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第1章 東京浅草、魔王降臨す

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「じゃー、行ってきます! そらもうみも良い子にしてろよー!」

「うん!」

「ゆきやにいちゃん、いってらっしゃい!」

 幼い双子の弟と妹は、保育園の門の前に立って小さな手を振った。
 そらはやんちゃで元気いっぱいの男の子、反対にうみは落ち着いていて、同い年なのにお姉さんのようだった。

 俺は二人に手を振り返すと、いつものようにママチャリに跨ってバイト先へと急ぐ。

 両親が交通事故で亡くなったのは、俺の高校卒業後すぐの事だった。
 あまりに突然だったので、まだ三歳のそらとうみは、父と母がいなくなった事を良く理解出来ていない。

(悲しみに浸ってる場合じゃないからな……。俺がしっかり稼いで、二人を育ててやらないと)

 遺族年金や保険金で、当面の生活はなんとか出来そうだったが、二人の進学など先々の事を考えたら、今からしっかり貯金を作っておく必要がある。

 俺は大学進学を諦め、取り急ぎフリーターとして日々バイトに勤しんでいた。

(まあ、どっちにしろ今年は浪人だったしな……)

 夏の日差しが眩しい。世の中は夏休みで観光客も増えてきたが、浅草の町は観光スポットを回避して路地裏を行けば、それほど混雑もなく長閑な景色が広がっている。
 のんびり感で言えば、民家の前に椅子を出して、ぼんやりと外を眺めているご老人が、朝から夕方まで同じ体勢だった事もある。

 そんな下町を走り抜けて、俺はやっと目的の古本屋を見つけると、店の前に自転車を停めた。

(うわ、すごい店だな……)

 店の看板は文字が剥がれて斜めに傾いており、外に並んでいる叩き売りの本は日光ですっかり変色していた。

「おはよーございまーす! 古本整理のバイトで来ました碓氷うすいですー!」

 俺はがらりとガラス戸を開けて、声を掛けながら店内に入った。

 店の中は、本棚がスペースの八割を占めているような状態で、床から天井までびっしりと古本が詰まった大きな本棚がいくつも並んでいた。
 その隙間に店の奥へと続く通路があったが、人一人がやっと通れるくらいの激狭ぶりだった。

(見てるだけで圧死しそうな量だな……)

 呆然と眺めていると、店の奥から嗄れた声が聞こえてくる。

「ほ、ほ、ほ、時間ぴったりじゃったの」

 実は店に着く前に、三回も道路工事に出くわして遠回りした挙句、野良犬に追いかけられ無駄な激走を繰り返していたのだが、そんな不運に見舞われても平静をキープ出来る程には鍛えられていた。
 この不幸体質のせいで予想外のトラブルに遭遇する事は日常茶飯事だったので、早めに向かったおかげで約束の時間には間に合っていたのだ。

 下町の長閑な景色は、年中トラブル祭りの俺とは切り離された風景。それもまた、いつもの事だった。

「おはようございます! ……あ、店長さんですか?」

 本棚の奥から姿を現したのは、失礼ながら今ぬか床から拾い上げてきたばかりの野菜のように皺々で、牛乳瓶の底のような分厚いレンズの眼鏡を掛けた老人だった。

「如何にも。早速だが、コッチに来て貰えるかの?」

 私は己の不運パワーが発動しない事を祈りつつ、古本の城壁を潜り抜けた。
 幸い両側の本が崩れてくる事もなく、レジカウンターと思しき小汚い机の前まで無事辿り着く事が出来た。

「この裏の物置に本が沢山仕舞ってあるんじゃが、もう店に並べる所も無いし、古過ぎて価値のないものばかりなんじゃ。いざ処分しようと思っても量も多いし、重くてどうにもならんから、資源ゴミに出せるように整理して欲しくての」
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