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猫を探して三千里

第26話 お散歩にれっつごー

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 ヤバい。
 すっごく眠い。

 大手を振ってだらだらできるゴールデンウィークが終わり久々にやってきた学校は、人を夢の国に誘い込む電波でも出しているような眠さがある。先生の声なんて子守歌を通り越して睡眠薬だし、休み時間は欠伸が出っぱなしだ。

 うららかな午後は眠気しかない。
 
 んあー。

 私は、噛み殺す努力もせずに大きな欠伸をして机に突っ伏す。

「うわー。今の顔、酷すぎる」

 頭の上に情け容赦ない言葉がころんと落ちてくる。
 声は聞き慣れた大崎沙羅おおさきさらのもので、私は机に頭をつけたまま問いかけた。

「……そんなに酷かった?」
「魔除けになりそうなくらい。悪霊も裸足で逃げ出すと思う」

 高校に入学してからずっと同じクラスで、学生生活の大半をともにしている沙羅が剛速球を投げてくる。オブラートに包むなんてまどろっこしいことはしない。正々堂々と一太刀で私を切り伏せた。

「脳みそから今の顔、消去しといて」
「努力はする」

 沙羅が重みのない声で言う。

「全力で取り組んで」
「あたしが全力を出すところはここじゃない」
「なら、残念だけど諦める」

 酷い欠伸顔なんて、これまでに何度も見せてきている。沙羅の脳内に魔除けが一つ二つ増えたとしても、たいしたことじゃない。

 私は愛し合う恋人同士のようにべったりとくっついていた机に別れを告げて、伸びをする。

「そうだ。瀬利奈って、ミヨルメントでバイトしてるんだよね?」
「してるけど」

 天井に向けて上げた腕をばたんと下ろして、沙羅を見る。

「休み中、麦と一緒にお店に行ったらいなかったけど、どこにいたの?」
「あー、それは」

 麦というのは、沙羅が飼っているベンガルという野性味溢れる外見をした猫で、ちょっとやんちゃな女の子だ。

 けれど、問題点はそこじゃない。
 どこにいたの?
 という部分に大きな問題がある。

 いやー、ちょっと猫の国に行ってたんだよね。

 ――なんて言ったら、絶対にヤバい奴だって思われる。

 沙羅は人が良くて素直だし、信用できる友だちだ。
 でも、猫の国で獣使いやってます、なんて言っても信じないと思う。
 私だって、友だちがそんなこと言い出したら冗談だと思うし、信じない。

「んっと、裏方。裏で色々やってる」

 猫の国は、ミヨルメントの倉庫から行ける。
 ざっくり言えば裏みたいなものだから、裏であんなことやこんなことをやっている裏方というのは概ね正しい。

 うん、八十五パーセントくらいあっている。

「そうなんだ」

 人を疑ったりしない沙羅がすんなりと私の言葉を受け入れる。

「バイト、面白い?」

 黒よりは焦げ茶色に近い髪をふわりと揺らして、沙羅が私の机を椅子がわりにする。フェミニンな雰囲気のショートカットは、彼女によく似合っていた。

「面白いよ。あ、ねえ。沙羅、猫いっぱいいるところ知ってる?」

 スマートに。

 私がそういうことができるタイプじゃないせいで、できればさりげなく変えたかった話は、蛍光ペンで印をつけたみたいにわかりやすく方向を変えることになる。

 でも、沙羅は細かいことは気にしない。
 猫好きらしく、猫という言葉に狙い通りに反応してくれる。

「猫?」
「うん。最近、家の周りで猫、見なくなってさ」
「うちの近くの公園は? あそこ、猫がよく来るよ」
「ああ、そう言えばよくいるっけ。じゃあ、行ってみようかな」

 熊の国との騒動が一段落して、しばらくは猫の国で獣使いの訓練をするものだと思っていた。けれど、猫の国で訓練ができない事態になっている。主に私のせいで。

 猫を追い回すあやしい人間がいる。
 言うまでもなく、これは私のことだ。

 猫の国で獣使いの訓練を続けた結果、私に狙われた猫たちが管理局に『人間に追い回されて怖い』と訴え、熊の国との国境へ行く際にタロウ編集長から猫を魅了するなと言われた。それは限定的なお願いではなく、未だに続いている。そんなわけで、私はまだ猫の国で猫と追いかけっこをすることができない。

 だったら、タロウ編集長が私の訓練相手になってくれたら話が早いんだけれど、「死んでも訓練相手になんかならんぞ」と言い放たれた。結局、人間界で猫の秘密を聞き出してくるという仕事が与えられ、私は猫を探している。

