝の持ち腐れ以外の何物でもないわ!」
まったくもって正論だった。
およそ非の打ち所すら見当たらない。
だが困ったことに、ことは個人的趣味の範疇に存在していた。
そこは、万人が納得できる理屈が大手を振るえる場所ではない。
早苗の理屈に眞琴が反論できたのは、まさにそれこそが理由だった。
「宝の持ち腐れなんかじゃないよ」
突き付けられた人差し指を目の前にして、さらりと彼女は言ってのけた。
「人が『速さ』を求めるのは、持って生まれた本能なんだとボクは信じているから」
「本能?」
「うん、本能」
妙な自信をみなぎらせた眞琴はきっぱりとそう断言すると、訝る親友に向かってとうとうと自説を語り出した。
「これはボクが陸上やっているからかもしれないけど」と前置いてから彼女は言う。
「人間ってさ、『速く走ろう、速く走ろう』って自分自身を追い立てるDNAを持っているように思えるんだ。だって、そうじゃないと百メートル走でコンマ何秒を争うアスリートに感動なんてできっこないじゃない。
で、ボクはいま、クルマの運転でそんな世界に行ってみたいと目論んでいるのだよ、早苗クン。
だからね。そんなボクが愛車にパワーを求めるっていうのは、とっても自然な成り行きだと思うんだよ。わかってくれる?」
それを聞いて脱力した早苗の口から、特大のため息がこぼれ落ちた。
同時に放たれた「本気でレーサーにでもなるつもりなの?」という台詞も、だから八割方は皮肉であった。
しかしながら、そんな彼女の発言を眞琴は字面どおりに受け取った。
満更でもなさそうに「なれるものなら、それもいいかもね」と答えながら、満面の笑みをすら浮かべてみせる。
早苗は、天を仰いで肩を落とした。
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