「猫に何か用でもあるの? もしかして怖がらせに行くとか?」

 私が動物という動物に逃げられまくることを知っている沙羅が、からかうように言う。

「失礼な」
「でも、ほんとのことだし」
「……そうだけど」

 実際に猫を魅了しようと思ったら怖がられるから、沙羅の言葉に間違いはない。しかし、図星というのは心にグサっとくる。教室が血の海になるくらい傷が深い。

「他の猫に浮気してると、乙女ちゃんに嫌われるよ」
「浮気じゃないから」

 乙女に嫌われるようなことがあったら、教室どころかグラウンドまで血の海になる。

 でも、今回はそんなことがありえない仕事だ。
 なにせ、乙女も通訳として聞き込み調査に行く。

 他の猫に焼きもちを焼くことはあっても、嫌われることはないと思う。

「もうすぐ授業、始まる」

 私が時計を指さすと、今日最後の授業が始まるチャイムが聞こえて、沙羅が席に戻った。

 五分もしないうちに先生が教室に入ってくる。
 眠たいだけの時間を過ごして、家へと急ぐ。
 玄関を開ければ、大きな猫が一匹。

「うにゃー」

 乙女が私を待ち構えていた。

「ただいま」

 ふさふさでふわふわな大きな毛玉をわしゃわしゃと撫でてから、リビングに向かう。足にまとわりつく乙女を踏まないように歩いて、冷蔵庫の中を覗いている母親に声をかける。

「バイト行ってくる」
「今日、バイトあるの?」
「うん、急に入って」

 今日は猫編集部へ行く日じゃないから、本当ならミヨルメントへ行く必要がない。でも、猫への聞き込み調査という大義名分があれば、人間に変身した乙女とこの街を歩けるのだ。

 これはもう、自主的に働くしかないでしょ。

「乙女も?」
「連れてく」

 そう言うと、キッチンからお母さんがやってきて、私の足元でゴロゴロしている乙女を撫でた。

「そう。じゃあ、乙女、気をつけて行っておいで。早く帰ってきてね」
「可愛い娘には?」
「いってらっしゃい」

 素っ気ない。
 でも、乙女の可愛さに勝つことはできないから仕方がない。

 私は乙女にリードを付けて玄関を出ると、自転車のカゴに乗せる。そして、自転車に跨がってミヨルメントへ向かった。

 佐々木さんちと住田さんちの家の前を通って、犬に吠えられ、乙女がにゃあと鳴く。
 五月だというのに暑いなんて思っていると、ミヨルメントに到着する。

「こんにちはー」

 乙女を抱えて店内に入り、楓さんに挨拶をすると「こんにちは」と返ってくる。

「今日は、街で調査ですか?」
「そうです」

 ぺこりと頭を下げて、倉庫に入る。
 人間になることができる猫には、むやみやたらに人間界で変身してはいけないという掟がある。けれど、特別な理由があれば人間界でも人の姿で行動することができる。

 ただし、どこでも好きなところで変身して良いというわけではない。一応、猫の国かミヨルメントで変身してから人間の世界に行くことになっている。

「乙女、いいよ」

 倉庫の片隅、足元の猫に声をかけると『ぽんっ』と瓶の蓋が開いたような音がして、ふわふわの髪をした女の子が現れる。

 私とお揃いの制服。
 同じように長い髪。
 でも、私とは違って絵本から抜け出してきたみたいに綺麗な女の子に抱きつかれる。

「リナ! 今日は一緒にお外行ってもいいんだよねっ」

 弾んだ声に私は頷く。

「うん。歩くときは、車に気をつけてね」
「わかってる。それで、今日は近所で猫を探すんでしょ?」
「そう。見つけたら話を聞くから。……触れるかわかんないけど」
「大丈夫。リナが触れなくても、わたしが話を聞いてあげる」
「ありがと。でも、なるべく自分で頑張るから」

 熊の国との国境で起こったことのようなことが、またあるかもしれない。そんなとき、獣使いとして役に立ちたいと思う。
 どうすれば動物に近寄ることができるのかはわからないけれど、努力はしたい。

「行こうか」

 乙女に声をかけると、手を掴まれる。

「うん。お散歩にれっつごー!」

 明るい声が倉庫に響く。
 散歩じゃないよ、仕事だよ。
 と、訂正する前に私は乙女に引っ張られ、倉庫を出ることになった。
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